「福沢諭吉」「滝廉太郎」に続く偉人伝第3弾は、1996年公開の「わが心の銀河鉄道・宮沢賢治物語」。大森一樹監督から直接、宣伝のオファーを受けた福永邦昭は、当時東映の宣伝部長という管理職ながら、前線で指揮することに。大森とは4年前の緒形拳主演「継承盃」で意気投合した間柄だった。
大正・昭和期の詩人、童話作家の宮沢賢治は自然と人間が一体となった独特の世界観が、時代を超えて幅広い読者層に人気があった。出版界では生誕100周年を迎えて、何度目かのブームが来ていた。
「ただ各社バラバラに出版していたから、この映画化を機にムーブメントを起こそうと、日販に呼び掛けて、出版各社と共同の《映画化記念宮沢賢治フェア》を全国の書店で展開した」
良心的で地味な作品だけに興行的には難しい。今でも福永は、本作の宣伝は主演の緒形直人なしでは成り立たなかったと思っている。
「父親(緒形拳)に似て堅物で寡黙。宣伝マン泣かせ」(福永)だったが、賢治の故郷・岩手県盛岡市や花巻市のロケ現場では、陣中見舞いで訪れた当時の増田寛也県知事と面会し、一緒に「岩手県の全面協力」を取り付けてくれた。
宣伝部が提案するマスコミ取材やプロモーションも丁寧に受けてくれた。奇をてらわず、純朴で感受性豊かな賢治役に取り組む姿にも感動したものだ。
福永が仕掛けたもう一つのイベントは、ラジオの聴覚に訴えるイメージ戦術だった。