九ちゃんへ
coconooさんも 九尾さんも パソコンでコピーして貼り付けないとうまく変換できないし タブレットではそのコピーさえうまく出来ない故 九ちゃんと、勝手に呼ばせてもらおうっと
初めの方の blog記事では 男性?…
そのうち アリィ?じゃないような…
海を知らぬ少女の前に…。海に行きたい。 - coconoo doll
この頃はね どっちかなって迷っていた
自分で 自分の身の回りのものを作れるし
人生の師匠と仰ぐ人なりは わたしの範疇ではない方で
興味も 広範囲で
若さがまぶしいくらいで
それでいて わたしのような年輩の読者がどんどん増えて
かつ、
こんな憂いのある表情を作れる人って どんな人かなぁ~
そんな風に いつもワクワクして記事を読んでいます
ついていけないときは 歳のせいにして
こんな娘が もう一人 いたらなぁ、なんて贅沢な望みなんかを抱くほど
(時々、わたしの愚痴を聞いて 分かってくれてる~ってうれしくてね)
でね、九ちゃんが せっかく言及してくれたけど
自分の情や世間体を確認する「他人ごと」ほど 醜悪なものはない
自分がまさか、その人だと そういう人は 思えないのじゃないかと
これは 悲観して言っているのじゃないよ
第3者の立場で 物を見る目って 自分を中心に事を考える習慣のある人には
たぶん思いつけないことじゃないのだと思います
現に ブックマークを見ても、しかり
そうはなりたくない
看護学生の時のDrから ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』やトーマス・マンの『魔の山』などを勧められました
北 杜夫の『夜と霧の隅で』とかね
あこがれのDrだったから もううれしくて内容がどうこういうのとは全く違う気持ちで 当時は読みました。
それが わたしにとっては 「人を看るとは?」という問いかけになり
どんな風に 生きて行こうか、につながったと思います
マ、いくら読んでも そこから何を感じるかは 人や時など
さまざまで これが正しい!という 決まったものはない、という事だけは
はっきり、分かったような…
正しい、と思ったときから
もう 他者の言葉は 聴き取れなくなってしまうもんね
要注意です
あぁ、
何を
九ちゃんに言いたいのか ちょっとこんがらってきちゃった
みんなを照らす太陽も/たまには休んで/月にもなりたいと/思う時もあるはずだと/分かる人で ありたい 岩崎航
今日の朝日新聞「折々のことば」で、岩崎航さんの詩が紹介されていました
わたしは 航さんのいう (わかるひとでありたい)と 思っています
そういう人になりたいと
そういう人として この先も生きて行きたいと
な~んて
ひゃ~恥ずかしいこと 書いているね
九ちゃん、マジメに取り上げてくれて ありがとうね
これ、ねだって むか~~~し、つれあいに貰った誕生日プレゼント
今は豪華な衣装は孫のところへ…九ちゃんの作ったお人形、買える機会があれば教えてね