韓国の慰安像にはなぜ椅子が二つおかれているのか。
また、なぜ「少女」の設定になってしまったのか。
そこに座っての記念撮影用?
これをネットで調べてみると、なかなか興味深いというか、笑えるようで笑えない話に繋がっていく。
まず、この「少女」という設定だが、日本の研究者でもこのような少女はいなかったというのが定説。
「日本人の研究者の言うことは嘘だ!」という人のために、韓国人の朴 裕河氏が書いた「帝国の慰安婦」を引用しても、年齢は25~26歳くらいとしている。
朴 裕河氏
2002年に在韓米軍基地に忍び込んで遊んでいた二人の女子中学生、シン・ヒョスンさんとシム・ミソンさんが米軍の装甲車に轢かれて死亡するという痛ましい事件があった。
この時、韓国では大規模な反米デモが起こった。
もちろん今の慰安婦騒動やパククネ大統領の弾劾デモのように、その運動の主体は親北朝鮮勢力だ。
詳しいことはこちらのサイトで。
(一部引用)
「友だちの誕生会へ行って来る」、それが最後の言葉だった。(ヒョスンさんの兄の証言)「子どもの遺体は2人の頭がい骨がおしつぶされたまま重なっていた。まだ血がにじみ出る前だった。どこの家の子どもなのか確認するために、まず村長に電話した」
小さな夢をかなえることなく殺された娘たちの事故現場を最初に目撃したホン・ギソック氏(54)の証言です。娘を奪われた遺族と同級生は血の涙で泣き叫びましたが、それはワールドカップの熱狂にかき消されてしまいました。
米軍は6月19日、「韓米合同調査」の結果、この事件が「悲劇的な事故」だったと発表しました。こうして、事故発生の原因と過程は具体的に明らかにされないばかりか、責任者に対する処罰もまた何1つ行わずに幕引きしようとしたのです。
事故は女子中学生の通学路でもある一般道路で起きました。彼女らがひかれた当時、別の米軍装甲車が対抗車線に現れたために、それを避けようとした架橋運搬用装甲車が道端を歩いていた女子中学生をひき殺したのですが、この事故に関係する車両すべてが米軍車両です。米軍のわがもの顔の振る舞いが、幼い命を無残に奪ったのです。
(略)
韓統連、韓青、民主女性会、学生協など、女子中学生日本地域対策委員会は15日、都内でシン・ヒョスン、シム・ミソン追慕大会と「6・15南北共同宣言貫徹!米軍の戦争策動糾弾!自主・平和・統一のための在日韓国人大会」を開いた。
参加者らは集会後、銀座をデモ行進し、駐日米大使館への抗議活動を行った。
2003年 6月 15日
米軍装甲車による女子中学生殺人事件日本地域対策委員会
女子中学生二人の献花台
本来はこの二つの椅子に二人の少女像を並べ、米軍基地近くに設置しようとしたのだが、米国に気兼ねをした韓国政府がこれを認めず、以下のようにひっそりとしたところで慰霊されているそうだ。
米軍の装甲車に轢かれて亡くなった二人の少女像が、なぜ今に売春婦像として蘇ったのかはわからないが、ネットの情報では、この少女像を作った造形家が、本来の目的とは違うと反対するも、金額で納得させたという情報もある。
少女二人を座らせると、韓国人なら「米軍女子中学生れき殺事件」を思い起こさせ、本来の目的とぼやけることを危惧したため一人としたのかもしれない。
また、「米軍女子中学生れき殺事件」でのアメリカへの当てつけの意味も運動組織にあるのかもしれない。
とにかく、反日・反米のためなら、実際の事故で亡くなった二人の女子中学生をも売春婦としてしまうこの運動体の異常さが表れている。
アメリカもこのことはわかっているかもしれない。
実は「反米少女像」だったことを。
像をつくってるやつは儲かって
ウハウハしてるだろうな。
便乗していろんな因縁つけてきて、
銅像ビジネスで儲けようと
する輩が続々と出てくる予感。