保証人としてシリア難民200人を助けたカナダ経営者

  • 2017年01月16日

ジェシカ・マーフィー記者、BBCニュース(トロント)

「ダンビー」のジム・エスティルCEOは150万カナダドルを出し58組のシリア人家族の移住を助けた Image copyright Canadian Press
Image caption 「ダンビー」のジム・エスティルCEOは150万カナダドルを出し58組のシリア人家族の移住を助けた

あるカナダ人経営者は、戦争で引き裂かれた国から必死で逃げ出すシリア人のためにもっと何かをしようと決意した。そこで、オンタリオ州の町が実施する難民200人以上の再定住化計画に経済的な支援をした。

ジム・エスティル氏はいら立ちを募らせていた。

オンタリオ州南西部の町グエルフに住むエスティル氏は2015年の夏の間、地球の反対側で起こっているシリア難民危機を、夜のニュースで来る日も来る日も見ていた。

「みんなが十分なことを十分な速さでしているように私には思えなかった」とエスティル氏は言う。

そこで、家電メーカー「ダンビー」の最高経営責任者(CEO)を務めるエスティル氏は、ある計画を策定した。

難民の家族50組をカナダに連れて来るため、そして彼らが新しい生活に馴染めるように支援する地域社会全体での取り組みを取りまとめるために、150万カナダドル(約1.3億円)を自費で提供するのだ。

ボランティアが運営するプロジェクトになるが、企業のように組織される。ボランティアのディレクターたちが複数のチームを指揮し、新たにカナダに来た難民を定住させる際のさまざまな面を各チームが担当する。

カナダでは、スポンサーとして正式に許可された団体同様に、個人が直接的に難民のスポンサーになることができる。難民に対して食料や衣類、住宅といった生活必需品を提供し、カナダ社会に溶け込むよう支援もする。しかしエスティル氏はもっと大きな影響を及ぼすことをしたいと考えていた。その上もっと速く。

「物事を測る方法は心得ています」とエスティル氏は言う。起業家として巨万の富を築き、前職ではリサーチ・イン・モーションで取締役を務めていた。携帯電話ブラックベリーのメーカーとして最もよく知られている会社だ。

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Image caption この3人は、カナダ政府やエスティル氏、グエルフ・ムスリム協会がスポンサーとなったことで移住が可能になった

エスティル氏が資金提供者になるのだが、パートナーが必要だった。

そこでエスティル氏は、シリア内戦の影響を受けた人たちを支援する方法をすでに模索していた、宗教系の社会奉仕活動組織10団体を呼び集めた。

サラ・サイードさんは、グエルフ・ムスリム協会会長の夫が会合から帰宅して、エスティル氏の計画を聞かせてくれた夜のことを覚えている。

「まったくの驚きでした。『ぜひ参加しましょう』って言いましたよ」

グエルフの地元紙が2015年11月、計画に関する記事を掲載した。記事はアラビア語に翻訳され、中東周辺に話が広まった。

「トルコやレバノン、シリア国内などから、『助けてくますか? 何かしてくれますか?』と、人々が私たちに直接メールしてくるようになりました」とサイードさんは話す。

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Image caption イブラヒム・ハリ・ドゥドゥさんもエスティル氏とグエルフ・ムスリム協会がスポンサーとなって移住することができた。ある時、仕立て屋の技術を持つドゥドゥさんが、ある花嫁の晴れの日を救い、国際的なニュースになった

エスティル氏が当時を振り返る。「最初、1通のメールを受け取るんです。1通、2通受け取って、『何ができるか様子を見てみよう』となる。それが100通になり、そうなるととても難しくなる」。

サイードさんのダイニング・テーブルは、スポンサーシップ申込書の山に埋もれて見えなくなってしまった。最終的に58組の家族が選ばれた。

しかしそれは、最初の難関に過ぎなかった。

スポンサーを受けた家族は、ぽつりぽつりと少しずつ到着した。政府の手続きの大きな遅延は、代償を伴った。希少な住宅が空き家のままとなり、寄付された物品は倉庫に放置された。

「人を入国させるのにカナダ政府がこんなに時間を要するなんて、まったくの驚きでした」とエスティル氏は言う。「もの凄いコストが私たちにかかりました」。

2016年12月までに、58組中47組の家族がグエルフに到着した。

しかしエスティル氏は、多くの難民が、経験不足や英語力不足で職探しに苦労しているのに気づいた。

そこで、ダンビーでの仕事と定期的な英語レッスンをシリア難民に提供するプログラムを開始した。また、他の人たちへの起業支援も行った。

「人をカナダに連れて来て生活保護を受けさせるようなことはしたくはない」とエスティル氏は話す。もしそんなことになれば「失敗だ」と。

サイードさんは、エスティル氏が典型的な大企業の幹部には見受けられない、と言う。

「企業のCEOと言えば、テレビなんかから特定のイメージがありますよね。でもエスティル氏は、普通のジーンズとシャツを着て、すごく古い車に乗っている、最も地に足がついた人物です。派手だとか華やかな面はありません」とサイードさんは言う。

サイードさんにしてみれば、他の実業家たちがエスティル氏の取り組みを真似できない理由はない。

「一番大きいのは、単に財政的支援が確保できるかなんです。もし経済界からもっと多くの人が、『うちもやります』って名乗り出てくれたら、可能なのに」

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Image caption ボランティアのジェイムズさん(写真左)と、エスティル氏やグエルフ・ムスリム協会がスポンサーとなって移住を助けたガジエ・フェタさんとロジン・ハジさん

サイードさんとエスティル氏のすぐそばで働いていたジャヤ・ジェイムズさんは、グエルフ難民スポンサーシップ・フォーラムで常勤のボランティア・ディレクターとして働くために、公務員の仕事を半年間休業した。

エスティル氏はこのプロジェクトの大きなビジョンや人脈を提供し、その一方でジェイムズさんとサイードさんが細かい部分を担当したと、ジェイムズさんは言う。2人は、ボランティア800人の選定・訓練・指導を行い、取り組みに携わる組織を調整し、緊急事態に対応した。緊急事態には、寄付された家具に害虫が湧いていたという深夜の電話への応対もあった。

ジェイムズさんは、エスティル氏を「ちょっと怒りっぽい」けど「心がとても広い」と表現する。ジェイムズさんによると同氏はみんなに、「自分には何が与えられるか? 何ができるか?」と自問するようハッパをかけていると言う。

エスティル氏は、カナダへの移住を考えている人たちから届くメールはすべて読んで返信しており、さらなる難民のスポンサーになるつもりだと言う。しかし今後の重点は、すでにカナダ国内にいる難民の親類の呼び寄せになる。

それでも、この取り組みが世界的に知られるようになったという称賛には、エスティル氏は今でも当惑する。自分は支援するための手段や、いかに計画を実行するかのビジョンを持っていただけだと話す。

またエスティル氏は、人道主義的な物の見方を自分に植え付けたのは、両親だと言う。子どもの頃、両親が2人のウガンダ人難民のスポンサーになったのだ。

「恐らく、正しく育てられたんだと思います。母にはそう言っています」。エスティル氏はそう言って笑った。

(英語記事 The Canadian businessman who sponsored 200 refugees

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