天皇陛下の退位を実現するための法整備をどのように進めるか、衆参両院の正副議長の下に検討の場が設けられることになった。政府が法案を提出する前から各会派で意見をかわし、合意づくりを図るねらいだ。

 異例の取り組みである。見解の違いや対立を残したまま審議に入って紛糾する事態を避けつつ、国会の存在価値をアピールしたいという、与野党の考えが一致したと見ていい。

 そんな思惑ぶくみの動きではあるが、憲法は、天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基(もとづ)く」と定める。その国民の代表によって構成される立法府が、問題の重要性をふまえ、時間の余裕をもって議論を始める意義は小さくない。みのりある話し合いにしてほしい。

 というのも、政府が昨年秋に設けた有識者会議がおかしな方向に流れているからだ。

 どんな場合であれば退位を認めるかの要件は定めず、今の陛下に限った特別な法律を制定する。将来のことはそのときにまた考える――。有識者会議が軸にすえている考えだという。

 だがこれでは、高齢社会において、いかにして象徴天皇の代替わりを安定・円滑に行うかという、この先も引き続き直面する課題への回答にならない。

 会議では、将来を縛らない方が状況に応じた対応ができるとの意見が出ているという。天皇の立場が時の政権や与党の意向によって左右されかねない、危うい見解ではないか。

 朝日新聞の最新の世論調査でも「今後のすべての天皇も退位できるようにするのがよい」との回答が62%だった。他メディアの調査も同様の傾向だ。国会での検討がこうした声に沿い、有識者会議のゆがみの是正につながるよう期待したい。

 あわせて心すべきは、説明責任をしっかり果たすことだ。

 退位問題をめぐっては、昨年から「政争の具にしてはならない」との発言がしきりに聞かれる。それ自体に異論はないが、政争に利用しないことと、各会派がそれぞれの考えを示し議論を深めることとは別の話だ。

 国会では近年、各党が法案の内容を事前にすりあわせ、公開の委員会や本会議で審議らしい審議をしないまま成立させてしまう動きが目につく。

 ふつうの法律でも問題をはらむやり方だが、まして今回は、日本国民統合の象徴である天皇の地位に関する話である。

 オープンな議論が行われてこそ「国民の総意」は形づくられる。関係者は肝に銘じ、見識ある対応をとってもらいたい。