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株大損で借金600万円→運用資産30倍に復活!? 元証券マンの転機

プレジデント 1/12(木) 9:15配信

■仕手株でつくった借金600万円

 バブルが崩壊した1992年、業界3位の証券会社に入社した小泉秀希氏は、営業マンとして顧客に銘柄を勧めながら、自分でもせっせと株を買っていた。

 「当時は1000株単位の銘柄がほとんどで、新入社員の給料で買えるものといえば株価数十~百数十円のボロ株ばかりでした。それを“情報”を頼りに買っていたわけです。当時は皆、そうしてたんですよ」

 “情報”とは、どの筋が仕込んだ仕掛けたといった、いわゆる「仕手情報」だ。インターネットのない時代、個人投資家はそうした話題を目の色を変えて追っていた。証券会社の営業マンは、情報を提供する側だったが、「身内から騙される世界なんです。知識も経験もスゴそうな上司や先輩に『次はこれがくるよ』なんて教えられると『そうなのか! 』と。それをせっせと自分の顧客にも伝えていたわけです。それでたまに儲かるんですが、最後は一発ドカンとヤラれて大損……その繰り返しでした」

 仕手株の世界にすっかりハマり、いつしか借金をして株を買うように。社内融資制度、銀行、消費者金融、最後はカードローンまで。なまじ大手の企業に勤めていたので属性はよく、どこでも簡単に融資が下りた。

 「結局、仕事のあり方に疑問を感じて、証券会社は辞めました。営業マンなんて使い捨てが当たり前で、すっかり消耗してしまって……。同期はすでに全員退社していました」

 知り合いの仕事を手伝うなどして食いつなぎながら、株式投資の世界にはさらにのめり込んでいった。だが手法は相変わらず仕手情報が頼りで、儲かっても倍返しで損させられることの繰り返し。借金は600万円近くにも上っていた。

■名投資家に学ぶ雑誌連載が契機に

 そんな小泉氏に転機が訪れたのは2000年初め頃。新創刊するという投資雑誌の編集長に引き合わされ「名投資家に学ぶ」という連載の執筆を依頼されたのだった。

 「私は原稿など書いたことがなかったので、大丈夫だろうかと思いました。しかし同時に、今後自分がまともな職業でやっていけるとしたらこの道しかないとも思い、お引き受けしました。当初は原稿料2万円の記事に5日くらいかかっていましたが、とにかく丁寧に一生懸命やりました」

 アルバイトなどもやりながら、何とか年収200万~300万円を稼ぎ出し、そこから借金を返す日々。そんな状況にありながらも小泉氏は、数万円でできるミニ株で細々と投資は続けていた。名投資家の著書や資料を読み漁る中で「株は正しい知識を得て、きちんとしたリスク管理の下でやれば必ず利益が出せる」と確信していたからだ。

■勉強し経験を積めば株は誰でも勝てる! 

 世界大戦や大恐慌で幾度も経済的破綻に見舞われながら、その経験から鉄壁の割安株投資法を築いたベンジャミン・グレアム。同時代に生きながら、グレアムとは対照的に傑出した成長株を見出す才に長けたフィリップ・フィッシャー。その2人の手法を融合し、巨万の富を築いた“投資の神様”ウォーレン・バフェット……etc.。

 「名投資家たちの人生と手法を学ぶことで得られたものは計り知れません。それぞれに教訓があるので一言では言えませんが、極意は“資産を守るために割安な株を買うこと”そして大きく増やすために“成長する企業を選ぶこと”にあります」

 そうして理論を学び銘柄研究を続けながら待つこと3年、ついにチャンスがやってきた。2003年、日本経済は銀行の不良債権問題にメドがつき、景気指標に回復の兆しが見え始めたのだ。株式市場には好業績で割安な企業がゴロゴロしている。一方で、デフレを追い風に低価格戦略で勝負する新業態の企業が相次いで上場した。

 小泉氏はここが勝負のときと、資金をかき集め本格的な株式投資を復活!  上昇相場はそこから4年続き、運用資産は30倍に膨らんだ。

 「そこからは毎年コンスタントに勝てるようになり、今ではサラリーマンを続けていた場合に得られたであろう収入よりだいぶ高い収入を投資から得ています。世間には株で数十億円も稼いでいる人が大勢いるのでとても自慢する気にはなれないのですが、これだけは言えます。中長期的な投資成果は努力に比例します。基本的な考え方を身につけて経験を積めば、誰でも株式投資で年20~30%のリターンを上げ続けることは難しいことじゃありません! 」

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最終更新:1/12(木) 9:15

プレジデント

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