自分らが想定してなかった大きな問題ばかりを取り上げる"ハイエナ主義"からは訣別して、小さなことをちゃんと問題として取り上げられるように変えてかなアカンと思う。
やっぱ、津久井やまゆり園事件とか、電通の高橋まつりさん過労自殺事件をセンセーショナルに取り上げるのって、"ハイエナ主義"であって、違うと思う。
ヒトの死体に群がる、そのことを、いっくら自分らではそれを報道するのは正義と思っても、それは第三者的に冷静に見ると"ハイエナ主義"になってまうと思う。
というのも、それは、自分で殺さず、誰かが殺すのを、どっかで待っとるフシがあるやろ。
それは、いっくら否定したところで、殺人を肯定しとる。
その、殺人を否定しとる度合いは、日本共産党が「戦争反対」というのと、まさに同じ程度の反対具合や。
まだイマイチ説明が抽象的かもと思うけれども、じゃあなんで中核派が、現状ある種"ハイエナ主義"になってもとるかというと、私は根底には、暴力革命を主張しとるところに行きつくやろと想像する。
というのも、人々が怒って暴動を起こす、という暴力革命論に則って、そのためのセンセーショナルな主張を、機関紙等でしとるんやろと思う。
そして、センセーショナルな事件がない場合には、センセーショナルにすべく、世界情勢について滔々と述べて、地区党で言われたけど、「世界情勢を知るのは必要だ」と言われて説教されるようになるんやと思う。
私は、ハッキリ言ってそれは違うと思う。
センセーショナルな事件なんて要らなくて、目の前の、もっと小さな問題を丁寧に取り上げたらええねん。
それは動労千葉が、運転士が運転席からオシッコしてもたことを問題にしたけど、運転席からオシッコなんてする運転士がおかしいのであって、そんなの闘争にならん!と大勢が思うやろ。
それはべつにインターネットにも掲示されとる公知の事実やし、私は書いてもいいと思う。
けど、リアルに運転士になったと思ってみな。
単にイメージだと、運転士って絶対安全でいつも前方をガン見してないといけなくて、尿意を催すなんて不届き千万、と思う者も多いやろ。
けど、自分がなったと思ったら、毎日体調が万全かというと、風邪で体調を崩すときだってあるやろ。
そんなときに下痢が出ることだってあるやろ。
そうすると、普段は出なくても、なんかの理由でオシッコしたくなることってあるやろ。
そう考えると、そのへんのバイトを見ていても、やっぱ最低でも1時間に1回くらいはトイレに行ける機会があるべきなんじゃないか、とか考えると思う。
そうすると、運転士が運転席からオシッコしてもたというのも、ホンマに運転士の責任なんか?そんなに個人責任にしていいのか?
ということになってくるよなあ?
そういう問題は、実は日本中、世界中に山のようにあって、誰しもが何かしら持っている。
けど、中核派の悪いところは、地区党かもやけど、「そんな問題は誰もが持っている」と言って隠蔽するねん。
そして、誰もが持っている問題よりも、ヒトが死んだセンセーショナルな問題とか世界情勢とかばっか述べとるねん。
だから私の日立製作所の件だって報道されずに隠蔽される。
けど、ヒトが死んだセンセーショナルな問題を後追いしたって、労働者が自分らの問題としては考えんやろ。
センセーショナルかどうかじゃなくて、そのヒトにとって考えてリアルかどうかを考えたほうがええと思うなあ。
たとえば、私は日立製作所時代に、国際標準化でリスクアナリシスの概念も学んだけど、まあそんな難しい概念でなくても、労働者ならば、ハインリッヒの法則は知っとるやろ。
ハインリッヒの法則(ハインリッヒのほうそく、Heinrich's law)は、労働災害における経験則の一つである。1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというもの。「ハインリッヒの災害トライアングル定理」または「傷害四角錐」とも呼ばれる。
私が考えるには、中核派の過ちとして、ハインリッヒの法則における1つの重大事故と、世界情勢ばっか報道しとる。
けど、労働者がホンマに求めとるのは、”300の異常”やねん。
”1つの重大事故”なんて経験するのは稀やけど、”300の異常”のいくつかは、自分で経験したことがあるやろ。
そうすると、”300の異常”について機関紙に取り上げて、それをお互いに言い合ったら、「ああ、そういう問題は自分も経験したよね!」ってハナシになるやろ。
それが仲間の連帯になる。
運転席からオシッコというのも、重大事故ではないとしても、”300の異常”には確実に入る事象やねん。
オシッコをガマンしとる運転士がいっぱいいるということは、それだけ運転士が本来前方に向けるべき注意が向けられてないことにもなるしなあ。
そして、”1つの重大事故”だけではなくて、”300の異常”について、問題なんじゃないかと言い合う、というのは、実は鉄道現場で働いてきた人々のリアルやねん。
鉄道現場では、”安全は輸送業務の最大の使命である。”と言われとるんやからな。
運転安全規範 - Wikipedia
”安全は輸送業務の最大の使命である。”と言われとるにもかかわらず、”300の異常”は無視して世界情勢を報じて、”1つの重大事故”が起こったらそのときだけ報じるのでは、労働者と団結できんよなあ。
私は日立製作所でホワイトカラーやったけど、日立製作所でも、鉄道の国際標準の、まあ鉄道界のTPPといっていいRAMS規格を怖がる人々に対して、「RAMSお化け」と、日立製作所史上最も早く出世したと言われとった網谷憲晴が、部下に対して言うとった覚えがある。
けど、別にホワイトカラーだけでなくても、労働者は、”300の異常”がいつ”1つの重大事故”というお化けに繋がるかどうか、とヒヤヒヤして生きとるんや。
それをデスクワークのヤツらはわからずに、”1つの重大事故”と世界情勢ばっか報じとる。
世界情勢を報じるのは、国際連帯のために必要、という主張もあるやろ。
けどそれもまた違うねん。
マルクスか誰かが言った通り、もう資本主義で世界は統一されて、どこの未開の市場で儲ける、とかいう議論ではなくなっている。
だからブレグジットとかトランプ当選とか、韓国情勢とかがイッキに噴出した、というのは、世界情勢を見ても明らかやろ。
それでな、労働者は世界情勢を把握しようが把握しまいが、自分の職場で働くしかないんや。
それは中核派自身がそう規定しとるよなあ。
・・・・・・じゃあ、労働者が世界情勢を把握する必要性って、そもそもどこにあるの?
世界情勢を把握する必要性があるのは、実は権力者のほうで、まだどこかに儲けられるところはないか?と探すねん。
けど、もういま世界のどこにも儲けられる場所がなくて手詰まりになっとるのが現状や。
そして、各国の労働者が、自分の職場で、私は闘う、と言い出す、それが各国に連鎖する、それだけでええやん。
それは別に、労働者が世界情勢を把握してなくてもできてまうことやわなあ。
いや、労働者が、実は株とかFXをやっていて、どっか未開の新興市場で儲けているというならば別やけど、そんな妙手はもはやないって、みんな実感しとるやん。
そして、労働者が、”1つの重大事故”ではなくて”300の異常”を共有したとき、思いはひとつになるはずやねん。
その思いは固有振動数に達して単振動となって、資本主義というビルを軽々と倒せてまう。
これまで革命は、結果的にその大多数が暴力的に為されたのかもワカランけれども、実は原理としてこうして、人々の思いが単振動になって振り切れるのが実態やねん。
韓国で何波ものゼネストが打ち抜かれたやん。
てか調べたら、想像してきたとおり、パククネに退陣を求めた後どうするか?がわからずに、左派のほうが弱まっとるっぽいなあ。
http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/knews/00_2016/1483163797061Staff
念のために確認したけど、前進ブログを見てさえも、ひと頃から比べると手詰まり感は否めん。
http://www.zenshin-s.org/zenshin-s/sokuhou/2017/01/post-3160.html
まあ、そういう意味では、世界情勢を把握するというよりも、韓国の仲間を助けるという意味で、たとえば日本の鉄道で働く人々が、自分らが権力を握ったらどうすればいいのか、の智恵を絞り合って、韓国の人々に対して、「こうすればいいのでは?」と言う方法ならばあるやろなあ。
人々が想像できん先のイデオロギーを言い合って、大勢の意思から外れて雲散霧消してまうのでは、権力者の思うツボで、そうではなくて、これまでのイデオロギーを捨て去っても、大勢の意思を貫けることこそが、ホンマの革命に繋がると私は考える。
そんでな、”300の異常”については、”リスクアセスメント”として規定されとるし、そのもともとの考え方は、イギリスのALARPの原則による。
リスクアセスメントからマネジメントシステムへ-ALARP 達成手法の開発とシステムへの展開- 豊 田 寿 夫
http://www.jniosh.go.jp/oldsite/publication/JOSH/pdf/vol3no1/Vol03No1-06a.pdf
ALARP
https://ja.wikipedia.org/wiki/ALARP
ALARPは"as low as reasonably practicable"の略で ALARPの原則とはリスクは合理的に実行可能な限り出来るだけ低くしなければならないというものである。ライフクリティカル・システムや高信頼性システムの分野でしばしば使われる用語である。
リスクが(以下で述べる)ALARP領域に留まることができるのは、リスク低減に要する費用が得られる利益に対して極度に釣り合わないことを示せる場合のみである。ALARPの原則はリスクをゼロにするために労力とお金が無限に費やされる可能性があるという事実に基づいている。注意しなければならないのは、単に損失に対して利益を量的に比べるのではなく、ごく当たり前に、リスクと社会的利益の釣り合いを判断するということである。
英国においては1949年のEdwards v. National Coal Board訴訟以後、ALARPと同じ意味のSFARP:合理的に実行可能な限りできるだけ遠ざける(so far as resonably practical)が法律でうたわれている。この判決はリスクは犠牲と、それを避けるためのお金や労力、時間に対して十分小さくなければならないというものだった。欧州裁判所における10年間の法廷闘争は2007年6月14日にSFARP原則を支持して終了した。
ALARPの原則は、権力者側が、さまざまな国際標準で当然のように使うとるんやけど、中核派的にそれが問題の根幹にあるとは全く主張してない。
”欧州裁判所における10年間の法廷闘争”なんやから、ものすごく大事な闘いで、コレは無視できんし、法廷闘争をした人々に対して、「どういう闘争だったのですか?」と聞いて、日本から見てやはりその判決はおかしい!と主張することは、私はそういうのこそが国際連帯やし、世界情勢を把握することに繋がると考える。
安全を守るのは、リスクアセスメントの書類ではなくて、そこで働く人々の意思やねん。
だっていっくら書類があったって、機械は壊れるんやから。
壊れたモノをちゃんと判断できるのは、けっきょくのところ人間しかないねん。
やっぱ、なかなか経験できん”1つの重大事故”よりも複数のヒトが知っている”300の異常”を共有することのほうが、チカラになると思うなあ。
だいたい、ヒトの会話を聞いていても、知らないことでは盛り上がらずに、ある程度実感として知っていることのほうが、「ああそれそれ!あるある!」って盛り上がるやん。
盛り上がるというのは共鳴しとるんやし、それは単振動になって革命に繋がるハズなんやけど、それをなんかイデオロギッシュな暴力革命論が妨害しとると私は考える。
神を創造したのは人間である、と言うたのはマルクスらしいけれども、私だってそんな考え以前より持っとる。
私はマルクスよりももっと単純に、5年前に、近くの仏教の”四恩保育所”に入っていたことから、”四恩”って何なんやろ?と思って検索したら、”父母の恩,国王の恩,衆生の恩,三宝の恩”らしいけど、私はそうではなくて”目の前のヒトの恩”の”一恩”でいい、”四恩”という考えは違う、と思った。
それで調べたら、ブッダ自体は”一恩”を言うとったんやけど、後に弟子が作り出した概念らしいやないか。
”目の前のヒトの恩”の”一恩”でよくて、けれども、目の前のヒトが生きているには、そのヒトの親がいて、先生がいて、仲間がいる。
そんな人々にも、まあ出会ったりメールとかで、目の前のヒトが現れたことの恩は伝えることができるやろ。
さらにその後ろに、その伝えるべき人々に対しても、親がいて、先生がいて、仲間がいる。
そんな人々には、なかなか出会ったりは難しいかもやけど、そんな人々について頑張って考えて想像することは可能やろ。
けど、さらにその後ろに控える人々、そのさらに後ろに控える人々・・・なんてのは、もう誰も想像できん。
それでも、世界中には多くの人々がいて、間接的にお世話になっている。
・・・・・・そんな人々に対して、直接お礼を言うわけにはいかないから、神にでも祈ろう。
私は、神ってそういうモノで、自分がお世話になっていると想像できるすべての人々に対してお礼を言えないときに、最後に出て来るのが、神という概念やと考える。
たとえば、小中学生のときに作ったグラフでいうと、主だった意見として集計できん”その他”みたいなもんやな。
けど、一見”その他”のほうが大きいように見えてまうというトリックがある。
そして、一見”その他”のほうが大きく見える、そのトリックを最大限に使って、目の前のヒトにお礼を言うよりも、神に祈ることのほうが重要なんだ!と主張したのが、キリスト教を含めてほとんど全部の宗教やと思うとる。
けれども、中核派だってあんま大きなことは言えん。
宗教が「神に祈れ!」と言うとるところを、「世界情勢に目を向けろ!」と言うとるのが中核派(少なくとも地区党)やねん。
けど、「神であっても世界情勢であっても、自分が目の前のヒトに向き合うよりも、コッチを優先しろ!」と言うてもとることには違いがないわなあ?
私は、神も世界情勢もなく、目の前のヒトに向き合うことをちゃんとしろ、と言うとる。
そしてそれは、あんま現状はマルクス主義者とは意見が合わんけれども、現場の労働者の意思に即しとると信じる。
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