ラブソングが嫌い
01 08, 2017 | Posted in 未分類 | Thema ライフ » 生きる
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きっかけは、俺が斉藤和義という人の「ずっと好きだった」という歌が嫌いだ、という話からだった。
色々の話の後、友人は「大きなお世話だと思うけれど」と前置きをしてくれた後、
「俺は(芸能人とかドラマとかの話についてこれない)おじさんにお前がなってほしくない」と言ってくれた。
確かに大きなお世話ではあるのだが、俺はそれ以上その場の雰囲気を悪くするのも野暮だったし、明確に考えもまとまってもいなかったので、それ以上その話をその場では掘り下げようと思わなかった。
このブログはその友人もたまに見てくれているようだし、一応その後自分の中である程度まとめたことを書いている。
俺も友人もいい歳だし、相手の価値観に干渉するのは野暮というものだ。
だから、ここからはあくまで「俺個人の」価値観をまとめたい。
酒の席であれ、芸能人やドラマの話にうつつを抜かす軽薄な中年男性には「俺は」なりたくないと思っている。
俺は何かを選ぶ場合、かっこいい生き方かかかっこ悪い生き方かを考えている。
可愛い女優のドラマの話は、人生で闘っている男の、酒の席の話題とはいえ軟弱に過ぎると感じる。
だから、そんなものについていけなくても構わないし、むしろ嬉々としてついていくのはかっこ悪い。
「ずっと好きだった」は女々しい曲である。
学生時代付き合えなかった女に、同窓会で再会して尚未練タラタラの歌詞である。
友人は「あれは仲間同士でわっと集まった時の青春の1ページを振り返った爽やかな曲だよ」的なことを言った。
おかしいなと感じて、翌日歌詞を調べてみた。
「今夜みんな帰ったら もう一杯どう? 二人だけで」
「ホント好きだったんだぜ 帰したくないこの気持ち」
書いていて気持ち悪くなってくる。なんと女々しいくていやらしい奴なのだ。
男なら好きであるなら、その学生の時に告白すべきであって、振られたら潔く諦めて二度とは口にしない。
なぜ学生時代の時に好きだと言う度胸がないのか。
それもできずにうじうじと再会しておいしく遊ぼうだなんて、本気で殴りつけてやりたい奴である。
男の恋愛というのは、沢田研二のようにありたいと思っている。
「行ったきりなら幸せになるがいい」
「あばよとサラリと送ってみるか」
同じ女を好きになるのでも、こう強くありたい。
もう一ついやらしく聞こえた歌詞があって、「指の混ざり 頬の香り」とかいういやらしいフレーズである。
その後調べてみたら、その友人が好きなドラマの「恋」という曲であって、のけぞってしまった。
そんなことを男はわざわざ歌う必要などないのである。
少し戻るが、先ほどの「ずっと好きだった」がロックに分類されていて、頭を抱えてしまった。
ロックのジャンルは広いので、ああいう女々しいラブソングも、旋律がロックならロックに分類できるのだろう。
だが、俺にとってのロックというのは、男の闘うテーマ曲なのだ。
「メリッサ」のように「遠い日の記憶を切り裂いて」「悲しみの息の根を止める」ための曲だし、
「READY STEADY GO」のように「埋もれた真実をこの手のひらで掴み取る」ための曲だし、
「ユリーカ」のように「鋼鉄の心臓で無重力を目指し」、「ゴールデンタイムラバー」のように「勝つプライドを持ってターゲットとの間隔を探る」曲なのだ。
かっこいい男はそうあり続けなければいけない。
かっこいい男にはべたべた恋愛について何かを求めている暇などないのだ。
沢田研二の「サムライ」より激しく、右手に知識という名の血刀を引っ下げ、左手で教養という名のマシンピストルの引き金を引き続けながら、人生の諸々の敵を叩き潰していかなければならないのだ。
男が歌っていいのはそのための決意表明なのだ。
20やそこらのガキならば実力も経験も無い。そのくせ性欲だけは旺盛だ。
性欲と愛情をはき違えて、恋愛にうつつを抜かすのもやむを得ないだろう。
そこに付け込んでいるのが、電通と博報堂が率いる民放各社である。
彼らは地上波TVを利用して、恋愛に係る諸々の大量消費を促す。
「メリークリスマス!」「ハッピーバレンタイン!」「ハッピーハロウィン!」
新自由主義社会で、大多数が年収300万円以下で搾取されているのに、嬉々として恋愛ごっこで更に消費洗脳されるのだからご苦労なことである。
可愛い女優も、キャッチーなドラマも、アイドルグループも、女子アナ特集も、全てその一環である。
年収300万円以下の被搾取者が、恋愛ドラマを見て現実逃避して、一生を終える。
笑うのは電通と博報堂。
俺はTVを持っていないし、見る気もない。
酒の席でネタにされることもしばしばだが、そもそも電通博報堂の恋愛と消費のプロパガンダに費す時間がもったいない。
俺が今まで仕事で出会ったかっこいい男たちは、そんな恋愛ドラマなど見ていないのだ。
彼らはそんな暇があったら、組織のことを考え、自己を研鑽し、独立独歩の道を歩んでいった。
TVを見るにせよ、せめて恋愛ドラマより歴史ドキュメンタリーを見たい。
そこには男が生きる意味を見出して一生を賭けた物語があるからだ。
上で20のガキの実力のことを書いたが、俺も大口を叩けるほどの実力があるわけではない。
でも闘い続けている。仕事の後資格の勉強をするのもその一環だ。
別に資格を取ったから安泰なわけではない。でもマシンピストルを撃ち続けなければ、道は切り開けないのだ。
「ゴールデンタイムラバー」のように「やるしかないんだ 言い聞かせるようにそうつぶやく」。
恋愛ドラマを見て寝っ転がっていても道は開けない。
伊能忠敬は55から蝦夷地の測量を始めた。俺はそれよりもまだずっと若い。
だがドラマなどを見ているには、残された人生は短すぎる。
友人は言った。「(芸能人とかドラマとかの話についてこれない)おじさんにお前がなってほしくない」
俺は酒場であれ、中年以降の男の語るべきことは、
生物学的には意味のないことであろう「自分の生まれてきたことに意味を作り出すこと」や、
生物学的には意味のないことであろう「自分が死ぬまでの間にあと何ができるだろうか」ということや、
どのようにかっこよく老いていけばいいのか・老成していけばいいのか・誰に何を残せばいいのか、ということなどの、
そういった哲学的なことだと思っている。
星野源や新垣結衣より、俺は酒と共にアリストテレスやカントやデカルトやヘーゲルやベーコンのように諸々多くのことに触れて自分なりの人生に意味をつけたい。
だからTVなどを見ている時間はないのだ。
電通や博報堂に飼いならされた羊の群れに加わるくらいなら、このブログのアイコンのような孤高の肉食獣となって樹上で哲学しているのがかっこいい男と思える。
友人は言ってくれた。「だからお前は(そういった雑談に興味がないから)営業には向いていないんだ。」
そういう一面もあるかも知れない。しかしそれは今時の営業マンならわずかな一側面だ。
そんな営業マンは高度経済成長期までだろう。
俺の見てきた優秀な営業マンたちは横で見ていても、芸能の雑談などで契約を取ったりはしてない。
むしろプロとしての知識と誠実さで受注している。それだけでいい。
上で書いたように、俺の見たかっこいい男たちは芸能の雑談なんかで仕事を取ったりなんてしていないのだ。
他人の興味あることにケチをつけるほど偉くはない。だが俺は今のところこれは変えるつもりはない。
自らという刀を研ぎ続け、一振りの剛刀にならなければいけないのだ。
だが疲れた時はうまい酒で癒される時間はあってもいいと思う。哲学のために。
ずっと極論を書いている。
俺も人間なので、女性の一人二人好きになったことはある。
だが人生のメインにはなりえない。男にとって恋愛は刺身のツマなのだ。
そんなツマのことを歌うより、メインの刺身である「闘い」に勝つために歌おうではないか。
恋愛なんぞ成功しても、精々がその相手と(出来たなら)子供くらいにしか貢献できないではないか。
しかし伊能忠敬まで行かずとも、闘い続けて何か人のために闘える実力を備えることが出来たなら、それよりも遥かに多くの人に人類愛を残せるではないか。
恋愛ドラマやラブソングに現実逃避しても、酒場で女の子にその話をしてウケても、俺のなりたいかっこいい男にはなれない。
そんな話をするために時間を費やすくらいなら、俺は「哲学する」「闘う」「おじさん」になりたい。
色々の話の後、友人は「大きなお世話だと思うけれど」と前置きをしてくれた後、
「俺は(芸能人とかドラマとかの話についてこれない)おじさんにお前がなってほしくない」と言ってくれた。
確かに大きなお世話ではあるのだが、俺はそれ以上その場の雰囲気を悪くするのも野暮だったし、明確に考えもまとまってもいなかったので、それ以上その話をその場では掘り下げようと思わなかった。
このブログはその友人もたまに見てくれているようだし、一応その後自分の中である程度まとめたことを書いている。
俺も友人もいい歳だし、相手の価値観に干渉するのは野暮というものだ。
だから、ここからはあくまで「俺個人の」価値観をまとめたい。
酒の席であれ、芸能人やドラマの話にうつつを抜かす軽薄な中年男性には「俺は」なりたくないと思っている。
俺は何かを選ぶ場合、かっこいい生き方かかかっこ悪い生き方かを考えている。
可愛い女優のドラマの話は、人生で闘っている男の、酒の席の話題とはいえ軟弱に過ぎると感じる。
だから、そんなものについていけなくても構わないし、むしろ嬉々としてついていくのはかっこ悪い。
「ずっと好きだった」は女々しい曲である。
学生時代付き合えなかった女に、同窓会で再会して尚未練タラタラの歌詞である。
友人は「あれは仲間同士でわっと集まった時の青春の1ページを振り返った爽やかな曲だよ」的なことを言った。
おかしいなと感じて、翌日歌詞を調べてみた。
「今夜みんな帰ったら もう一杯どう? 二人だけで」
「ホント好きだったんだぜ 帰したくないこの気持ち」
書いていて気持ち悪くなってくる。なんと女々しいくていやらしい奴なのだ。
男なら好きであるなら、その学生の時に告白すべきであって、振られたら潔く諦めて二度とは口にしない。
なぜ学生時代の時に好きだと言う度胸がないのか。
それもできずにうじうじと再会しておいしく遊ぼうだなんて、本気で殴りつけてやりたい奴である。
男の恋愛というのは、沢田研二のようにありたいと思っている。
「行ったきりなら幸せになるがいい」
「あばよとサラリと送ってみるか」
同じ女を好きになるのでも、こう強くありたい。
もう一ついやらしく聞こえた歌詞があって、「指の混ざり 頬の香り」とかいういやらしいフレーズである。
その後調べてみたら、その友人が好きなドラマの「恋」という曲であって、のけぞってしまった。
そんなことを男はわざわざ歌う必要などないのである。
少し戻るが、先ほどの「ずっと好きだった」がロックに分類されていて、頭を抱えてしまった。
ロックのジャンルは広いので、ああいう女々しいラブソングも、旋律がロックならロックに分類できるのだろう。
だが、俺にとってのロックというのは、男の闘うテーマ曲なのだ。
「メリッサ」のように「遠い日の記憶を切り裂いて」「悲しみの息の根を止める」ための曲だし、
「READY STEADY GO」のように「埋もれた真実をこの手のひらで掴み取る」ための曲だし、
「ユリーカ」のように「鋼鉄の心臓で無重力を目指し」、「ゴールデンタイムラバー」のように「勝つプライドを持ってターゲットとの間隔を探る」曲なのだ。
かっこいい男はそうあり続けなければいけない。
かっこいい男にはべたべた恋愛について何かを求めている暇などないのだ。
沢田研二の「サムライ」より激しく、右手に知識という名の血刀を引っ下げ、左手で教養という名のマシンピストルの引き金を引き続けながら、人生の諸々の敵を叩き潰していかなければならないのだ。
男が歌っていいのはそのための決意表明なのだ。
20やそこらのガキならば実力も経験も無い。そのくせ性欲だけは旺盛だ。
性欲と愛情をはき違えて、恋愛にうつつを抜かすのもやむを得ないだろう。
そこに付け込んでいるのが、電通と博報堂が率いる民放各社である。
彼らは地上波TVを利用して、恋愛に係る諸々の大量消費を促す。
「メリークリスマス!」「ハッピーバレンタイン!」「ハッピーハロウィン!」
新自由主義社会で、大多数が年収300万円以下で搾取されているのに、嬉々として恋愛ごっこで更に消費洗脳されるのだからご苦労なことである。
可愛い女優も、キャッチーなドラマも、アイドルグループも、女子アナ特集も、全てその一環である。
年収300万円以下の被搾取者が、恋愛ドラマを見て現実逃避して、一生を終える。
笑うのは電通と博報堂。
俺はTVを持っていないし、見る気もない。
酒の席でネタにされることもしばしばだが、そもそも電通博報堂の恋愛と消費のプロパガンダに費す時間がもったいない。
俺が今まで仕事で出会ったかっこいい男たちは、そんな恋愛ドラマなど見ていないのだ。
彼らはそんな暇があったら、組織のことを考え、自己を研鑽し、独立独歩の道を歩んでいった。
TVを見るにせよ、せめて恋愛ドラマより歴史ドキュメンタリーを見たい。
そこには男が生きる意味を見出して一生を賭けた物語があるからだ。
上で20のガキの実力のことを書いたが、俺も大口を叩けるほどの実力があるわけではない。
でも闘い続けている。仕事の後資格の勉強をするのもその一環だ。
別に資格を取ったから安泰なわけではない。でもマシンピストルを撃ち続けなければ、道は切り開けないのだ。
「ゴールデンタイムラバー」のように「やるしかないんだ 言い聞かせるようにそうつぶやく」。
恋愛ドラマを見て寝っ転がっていても道は開けない。
伊能忠敬は55から蝦夷地の測量を始めた。俺はそれよりもまだずっと若い。
だがドラマなどを見ているには、残された人生は短すぎる。
友人は言った。「(芸能人とかドラマとかの話についてこれない)おじさんにお前がなってほしくない」
俺は酒場であれ、中年以降の男の語るべきことは、
生物学的には意味のないことであろう「自分の生まれてきたことに意味を作り出すこと」や、
生物学的には意味のないことであろう「自分が死ぬまでの間にあと何ができるだろうか」ということや、
どのようにかっこよく老いていけばいいのか・老成していけばいいのか・誰に何を残せばいいのか、ということなどの、
そういった哲学的なことだと思っている。
星野源や新垣結衣より、俺は酒と共にアリストテレスやカントやデカルトやヘーゲルやベーコンのように諸々多くのことに触れて自分なりの人生に意味をつけたい。
だからTVなどを見ている時間はないのだ。
電通や博報堂に飼いならされた羊の群れに加わるくらいなら、このブログのアイコンのような孤高の肉食獣となって樹上で哲学しているのがかっこいい男と思える。
友人は言ってくれた。「だからお前は(そういった雑談に興味がないから)営業には向いていないんだ。」
そういう一面もあるかも知れない。しかしそれは今時の営業マンならわずかな一側面だ。
そんな営業マンは高度経済成長期までだろう。
俺の見てきた優秀な営業マンたちは横で見ていても、芸能の雑談などで契約を取ったりはしてない。
むしろプロとしての知識と誠実さで受注している。それだけでいい。
上で書いたように、俺の見たかっこいい男たちは芸能の雑談なんかで仕事を取ったりなんてしていないのだ。
他人の興味あることにケチをつけるほど偉くはない。だが俺は今のところこれは変えるつもりはない。
自らという刀を研ぎ続け、一振りの剛刀にならなければいけないのだ。
だが疲れた時はうまい酒で癒される時間はあってもいいと思う。哲学のために。
ずっと極論を書いている。
俺も人間なので、女性の一人二人好きになったことはある。
だが人生のメインにはなりえない。男にとって恋愛は刺身のツマなのだ。
そんなツマのことを歌うより、メインの刺身である「闘い」に勝つために歌おうではないか。
恋愛なんぞ成功しても、精々がその相手と(出来たなら)子供くらいにしか貢献できないではないか。
しかし伊能忠敬まで行かずとも、闘い続けて何か人のために闘える実力を備えることが出来たなら、それよりも遥かに多くの人に人類愛を残せるではないか。
恋愛ドラマやラブソングに現実逃避しても、酒場で女の子にその話をしてウケても、俺のなりたいかっこいい男にはなれない。
そんな話をするために時間を費やすくらいなら、俺は「哲学する」「闘う」「おじさん」になりたい。
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