憲法が定める表現の自由や、市民の「知る権利」の重要性をどう認識しているのだろうか。大いに疑問のある判断だ。

 改憲運動などにとり組み、国政にも影響力をもつ日本会議の沿革や活動を書いた「日本会議の研究」について、東京地裁が出版差し止めを命じる仮処分決定をした。文中で言及した男性の名誉を傷つけたとの理由だ。

 本の販売を許さない措置は、著者や出版社に損害を与え、萎縮を招くだけではない。人々はその本に書かれている内容を知ることができなくなり、それをもとに考えを深めたり議論したりする機会を失ってしまう。

 民主的な社会を築いていくうえで、極めて大切な表現の自由を損なう行いであり、差し止めには十分に慎重であるべきだ。司法も「一定の要件を満たしたときに限って、例外的に許される」との立場で臨んできた。

 はたして、この本は「例外」にあたるケースなのか。

 差し止めを求めているのは、日本会議と関係が深いとされた宗教法人の元幹部だ。

 「日本会議の研究」は、この教団がかつて展開した機関誌の部数拡大運動を紹介。所属する若者らは消費者金融から借金をして機関誌を買い、取りたてに苦しめられたとし、「結果、自殺者も出たという。しかし、そんなことは男性(実名)には馬耳東風であった」と書いた。

 地裁は「この部分は真実でない可能性が高く、販売を続けると、男性は重大かつ著しく回復困難な損害を被る」と述べ、差し止めの結論を導き出した。

 一足飛びの判断に驚く。

 十分な取材をせずに他人の名誉を傷つけたとすれば、書かれた側の救済はむろん必要だ。賠償金の支払いや謝罪広告の掲載などの方法も用意されている。

 今回、それを越えて、一冊の本を社会から閉めだすことまでしなければならない事情は何なのか。表現の自由や知る権利との関係をどう考えたのか。

 だが地裁の決定理由に、こうした肝心な点についての検討はなく、問題ある記載があれば差し止めという、粗っぽい筋立てになっている。説得力に欠け、憲法価値に対する無理解・無頓着を疑わざるを得ない。

 出版元は当面の措置として、指摘された部分を削った修正版をつくり対応するようだが、根本的な解決にはならない。

 プライバシー侵害を理由に地裁が週刊誌の出版を差し止めたものの高裁が覆した例がある。同様に後世の評価に堪える見直しがされることを期待する。

 司法の姿勢が問われている。