浜田宏一内閣官房参与(イェール大学名誉教授)の「発言」以降、日本でも財政拡大に関心が集まりつつある。
浜田参与は、クリストファー・シムズ氏(2011年のノーベル経済学賞受賞者で現プリンストン大学教授)らが提唱した「FTPL(物価の財政理論)」に基づき、日本がデフレを完全に克服するために財政拡大の必要性に言及した。
すると、従来からリフレ政策に批判的であった論者たちはこれを「リフレ派の変節」ととらえ、リフレ政策に対する批判を強めている。
筆者は日本におけるリフレ政策の議論に初期段階から関わっているが、筆者の記憶では、これまでに財政政策を完全否定したことはない。そもそも、世の中に「リフレ派」なる派閥が存在し、日々会合を開き、意見を集約させているとも思えない(私がのけ者になっていなければの話だが)。
そして、もし、「リフレ派」なる集団が存在するとしても、彼らはただ「デフレ解消のためには大胆な金融緩和が必要である」という考えを共有するだけであり、その他の政策については必ずしも意見の集約はないと考えられる。
筆者の肌感覚では、むしろ、金融政策以外でも筆者と考えを同じくする「リフレ派」の論者はそれほど多くないのではないかとも思う(そのような話をすると、「リフレ派の仲間割れ」などと囃す人が出てきそうだが、まさに「下衆の勘ぐり」である。そういうこともなく、友好的に議論をする関係が続いている)。
筆者が考えるに、マスメディアの、決して生産的ではない、わかりやすさを追求するだけの「二項対立」的図式での論争に安易に乗ってしまったことが、誤解、もしくは敵対する論者との感情的なもつれを生んだ原因ではないだろうか。
ところで、日本におけるリフレ政策の議論は、マネーサプライコンロールを巡る「翁・岩田論争」がその発端であったと考えている。
この「翁・岩田論争」では、当時の日銀の金融政策のフレームワーク(いわゆる「受動的な資金供給」)が問題とされた。その後のリフレの議論がその流れを汲むとすれば、金融政策スタンスが議論の対象とされるのは当然の帰結であろう。
その後、2000年頃から、リフレ政策の研究は世界大恐慌の教訓の解釈を中心にしたものになっていく(それは『昭和恐慌の研究』として書籍化されている)。
世界大恐慌を研究・解釈していく過程で、筆者も様々な研究結果を参照してきたが、当時、もっとも説得的であったのは、ベン・バーナンキ前FRB議長やカリフォルニア大バークレー校のバリー・アイケングリーン氏らの「国際比較」であった。
彼らは、従来は特定の一国にフォーカスしていた大恐慌研究に、「国際比較」という新たな視点を導入した。
大恐慌期の経済政策は各国まちまちであり、経済政策のうち、どの政策に効果があったのかが不明であったが、バーナンキ氏やアイケングリーン氏の研究では、様々な国の経済政策を比較することで、どの政策が大恐慌からの脱出に有効であったかが明らかにされた。
彼らの研究によれば、色々な国の大恐慌からの脱出時期を比較してみると、金本位制(当時の「グローバル・スタンダード」の通貨制度)を離脱した順に、大恐慌からの脱出に成功していたことが明らかにされた。この金本位制離脱の過程で、多くの国が通貨安となり、輸出が急回復したのである。
そのため、大恐慌研究では、これをもって「通貨安が大恐慌脱出の要因である」という見方をとる立場もあるが、国際比較をすると、必ずしもすべての国が輸出の拡大によって大恐慌を克服したわけではないことがわかった。
そして、共通項が、金本位制からの離脱によって、それまで為替レートの維持に割り当てられていた金融政策がデフレ克服に割り当てられるようになった点であることもわかった。
この研究結果をもとに、「大胆な金融緩和政策へのレジーム転換が必要である」という考えが共有されるようになった。そして、その考えを共有する人達がいわゆる「リフレ派」として認識されるようになった。