僕はソクラテス-プラトンのファンというだけで特別哲学とかいう怪しいうさんくさいものに詳しいわけでもないのですが、考えてみれば結構な時間をその怪しいものに使ってきました。
哲学というのはその怪しさうさんくささ(あるいは難しさと変えてもいい)のために、常に大衆から必要ないなどと攻撃される運命にあるのですが、ちょっと頭をつっこんで覗いてみれば別に怪しくもないし、うさんくさくもない。
うさんくさいのは哲学ではなく人間です。
哲学入門書まとめ
初心者はまず入門書を求めるもので、哲学にさあ入門しようという初心者もまず入門書をもとめるでしょうが、結論をいうと哲学に入門書はまあ、必要ないといってもよいと思います。
入門書というとだいたい哲学にどういう分野・学説があるか書いてあるものですが、哲学に無知な人がそれを読んだところで、哲学がなにかわかったり、「哲学する」などという不思議な動詞をつかいこなすには至りません。
ただ、中には哲学の入門書という位置づけながらもっと踏み込んで、入門書の中ですでに読者に哲学させるような良書というものもあります。
この記事では哲学入門書をとりあげて、その本がどういう性質のものか説明しながら紹介します。
哲学のすすめ 岩崎武雄 / 講談社現代新書
1966年発行
著者
岩崎武雄(いわさきたけお)
西洋哲学専攻。東京大学名誉教授。
<哲学はなぜ必要か>
人間が「考える葦」である以上、人間は「考える」ことを忘れるべきではありません。単に実用的なものを重視するのみではなく、 もっと根本的なことがらの考察を忘れてはなりません。直接役に立つもののみが、 ほんとうに役に立つものというわけではないのです。そしてこの直接役に立つもの以上に、 ほんとうに役に立つ根本的なものが、 哲学とか思想というものではないかと思うのです。―著者のことば
※ 「考える葦」というのはパスカルの言葉。人間の意義は考えるところにあるとするもの。
この本は、私たちが実際に体験するような現実的な問題をやさしい言葉で哲学的に考えてみせて、考える、哲学するということの大切さを説いてくれます。
哲学者の名前や思想がでてくることもありますが、難しい専門用語を並べてあるものではありません。
とにかく何か哲学的な本を読んでみたいという人には、手にはいりやすい上に価格も安く、もっともおすすめできる本だと思います。
著者には同じ講談社現代新書から「正しく考えるために」が出版されています。講談社現代新書には他多数の哲学関係の本があります。
ソフィーの世界 ヨースタイン・ゴルデル / 日本放送出版協会
1998年発行
著者
ヨースタイン・ゴルデル
ノルウェーの作家
ソフィーという少女のもとにある日「あなたはだれ?」とだけ書いた手紙が届きます。
記録的なロングセラーになったノルウェー発の哲学ファンタジー。
題名や表紙から推測してまがいものかと思いきや、哲学の授業でつかわれることもある良書。
小説の話の中で代表的な哲学者とその思想は網羅されるので、哲学史入門にもなります。
結構長いので、普通の物語だと思って気楽に読むのがよいです。
高校生の読書に最適。
哲学入門 バートランド・ラッセル / ちくま学芸文庫
1912年発行
著者
バートランド・ラッセル
イギリスの数学者・哲学者
IS THERE ANY KNOWLEDGE in the world which is so certain that no reasonable man could doubt it?
すべて理性的な人が疑い得ないほど確実な、そんな知識はあるだろうか。
(くらいの意味)
上の書き出しで始まるこの著作は原題を「The Problems of Philosophy(哲学の諸問題)」といい、この書き出しにあるように人間の”知識”というところからはじめて哲学の諸問題について検討していきます。
上の二冊に比べると程度が高いと思われますが、非常に面白い本です。
ラッセルは「ラッセル=アインシュタイン宣言」のあのラッセルですが、数学者であり哲学者であるラッセルの精緻な文章はその文の見事さだけでも読む価値があります。
哲学の基礎 山本 信 / 北樹出版
この本はもともと大学の教材としてかかれたものをまとめたもので、つまり教科書です。
上に紹介した三冊とはまた違うもので、哲学はいかなるものか、哲学の問題にはどういうものがあるかなど、名前の通り「哲学の基礎」について説明してあるもので、一番はじめに読むものとしてはおすすめできないかもしれません。
ただこれ一冊読めば哲学の全貌を大まかにつかむことができるので、哲学に興味がある人がより一層踏み込むためにはよいと思います。
あとがき
著作の難度はそれぞれ性質が違うのでなんともいえないものです。
哲学に強い興味があるのなら初めから「哲学の基礎」を読むのもありだと思いますが、”講義”ですからその文と内容に打ち負かされてしまう人がでないとも限りません。
どちらにせよ、哲学に入門したあとは、気になる大哲学者(プラトンとかアリストテレスとかデカルトとかロックとかカントとか・・・)に弟子入りしてそのありがたいお言葉を直接きくことになります。
原作などというと非常に難しいのではないかと考えてしまいますが、必ずしもそうではなく、案外哲学入門書のほうが、大哲学者の著作より難しいということに気が付いたりします。
べつに試験があるわけでもないので、わかったフリをする必要もありません。
わからないわからないと思いながら読んでいるとそのうちわかる・・・かもしれません。
哲学入門の思い出
僕は長いこと哲学に入門していた。
これではなにか意味にならないが、つまりずうっと門の下にいた。
授業でソクラテスの「無知の知」やらパスカルの「考える葦」やらにやたら感動した僕は、しばらくして上に書いた「哲学の基礎」を買った。
いや、これがずうっと門の下にいた原因だ。
この「哲学の基礎」を読むのにものすごい時間がかかった。
当時毎日、長い時間電車にのっていたのだが、その間中この本とにらめっこしていた。
一度読んでわかっても、次読むときにはもう忘れているので、同じところを何度も読む。
思えばこの頃は本の読み方が相当へただった。
(どうせ忘れるのだからざっと読めばよいのだ)
僕は書いてあることがすっと理解できるほど頭がよくはなかったが、読むのが遅くても理解できなくても放棄してしまうということはなかった。
こういう性質のせいで、この本を含め何ヶ月もかけて読んだ本がたくさんある。
もう少し頭脳明晰にうまれたかった。
しかし、こういう遅い足取りでも、丁寧に読んでいれば得るところがないわけではない。
一応門をくぐりぬけるところまではきた。
哲学というのは「求めなければどこにもないが、気にし始めればいたる所にある」わけで、よく考えてみれば音楽も語学もなにごとにも哲学がはいりこんでくる。
というと誤解をうみそうだが、哲学というのは色々なものの行き着く先に待ち受けているものなのである。
はいりこんでくるというよりは、”初めからそこにあるが、気が付かない”のだ。
果たして哲学に入門したことで確かに益はあるのだが、哲学を知らずに嫌う人の攻撃対象になってしまったことも確かなことである。