« 2017年1月14日 | トップページ | 2017年1月16日 »
マルクスは、神は人間が作り出した、と言ったらしい。
まあそれは私も別の証明方法により証明したけど。
それで、”階級闘争”を主張するというのは、どうも神と同じ概念に当てはまるモノを作り出していて、自己矛盾なのではないか、とどうしても思うてまう。
”階級闘争”って神と一緒で、マルクスが作り出したお化けのような、実態のない存在と思う。
けれども、搾取の主体がリアルに存在することもまた真で、神よりはリアルに人々に思えてまうから、みんな”階級闘争”って真と思うてまうやろ。
・・・けれども、それで、たとえばそれこそ課長職以上を資本家で、それ以下を労働者とスパッと切ってみて、「ハイ、あなた方は敵!」と言ったところで、課長職以上を慕うヒトは多くて、全部ひっくるめると過半数になってまうやろ。
その時点でもう負けは見えとる。
じゃあどうやって勝つのか?を考えると、私もいろいろと考えてみたけれども、
「いまあなたがどんな職位にあろうと、あなたの子孫が繁栄する保証などないのですよ」
と言うしかないやろと思うてまう。
そうでないと、全員が、課長職以上になりたいと思うとるのは自明やから、課長職以上になりたいと思うとる者が敵になってまうし。
いやそうすると、非正規社員には課長職以上になる権利なんて最初からないんだ!というハナシになるかもワカランけれども、そうすると今度は、じゃあ”階級闘争”って、正規と非正規の闘いなの?ということになってまうとも思う。
けっきょくマルクスは”階級闘争”って言った時点で、無意識のうちに負け戦を想像しとる。
ホンマに勝とうと思うならば、”階級闘争”という発想に陥るのではなくて、どんな職位にあろうと、そのヒトが陥る悩みと共闘して、体制をぶっ飛ばそうという考えになると思う。
そう考えるとたとえば、理屈上、安倍晋三が抱える悩みと共闘することだってできるはずや。
個人をぶっ飛ばすのではなくて、組織構造をぶっ飛ばすんやから。
但し、安倍晋三は個人で、もはや組織構造そのものになってもとるから、それは現実的ではないのも自明やけど。
私は、”階級闘争”と言ったときに、誰と誰の闘争で、どうやって仲間を獲得するのか、コレが非常に曖昧で抽象的で、現実味を欠いているのが問題と思っている。
けれども、自分らでは、”階級闘争”はリアルだと思っているから、街宣ですぐ「1%の利益」とか言うてまうんやけど、聞いとるほうからすると、「1%ってナニ????」って思うだけで、アタマに入ってこんやろ。
そもそも自分がどっちの階級に属しとるのかさえもわかってない、そんなヒトに向かって「1%の利益」とか言うてもアカン。
もっと具体的なキーワードを出さな。
そして、その上で、中核派の中で考えがいろいろとあいまいになっとると思うんやけど、組織構造をぶっ飛ばすと考えたとき、それでも権力の上層部が既に蓄えたおカネと、これから蓄える予定のおカネを一緒くたにして問題にしとるのはおかしいと思う。
当然のように、既に蓄えたおカネが銀行にあって、それがパナマ文書とかで暴露されたりして、どうしても自分らは既に蓄えたおカネのほうに目が向いてまうんやけど、それを糾弾しとるうちに、”これから蓄える予定のおカネ”を想像して、自分らが搾取されてまうし、国債残高とか言ってバンバン税金を投入されてまう。
既に蓄えたおカネの糾弾なんて、二の次や。
ホンマにやらなアカンのは、いまこうして”これから蓄える予定のおカネ”として、自分らが搾取されている構造、コレをいますぐにでも止める闘いにしていくほうが先決や。
”これから蓄える予定のおカネ”という概念があるから、金融商品が成り立って、既に崩壊しているはずの資本主義がいまも延命しとったりする。
日本は国債残高が多くて、国民一人あたり800万円の借金とか言うとるけど、それでも日本は上手くいくんだ、なんて理屈は全くもって理解できん。
”これから蓄える予定のおカネ”という概念は、また、日立製作所時代に問題と思うとったけど、とりわけ日本では”予算”として組まれて、それを自分から過少申告したら自分の部署の取り分が減るから過大報告して、年度末に使い切る、とかいう無駄なことをしていて、私はドイツ亡命時代にも、ブログに、”予算”なんて概念取っ払えよ、と書き続けとった。
それで日立製作所の工作員とガチバトルしとった。
だって、要るもんは要るんやし、年初に頑張って”予算”を組むなんてしなくても、必要な経費を職制が1回チェックできたらそれでええんや。
(もちろん、毎年買わんような大金はたくようなモノは、審議せなアカンけどな。)
鉄道の安全性だって何重にもチェックせんのが問題になっとるのに、なんでカネの使い道だけは何重にもチェックするのか、労力のかけ方が違うやろ、と思う。
日本政府とか日立製作所の側からしても、いろいろと失策しとる。
いっくら大学で上手く行ってないとしても、現在の日立製作所社長の東原敏昭に気に入られて日立製作所に入ったんやから、私は所内でよっぽど大事に、エリートコースを進むべき人材やったんやろと思う。
けど、藤原和紀ほかがバカ過ぎて、私のことを鬱陶しいバカとしか考えてこんかった。
だから私のことを、大して検討することなくアッサリと懲戒解雇できてもた。
けど、中核派も、どの程度かワカランけど、まだまだバカなとこがあって、私のことを精神疾患で、考え方がおかしいから、一方的に教育して、大西の言うことなど聞かなくていいと思うてもた。
てかもっというと、私は"オルグ"の段階で、マルクスの共産党宣言か、アレを読まされて、ハッキリ言って読みづら過ぎて、なんでそうなるんかサッパリワカランかったから、サッパリワカラン!とずっと言ってきたら、そいつは、
「どうして君はそんなにわからないんだ!」
と言って怒り出した。
自分が教えとるはずの教科書もちゃんと説明できずに怒り出すって、先生たる資格ないやろ。
そこまで想像できてなかった自分が浅はかだった、と思えんような人間に、ヒトを教える資格なんてない。
だから私は、中核派もしょせんその程度なんやと、ある種見切って、むしろ過激派と言われる中核派を変えてやる気概を持って入る覚悟を決めた。
フツーなら、主張が違うと思ったら共闘しようと思わんやろ。
けど、私はマルクスも、教えたヤツも信じんかったけど、けれども、中核派の中には確かに、スジが通った正義があると思った。
片方の立場で見て○か×か、みたいな考え方はおかしいというのが、私の昔からの意見やし、ものごとはそういう複雑な見方ができて当然、と思うた。
だから、そんな私が、○か×か、"階級闘争"で説明してまうマルクス主義に結集するというのは実は大きな矛盾で、私にはそんな、マルクス主義をもぶっ飛ばす強い意思があったし、ある。
私は、"階級闘争"という考え方は、ガチで改めたいと思うとる。
だって、"階級闘争"を声高に叫んで、たとえば部長を敵対視したところで、部長だって以前はもっとペーペーやった。
その部長と何十年来の付き合い、という場合やったってあるやろ。
そういう割り切れん思いがある。
たとえば親が大企業の部長で、自分が中核派に結集しようとすると、そこでガチバトルが始まるかというとちゃうやろ。
だいたいの場合、親父がなれたんだから自分も部長くらいになってやる、という意思があって、その息子は中核派よりも権力者寄りの立場だったりする。
そんな意味も込めて、私は、共産党宣言の読み合わせのときに、「階級闘争というけれども、"階級"とはなんなのか」と聞いた。
ならば彼は、
「課長以上が支配者階級で、それ以下が労働者階級と、歴史上決められて来たんだ!」
って言い切ったけど、そんなのは私も当然知った上であって、しかしそれは便宜的に誰かが考えたこと、というのを、日立製作所で課長職とか見てきて、実感として持っている。
個々人がどういう思想を持っとるかなんか、個々人を見てみなワカランやん。
いっくら社長だって、労働者になるたけ均等に分け前を与えたい者は必ず出てくる。
もちろん、そんなユルい仕組みを見つけて、必ず搾取しようと出てくる者もおるハズなんやけど、それは組織の宿命としてそうなのであって、目の前の社長が必ず、搾取を目論む支配者階級かというと違う可能性がある。
しかしもちろん、古い企業とか大企業とかやと、搾取できると思いつく者が出てくる可能性が高くなるし、清くできる可能性は限りなく低くなるんやけど。
マルクス主義って、人間とは結果としてそう帰結する、と、人間をカネ目当てで生きる以外意思のない者かのように言い切ってしまい、アツく闘える者がさもいないかのように書いとるところが、私は嫌いや。
いや、マルクス主義者は、"アツく闘える者"とは労働者階級なのだ、と機械的に分けてまう気がするけど、そうではないねん。
その、人間の持つ意思を、私はマルクスからは感じん。
けど、世界の一定の数の人々は、自分がそれまでに思いつかんかったからやろとも思うけど、マルクス主義を新鮮なモノとして扱って、さらには、新鮮だからこそ右から左へ広めればいい、みたいな幻想に捉われとるとも思う。
マルクスの回りくどい説明を読んで、頭がいい人間が書く文章じゃないと思う。
もっとストレートに説明できんのか!?と思ってイライラする。
けれども、中核派を見ていたら、マルクス主義にどうやってリアルな人間味を吹き込むか?を考えることが、革命への近道なのではないか、とも思っている。
マルクス主義をそんな観点から読んで、中核派にいる人間っていないと思う。
コレな。
ーーーーーーー
生活保護で劇場盤買ってる奴 [無断転載禁止]©2ch.net
http://shiba.2ch.net/test/read.cgi/akb/1484459315/
1 : 47の素敵な(大阪府)@無断転載は禁止 (ワッチョイ fe40-q48i)2017/01/15(日) 14:48:35.51 ID:LY1D/GkU0
いるの?
2 : 47の素敵な(庭)@無断転載は禁止 (アウアウウーT Sa11-q48i)2017/01/15(日) 15:03:26.59 ID:hBODDM8Aa
おーにっちゃんはCDとか買ってなさそうだなあ
3 : 47の素敵な(茸)@無断転載は禁止 (スッップ Sdea-v1eF)2017/01/15(日) 15:05:24.63 ID:FZQ5Oxkmd
劇場盤とかいう生活必需品
4 : 47の素敵な(山口県)@無断転載は禁止 (ワッチョイ a117-mq8g)2017/01/15(日) 15:06:02.28 ID:7bIde7aC0
パチンコよりひどい
5 : (WiMAX)@無断転載は禁止2017/01/15(日) 15:06:10.81
>>2
SHOWROOMで課金してるけどね
6 : 47の素敵な(茸)@無断転載は禁止 (スッップ Sdea-BTGk)2017/01/15(日) 15:09:04.85 ID:tulv9/pBd
>>1が大阪府ってことはそういうこと
7 : 47の素敵な(庭)@無断転載は禁止 (アウアウカー Sa05-yCwj)2017/01/15(日) 15:19:24.63 ID:q2hGiPKBa
>>2
>>2
おーにっちゃんはロビ観のみしか出来なくなったしなぁ
8 : 47の素敵な(茸)@無断転載は禁止 (スッップ Sdea-B4Ey)2017/01/15(日) 15:26:05.87 ID:XJgcqoK4d
要るだろうけど、恥ずかしいから言えない人がほとんどだと思う。
9 : 47の素敵な(空)@無断転載は禁止 (アークセー Sxed-k1s9)2017/01/15(日) 15:28:28.74 ID:W/cnR3ZEx
大西って一昨年くらいに死んだって聞いたけどまだ生きてたのか?
岩田が卒業してから全く話題にならないんだが
10 : 47の素敵な(庭)@無断転載は禁止 (アウアウウーT Sa11-q48i)2017/01/15(日) 16:23:11.39 ID:hBODDM8Aa
>>5
マジかいな
>>7
>>8
いつもipadもってロビ観してるという話だな
ーーーーーーー
私は確かにかつては、さまざまな理由から不本意にも生活保護を受けていた。
現在生活保護を受けてないのに、こんなコト言われるのは、そんだけ権力側がネガキャンしてきたからでもあるし、>>7 の書き込みだってAKSら権力側の工作の可能性が高い。
http://hissi.org/read.php/akb/20170115/cTJoR2lQS0Jh.html
だいたい、私が生活保護を受けざるを得なくなる経緯とか、ちゃんと調べたら問題なんやけど、中核派の一部のほうが、私のことを忖度して隠蔽しとるねん。
そこはいっくら仲間内でも、ちゃんと指摘せな。
いや、"忖度"という言葉を使うとった古賀茂明のほうが、もっと忖度しとるわけやけど。
とにかく、こういう現実に風穴を開けなアカン。
私が私利私欲のために抜けがけしようとしとると考えたい向きもあるやろけど、こんだけ実名でコテンパンに、さまざまに、日本政府権力から人権侵害を受けてきたんや。
ホンマに私利私欲を考えたら、恥ずかしいという感情のほうが先に立ってもて、日本政府権力から人権侵害を受けたら、防戦一方になってまう。
大井競馬場前から、新幹線と貨物を渡った向こうに、りんかい線の車庫がある。
電車から見ても、東京テレポートから天王洲アイルに行く途中に、左に行く怪しい線(設計上コッチのほうが本線に見える)がある。
私はそれを見に行った。
理由は書かんけど、第三者はわからずとも、敵味方双方はわかるよな。
見に行けと誰に言われたワケではないけど、私は現場主義やねん。
ちなみに今日は゛休日おでかけパス゛を使うとるから、再びモノレールに乗って天王洲アイルでりんかい線に乗り換えて、さらに新木場からJRに乗って来た。
モノレールのチェックにこんだけ時間取るとは思わんかったから、今日は思ったほどの行程は達成できてない。
けれども、自分に理解できてない現実を発見した、コレは何にも増して成果と思う。
モノレールがどうやって安全を担保しとるのか、私も日立製作所にいながら現場を見てこんかったけど、やっぱちゃんと向きあわなアカン。
モノレールを理解して説明できねば、鉄路を理解して説明することは不可能や。
それを可能と言うてまうヤツがいるとすれば、いくら鉄路よりもニッチとはいえ、モノレールの労働を軽視しとると考える。
東京モノレールについて、10000形でIP伝送をしていると読んで乗ってみました。
電圧が800Vとか、ゴムタイヤとか、理由があるのでしょうが、人の手で制御できているようには見えました。
TASC装置ではなく手で停めているようにも見えましたが、地上子を駅手前に3つ、停止点直前にひとつ見つけました。
1000形は右ハンドルで抵抗制御、空気圧計あり、10000形は右ハンドルで抵抗制御、空気圧計なし(速度計の右の4本の棒の左上が、空気圧)で、ちょっと表示簡略化し過ぎちゃうか?と思いました。
最後に降りた駅のドアの精度は甘く、行き過ぎるギリギリでしたが、10000形だからかどうかは、別の機会にチェックします。
機関紙ほかがダメとまでは思ってない。
他の新聞とかよりも、よほどマトモなことを書いていると思う。
どうして労働者が死に追いやられるようになったかとかも、ちゃんと取り上げて考えることが大事やし、世界的に何が起こっているかを考察することも大事やろ。
そこは直ちに反省すべきところとは思わん。
けれども、まだまだ労働者が貪るように読むモノになってないこと、労働者のココロに合ってないこともまた、認識せなアカンと思う。
「労働者のほうの意識が変わって、こういう情報も読むべきだ」
なんて思うとったってカワラン。
労働者の意識が変わるなんて、たぶん永遠にないと私は考える。
だって歴史って、勝者が伝えてきた。コレが事実や。
そしてそれは、歴史上の勝者ではないとしても、共産主義者は、共産主義という主義の上で、現在体制側であった者がどう戦ったかしか、基本的に伝えてない。
マルクスやレーニンの時代の労働者がどう考えたか?なんて、私も別に文献を調べたワケちゃうけど、聞くところによると、
「労働者は貪るように読んだ」とかくらいやろ。
けどまた、労働者だけでなく学者だって、マルクスの考えを理解できずに、エンゲルスがなんとかマルクスを焚き付けた、というのもまた事実なわけで、ようはその時代に、マルクスは労働者から理解されんかったということや。
それを反省して、我々がマルクスを一生懸命理解しようとすることは可能や。
けど、それで、一般人の大勢に対して、マルクスを理解させようとしても、そんなことしとっても、革命までのプロセスとして長すぎる。
韓国情勢だって、マルクスを理解した人々が蜂起したわけちゃうやろ。
たぶん、いま伸び悩んでいるのはマルクスの理解が足りんかったと、変な総括をする人間がいるかもワカランけれども、ちゃうねん。
マルクスにしろ世界情勢にしろ、原野を走り回っていた時代の人間からすると、人々はめちゃくちゃ多くのことを学ばなアカンとしとるやろ。
私はそれはあんま当たってないと思う。
マルクス主義で、搾取率を計算すると、現在の1/7とか1/8くらいしか労働しなくてもいいということになっとる。
なのに勉強はこれまで以上にせなアカンとして、それに対して中核派の本を買わなアカンようになると考えとるとすると、もうそれは全体から俯瞰するとそれこそ、マルクス自体を神とする”マルクス真理教”となり、お布施を召し上げる宗教になってまう。
現在の1/7とか1/8くらいしか労働しなくてもいいのであれば、勉強だって現在の1/7とか1/8くらいしかせんでもよくなるはずやねん。
それって実感として合うとるやろ。
高校大学時代の学問で、どんだけアタマに残っとるかを考えたら、大半が無駄知識やろ。
じゃあ、その1/7とか1/8くらいしかせんでもいいけれども、1/7とか1/8として集中して勉強すべき学問って、自分の労働の権利に関する知識であり、自分の労働の安全に関する知識であり、あと自分の周りにいる人々がどう働きなにを考えているかについて、共有することやと思うねん。
神が第一じゃなくて、目の前のヒトを第一に考えるという、私の信念は、全部貫かれて一点の曇りもないやろ。
そしてそういう輪が、地域、国、それだけでなく世界全体に広がったら、世界革命に繋がると、私は信じる。
その上で、じゃあ世界情勢の把握とか国際連帯とかってどうすればいいか?やけど、たとえばもう1年くらい前か、ドイツで単線で列車が正面衝突してヒトが死ぬ事故が起こったやろ。
アレ見たら無線とかなんとか言うとるけど、ようは信楽高原鉄道事故と同じで、いろいろとイイカゲンやけど、ドイツのその単線ではそもそもATSが整備されてなかってん。
そうすると、日本の労働者がドイツの労働者に対して、「日本ではATSで安全を守っているのだから、ドイツもATSで安全を守ることを徹底すればいいのではないか」と言うことだってできるよなあ。
そういうのこそが、真の世界情勢の把握であり(だって世界のどこでどういう闘争を起せるか?を把握するんやから)、そこに働きかけることによって具体的に国際連帯が可能になると思うなあ。
労働運動ってどうしてもストライキで賃上げ、というイメージがあるけれども、私はストライキって本当に最終手段にまで取っておいて、できるだけ別のいろんな策も一緒に検討すべきやと思うとる。
ストライキで賃上げ、を闘っても、「そうやって労働者が会社の経営を圧迫するほどに給与を求めてストライキばっかで働かなくて、会社が倒産したらダメだよね」という論法で、御用組合の労使協調路線のほうが正しいという理屈に押し込まれてきたやろ。
そうすると、労使協調路線ではどうしてもダメなところをキチンと言うてかなアカンところがあって、私はそれは安全やし、昨日も書いたけど、どこかの職場の”1つの重大事故”を取り上げるよりも、自分らが経験しとる”300の異常”をつぶさに取り上げて、コレは正さないと必ずや重大事故に繋がる、と言って徹底抗戦したほうがいいと思う。
だって”1つの重大事故”は、御用組合は「ウチの職場に限ってそんなことはない。それは特殊な事例や。個人が気を張り詰めて頑張ればなんとかなる」と言うてまう。
けど、”300の異常”は、いっくら御用組合の人々であっても、日常的にリアルに体験しとるんやから、特殊な事例とは言い切れずに、御用組合の幹部がいくら都合よく解釈しても、
「・・・確かにそれは自分も不安に思っている・・・」
と言い出す御用組合員はいるはずやねん。
コレは労働者の意識が変わったのではなくて、労働運動を訴える側のほうが、労働者が真に不安に思うことに向き合うようになって初めて可能になることやろ。
やっぱ、”300の異常”をもっと前面に出したほうが、労働者が貪るように読むモノになるはず、と私は考える。
そんな議論が起きないかと思って、こうして敢えて書く。
最近のコメント