内容項目の見出し                     05-2-2日追記

自慢と追加説明

言い訳

頭の回転を悪く育てる日本 注1〜注4

朗読にはワーキングメモリが必要

ワーキングメモリが少ない人が多いこの社会には根回しが必要

  メモ:(三題噺の五話作りはワーキングメモリ増加の他に多くの良い効果が有る

  「速聴」もワーキングメモリを増やし、記銘力を向上させる)

 

 

自慢と追加説明               05-2-2

 学生のワーキングメモリ(WM)の少なさが諸悪の根源と気付いたのは200210月である。これにより多くの懸案事項があまりにも見事に説明でき、論理的にも納得できるので、この考え方は真理を突いていると考えていた。その後の2年以上経過してその自信に揺らぎはなかったが、門外漢が専門語を使う不安を常に感じていた。佐藤先生に教えていただいた日経新聞の05130日の記事(pdf参照)が、全ての不安を飛ばしてくれた。加えて、全くの素人がこれらを発見したことを愉快に思い自慢に思う。

 

 WMの少なさに加えて、学生の記銘力の低下も由々しき事態である(参照:学生の記銘力が弱い)。その記銘力は価値判断能力と一体となっており、当然WM容量とも密接に関係している。大学生となった現時点では、人間力、能力、資質、さらには学力向上の前提条件として、特に低学年で重点的に、記銘力、価値判断能力、WM容量の3者の向上を主目的とした刺激を与える必要を強く感じる。加えて、知の楽しさ(*5)を異なった分野で繰り返し体験させることが、勉学の前提条件は言うに及ばず学生の全人生に必要である。

 上記の複合した刺激を与える教科として低学年のPBLを位置づける。低学年PBL科目の主眼をWMならびに記銘力の増大、さらに知の楽しさを異なった分野で繰り返し体験させることに置けば良い。これにより実施可能で効果が期待できる低学年PBL科目が具体的に形と内容を作れる。

 

 

 

言い訳                          03-1

下記は全くといえるほど独自の思いつきである。ここで「ワーキングメモリー」というもっともらしい言葉を使用しながら、学術語としての定義や蓄積を全く踏まえていない。この事情を明らかにするために*1、*2、*3の引用を付した。その引用の選択は気まぐれに行ったが、*3が筆者にとっては最も理解しやすい。

 

 

 

頭の回転を悪く育てる日本

 この社会で育つとワーキングメモリー(WM)が少なくなり、頭の回転がその人本来の可能性より悪くなるという新規と思う仮説である。この仮説は学生の多くの怪訝な言動を見事に説明し、WMを増やしたり*1、さらにそれを定量する方法も導出することができそうである。また、本仮説はWMを増やすため、家庭や学校で長期継続的に語り、話し合いが必要であると主張する。

 

 読む、聞く、議論する、考えるでは、刻々変化する状況に応じて必要な直前ならびに古い記憶を呼び起こす、関係する自身の理解を参照する、必要事項を記憶するなどの頭脳活動を同時に行っている。同時に複数の頭脳活動を行うために必要な脳の容量をWMとここでは定義する*3。頭の回転が速いためには然るべきWMが必要なこと、本来の能力よりWMが少なく育つ人は一生に膨大な損失をすることは自明である。WMは時間が限られた状況で適切な対応をするために必要である。したがって、WMが少ないので当座には優れなくても、時間をかけて秀でた対応ができる人も必ず居る。このような人は議論が行われる会議での対応、特に議長は苦手であり、理工系分野を選ぶ傾向があると考えられる。また、一個人のWMが分野により異なるのは当然であろう。

 

 学生の不可思議な対応の原因がWMにあると、発見の喜びに飛び上がったのは02年秋である。それを求め続けた10年の曲折を経て、中学2年教科書の連立方程式の平易な文章題をゆっくり読んで、内容の把握を卒研ゼミでの4年生に求めた。ある学生の「集中して聞いていた。その内容が考えることを要求するので、考えようとした瞬間に聞こえなくなった」*4に脳内で2,3秒パチパチがあって、「WM不足!」「今まで度々経験したそれらに見た、WMのあの少なさは先天的であるはずはない、後天的だ」が閃いた。

 

学生からの聴取を基にして各事例について次の説明ができる。即ち、講義もその一つとする話を聞いて理解すること自体、さらには理解の喜びをWM不足のためほとんど味わえない。不明な一単語、聞き取りにくい部分などが決定的障害となって全てが分らなくなる。そのため、大多数の学生は講義を聞き流すほかはなく、恐怖感に駆られて努力する例外が未熟な速記者としてノートに機械的に書くだけである。

 

 音声が遅れて届くような対話でのいら立ち、言葉が通じないような焦燥感なども学生のWM不足に起因する。読みながら内容を理解する、さらには数行前の内容を考えながら読むことができないのである。このように読めないから「新聞や本を読まない」のである。極端な口べた、内容が聞き取れないのでラジオを聞かない、情報の入手が圧倒的に容易な選択としてのビジュアル人間、何かを考えると他が一切出来なくなるので英語の聞き取りが特に苦手などもWM不足で説明できる。

 

 実体験と井川の講義への学生の次のコメント「集中して聞くと直ぐ頭が一杯になり、全くついて行けなくなる」を基に次を推察する。彼らの全人生で、頭が一杯になるような体験が少ないためWMが増えなかった。WMを増やす脳への負荷時間とその累積が余りにも不足している。WMを増やすような脳への負荷は彼らが行う勉強では印可されない。また、最高の権威が作った教育環境ですら印可できなかったことは「昭和二十年 第一部」の毎日新聞の書評(03-15日、pdf参照) “口べた日本人の典型であった帝(昭和天皇)”よりも明らかである。

 

 頭が一杯になるというWMの増加を要求する状況を、幼児期や若いときに繰り返し体験する必要がある。核家族、個室、家庭内での対話不足、子供の集団遊びの欠如、小学校での発表や討論時間の不足と政治など話題を制約する教育委員会、即ち国の方針。これらがWM不足の原因といえる。ひるがえれば、以前から日本はWM不足の人間を育ててきたのであり、それが日本人の口べたの主原因であろう。古くはそれでも大家族や、年齢幅のある子供の集団遊びの膨大な時間の累積がWMを増やした。それらの補完機構すら失った現在、グローバル化は進む。WMを意識した家庭環境と初等教育を考える必要がある。

 

 

    1: 12. 我々はワーキングメモリーの容量を増加することはできないけれども、我々はチャンクの大きさを拡張するために記録しているスキーマを使用することができ、それによって記憶容量を増加させることができる。事実のための長期記憶は、符号化と検索の段階で改良できる。符号化と検索を改良するための一つの方法は、場所法やキーワード法のような記憶術に基づいた基本的な原理である、心像を使用することである。(http://dnpa.s3.xrea.com/chapter8.htm

 

    2: ワーキング・メモリーは、30秒程度で失われる短時間の記憶です

脳の情報の基本ルートは、感覚器官⇒感覚野⇒感覚連合野⇒前頭前野⇒運動連合野⇒運動野⇒運動器官です。

このうち、前頭前野から感覚連合野、運動連合野から前頭前野へは逆行するルートがありますワーキング・メモリーを損傷すると、注意力が失われ、性格が気まぐれになり、統一のある行動ができなくなります。そのため、ワーキング・メモリー(作業記憶)でなく、作業注意であるということもできます。ワーキング・メモリーは、正しくは記憶ではないというべきであり、この言葉の提唱者も不適切さを認めています。( http://contest.thinkquest.jp/tqj2002/50420/15.html

 

*3 ワーキングメモリー(出典不明): その状況において必要な情報(直前の刺激や情報ならびにそれに関連したあらゆる種類の記憶や概念)を動的に表象として保持する機構であり、その状況に応じた適切な対応を選択するために必須なもの

 

*4 簡単な内容をなぜ聞き取れないか、何処で分からなくなるかなど、井川は10年近くその原因を追い求めて来た心算である。強く要求してやっと得られた学生の回答は何時も次などである:内容が難しくて付いていく気がなくなった。あまり興味の無い内容なので集中して聞けなかった。疲れていて集中できなかった。フト気が散って分からなくなった。良く分からない言葉や聞き取りにくい所があって、そこで分からなくなった。

 

 間違っていたり嘘では無いが、これら「その学生の解釈を踏まえた説明あるいは、学生の理解」を幾ら積み重ねても、井川の求める情報にならなかった。そのため、話の内容を純粋なものへと順次変えていて、ついに中学1,2年の数学文章題にたどり着いた。その文章題も毎回変えて4,5週続けていたのだろう。解釈ではなく、実験事実そのものを教えてくれ、と言うのであるが、返って来るのは何時も上記の類であった。あの時も学生の「またですか」を押し切ってであったが、ついに小野山が前記の実験事実を言ってくれた。分かった、これだ!!!の強い快感と同時に、WMに関した諸事の信号が頭の中を走り回るのを感じた。その時にも「君たちはWMが少ない」と、WMという言葉を使った。実は、東芝の情報誌「エレキテル」で以前、次の内容を読んだと覚えている:「脳の能力に比しWMは随分少なく作られている。聖徳太子は7人?の話を同時に聞けたというのは、原理的にありえない。WMを少なくすることは、膨大な能力を持った脳が破綻することを抑える安全装置のようなものだ」。なるほどと納得してWMの言葉をその時に身に付けた。

 

 2年後、小野山が職場にて井川の「実験事実を話せ」と同じことを感じると話した。即ち、(上司も同じであるらしいが)同僚が同じような失敗を繰り返すので相談に乗ったが、彼の言うことは彼の解釈と理解であって、実験事実ではない。そのため、「同じ失敗を繰り返さないように注意しよう」、「集中して注意深く人の話を聞こう」、「一生懸命やろう」などの一般論になり、何処に本当の問題があるのか小野山にも分からない。実験事実を教えてくれと言うのであるが、解釈しか出てこない。実験事実と解釈や理解との区別ができず、自身にとって収まりの良い結論としての解釈や理解しか記憶に無いのであろう。

 

*5 知の楽しさの体験が極めて少ない学生達

 算数や数学の問題をかなりの時間をかけて考え、とうとう解けた体験や、少し程度以上に難解な内容を理解し、それが身に付いたとの感覚。幼いときに相当な回数、これらの知の喜びの体験した学生は1割程度以下ではないだろうか。さらに、進んで数学や幾何を考えること、それ自体が面白いので暇になったら遊んでみたいと思う学生はほとんど居ない、とみている。

 三題噺の五話作りを宿題として5年くらい続けている。その感想を書かせて、さらには直接質問をして次を知っている。即ち、三題噺の良い作品を考え付くことが自身にもできると分かり、さらにその時に快感を味わう。

 

三題噺のような思考と文作りの楽しさを体験したことの無い学生が8割以上だろうか。このような簡単な知の楽しさを知らない学生、さらに、現役を引退した一般人が中学や高校の数学を解いて楽しむことを、自身の体験をもとにはとても理解できない学生が、無理やり行った勉学が身に付くはずが無い、と考えている。というよりも、かなりのデータを基にほぼ断定している。勉学さらにはその継続の前提条件は、知の楽しさを知っていることであり、出来れば多くの異なる分野で知の楽しさを知っていることである。

 

 

朗読にはワーキングメモリが必要

 朗読では目で少し先を読んで内容を把握し、その内容に応じた様々な発声の心構えをすることが必要である。そのため、初見の原稿の朗読は特に難しい。また、WMが少ないと先を読んで内容を把握するが難しくなるので、不十分な心構えしか出来ない。そのため、活字を読むだけと朗読との中間の出来栄えになる。WMと脳の活力が朗読の質に大きく影響するのである。

 

朗読では、上記の心構えをするためにWMと脳の活力が必要になる。即ち、脳に負荷がかかる。良い朗読をしようとすると、誰でもこの脳への負荷を自覚できる。そこで、朗読を繰り返してこの脳への負荷を続けるとWMが増える、と期待できる。

 

原稿の種類・水準などと特定個人の朗読の出来栄えについては、WMと脳の活力に加えて、その人のその原稿に関連する能力や性格なども影響する。従って、その人はある種原稿の朗読は上手であるが、別の原稿ではそれほどでもない、ということは十分にありえる。

 

WMを増やす効果に着目して朗読と「三題噺の5話作り」を比較すると、朗読のほうがより効果的であろう。「三題ばなしの5話作り」はWMを増やすことより、脳の動く範囲や動かし方、脳の複数の領域を同時に動かす効果に優れる。しかも、これらの効果に加えて能動的に脳を動かす創作の楽しさを「三題ばなしの5話作り」では実感できる。

 

 

 

ワーキングメモリが少ない人が多いこの社会には根回しが必要

「WMが不足なことも大きな理由の一つとして、会議という時間・状況が限られた場では、自身の思考を十分に整理し、必要な主張をする事が出来ない」、このような人の割合が多い日本社会では、新しい課題をその場での検討だけで結論を出す、あるいは会議の場のみの議題として結論を出すことは危険である。そのため、主要人物がじっくり考え納得するための手法として、「根回し」がこの社会で定着した理由を解釈する。