武器輸出三原則の例外認める方針 事前に米に伝える
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1983年に、当時の中曽根総理大臣がアメリカのレーガン大統領との初めての首脳会談で、懸案となっていた武器技術の供与を表明するにあたり、事前に「武器輸出三原則」の例外として認める方針をアメリカ側に伝えていたことが、12日公開された外交文書で明らかになりました。
外務省が12日公開した外交文書によりますと、中曽根総理大臣は、1983年1月にアメリカでレーガン大統領との初めての首脳会談に臨む前、マンスフィールド駐日大使と会談しました。
この中で中曽根総理大臣は、当時懸案となっていたアメリカへの武器技術の供与について、「通常国会の始まる今月末からわれわれは政治的台風圏の中に突入していく。その最たるものが武器技術供与問題だ。自分は本件につき、日本政府として『やる』との話を大統領にするつもりだ」と明らかにしました。そのうえで、「本件は原則の問題であって、小手先のやり方ではだめだと判断し、三原則に例外を作ることとした。自分としては武器輸出三原則を修正するとの決意を行った」と述べ、アメリカへの武器技術の供与を「武器輸出三原則」の例外として認める方針を伝えました。
このあとの首脳会談で、レーガン大統領は、「ご決断を多とする」としたうえで、「日米両国は安全保障面でおのおの責任を負っているが、その共通の目標は平和を維持することにある」と述べ、日本側の姿勢を評価しました。
この会談以降、2人は気脈を通じ、のちに「ロン・ヤス」と愛称で呼び合う関係にまで発展しました。
また、中曽根総理大臣はシュルツ国務長官との会談で、レバノン内戦時の多国籍軍の派遣に関係する資金援助に「お答えはイエスだ」と応じ、日米同盟を双務的なものと捉え、日本が貢献できる分野を積極的に提示する姿勢を示しました。一方、ワインバーガー国防長官が同席した会談では、「防衛問題でも貿易問題でも米国のためと思ってやっているのではない」と述べ、日本の防衛問題は日本が主体的に判断する姿勢も示しています。
中曽根総理大臣の外交姿勢について、日米外交史が専門の立正大学法学部の増田弘特任教授は、「中曽根総理大臣は、経済大国・日本に国際貢献を求める世界の潮流を十分認識し、政治・安全保障上の役割を政策にしっかり組み込んだ最初の総理大臣と言える。そういう意味で、中曽根外交は先見性があったと思うし、確固たる思想の下に外交施策を形成し、実践していた」と話しています。
この中で中曽根総理大臣は、当時懸案となっていたアメリカへの武器技術の供与について、「通常国会の始まる今月末からわれわれは政治的台風圏の中に突入していく。その最たるものが武器技術供与問題だ。自分は本件につき、日本政府として『やる』との話を大統領にするつもりだ」と明らかにしました。そのうえで、「本件は原則の問題であって、小手先のやり方ではだめだと判断し、三原則に例外を作ることとした。自分としては武器輸出三原則を修正するとの決意を行った」と述べ、アメリカへの武器技術の供与を「武器輸出三原則」の例外として認める方針を伝えました。
このあとの首脳会談で、レーガン大統領は、「ご決断を多とする」としたうえで、「日米両国は安全保障面でおのおの責任を負っているが、その共通の目標は平和を維持することにある」と述べ、日本側の姿勢を評価しました。
この会談以降、2人は気脈を通じ、のちに「ロン・ヤス」と愛称で呼び合う関係にまで発展しました。
また、中曽根総理大臣はシュルツ国務長官との会談で、レバノン内戦時の多国籍軍の派遣に関係する資金援助に「お答えはイエスだ」と応じ、日米同盟を双務的なものと捉え、日本が貢献できる分野を積極的に提示する姿勢を示しました。一方、ワインバーガー国防長官が同席した会談では、「防衛問題でも貿易問題でも米国のためと思ってやっているのではない」と述べ、日本の防衛問題は日本が主体的に判断する姿勢も示しています。
中曽根総理大臣の外交姿勢について、日米外交史が専門の立正大学法学部の増田弘特任教授は、「中曽根総理大臣は、経済大国・日本に国際貢献を求める世界の潮流を十分認識し、政治・安全保障上の役割を政策にしっかり組み込んだ最初の総理大臣と言える。そういう意味で、中曽根外交は先見性があったと思うし、確固たる思想の下に外交施策を形成し、実践していた」と話しています。
中曽根氏のコメント
中曽根元総理大臣は、今回の外交文書の公開にあたってコメントを出しました。
それによりますと中曽根氏は、「当時は依然、ソ連が安全保障上の脅威であり、そのためにもアメリカ、中国、韓国との関係は大変重要で、これらの国と信頼関係を構築することは外交上の最優先課題だった。ソ連に対しては西側の一員として断固たる態度でのぞんだ。えてして米国追従型といわれたそれまでの日本外交を脱し、アジアを背景に自主外交路線を打ち出すことはアジアの国々や国際社会から信頼を得る上でも非常に重要な視点だったと思う」としています。
また中曽根氏は、「今回、外交関係の資料が国民の前に公になるわけで、政治はそうした点を十分に認識する必要がある。責任の重さとともに後の時代の評価にも十分に耐えうる政治を行わなければならない」としています。
それによりますと中曽根氏は、「当時は依然、ソ連が安全保障上の脅威であり、そのためにもアメリカ、中国、韓国との関係は大変重要で、これらの国と信頼関係を構築することは外交上の最優先課題だった。ソ連に対しては西側の一員として断固たる態度でのぞんだ。えてして米国追従型といわれたそれまでの日本外交を脱し、アジアを背景に自主外交路線を打ち出すことはアジアの国々や国際社会から信頼を得る上でも非常に重要な視点だったと思う」としています。
また中曽根氏は、「今回、外交関係の資料が国民の前に公になるわけで、政治はそうした点を十分に認識する必要がある。責任の重さとともに後の時代の評価にも十分に耐えうる政治を行わなければならない」としています。
中曽根氏「武器技術供与認めることを明確に発言」
中曽根元総理大臣は、これまでにNHKの取材に対し、武器技術の供与を「武器輸出三原則」の例外として認める方針を決めた背景について、「私が総理大臣になってから、日米間の懸案を解決しなければ日米親善は成立しないという問題で、アメリカに対して武器技術供与は認めることを明確に発言した。国内で多少異論はあったが、それで解決した。国内的には、日本の防衛政策を国民的に確立させ、政治が防衛政策というものをしっかり持っていることを示す必要があった」と述べました。