先日アマゾンで注文したFire TV Stickというメカが配達された。
Amazonプライムビデオをテレビジョンの大画面で視聴するためのメカだ。その他用途もあるだろうがそれ以外の使い方を私は知らない。
設定を終え、とりあえずなにか観てみる、という運びになったので妻と共に「孤独のグルメ」というドラマをチョイスし自主放映していた。
私はとちゅうで風呂場に沐浴をしに行ったり、ツイッターに興じながら夕餉である野菜スープを啜って観ていたので各話の話はよくわからないが、とある回にタイトルの女が出現したのだ。
この手の女をたまに居酒屋、レストラン、トラットリア、カフェなどで拝見する。
両の手の平に刻まれた各種手相、生命線、運命線、結婚線などを合致させ、ゆびの第一関節より上のみで、音を殺し、BPM150以上の早めのテンポでハタハタと拍手の所作をする女。
なぜいかような所業をなすのか?という疑問がふつふつと湧き出て入眠できずにいる始末。
よって日記を書いている。
理由を考えてみた。
まず第一にこの女は貧しい。
世の中にはブラック企業と呼ばれる、勤労に見合わない給与で労働者を酷使する悪徳株式会社がいるのだとネットの世界で糾弾されているのを目撃する。
おそらく彼女はブラック企業勤務であり、びんぼう。よって毎日をパスタに塩をふって主なエネルギー源にしている。炭水化物だ。その選択に間違いはない。
しかし舌先に感じる味覚のバリエーションは少ない。というか1パターン。だってただの塩だもんね。
そんな彼女がたまの外食。あっさり塩味以外にありつける唯一の瞬間だ。
これは前提として申しておくべきであったが、人はいつ拍手をするのか、という条件を話さねばならなかった。
拍手はメソポタミアからインダス、黄河にいたる全文明において発達した、全人類共通の表現手段であり、それが表現するのは、歓喜、賛辞、祝福、感動である。
人はそれらの場に面したとき拍手を送る。自然と。われわれは遺伝子に拍手させられている。
彼女の場合、この配膳の瞬間、上記4点すべてあてはまる。
うまそうな料理が配膳されたという歓喜。
うまそうな料理を作成してくれた調理人への賛辞。
うまそうな料理にありつける今日の私への祝福。
うまそうな料理はとってもうまそう!という感動。
とてもうつくしい、たいへん意義のある見事な拍手である。
ではなぜ小さな拍手を打つのか?という疑問が次に展開される。
見つけ出した答えを事前に記載したい。
これは彼女のせいいっぱいのセックスアピールである。
つまりちいさな拍手というのはメスの原理行動なのだ!!
まず「ちいさな拍手」というのは可愛らしさが含まれる。
私には2歳になる息子がいるが、彼の拍手は小さい。音もタチタチと鳴っているんだか鳴ってないんだかよくわからない。しかしその所作には生物として愛おしさ、つまり「守られるべき存在感」というのが成立している。
可愛らしさ、というのはその「小ささ」がもたらしている。どんな凶暴なホッキョクグマであっても、ベビーなホッキョクグマはかわいい。いとおしい。抱きしめたい。
彼女はこれを小さな拍手で表現しようとしている。つまりかわいこぶってんだな。
そしてちいさな拍手を行う位置に注目していただきたい。
主に胸部近郊で行っている。そう女性の胸部とはつまるところ、おっぱいだ。
音は鳴らないちいさな拍手であるが、小さな虫の俊敏な動きが目に付くのと同様、ちいさな拍手を高速で行えば自然と目がとまってしまう。
そこにあるのは、そう。おっぱい。
罠である。食虫植物というのは甘い蜜のようなにおいを放ち、昆虫をおびきよせる。それとまったく同じである。我々は食べられてしまう。彼女が今夜いただこうといしているのは、うまそうな料理だけではなかった!!
総合してみよう。
料理が配膳されたとき、女性のセックスの象徴ともいえるおっぱいというトラップに誘い込むために胸元で、可愛らしさをふんだんに表現したぶりっこのちいさな拍手にはうまそうな料理に対する歓喜、賛辞、祝福、感動の意味が込められているんだが、それをする女の正体は、つまり、女性の性的衝動、リビドーである。
私はこの胸元でのちいさな拍手に、人間の遺伝子に込められた壮大なヒューマンドラマを見せられた気がした。孤独のグルメ、おそるべし。