勘違いされないための予防線
- この記事は査読制そのものを否定していません
- この記事は特定の雑誌を念頭に置いていません
というわけでご注意してお読みください。
学内雑誌というもの
研究者の論文は学術雑誌に掲載していることが多いが,学術雑誌にはいくつかの下位区分が存在する。理数系では『Nature』などに代表される出版社が刊行する学術雑誌もある。また,これ以外にも学会が刊行する学会誌があり,これらは学会にもよるが,一定の価値を持ったものとされている。一方で,大学の講座は独自に刊行している雑誌もあり、これらは学内雑誌と呼ばれる。学内雑誌はたいてい『○○大学△△論集』のように大学名を冠しており,執筆者のほとんどはその大学のある特定の講座の院生やポスドクである。一部,卒業生や教員も入るが全体で見れば少数であろう。ちなみに雑誌名に関しては時折大学名を関していないものもあって判断に困るが,それはまた別の話だし,専門家が見れば学内雑誌かどうかは容易に判断できる。
学内雑誌を刊行するのにはいくつか理由があり,院生などの研究成果を早く世に示すこと,学会誌等に発表するほどではない成果を世に出すこと,将来的に本の1章分にする原稿など,ある程度の不完全さを持ったものをまとめておくことなどが挙げられる。この学内雑誌,私が就職活動をするちょっと前ぐらいからだろうか,査読制に移行するものが増えていったように思う(おそらく誤っていないが,統計資料をご存じの方がいたら教えて頂きたい)。
「何でも査読」の危うさ
本来査読制が持つ役割は
- 専門家による審査が行われることによって,質の低い論文が世に出ることを防ぐこと
にある。つまり,査読制を敷くことによって質を保証し,雑誌としての信頼性を高めることになる。先ほども書いたとおり,学内雑誌の主な投稿者は院生であるのだから,業績作りという面で見たときにメリットが大きいように見える。しかし,実際のところ,学内雑誌が査読制を導入する/した理由は主に以下の3つのいずれかだろう。
- 院生が博論を出すために業績として「査読誌掲載」があったほうが見栄えがいい(ないしは内規で求められる)
- 院生が将来的にアカデミックポストの公募に出すにあたり,「査読誌掲載」があった方が見栄えがいい
- 教員が昇進や科研を申請するのに「査読誌掲載」があったほうが見栄えがいい
要はいずれも「見栄え」の問題なのだ。この「見栄え」のために査読することは,無視できないほどのデメリットを抱えていることに注意が必要である。
1. 刊行まで時間がかかる
学内雑誌はカメラレディ(提出した原稿をそのまま印刷)が多いだろうから,査読がない場合,原稿を締切に提出すればあとは印刷だけなので,刊行まで長くても2か月程度だろう(全員が締切に出せば)。それに対して査読がある場合,次のようなステップを経ることになり,刊行まで半年以上かかることになる。
原稿提出
↓1〜2か月程度
査読結果通知
↓1か月程度
修正稿提出
↓1〜2か月程度
査読結果通知
↓2週間〜1か月程度
最終稿提出
↓2か月程度
刊行
これは比較的早い理想的なパターンで,適当な査読者がいない,査読者が査読結果を返さない,などといった理由で刊行まで延び,結局約1年かかるなんてことも。もちろん締切を設け,その間に揃った原稿についてだけ印刷するということも可能だが,様々な事情(本数が揃わないなど)によって待たざるを得ないこともある。このように,査読制によって,学内雑誌が持っていた「速報性」というメリットが完全に失われる。
2. 査読制によるメリットも実はそれほど高くない
学会誌の査読要領では「論文が本誌に掲載するに値するか」という基準が設けられているのがおそらく一般的であろう。そのこともあり,査読が入ると多くの場合は提出した原稿を査読者のコメントに沿ってレベルを上げるべく修正することになる。それに対して,学内雑誌はそこまでのインパクトは求められていないので,ある程度のレベルの研究成果が掲載されていることも珍しくない。そのため,上で「アカデミックポストの公募に出すにあたり,「査読誌掲載」があった方が見栄えがいい」と書いたが,実際に審査するときに「査読誌と書いているけど学内雑誌だ」ということは専門家には分かるため,「査読誌」ということで特別な扱いはほぼ受けないことになる。
今,「ある程度のレベルの研究成果」と書いたが,そういった方針であっても,査読者に雑誌の査読基準が必ずしも明確に伝わっていない(示していない)ため,大がかりな修正や再実験を求められることがある。もちろんそういった指摘が的外れとかいうことではないし,レベルは上がるだろう。しかし,正直なところ「このレベルの修正をするなら,学会誌に出したほうがいい」と考えても不思議ではないし,そうした方が,公募には有利に働くだろう。
また,そのような厳しい査読も含まれると,結局は「気軽に小ネタを出す」媒体がなくなってしまうことにつながる。非常勤講師などが出せる紀要も増えてはいるだろうが,院生が出せるようなものは数が限られている。結局「業績作り」としても効率的には進まないのでメリットが失われてしまうことになる(小ネタは学会発表をして予稿集に載せて終わりにするというのもありえるのだけど)。院生への教育に携わってない私が言うのもなんだが,「コメントを元にしっかりとしたものを1つ」なら学会誌に出せばいいので,学内雑誌は「そこそこのものを定期的に出していく」ための媒体として使う方がメリットが大きい。
3. 査読者への負担がかかる
上で挙げた査読を真っ当に行うためには,査読は外部に依頼することになる。そのため,学外の研究者に対しても負担を強いることになる。お互いの講座の学内雑誌を査読し合うバーター取引があるならまだしも,一方的に負担がかかることもある。上述のような学会誌ならば「学界/学会への貢献」と言えるかもしれないが,学内雑誌に対して時間をかけた査読を行うことが「学界/学会への貢献」としてどこまで結びつくのだろうか。研究分野としての後進の育成というならば,それは指導教員を中心とした院生の講座教員が責任を持つべきものであって,査読者の仕事ではない。
もちろん「学内雑誌だから甘く審査してほしい」という依頼をして「そこそこ」の査読を返せばいいのだろうが,やはりそれだったらわざわざ査読などやらずとも,「その程度の指導」をした論文をそのまま掲載すれば済む話だろう。
提案:査読にこだわるの,やめません?
上にも書いたように,学内雑誌に査読制を入れるのはほぼ「見栄え」の問題である。しかし,そのために学内雑誌が持っていたメリットが失われるのは非常に残念である。もうそんな見栄えにこだわらず,速報性のあるものや比較的小規模な成果はどんどん学内雑誌に出し,これぞという論文は学会誌などにチャレンジするスタイルにする(戻す)のが,多くの人にとって幸せなのではないかと,けっこう本気で思う。