スタジオパークからこんにちは「母が語る〜阪神・淡路大震災から20年」 2017.01.16


生字幕放送でお伝えしています伊藤⇒再びスタジオパークからこんにちは本日のゲスト女優の江波杏子さんです。
引き続き、よろしくお願いします。
江波さんはNHK女優という異名もかつてありました。
清水⇒お水は3杯目でございます。
連続テレビ小説「べっぴんさん」ではジャズ喫茶の女主人を演じていらっしゃいます。
若いキャストの皆さんと一緒に。
江波⇒かわいいでしょ。
芳根さんですね。
お嬢ちゃん役で出ていらっしゃる方もそっくりなの。
芳根さんのお嬢さん役ですね。
確かに似ていますよね。
かわいいのよ。
みんなかわいい。
いちばんかわいい。
おばあちゃん、おばあちゃん。
私この役、昭和35年65歳かなんかなの。
計算したの。
この人、明治生まれなのね。
設定が。
設定がというかそこには書いていないけど絶対に。
どういうふうな軌道でこのジャズ喫茶をすることに至ったのかなって自分なりに勉強したの。
そうしたら明治三十何年あまりになるわけよ。
昭和35年のときに65ぐらいなんだからそういうことでしょう?すごい苦労してきた人なんだなって、この頭。
盛ってしまいましたね。
いちいち何か言う。
すみれの娘・さくらも背伸びしたい年頃になりました。
初めてやって来たジャズ喫茶は全く新しい世界でした。
五月⇒どういう仲?龍一⇒幼なじみやな。
ふ〜ん。
2人とも俺の1つ下や。
それやったら私の1つ年下よね。
いらっしゃい。
ママ!さくら⇒ママ?こういう店の女主人のことを「ママ」いうんや。
かわいらしい子やねえ。
育ちのよさそうな…。
こっちの、にいちゃんも。
育ちやったら俺もええで。
なんせ幼なじみやからな。
伊藤⇒初登場のシーンでした。
清水⇒これも嫌だっておっしゃっていましたね。
江波⇒今の顔は嫌もっときれいに撮ってくれたらいいのに。
さっきから嫌だって言っている。
舞台設定が昭和34、35年ぐらいという設定ですから江波さんがちょうどデビューされて…。
そうなんですよ。
時期が重なりますね、この時代は。
さくらちゃんと同じぐらいの年齢でした、私がデビューしたちょうど当時の皇太子殿下がご成婚された…。
青春時代と重なっている時代ですね。
経済も上がっているときですね。
今回「べっぴんさん」にご出演が決まったときに江波さんのご自宅から宝物が見つかったということで持ってきていただきました。
宝物というか、恥ずかしい。
こんなものに貼ってしまってオーバーじゃないの?文句やめてください。
文句、言っちゃった。
こんなのに貼るとちょっと。
取っちゃった勝手に取っちゃった。
これね。
刺しゅうですよね。
偶然「べっぴんさん」は刺しゅうがテーマですよね。
うちで見ていたらこれが出てきたの。
私が若いときに刺した…と思うでしょう?違うんです。
違うんですか。
戦前に母が。
これ1つだけなの、形見が。
形見。
小さいときにお亡くなりになったお母様が。
きれいなんですね。
うれしいわ。
この写真、おきれいです。
お母様もおきれいですし。
小さい子が杏子さんです。
お母様が刺しゅうを作っていらっしゃったんですか。
さっきの白いの。
やっぱりいるんですね。
わがまま言うの、やめてください。
スタッフさんがびっくりしたじゃないですか。
びっくりして飛び上がったじゃないですか。
このころの女学生って昭和10年代皆さんおやりになったんじゃないですか。
こんなに細かく洋風タッチというのは。
これはフランス刺しゅうだと伺いました、お友達に。
きちょうめんな方でしょうねきっと。
いやあ、どうでしょうかね。
洋服のセンスもすごくいいですものねお母様シンプルで。
不思議な縁ですね、今回「べっぴんさん」は刺しゅうがモチーフで。
皆さんに全国的にお見せするなんてはしたないですけど。
子どものころいつも紺色のものを着て刺しゅうがしてあるお洋服を着せられていました。
5歳で亡くなりましたから、母は。
そんなお母様との刺しゅうの不思議な縁がある「べっぴんさん」現在絶賛放送中です。
オンデマンドでも第1回からご覧になれます。
メッセージをご紹介します。
愛知県の方からです。
江波さんがこんなにゆったりもったりかわいい方だとは、すみません今の今まで違うと思っていました。
クールでびしばしと少しこわもての…すてきな方だと再確認です。
大ファンになりました。
単純に取ったんです。
おもしろかった。
きょうはありがとうございました。
女優の江波杏子さんでした。
続いては全国に54あるNHKの放送局が放送した番組を全国の皆さんにお届けします。
「NHK54局からこんにちは」略して「NHK54」。
きょうは神戸から学生さんたちが制作したという番組です。
地方を描いたすぐれたドキュメンタリーを放送する「地方の時代」優秀賞去年受賞した作品です。
関西大学の学生が制作したものです。
阪神・淡路大震災のドキュメンタリー作品です。
(北郷)阪神・淡路大震災からまもなく22年を迎えます。
亡くなった6434人の方の中には1歳半の男の子がいました。
ほら、将君です。
こんにちは。
高井将君。
妹の優ちゃんと双子のきょうだいでした。
しかし家が全壊。
将君だけが亡くなりました。
大学のメディア学科に進んだ優さんは、去年卒業制作で友人と一緒に母の20年を見つめたドキュメンタリーを作りました。
(司会)優秀賞「母が語る〜阪神・淡路大震災から20年〜」です。
(北郷)作品は高く評価され「地方の時代」映像祭で優秀賞に輝きました。
このような機会が持ててとてもうれしく思います。
あの日から22年。
震災で掛けがえのない命を失ったある家族からのメッセージにきょうは耳を傾けてみてください。
関西の私立大学に通う私の友人高井優は、ことし22歳になった。
私と優は、3年生のときに同じ実習、同じゼミを取った。
いつも明るくて、マイペース。
きっと、一人っ子だろう。
私は、それまで勝手に思い込んでいた。
でも、そうではなかった。
2015年1月17日。
阪神大震災から、ちょうど20年。
追悼行事に集まった人々の中に優と、そのご両親がいた。
黙とう。
早朝、地震のあった時刻に合わせて祈りをささげた。
優が生まれたのは93年7月大震災の1年半前だった。
二卵性双生児で優には、将という名前の兄がいた。
95年1月17日午前5時46分。
マグニチュード7.3の直下型地震が兵庫県南部を襲った。
優の家族は、当時お父さんの勤務地である山口県に住んでいたが、この日お母さんと2人の子どもはたまたま西宮市の実家に帰ってきていた。
川の字になって2階で寝ているときに大きな揺れに襲われた。
地震が起こった瞬間というのは何が起こったか分からない状況で背中が、洗濯機で回されるような揺れがあって。
木造の家屋は、一瞬で倒壊した。
隣にいた息子の「ううっ」という声が聞こえて、そのとき初めて私は、われに返って息子…子どもたちのことにやっと意識がその時点で、いったんですけど。
そのこと自体が私にとって、今も引きずっている部分なんですけど揺れた瞬間に、なぜ私はすぐに子どもたちのことを思わなかったかっていう…。
ただ、揺れることにびっくりして子どもたちがどうなっているか全く飛んでいたっていうことが私の中の今のトラウマになっているんですけど。
息子の「ううっ」という声が聞こえたときに、ぱっと手を横に伸ばしたら、普通だったら息子が寝ているはずなんですけど触ったのは板というか、たんすが息子の上に倒れてきていてその板だったんですね。
次の残っている記憶はたんすを持ち上げて持ち上がらないという記憶しかなくて…状況は家が潰れているっていうのは何となく分かったんです。
どんなふうに潰れているかも分からないし、もちろん周りがどうなっているかも分からない状況で。
ただ、たんすを持ち上げなきゃっていうことしか頭になくて。
親戚や近所の人が壊れた家の屋根瓦を剥いで3人を外に引っ張り出してくれた。
優とお母さんは無事だったが将君は倒れてきたたんすの下敷きになりすでに心停止の状態だった。
お母さんは将君を抱いて病院に急行した。
そこで、必死になって心臓マッサージを続けた。
しかし…。
もう絶対無理だって。
これ以上やっても植物人間。
心臓がないと、植物人間って言われたんですけどそれでもいいからと思って言ってたんですけど、どんどんいろんな人が運ばれてきていて今、処置をすれば助かる人もいっぱいいますって。
あなたの息子はもうこれ以上やっても、絶対心臓は動きませんって言われて。
だから、助かる人のためにこの場所を空けてくださいって言われて、そのときに初めてああ、もうこれ以上助からないんだなっていうのが分かったのとこれ以上、私のわがままは言えないんだなって思ってやめたんですけど。
震災から、きょうまでの家族の歴史を映像に残したいと優が言いだした。
大学の実習授業の最初の日だった。
優が取材を担当し私が撮影と編集を担当することになった。
そこで、この日初めて優は、お葬式の写真をお母さんから見せてもらった。
当たり前のことだが、優はお兄ちゃんである将君のことは全く何も覚えていない。
また、これまで積極的に将君や地震のことを両親に尋ねたこともない。
お母さんの話を聞きながら優とその家族の20年を振り返る。
将君の死によって、笑い声にあふれていた高井家は一変した。
お母さん、そしてお父さんは将君の死を、どのように受け入れていったのだろうか。
双子だからこそ、私はつらかったんですよ、娘の成長が。
1歳半だったので日々いろんなことを成長していく。
例えば、スプーンで食べるのが上手になったりとか話しことばが増えていったりとかできることがどんどん増えていく。
1歳半まではそれが、どっちが早いかなって。
これは将君が早かったけどこっちは優ちゃんが早いねって。
でも、お互いに刺激し合って1人ができたら1週間以内にもう1人もできるみたいなそんな状況できたから本当なら親として喜ぶべき子どもの成長を、私はもう1人そのまま成長が止まってしまった将君のことを思うと優ちゃんの成長が喜んであげられなかったっていうよりもつらかったんですよ。
このまま成長しないでってずっと思ってだから、おむつが取れたときも泣きましたし何かできるたびに喜ぶことではなくてただ悲しいっていう気持ちしか私は、なかった。
双子のきょうだいがいて兄だけがある日、突然、いなくなった。
周りの人々は妹の存在が、母親を慰めることになるだろうと考えた。
でも、違った。
その成長さえもお母さんを悲しませた。
もうその部屋にいることがつらい。
一つ一つ、例えばおもちゃもこれもあれも。
例えば、ふすま1つにしてもそこ開けて遊んでたっていうとそれを思い出すとそれだけでつらいし台所に立てば、台所立ってるときこうだったなって思うとつらいし。
お風呂に入ればこうだったと思うとつらくて私はお風呂に何日も入れなかった。
そういう状況の中だったので娘を育てるっていうことができない状況で、でも育てないといけないということがすごく負担で。
だから本当に…どれくらいかな夏…半年以上はそういう状況が続いてこの子がいてくれたから生きてこられたっていうのはもっとあとの話で。
最初の半年間は…何だろう自分自身いろんな感情があってこれがこういう状態で息子のことしか頭にない状態だったので。
何を見ても将君を思い出す。
それが、悲しみを深くする。
一方で、片ときも将君のことを忘れたくない。
矛盾する2つの感情に翻弄された。
息子が遊んだ公園を記録しようと思ってここは将君が遊んだ公園ですとかって、しゃべってるんですよ。
そこに娘が、ちょろちょろちょろちょろしてるんですね。
普通だと娘を撮るじゃないですか。
でも撮りながら、ここは将君のために生けたお花ですといろいろ話をしていて、娘の首から上が映っていないんです。
明らかに目の前に娘がいるのに娘を私は撮っていなくてその時点で私は娘を撮ろうという意識が全くなく息子との過ごした場所から離れることがつらくてそれを記録していた。
これは将君と優ちゃんがキーホルダーを掛けて遊んだカーテンのフックです。
なかなか上手に掛けられなくてよくソファーの下に落としていました。
この出窓は2人が一生懸命上ろうとして遊んでいた出窓です。
ここに置いてあったおもちゃを将君と優ちゃんは引きずり下ろしてだーっとこぼしていました。
よくここに乗って2人はこのお外を見ていました。
お外で遊んでいるお友達…。
優と将君が1年半を過ごした山口市内の社宅を引っ越すときお母さんはうちの中をビデオに収めた。
見えないものを探すようにカメラは、さまよい続けた。
優君がすっかり大きくなりました。
いろんな人がもう1人いるんだからとかこの子のために頑張って生きなきゃって言ってくれるんですけど言われれば言われるほどでも将君は1人で天国に行って私のことを後追いして泣いていたので天国で泣いているはずだと思ってこの子にはパパも、おばあちゃんもいるだから私がいなくてもこの子には、ちゃんといる。
でも将君は、たった1人で天国で私を捜して泣いている。
だから私が行かなきゃってずっと思ってたんですけど。
なので、そういうふうに言われれば言われるほど心配してもらうほど、私は気持ちは将君にいっていたんです。
つらくて死ぬ自殺するというのではなくて独りぼっちの将君のところに行ってあげなきゃっていう思いがあって死にたいっていうのがあって…。
将君を失ったお母さんは息子のいる世界に行きたいと思った。
そして、そのときには娘も連れて行こうと考えた。
この子を残して行けないなって思って、次に考えたのは2人で死ぬってことで。
この子も連れて死のうって思ってていくつくらい…幼稚園行くときぐらいまでかなそういうふうに本当に思ってて主人も、いらいらしているし私もいらいらしてて、震災から3年目ぐらいが、それのピークで。
お母さんは自殺の方法が書かれた本を買い、必死に読んだという。
私はすごく、主人が仕事に行っていること自体も信じられないなんで子どもが死んだのに仕事が行けるの?とか仕事に行ける状態であることを私は信じられないし。
主人自身の性格にもよるんですけど、私が「今、将君どうしてるかな?」って言ったら「死んだら何も残らない」って言ったりとかそういうことを主人に言われると私が、どんどんどんどん主人に対しての不信感が募っていって、あげくの果てになんで私はこの人と結婚したんだろうというふうになって離婚…何で私はこんな変な人と結婚したんだろうってすごい思っていて。
だから主人のために生きていなきゃっていう思いは全くなくて。
でも、将君はパパが大好きだったんですよ。
パパが会社に行くって言ったらもう玄関に行って行かないでって泣いてパパが車で行くのを窓から見送るくらいパパが大好きで。
だから、私が離婚して誰がいちばん悲しむかなって思ったら将君かなって思って。
神戸市内の小学校で震災を忘れないための特別授業がありお父さんとお母さんそれに優が招かれてみずからの体験を子どもたちに語った。
皆、真剣に話を聞いていた。
その後、子どもたちの1人がお父さんに質問した。
てれ屋のお父さんはこれまで将君の死についてほとんど語ったことがない。
真剣な子どもの質問に心を動かされたのだろうか。
優にとっても父親の深い悲しみをかいま見た一瞬だった。
優はこれまでお兄ちゃんや震災について知りたいと思ったことが一度もなかったそうだ。
むしろ過去から逃げてきたようなところがある。
お母さんは優の前で次々に当時のものを広げた。
優にとっては初めて見るものばかりだ。
これだ、いちばん最初に作ったおむつカバー。
これ、これだけに生きてたねそのとき、これをすることで。
これ、どうやって作ったの?これ、クロスステッチっていう刺しゅうのしかたがあるの。
かばんも2人分作って。
ああ懐かしい、それ。
優ちゃんのは同じサイズなのに優ちゃんのはいっぱい洗ったから縮んじゃったけど。
将君と優ちゃんに見立ててこうやってアップリケを作って名前も書いて。
このとき買ったんだよあのミシン。
給食セットも2人分作ってスモックも、これと…。
あのミシンはこういうことができるんだね。
そうだよ。
懐かしい、覚えてるわ。
覚えてる?うん。
将君のいない日々が積み上げられていく。
しかし、何年たってもどこに行くにも、お母さんは将君の遺影を持ち歩いた。
優が幼稚園を卒園するときお母さんの気持ちを察した園長さんが2人分の卒園証書を作ってくれた。
卒園証書を2人分用意してくれたんですね。
高井将っていう名前を入れて。
なんか、すごいうれしくてでも悲しくて。
でも、私の中で、そこでたぶん卒園証書をもらったのが私の中で、たぶん大きな変化になったと思うんですけどここまでしてもらえたら私は、もういいかなっていうかこれから小学校になっていつまでもこんなことはできないだろうなってどこか思ってたんですよ。
小学校の机、買ったりランドセル買ったりとかお道具箱とか全部2つは買ったんですけど。
最初のころはみんな認めてくれてもそういう人たちばっかりじゃないからそれによって娘もいろんなこと言われるかもしれないし。
いつまでもできないだろうなって思っていたときに卒園証書をいただいて。
何か私の中で1つ区切りがぽんって、できたんですよ。
小学校の入学式。
この日も、将君の遺影とともに記念写真を撮った。
でも、お母さんはこのころから自分の内面で少しずつ変化が起きているのを感じたという。
入学式に出ているときにやっぱり息子のことは思うんですけどああ、私、もしかして息子が出るはずの入学式に今出ているのかもしれないって。
本当だったら子どもが死んじゃったら死んだ子どもの入学式って出られないじゃないですか。
でも、娘がいてくれたから双子だから、今、私は息子が本当は出るはずだった入学式に出られるんだって、すごい感じて。
入園式のときとはまた違う感じで入学式を迎えることができて。
なので、私の中でちょっと変わってきたのはその卒園があって入学があって。
お母さんは震災後の家族の日々を1冊の絵本にして出版した。
優の成長ぶりも描かれている。
8歳になった優がお母さんに話しかけている。
「しょうくんとゆうちゃんどっちが死んだらよかった?」自分が生きるために必死で娘のことは全く意識がないまま最初のころ過ごしていて、娘が「私と将君、どっちが死んだらよかった?」って聞いたときに私の中で当時、最大限に娘を愛していたつもりなんですけど娘にそういうふうな質問をされるっていうことは娘は、そんなふうには受け取ってなかったんだろうなっていうのを、そのとき初めて気が付きましたけどね。
そのことばはやっぱり胸に刺さりましたか?そうですね、刺さりましたね。
でも目の前で言われているので答えなきゃって思って。
そのときに、当然ですけど例えば将君が生きていて優ちゃんが死んでほしかったとは思ってないわけですよ。
どっちも生きててほしかったっていうことしか私は言えなかったんですよ。
たぶん無意識なもんであまり記憶にはないですしどういう感情で言ったのかもあまり覚えていないですけど。
何だったのかな…「私」って言ってほしかったんだろうなって思います。
どっちが生きてたらよかった?みたいな。
私のほうが生きててほしかったっていうのが欲しかったんだろうなというのは思うんですけど。
子どもの無邪気なひと言。
優には責める気持ちなど全くないが、お母さんにはそのことばが刺さった。
私が死ぬことを選択しなかったいちばんの理由は娘がいたから。
そういう意味で、当時はいなかったら死ねたのにって本当に思ってたから。
あの…何だろう…5年とか10年たった時点では分かっていましたけどこの子がいたから私は死なずに済んで、今、いる。
その選択がよかったと私は、あのときの精神状態では思えなくて。
死ねたら本当に楽だなって思ったし。
なんで生きていないといけないんだろうとかなんであのとき私も死ななかったんだろうかとかそういうことをずっと思っていて今も…もし娘もいない親もいないって思ったら私、生きる意味が私の中には、見いだせない。
20年たっても娘がいるから、私は、やっぱり生きているなっていうのがすごくあるんですけど。
夏、家族で震災慰霊碑を訪ねた。
こんなふうに3人でここに来るのはもう何度目だろう。
亡くなった人の名が刻まれている中に高井将の名前もある。
もし、双子でなかったらお母さんの記憶の中では将君は1歳半のままだったはずだ。
でも実際には、お母さんはいつも成長していく優の横に同い年の男の子の姿を見続けている。
反抗期が私、14歳なんですけど、中2。
中2から美術部に入りましてこれ言っては、あれですけど部活行かずにゲーセンに入り浸って怒られるだろうなっていう感じなんですけどそれで過保護だったかなって…それもあって嫌だったのかなと思うんですけど将君、死んだことによって親が過保護になっているんですよだいぶ私に対して。
すごいそれが嫌だったっていうのもあるんで。
今、振り返れば、私が娘に気持ちがいきたかった…息子の思いがいっぱいあって娘に「どっちが死ねばよかった?」って言われてから、私は娘のほうにがーっと気持ちが全部。
そこで、ちゃんとしてあげなきゃ娘のことをって思ってきて。
その反発がたぶん思春期の娘にとってはすごくうっとうしくて。
それが高校になったときにちょっと楽になりました。
もう大人かなって思ったので。
震災で長男を失い家族の真ん中にぽっかりと大きな穴が開いた。
そんな家族はほかにもたくさんある。
でも、そう考えても慰めにはならない。
お母さんはそこから抜け出せずずっと、もがき続けた。
そして優はそれを見ないようにしてここまで生きてきた。
うわー!来た。
2011年3月、未曽有の災害が再びこの国を襲った。
地震、津波そして原子力発電所の事故が大きな被害をもたらした。
うわー!家が流されてる。
最初は津波の映像だけだったんですけどだんだん、家族を失った人のインタビューが。
インタビューしている人泣いている人を見るとその人が私になるんですよ。
だから助けられなかった思いとか自分が生き残ってしまった思いとかそういうものも含めてもう全部、当時に戻ってしまう。
要するにフラッシュバックってああなんだろうなっていう光景だけじゃなくて感情もそういうふうになってしまって。
ボランティアしなきゃ何かしなきゃって思って。
救援物資を送るボランティアをしたりとかしてて気が紛れていたんですけど。
実際に被災地に行って現状を見て向こうで、がれき撤去とかいろんなことをしたんですけど。
日程的に向こうで動ける時間というのは2日間ないぐらいなんですよ。
そうすると1つのおうちのお庭のがれきをどけるのが精いっぱいでまだ、みんな困ってる人いるんですけど帰らないといけなくて。
それが自分には何もできないって。
自分の力は全然役に立たないっていうふうに思って帰ってきてからばーっていろんなものが出てきて。
それが日に日にひどくなっていって夢に出てくるんですよ。
息子が死んじゃったとき夢の中で再現したりとか失ってほしくない娘までそこで死んじゃうっていうような状況が続いて。
しばらく、カウンセリングは娘が反抗期のときに行ってたんですけどちょっと休憩していたんですけどもう1回行って話を聞いてもらってそこで、治療をしましょうっていうことなんですけど。
でも、だんだんひどくなってヘリコプターが飛んでてそれが墜落するんですけど私、今まで結構飛行機が墜落する夢はみるんです。
どっか遠くのほうに墜落するんですけどばーっとこっちに向かって墜落してプロペラがばーっと回ったまま家に突っ込んできてみんながけがするっていうような夢をみ始めて、もうこれは絶対無理って思って、それでカウンセリングを再開しました。
お母さんは再びカウンセリングを受けることになった。
そこでは、自分が見たくないもの避けているものをあえて直視するという治療法が取られた。
将君の遺品や将君の映っている映像などこれまで高井家で封印されてきたものに向き合うことになった。
カウンセリングの中で治療する中で認知行動療法っていってつらいことをやることでちょっとずつ慣れていきましょうっていう治療なんですよ。
いちばん私がつらいって挙げたことはビデオを見ること。
絶対もうできない、したくもないって思ってたんですけどそれを、治療する中で先生といろんなやり取りがあって見なきゃいけないのかなって思い始めていつかね、今じゃなくていつかは見ないといけないのかなって思ってるときにたまたまいろいろあって見ることになったんですけど。
♪〜将君と優が楽しそうに遊んでいるビデオの映像。
将君の死後ご両親も、そして優もこのときまで一度も見たことがなかった。
♪〜もう絶対、一生見られないって思っていた息子の映像を見ることになったんですけどそれを一緒に見たんですよ、娘も。
見たときに初めて娘が言ったのは将君って本当にいたんだねって。
ママの想像の中だけの人物かと思ってたって。
だから、本当に将君っていたんだねって話をしてかわいいねって言ってそこから将君への思いがすごく娘は強くなる。
それまでもいたらいいのになとかいろいろ言ってたんですけど。
実際に小さい2人がいる映像を見て将君って、本当に本当にいてほしかったなってたぶん思ったと思うんですよね。
あまり動いている将君がなかったので自分と一緒に将君が動いているっていうのを見ていたんだなっていうのをそのとき、わりと初めて改めて実感したっていう感じです。
いた可能性があったならずっと一緒にいたかったなって思うようになりました。
大学で2人暮らしをこの辺で、してみたいなっていうのもありましたし2人でどっか行ったりとかもしたいなっていうのが大学入ってから、いろいろ自分でできるようになってから思いました。
娘にはいつか何もかも話したいとずっと思っていたとお母さんは私たちに語った。
これで少し、重荷を下ろすことができたとも言った。
一方、優にとってはどうなのか。
これから長い時間をかけて古い荷物を解くように母のことばをかみしめていくのだろう。
父は、あまり将君の話をしないんですよ。
しないから本当に将君のことを悲しんでるのかなと思うことも多々あるんですけどやっぱりそれは母親と父親の違いっていうことでそれなりに乗り越えてきているんだなと思うんですけど将君の話を振らないようにはしてますね、父には。
もう過ぎたことはしかたないじゃないみたいなことを言うので。
そういうのが乗り越え方なのかなと思ってます。
お母さんは、将君のために何かをすることによってボランティアですとか絵本を作ったりすることによって将君のために何かをして、それで乗り越えている感じがします。
双子の妹。
でも、お兄ちゃんを震災で亡くしたと言われ続けて20年がたった。
小中学生のときは特別視されるのがわりとよかったので嫌だなとは思わないですけどこういうふうに、改めて自分今みたいな感じで向き合うと何も思っていないというか1歳半で、いなくなったので一人っ子のつもりなのでどうだった?って言われても別に一人っ子だしっていう感じですし。
悲しいですけどいてほしいですけど最近、いくら思ってもいないものはいないし生き返らないしっていうのが分かったんで、やっと。
死んじゃっても姿が見えなくても親にとって子どもは子どもであって忘れることは絶対ないしただ住んでいる世界が違うだけで私は、2人の子どもを産んで2人のお母さんであるっていうのはずっと思っていくし。
最初は悲しむこと…悲しまなきゃ息子のことを思っていないっていうところ悲しまなきゃいけないって思っていたんですよ。
息子が死んじゃって笑顔になっちゃいけないとか楽しく生きちゃいけないとか。
けど、今、思うのは悲しむことだけが息子を思うことじゃないというか息子のことや娘のことを思って楽しく生きていこうって思うことも大きな意味で、息子や娘への思いっていうこと。
消えてしまった小さな命。
残された人はいつまでも心引かれそこから離れられない。
時間では消せない悲しみがある。
優が、なぜ今、家族の記録を映像に残したいと思ったのか。
社会に出る前に、双子の妹としてけじめをつけたいと思ったのかもしれない。
優しい優のことだからお母さんにもうそろそろ将君から子離れして自分たちの人生を楽しんでくださいと言いたかったのかもしれない。
この映像は大人になった優からお母さんへの心を込めた贈り物である。
私は、そう考えている。
伊藤⇒おしまいに総合テレビこのあとの番組をご紹介します。
今夜の総合テレビは大相撲初場所のあと夜7時30分です。
「鶴瓶の家族に乾杯」です。
新年スタートしました大河ドラマ「おんな城主直虎」スペシャルです。
主演を務める柴咲コウさんが直虎ゆかりの浜松でぶっつけ本番の旅でございます。
いったいどんな出会いがあるのでしょうか。
夜10時25分は「プロフェッショナル」です。
今夜はリノベーションのプロが登場します。
ぜひご覧ください。
2017/01/16(月) 14:05〜14:54
NHK総合1・神戸
スタジオパークからこんにちは「母が語る〜阪神・淡路大震災から20年」[字]

第36回「地方の時代」映像祭で優秀賞に輝いた作品。阪神・淡路大震災で1歳半の双子の兄を亡くした妹が大学生になり作った母親の20年を見つめたドキュメンタリー。

詳細情報
番組内容
〜第36回「地方の時代」映像祭2016 市民・学生・自治体部門優秀賞受賞作品〜
出演者
【出演】江波杏子,高井ちづ,高井優,高井敏浩,【司会】清水ミチコ,伊藤雄彦,北郷三穂子,【語り】春藤未希子

ジャンル :
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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