■  「知床日誌」


■凡例

 此岬クナシリ、エトロフと鼎足に峙し、潮勢逆怒し、山嶮く崖嶮なる故、土人も審せし者少なく、和人未だ是を廻りし者なし。


■アイヌへの虐待を告発

 腰の二重にもなる斗の爺婆や、見る影もなく破れて、只肩に懸る斗のアツシを着、如何にも菜色をなしける病人等杖に助かり、男女大勢其汐干にあさりけるが、我等を見て皆寄来りし故、其訳を聞に、シャリ、アバシリ両所にては女は最早十六七にもなり、夫を持べき時に至れば、クナシリ島へ遣られ、諸国より入来る漁者、船方の為に身を自由に取扱はれ、男子は娶る比に成ば遣られて昼夜の差別なく責遣はれ、其年盛を百里外の離島にて過ごす事故、終に生涯無妻にて暮らす者多く、男女共に種々の病にて身を生れ附かぬ病者となりては、働稼のなる間は五年十年の間も、故郷に帰る事成難く、又夫婦にて彼地へ遣らるゝ時は、其夫は遠き漁場へ遣し、妻は会所また番屋等へ置て、番人、稼人の慰み者とせられ、何時迄も隔置れ、それをいなめば、辛き目に逢ふが故、只泣々日を送る事也。如此無道の遣ひ方に逢ふが故に、人別も寛政中は二千余有りが、今は漸々半に成しぞうたてけれ。