トップ > 中日スポーツ > ドラゴンズ > ドラニュース一覧 > 1月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【ドラニュース】

“5年代”優勝監督、どうですか? こんな人こんな話

2017年1月17日 紙面から

1988年 中日監督

写真

 今年の初めに90年代の主力だったドラゴンズOBたちと食事をする機会があった。酒が入れば、昔話に花が咲く。話題の中心はやっぱり当時の監督、星野さん。「あんな監督、もういないでしょう」。話の大半は怒られたこと、どやされたこと。それを彼らは、なつかしそうに楽しそうに話す。まるで自慢話。これも星野門下生ならではだ。

 私にも、何度となく怒られた経験はある。

 96年オフに星野監督が“臨時編集長”となり球界のみならず社会問題、教育問題を語る企画を担当した。仕上げた原稿は必ず星野さんが目を通し、手直し、補足する。どんな仕事でも引き受けたら、妥協のない人。その指示は結構、細かく厳しい。

 あるとき、原稿を届ける日が星野さんの海外出発日と重なった。「じゃあ、今回は任せてもらっていいですか」。私の問い掛けに、星野さんは「今すぐ持ってくれば見る時間はある」とキッパリ。慌てて届けた原稿に、星野さんはスーツケースを横に置いたままチェックを入れた。「もうすぐ出掛ける」と聞き、一瞬、ホッとしたのは事実。そんな相手がのぞかせる「ズルさ」「甘さ」を決して見逃さない。それはグラウンド内外問わず、相手が選手であれ誰であれ同じことだ。

 「でも、今の選手って、星野さんの指導についていけますかね」と、OBの一人がつぶやいた。いや、ついていけるかどうかではなく、ついて来させるのが、この人だと思う。昔から「今の若い者は」という言い方を嫌い、「今の若い者には若い者の良さがある。今の選手には、今の選手なりの接し方があるんだよ」と言い続けてきた。だからこそ88、99年の中日、03年の阪神、13年の楽天と、どん底のチームを預かり優勝に導いている。3球団を優勝させた監督は三原さん、西本さんがいるが40年間、毎年代で優勝監督となったのは後にも先にも星野さんしかいない。

 実は今年、星野さんが初夢に登場した。集まったOBたちは笑っていたが、夢の中の星野さんは確かに「また監督をやることになったわ」と苦笑いを浮かべていた。3年後の2020年は、まだ73歳。どうですか、5つ目の年代優勝? 「おまえ、オレを殺す気か」と怒られそうだが…。 (報道部長・館林誠)

1999年 中日で2度目

写真

 

2003年 阪神監督

写真

 

2013年 楽天で日本一

写真
 

この記事を印刷する

PR情報

閉じる
中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日スポーツ購読案内 東京中日スポーツ購読案内 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ