伝説の創造:「人喰いの大鷲トリコ」の裏話

長く待望されている大作について上田文人監督に話を聞くため、SIEジャパンスタジオを訪れた。

By Cam Shea

ジャパンスタジオは、港区の品川駅から徒歩数分の目立たないオフィスビルの中にある。ビルにジャパンスタジオの看板がなく、入口の通路側にネームプレートがあるだけだ。スタジオに入ってみると、やはり地味だった。トロフィーとポスターが飾られた受付を除いて、控え目で特徴のない空間が広がっている。

事務所の質素さは、鮮やかなアートと発想に支えられた近年の名作と釣り合わないように思えた。「サルゲッチュ」、「ICO」、「ロコロコ」、「無限回廊」、「TOKYO JUNGLE」、「パペッティア」といったPlayStation専用ソフトを生み出したジャパンスタジオは、ひねりの効いたタイトルのデベロッパーとして有名になり、PlayStationシリーズを特別なプラットフォームにしている。

Ico and Yorda holding hands.
「ICO」はゲーム業界に新鮮な風を吹き込んだ。

にもかかわらず、ジャパンスタジオはまだSIEワールドワイドスタジオ内でより重要な地位を獲得するよう努力している。しかし、2012年の大規模なリストラ、そして安定しない最近のアウトプットが足かせとなっている。フロム・ソフトウェアとの合作である「Bloodborne」は大ヒットを飛ばしたが、独自で開発した「KNACK」は商業的な大失敗だった。他社と協力して作った「SOUL SACRIFICE」や「FREEDOM WARS フリーダムウォーズ」などのPlayStation Vita用ソフトは、残念ながら没落するプラットフォームの最後のあがきにしかならなかった。

とはいえ、ジャパンスタジオの今後はあいかわらずエキサイティングなものだ。これから発売する数々のタイトルはファンに期待を持たせている。「GRAVITY DAZE 2」、「トゥモロー チルドレン」、「THE PLAYROOM VR」、そしてゲーム史上もっとも長く待たれているタイトルの一つであり、今回IGNが東京を訪れる理由である「人喰いの大鷲トリコ」だ。

神秘的作品

ゲーム内の物語と同じように、「人喰いの大鷲トリコ」は“伝説”だ。10年間の制作期間を経ているこのタイトルは、ほとんどレジェンドの域に達している。ゲーマーが信じようとしているが自己欺瞞かどうか確信が持てない神話のようなプロジェクトだった。

長い沈黙を経て、去年のE3でやっとPS4用のタイトルとして再度発表され、そのデモもファンを安心させる材料となった。そして今、発売の年“2016”の半ばになった。ゲームを実際に体験して、作品の奥深くに潜る時がついに来たと我々は思った。

Trico and the boy enter a large cave with an underground lake.
ゲーム中で文字通り、“潜る”シーン。

そう、「人喰いの大鷲トリコ」は実在のゲームで(このページでIGNのファースト・インプレッションを読むことができる)、そして上田氏率いる開発チームが「今年中の発売に向けてとにかく忙しくがんばっている」のだ。

「さすがにこんなに長くかかったゲームは初めてなので、少し寂しくもあり早くケリをつけたいというのはありますね。複雑な感じですかね」。ゴールが(願わくば)ようやく見えるようになった今、どんな心境でいるのかについて聞いたら、上田氏はこう答えた。

さすがにこんなに長くかかったゲームは初めてなので、少し寂しくもあり早くケリをつけたいというのはありますね

上田氏はフレンドリーだが、同氏との2つの長い会話はアンサーよりも多くのクエスチョンを我々に残した。ゲームアーティストとしての上田氏、ゲーム世界の構築者としての上田氏、そしてゲームデザイナーとしての上田氏についてもっと知りたかったのだが、ゲームの美学やデザインに関する質問への上田氏の答えは妙に慎重で、そして一部の質問は婉曲な拒絶に終わってしまった。

明らかに、上田氏はあらゆる情報の開示に対して厳重な注意を払っている。同氏が今まで制作した、謎のような、様々な解釈ができる作品の傾向を考えると、理解できなくもない。しかし、同氏との会話は気の合う信頼関係を構築し、話のニュアンスを把握する通常の流れではなく、まるで渓谷の向こうにいる人に向かって叫び、返事のエコーが来るよう祈っているようだった。

そしてスタジオにいた人が教えてくれた。上田氏はインタビューの前、2日連続で徹夜していると。たぶん、我々が実際に体験できるゲームを用意するために他のチームメンバーと一緒にプログラミングに没頭していただろう。

リリースまでの長き道のり

「人喰いの大鷲トリコ」が通常の開発フローをくんでいないことは、もはや言うまでもない。E3 2009でPlayStation 3用のタイトルとして初めて発表されたが、同時に公開された極めて印象深いトレーラーはイベントに間に合わせるためにゲーム開発の進度を遥かに越えて無理やりに“スペックアップ”されたものだった。去年6月、SCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント)ワールドワイドスタジオの吉田修平プレジデント(当時)はEurogamerに対して、「私たちは(トレーラーが)スムーズに動くまで1フレームごとに制作しました」と話した。そして9月の東京ゲームショウ(TGS)ではゲームの制作に関する動画が公開されたが、第二のトレーラーは出てこなかった。

2009 年オリジナルトレーラー

2011年3月、新しいデモが公開されるという報道関係者限定の説明会に招待されたが、4月に延期が決定、そして同年のE3もTGSも新たな情報が出ず2011年の発売が消えた。後のインタビューで吉田氏はその背景として、「開発のスピードは非常に遅いです。技術的な問題が多く、ゲームが正常な速度に達していないのです。(中略)機能上、開発チームは妥協せざるをえません」と明かした。

2011年12月には、ゲーム制作の指揮を執る上田氏がソニーを離れ、外部スタッフとして関わると報じられた。ソニー側はGamasutraに「上田氏は退職したがプロジェクトの完成に全力を尽くす」と述べた