学生の極度に少ないワーキングメモリー
はじめに
ワーキングメモリーでその人間の全能力の判定が出きるとか、ワーキングメモリーが少なくては仕事が出来ないとは全く思いません。しかし、「人の能力や性質は多様であるので、学生のワーキングメモリーを増やそうとするのは押し付けではないか。彼ら個々の能力、気質にあった伸ばし方が良い」とお考えの方も是非お読みください。現状があまりにひどいので、比較的簡単に彼らの人間力を増強することができると信じます。
「活字離れ(文や本が読めない・ビジュアル人間)、まともに話ができない、話が通じない、ラジオを聴かない」これらの原因の第1がワーキングメモリーの少なさにあると思っています。
注 ワーキングメモリー: その状況において必要な情報(直前の刺激や情報ならびにそれに関連したあらゆる種類の記憶や概念)を動的に表象として保持する機構
その状況に応じた適切な対応を選択するために必須なもの
1) 学生の極度に少ないワーキングメモリーを事実として認識できました。その容量を数値化することも可能なように思えます。全くいい加減ですが数値化すると、容量が1.1位から1.5位の学生が多く、普通の会話が成立するのに必要な“2”もある学生は稀。(注1)
2) この彼らでは普通の社会人生活がおくれません。面接で落ちる原因の一つです。話しを必死に聞くだけで精一杯で、聞きながら内容を理解するなど若干の頭脳活動をするだけの容量がありません。従って、話の内容から当然分かる筈のこと、例えば、こちらの意図を理解することが出来ないのは当たり前です。途中で知らない単語が出てきて、その意味を考えようとした途端、聞こえなくなるはずです。難しい単語の出てくる講義を聴くことが出来ないのは、この極度に少ないワーキングメモリーでは仕方ありません。
3) 学生にその事実を認識させ、「これではいけない。何とか増やしたい」と心から思わせる必要があります。
4) 井川の講義が不評である原因の一つとして「ワーキングメモリーをある程度必要とする話をする」と分かりました。ある女子学生の次の言葉が象徴的と自慢します。「先生の授業を聞くと頭がすごく疲れる」。彼女は一生懸命聞こうと努力して、少ないワーキングメモリーで限界の頭脳活動をしたのでしょう。
5) この彼らにワーキングメモリーを増やす必要性を感じさせない講義の罪を考えさせてください。即ち、彼らのその事態は今までの全人生の結果であり、その中でワーキングメモリーを増やす必要性を感じさせない授業、講義がかなりの役割を演じていると考えられませんか。
ある学生が次を言いました: 僕は中(小?)学校の授業で手を組んで先生の話を聞いていました。問題なども頭で考えて答えだけを書いていたら、先生に話をノートに書き、問題も書いて解きなさいとひどく怒られた。
非常に少ないワーキングメモリーでもことが済むもの、あるいは講義の方式はそれでいいのでしょうか。「それにより知識や理解が増えれば、講義の意味を大いに成している」はこの場ではさて置き、結果として彼らのワーキングメモリーを少ないまま固定して、彼らの将来を損ねる役を演じていないか、との思いがあります。
6) 「そのための脳を作る」の例の件とこれは両立します。しかし、それとは別に、講義その他の場で彼らのワーキングメモリーを増やすことを強く意識した刺激が必要だと思います。
7) 皆さんもそうであるように現象は掴んでいたのですが、他に原因を求めていました。彼らのワーキングメモリーがここまで少ないとは想像もしませんでした。しかし今となっては、この悲惨な事実を前提とした教育を考えるべきと主張します。但し、この歳になった彼らのワーキングメモリーが増やしえる場合のことで、それが出来ないのなら別ですが。希望的に、増やせると信じます。信じましょう。
8) ワーキングメモリーを増やす方法の一つを別ファイルに提案します。まず、彼らにその必要性を痛切に感じさせる必要があります。
アトキンス「物理化学要論」のような良い本を本気で読ませる。これが有効と思うのは次からです。即ち、学生のほとんどが本はおろか、若干内容のある新聞記事の切り抜きを必死に取り組んでも読みとれません。「2,3行前のことを忘れてしまうので読めない」と聞いたことがあります。この言葉を「ワーキングメモリーが少ないため、ゆっくり読んでも情報の処理が間に合わなくなり、読むのが辛くなる。そのため、活字が嫌いになる。」と解釈できます。
9)この彼らは必然的に映像つきの情報を選択するはずです。ラジオを聴かないのも、これで合点いきます。ラジオを聴きとるのが難しい、つらい学生がかなりの数でしょう。ラジオしかない時代の人より明らかに彼らのワ−キングメモリーは少ないはずです。英語の特にヒアリングが出来ない(1対1の対面は自分で間を作ることにより、まだなんとかなる)のも当然です。
10) 一生懸命聞いているので、書くのに必要なワーキングメモリーが残っていない。「さぼってノートをとらない」のでは無く、前記のように解釈できます。私自身、聞きながら内容を理解しようとするときは、メモすら取れません。
11) 基礎化学ゼミ2で02年10月24日、1年生に全員に問1,2を行いましょう。そのための紙を用意すれば直ぐにわかります。4年卒研生、ゼミ生でも同様です。
注1
問題をゆっくりと明瞭に読み、彼らには聞くだけでメモを取らせなかった。一問ずつを別のグループに実施して、8,9割?の学生ができない。その原因がつぎにあると判明。
集中して聞きながら、図をイメージするなどして内容を理解しようとすると、聞くこと自体が出来なくなる。
文字情報の部分的誤解、数値の帰属ミスなどが生じる。学生により間違う所が異なるのは上記より必然。はっきりしない部分を往々にして推定する。「全体に霧がかかったようにボヤケル」のは、「聞く」と「(広い意味での)理解」とを交錯させているので全てが曖昧になった、と推定。
8名集団の内の女性複数が文自体を覚え、それを書きだして解いていた。思いもしない対応であったが、彼女らは授業でそれに慣れている?即ち、先生の話をほぼ丸写しといえるようにノートに取ることに慣れており、この短い問題は一瞬記憶に留めただけである。
数学の課題は文字数が少なくても数値、記号などを含めた内容を明確に把握することが必要である。従って、聞き取れなかった所がはっきり現れ、推定で補完することが一般に困難である。しかし、「数学だから出来ない」などとの言い訳を一部に許しかねない。
忘備メモ
これで考えられることは、ごく簡単
これでは考える、勉強、などイ直線の作業しかできない
三題噺が出来ない、苦手。さらに、ほぼ完全なメモがないとそれを言えない。
容量を増やすは「そのための脳を作る」とは基本的には別の話である。両方が必要だが、効率的に「そのための脳を作る」には容量がある程度は必要。
この容量はハード記憶とは別、原理的には思考とも別。しかし、この容量の少なさで思考するには大変な苦労・努力が要りそう。
この容量を増やすと、勉強を含めた日常生活が眼に見えて楽になると期待。