アニメや実録ヤクザ、角川映画などを手掛けてきた東映宣伝マン、福永邦昭が初めて女性向け映画の宣伝に取り組んだのが「四季・奈津子」(1980年)。新人の烏丸せつこが主演の作品だ。
原作は女性誌「MORE」連載中から話題となった五木寛之の同名小説。博多の4姉妹の次女、平凡なOL奈津子(烏丸)を中心に新しい女性の生き方を描いた。監督はATG作品「もう頬づえはつかない」(79年)の東陽一だ。
「烏丸は79年のクラリオンガール。グラマラスでグラビアアイドル的な容姿が男性に受けたが、女性層にはやや抵抗感があったようで、芝居も未知数だった」
東監督は構成台本のみで、ダイアログライター(せりふ作家)として、粕谷日出美を現場におき、シーンごとに感性に富んだセリフをその場で作らせる斬新な手法を取ったため、烏丸は緊張の連続。つまり、出来栄えは映画が完成するまで分からなかった。
「いかに若い女性に訴求してゆくかが宣伝戦略。募集した10人の学生やOLで女性宣伝スタッフを編成。音楽プロデューサーでもある五木さんも参加する週2回のミーティングを行った。この仕掛けもメディアへのアピールの一環だった」
好奇心旺盛な奈津子のイメージを、濡れたTシャツから透けて見える烏丸の豊かなバストで表現するなど、パブリシティ(話題作りの記事)や広告まで、すべて彼女たちの意見を重視した。
しかしこれにイチ早く食い付いたのは、スポーツ紙や青年誌で、烏丸への取材が殺到。「取材陣は原作を読んでいたのでしょう。奈津子と年上の女性ケイとのレズシーンの写真を期待された」