2017/1/8

新年特集号を斬る  
沖浦氏は意地っ張りなものだから、容易には自説を曲げない。しかも御書を用いてもっともらしいことを言うので、ひじょうに厄介である。ともかく、わかっとらん、としか言いようがないところだ。まあ、しかし、そう言ってサジを投げてしまったらオシマイである。沖浦氏の間違いをどうやってわからせるか、どうやったらうまく説明できるか、それが対論者の力量である。

 御書は世間では書籍です。
 他の捉え方はございません。


そんなことはわかり切ったことだ。沖浦氏に言われなくてもわかっている。しかしそれを白米一俵御書を用いて正当化するのはどうかと思う。大聖人の仰せは爾前経と法華経との比較相対を意味しているわけであって、沖浦氏の言っているような意味はどこにも存在しない。ここでわたくしの主張に転ずれば、涅槃経などはそこそこ高度な経典であるからして、法華経との比較相対が可能なのだ。ゆえにそれよりもレベルの低い経典は比較の対象にもならない。いわんや一般の書籍などは論外である。同様の意味で、御書と世間一般の書籍を比較するような沖浦氏の物言いは間違っている、ということになるのだ。

少し角度を変えて見よう。

医学の専門書 音楽学の専門書

医学と音楽は分野が異なる。ゆえに比較できないのだ。医学の本が複数あって、あるいは音楽の本が複数あって、それぞれの分野の中でどれが優れているかは比較できるだろう。しかし、医学と音楽を比較しても無意味である。

外典の外道、内典の小乗、権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり。然りといへども法華経の如く説かず。

沖浦氏引用の御書では涅槃経・金光明経と法華経との比較だった。先ほど申したように、そこそこレベルの高い経典だから比較の対象となったわけである。しかし、蒙古使御書ではご覧のごとく、法華経のみが別格扱いとなっている。これもわたくしの主張を裏付けるものだ。

いや、逆である。生意気を言うようであるが、わたくしの考え方は大聖人の仰せを虚心坦懐に拝することで培われてきたものなのである。

失礼ながら、沖浦氏の場合はその逆なのかもしれない。まず、自分の考えありきなのだ。その上で、自分に都合のよい御書を探し出してきて貼り付けている。そんな気がしてならないところだ。

さて、今日は顕正新聞第1396号を取り上げる。

新年特集号

得意の特集号シリーズである。顕正新聞自らが特集号を謳う時には、当然ながら何かしらの目玉記事が存在する。今回は十二月度総幹部会の会長講演がそれなのだろう。しかし、一般の読者にとっては第一面の印象が最重要となる。

御入滅七三六年の新春を迎う

この大見出しが意味不明である。

いや、もちろん、日蓮正宗圏の人たちにとっては手に取るようにわかる話であるが、特集号として一般人への配布を考えているのならば、かなり不親切な見出しである。この時点で、わけがわからん、と言って投げ出す人がいてもおかしくない。多少の勉強家であれば、何となく察することが出来るかもしれないが、ともかくどこにも説明が存在しないという点が問題だろう。

大日輪まさに昇らんとする富士山。まもなく日蓮大聖人の仏法は日本を照らす

以前、夕日だとイチャモンをつけた人がいたけれども、今回も夕日なのか朝日なのか判然としない写真が掲載されている。ただし、上掲の説明を読めば、朝日であることがわかる。

顕正会では広布前夜という表現をよく使っているが、まさにこの写真はそれを象徴するかのごとくである。しかも夜明けは近い、ゴールは近いのだと。

見事な印象操作である。しかし、一般人が漠然と眺めた時に、そこまで読み取ることは無理だろう。

国難四年

出た、国難四年。浅井先生の年頭の辞に付されたタイトルである。

これもまた意味不明だろう。一般の読者がこの意味を理解することは不可能である。当然、国難元年から数えて四年目に突入するわけだが、そもそも何を起点として国難元年を謳ったものなのか、まったくわからないのだ。

いちおう三面から始まる十二月度総幹部会の会長講演を読むと、それがわかる仕組みになってはいるのだが、その必然性には疑問が残る。つまり、顕正会が勝手に言っているだけの、いわば顕正会式の年号に過ぎないのだ。たとえば東日本大震災の年を元年と定めれば、多くの人の納得を得られるかもしれないと思う。その場合は国難七年に相当するだろうか? もしそのように表記すれば、おそらくは多くの人がその意味を察することが出来るはずなのだ。

つまり、こんな基準のアイマイな年号をいつまで使い続けるつもりなのかと、イヤミながらもツッコミを入れたくなる、それが国難年号なのである。

大悪は大善の来たるべき瑞相なり。一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑ひ候はじ。

年頭の辞は浅井先生らしく簡潔にして要を得た文章であるが、詳細は省略する。そのロジックだけを手っ取り早く紹介すれば、今が国難の時代だとすると次はいよいよ広宣流布の時代なのだと言いたいわけなのだ。

さて、国難年号はいつまで続くのだろうか?

そして広布元年を迎えるのはいつか?

これまたイヤミながらも、わたくしの言っていることも相当のはずである。

2017/1/11  6:15

投稿者:沖浦克治
 おはようございます。

 御書には一切衆生が南無妙法蓮華経如来だと書いてあります。

 後は門下としてそれを信受するかしないか?
 個々人の信心の厚薄の問題です。

 別しては大聖人、総じては一切衆生が本仏。

 これも間違いです。
 等しく大聖人と寸分たがわない本仏です。

 ここがわからないと不軽菩薩の行は出来ません。
 ご本尊手を合わせて唱題していても、

 このご本尊は一切衆生の命を形どったものだ。
 このご本尊を拝むことが一切衆生を拝むことにな。
 法華経の修行の肝心である不軽菩薩の行が、このご本尊に向かう唱題なんだ。

 ここを理解するべきですね。
 世界中の宗教が人間の上に神を据えてダメになっています。
 私共はその轍を踏む愚かを犯してはなりません。
 そのための創価学会なんですよ。

 今創価学会は未来の経典に私どもが創価学会仏と記されると高らかに宣言いたしました。
 新しい時代、新しい宗教、新しい思想の幕開けなんです。

 私共はSGIの一員です。
 そこでは大聖人を宗教かではなく、革命家思想家として捉えています。

 価値観の逆転があるのです。
 遅れないように致しましょうね。

 宗門の念仏題目なんか捨てましょう。

2017/1/10  6:19

投稿者:沖浦克治
 功徳を書きます!

 昨日息子が帰りました。

 今夜か明朝、入れ替わるように新しいスタッフさんがやって来ます。 

 この方と息子と私と3人4脚で仕事を進めることになりました。

 今ホームページの一新をお願いしています。
 今回、そのための動画などの撮影に来られます。

 私は生徒とダンディムで半日コブをやります。
 この生徒はダンサーで何より超美人。
 役得と云うものですね。

 生活が変化に溢れ常に新しい事が起きる。

 功徳〜〜!!

 今、聖教新聞の人間革命読みました。
 載ってます。

 『険難の峰こそが創価の師子の征路である。』
 
 念頭に決意致しました。

 烈風吹かば我に吹け!

 師匠も人間革命で同じことを書かれておられます。

 功徳〜〜〜!!!!!

2017/1/10  6:16

投稿者:沖浦克治
 おはようございます、巌虎さん。

 自分が大聖人と寸分たがわない南無妙法蓮華経如来である、と心の底から信じる。

 これが出来るなら人生は変わります。
 師匠がネールさんの言葉を引用なさいました。

 『仏教が堕落したのは釈迦を人間から離れた特別な存在としたからだ。』(主意)

 私共は寛師の、

 大聖人だけが特別な存在で人間とはかけ離れている。

 この思想に知らず知らずの内に毒されて来ました。
 今創価学会はその思想からの脱却を図っている最中です。

 戒壇本尊本懐の否定。
 全てのご本尊への平等観。
 創価学会仏の公表。
 寛師教学の否定。

 今後の展開で更に進むと思います。

 創価思想の幕開け!!

 私共は寛師から大聖人仏法へ入りました。
 ですが、SGIにはそう云う思想はございません。

 最初から大聖人本仏思想がない。

 驚くべき事実です。
 SGIでは大聖人を優れた思想家の面から強く捉えています。
 創価学会はSGI傘下の団体。
 近い将来当然その方向へ向かわざるを得ません。

 今からその思想の変換に備えておいた方が良いでしょうね。

2017/1/9  20:42

投稿者:沖浦克治
巌虎さん、今晩は。

 寛師教学の信奉者は大きな勘違いをしておられます。

 世間の法の奥に仏法があるとしている。

 これは大きな間違いです。
 世間の法がそのまま仏法なのです。

 『爾前の経の心心は、心より万法を生ず、譬へば心は大地のごとし草木は万法のごとしと申す、法華経はしからず心すなはち大地大地即草木なり、爾前の経経の心は心のすむは月のごとし心のきよきは花のごとし、法華経はしからず月こそ心よ花こそ心よと申す法門なり。』
 (白米一俵御書)

 キチンと拝せねばなりませんよ。

2017/1/9  6:43

投稿者:沖浦克治

 昨夜ナイターレースで岐阜でした。

 出走は午後6時半ごろで、7時にはゲレンデを後にして白馬へ向かいました。

 雪道に足取られて来たくは12時時過ぎ。
 でも今からサンライズへ行きます。

 下手だから努力出来る。
 不器用だから頑張れる。

 功徳です。

 インスペ終わってスタート前、嬉しいメールです。

 昨日朝エッジチューンをしたお客様から。
 このお方はご自分でエッジ調整をなさいますし、ファイルガイドが無くても88℃とか89℃の削りだしをされる職人さんです。
 その大ベテランの方のご評価です。

 こんばんは。
 今日はありがとうございました。
 素晴らしく扱いやすくなり、自由自在に滑れる快感を感じる午後でした。
 サイコー! ポールに入るのが楽しみです。

 自分で調整できる様になるのが理想ですが、簡単ではないですね。
 またお世話になります。よろしくお願いします。
 〜引用終わり〜

 嬉しい〜〜〜!!

 功徳〜〜!!

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