そのストーリーを、どのような筋書きのもとに描くかは、大きな問題です。
西洋のヒストリアのように、活躍譚、英雄譚として描いたり、あるいはどこかの国のように、現在の政府の正統性を主張するために、それまでに行われたすべての悪行を前の政府等に押し付けるという記述もあります。
また日本では、そうした悪行がない分、かなり正確に歴史が描かれてきましたが、その日本でも、事実よりも建前が重視されるという傾向があります。
そもそも歴史を記述する上での「書かれた記録」自体が、「かくあらねばならぬ」、「〜ということにしておこう」といった体面を整えることが重視されていて、かならずしも真相を語っていないということがよくあるわけです。
このような意味からすると、意外と、まともに記述されているのが、なんと古事記に描かれた日本神話です。
古事記に描かれた神話は、内容的にはウソであって、「真相はかうだ」みたいなことが言われたりしますが、そもそも古事記ははじめから、「学びを得る」ということを目的にひとつひとつの挿話が綴られています。
このことは古事記の序文において、「この書は国家の典教として書いた」とはっきりと謳われています。
早い話、会社などにおいても、誰が誰と会ったとか、誰がその企画案を出したかとかいう事実の羅列よりも、そのプロジェクトがなぜ成功できたのか、どうして途中で崩壊したのかといった具体的分析と、その分析から得られる教えや教訓こそが、いまと、そして未来に向けて必要とされる情報となります。
そしてその教訓を後輩たちに述べて生きる知恵にしてもらうためには、たとえば事実関係としては、
Aさんの問題意識から始まって、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんを経由して、Fさんによってその企画が実現したということであったとしても、主題が当該プロジェクトの成功理由であるとするならば、
Aさんの問題意識
↓
Fさんによる実現とその結果
だけを記述すれば足りるわけです。
以前、トクガワノミコトの話を書いたことがあります。
作り話ですが、江戸から昭和にかけての歴史を、何千年も経ってから神話として記述するならどうなるかという話です。
「トクガワノミコトは、関ヶ原で勝利して国を統一したが、外国からペルリノミコトがやってきたときに、その国をメイジミコトに譲り渡した。
その後、トクガワノミコトは、メイジノミコトと一緒になって、シンノアクトクヒコやロシアノヨクヒコと戦って勝利し、世界から植民地支配の悪神を追い出した」みたいな話です。
細かなところは全然違います。
けれど、大筋からしたら、そんなものです。
そして上で伝えようとすることが、たとえ一時的には敵味方に別れることがあったとしても、本当に多くの人のためになることならば、一致団結して人類の福祉と幸福のために頑張り抜くこと、それが世界に平和と繁栄をもたらすといった「教え」になるわけです。
私達日本人はいま、神話を通じて、シラス(知らす、Shirasu)、ウシハクや、魂の大切さ、本来、地球上のすべて(もっというなら宇宙のすべて)は、神々のものであって、我々はそれをお借りしているにすぎないといった、日本に古くから伝わる概念を取り戻しつつあります。
そしてその輪は、おそらくこの数年の間に日本人の常識となり、向こう20年のうちには世界の常識として広がっていきます。
私たちはいま、大きな人類史の転換点にいるのです。
そしてその人類史の転換を促しているのは、まぎれもなく古事記なのであろうと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

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