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龍馬「新国家」へ人材依頼 暗殺5日前の書状発見

新たに見つかった坂本龍馬の書状の一部。右から3行目に「新国家」の文字が確認できる=isana提供

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 幕末の志士坂本龍馬が一八六七年、京都で暗殺される五日前に書いたとみられる書状が新たに見つかった。高知県が十三日に発表した。大政奉還後の新政府樹立に向け奔走する中、財政手腕を高く評価していた福井藩士の三岡八郎(後の由利公正)を出仕させるよう、「新国家」という言葉を使いながら、藩重臣に懇願する内容となっている。

 当時の龍馬を巡っては二〇一四年、福井で三岡と面会し、新政府の財政を担える人材であると土佐藩重臣の後藤象二郎へ報告する手紙「越行の記」の草稿の存在が判明。今回の書状は、これに続く手紙とみられ、専門家は「幕末史や龍馬研究の進展が期待できる重要な史料」と評価する。

 百四十点以上あるとされる龍馬の手紙の中で「新国家」という言葉が確認されたのは初めて。

 今回の書状は福井藩重臣の中根雪江宛てで、縦約十六センチ、横約九十二センチの和紙に毛筆書き。直筆という。日付は「十一月十日」とあり、暗殺された慶応三年十一月十五日の五日前に書いたとみられる。書状を包んでいた封紙に龍馬が偽名として使った「才谷楳太郎」と記され、本文中は「龍馬」の署名があった。

 冒頭で、藩主松平春嶽の京都入りを「千万の兵を得たる」とし、中根の尽力に感謝。「三岡兄の御上京が一日先に相成候得ハ新国家の御家計御成立が一日先に相成候」とし、三岡の出仕を認めるよう訴えている。三岡は龍馬暗殺の翌月に京都へ入り、新政府の五箇条の御誓文の起草に関わったほか、初期の金融財政も担当した。

 書状は昨年八月、所有者から京都国立博物館へ持ち込まれ、複数の専門家が筆跡などから本物と判断。封紙に朱書きで「坂本先生遭難直前之書状」「他見ヲ憚ルモノ」との付箋が貼られており、発見が遅れたとみられる。東京の企画会社isanaが所有。入手経緯やこれまでの保管状況は明らかにしていない。

 今年は龍馬暗殺や大政奉還から百五十年。書状は高知県で開かれる「志国高知幕末維新博」に合わせ三月四日から県立高知城歴史博物館(高知市)で一般公開される。

 

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