「一つの米国」を掲げた黒人初の大統領の誕生は米国史を塗り替えた。だが、これはオバマ大統領の深い苦悩の始まりでもあった。
オバマ氏を大統領に押し上げたのは女性、非白人や移民、貧困層、同性愛者らだった。こうした社会的弱者や少数派に手厚い政策を打った。大きな功績は医療保険制度改革(オバマケア)だろう。
国民の6人に1人が高額な保険料を払えず、最低限の医療も保障されない現実がある。病気に苦しんだ母の姿も脳裏にあった。多くの大統領が挑んでは挫折した難題に取り組む執念は人一倍強かったに違いない。
国民に訴え、与党・民主党の慎重な議員を粘り強く説得した。国主導の公的保険は断念したが皆保険にはこだわり、導入にこぎつけた。
しかし、達成感とは裏腹に、成立までの過程で露呈した先鋭的な党派対立が行く手を阻むことになる。
共和党議員を一人も説得できなかったばかりか、保険加入を強いる内容は保守派市民らの「茶会」による「反オバマ」運動をたきつけた。
共和党の攻撃は容赦なかった。オバマ民主党は最初の中間選挙で惨敗し、政権2期目にはオバマケア存廃を巡る党派対立から17年ぶりの政府機関一部閉鎖に追い込まれた。
政治闘争は広範に及んだ。小学校での乱射事件を受け銃規制強化法案を提案したが、共和党議会にはねつけられた。オバマ氏は幼い犠牲者を思い涙を流したが、政争に敗れた悔恨の表れでもあったのだろう。
不法移民を守ろうとした法案はことごとく議会に阻まれ、大統領権限で米国籍の子供を持つ不法移民の強制送還を猶予しようとした。それも連邦裁判所の決定で無効とされた。
医療保険や銃規制は米国社会の分断を深めた最も大きな課題だった。命や社会の安全を守る崇高な理念と、憲法が認める個人の自由との間で翻弄(ほんろう)され、苦しんだ。
黒人の若者が警官に銃撃される事件が相次ぐと警察の取り締まり手法に苦言を呈した。自ら黒人である複雑な立場は分かるが、人種対立の先鋭化を抑えることはできず、いったん減少した人種的偏見などを動機とする憎悪犯罪は増加に転じた。
社会の分断が際立つにつれ、オバマ氏の理想は色あせていった印象は否めない。政治的には非力だったという評価もあろう。
トランプ次期大統領はオバマケアをはじめ、オバマ氏の足跡を消し去ろうとしている。しかし、弱者に手を差し伸べたオバマ氏の実績を否定すれば、米国社会の混迷と分断は深まるだけだ。