英国の賃金格差は経済的、社会的、政治的に重大な問題だ。FTSE100指数を構成する英国企業100社の経営トップの報酬は2010年以降、約1.3倍に伸び、従業員の平均賃金の147倍に達している。
企業業績が同じペースで伸びていないことは言うまでもない。英財政研究所(IFS)によると、全体の実質賃金は金融危機前の水準にとどまったままだ。労働者のために賃金格差を縮めようとするのは、もっともなことであり、この発想はますます一般的になっている。
そこで、野党・労働党のコービン党首がこの問題を取り上げた。ところが、コービン氏が最初に示した解決策はまったく筋違いだった。絶対的な報酬上限の設定を提案したのだ。コービン氏はトランプ次期米大統領に触発され、ポピュリズム(大衆迎合主義)に手を伸ばそうとしているのかもしれない。準備もなく唐突に複雑な政策を口に出すトランプ氏の癖に倣ったようだ。
現代において所得上限政策を追求した例はキューバしかない。経済的に有害な考え方であることを示す強力かつ明白な証拠だ。さらに政治的にも有害であることがわかった。コービン氏が発表の7時間後に提案を取り下げたのだ。コービン氏は、透明性を高めることと、公共部門と事業契約する企業は報酬格差を20倍以内に抑えることを訴える主張に立ち戻った。
■シンプルな政策で早急に是正できない
比率や他の基準による賃金水準の設定には、様々なリスクがつきまとう。例えば、英国が一流の人材を引き付けにくくなる。また、企業は現物給付や住宅手当、育児手当など別形態の報酬に目を付けることになるので、実施も難しい。さらに腐敗の増加や技能格差の拡大にもつながりかねない。
選ばれたルールが一部の業界には合理的でも、他の業界には有害ということにもなりうる。企業家や会社オーナーがプレミアリーグのサッカー選手に比べて損をするようなことになりかねない。
だが、賃金を深刻化する政治問題として捉える英国の政治家はコービン氏だけではない。かつて保守党のキャメロン前首相は、公共部門の賃金格差を20倍以内にする案を打ち出した。この提案は取り下げられ、代わって特例を除き首相の給与を上限とするルールに置き換えられた。
メイ首相も「無責任な」報酬を抑え込む方針で、民間部門の企業に報酬格差の公表を義務付け、経営者報酬の決定に拘束力のある株主投票を導入する計画を打ち出した。だが、この提案はその後に骨抜きされ、報酬の一部分と特定の企業だけに適用される内容に変わった。
比率を定める提案には必ず、さらなる議論の混乱をもたらしかねない問題点がつきまとう。例えば、ゴールドマン・サックスのようにほぼ全ての従業員の給与水準が高い会社は、英小売大手ジョン・ルイスのような給与水準の低い従業員が多い会社よりも得をする結果になる。
シンプルな政策で早急に是正することはできない。本紙が論じてきたように、国民の懸念に対処する最も効果的な方法は、透明性の向上を通じて企業に行動を改めさせていくことだ。規制当局でなく株主による積極的な精査など、賃金に関する文化的な転換が求められる。英国企業が身を置く多様な環境の中でトップダウンの政策提言によって賃金格差を解消しようとすれば、意図せぬ結果に行き着く恐れが強い。
純粋な政治的観点に立てば、英国の格差問題に対処することで得られる票がある。だが、賃金に的を絞りすぎると誤りを招く恐れがある。税と教育のほうが政府が役に立てる分野であり、政治家が無知をさらけ出す危険も少ない。
(2017年1月12日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
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