少子高齢化が進み、医療や年金の対象年齢の引き上げが進む中、65歳で定年退職したからといって、悠々自適な隠居生活を思い描くことは、難しくなってきました。
そんな「高齢者現役社会」を目前に控える50代の社会人に向けて、精神科医、文筆家、映画監督と、50歳を超えても新しい世界で活躍し続ける和田秀樹氏が、50歳からでも新しい世界を開き、勉強を続けるための秘訣をお伝えします。
日本人は比較的勤勉だと言われています。最近はかなり怪しくなってきたとはいえ、社会人になって年を重ねても、勉強する習慣を持ち、また勉強が好きな人が多くいます。
気にかかるのは、勉強すること自体が目的になってしまう人が多いことです。英語学習はその最たるもので、ひたすらインプットに夢中になってしまいます。
■「勉強」が自己満足で終わっていないか
資格試験、入学試験、昇級試験など、試験に合格するという明確な目的がある場合には、それに向けて問題集を解くなどの勉強をする必要がありますが、自分なりの思想や視点を持つための勉強や情報収集などの「出口」は、どこにあるのでしょうか? 本を読んでいる割には、そこで読んだことを語れない人が意外に多いのです。それでは、せっかくの勉強熱心さも、単なる自己満足で終わってしまいます。
子どもは、自分が新しく知ったことを一生懸命「ねぇねぇ聞いて」と周りに知らせようとします。50代の皆さんだって、知る喜びと同時に、外に知らせる喜びを味わってもいいのではないでしょうか。何より、アウトプットする習慣をつけて自身の見解を他者と差別化できれば、周囲から一目置かれる存在になることができるのです。それは、私たちがひそかに、そして何より望んでいることではないでしょうか。
たとえば、同窓会の会報に、今の仕事の専門分野について寄稿するよう依頼されたとしましょう。あなたがいくら知っていることとはいえ、きちんとした文章を書くとなれば、最新データの収集をはじめ、さまざまなテーマで情報収集することが必要になってきます。それを基に文章を書くので、その新しい情報が自然に自分の知識として定着します。
すなわち、アウトプットという目的があって初めて、それに向けてインプットしていくことで、効率よく情報を収集できるわけです。さらに、質問などの反響があれば、それに対して、また調べて答えることになるので、アウトプットすること自体が情報収集の機会となるのです。
さて、アウトプットの効用についてご理解いただければ、次はどこでそれをするのかということになるでしょう。少し前までは、普通の人がアウトプットをしようと思ったら、新聞や雑誌の投書欄に投稿するか、なじみの店の常連客に「うんちくオヤジ」をやるくらいしか機会がありませんでした。
しかし、今やネット上で、誰でも発信できる時代です。「ツイッター」や「フェイスブック」などのSNSやブログで記事を書いたり、ユーチューブでの動画配信を行ったり、「ニューズピックス」のようなニュースキュレーショサイトに意見を投稿することもできます。「ノート」のように、自分が書いたものに簡単に課金できるサービスも始まりました。
まったく無名の会社員が、ネットのブログからベストセラー作家になり独立していくことは、もはや単なる夢物語ではないのです。したがって、アウトプットをしようと思ったら、まずは、これらのネット上できちんとした発信を始めることをお勧めします。
■「当たり障りのないこと」ばかり投稿しても無意味
ただ、重要なのはアウトプットの中身です。いざフェイスブックを始めてみても、当たり障りのないことや、本人以外、誰も関心を持たないような料理の写真やその日の出来事などの日常些事、あるいは、ニュースサイトの記事などの「シェア」を投稿するだけ、という人が少なくないのです。要するに、そこにその人独自の意見がない。一部の人にしか知りえないような専門分野の裏話などもない。これでは誰にも読まれません。
では、なぜこうした当たり障りのない投稿ばかりになってしまうのでしょうか。これは、多くの人が反論を恐れている、あるいは、もともと意見を持っていないから、と言えるでしょう。アウトプットをするからには必ず、誰かからの反論があることを覚悟しなければいけません。逆に言えば、もしここを突っ込まれたらどうするか? という、いわば想定質問をつねに意識しながら、アウトプットするべきなのです。
一般的に、日本人は反論や批判を恐れ、それを避けるために頭を使う傾向があります。しかし、それが効果的なのは日本国内に限られます。それよりも反論や批判を受けて立ち、それに答える能力を身に付けるべきときではないでしょうか。そうでなくても、当然、反論されるような文章を書くほうがしゃれているというものです。むしろ、まったく反論されないということは、それだけ自分の言説が相手にされていない、ということです。
そういう意味では、最初から戦略的に、こういう反論が来てほしい、と反論を呼び込むような発信をすることもできます。反論が来たらどうしよう、と受け身にならず、あえてこちらから反論を取りに行くというスタンスになることで、知的格闘技のような楽しみを持つことができるはずです。
たとえわずかではあっても、こうしたアウトプットを続けることによって、必ずファンやフォロワー、あるいは、志を同じくする仲間ができるはずです。人間関係の新しいご縁が生まれるのです。そこから思いがけない新しい世界が始まるかもしれません。アウトプットすることによって得られる最大の報酬とは、まさにここにあるのではないでしょうか。
和田 秀樹
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