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昭和50年代少年のKOTOBASM

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

 

5人がしなくてはならない”罰ゲーム”【SMAP】

【年代別】2017年

 ジャニーズ事務所の副社長が、週刊文春という”社会の公器”を使って、私憤を言い放ったことがあった。いくら自分の”管轄外”とはいえ、会社のニンゲンを「踊れない」などと副社長が言うのはいかがなものだったか。

  結局、”コトの発端”はこれに尽きる。いままで会社に世話になっていたのだから、文句を言わずに会社従えばよかったなどと言うニンゲンもいる。しかしそういうモノ言いというのは、あまりにも言われる側のニンゲンの感情を無視した、機械的なモノ言いである。

 もう一つ言わせてもらおう。「踊れない」というが、歌って踊れれば”アイドル”はそれでいいのか。それで人気が出るのか。終わりなのか。違うだろう。もっとニンゲンの情みたいなものが絡んでくるのではないのか。

 そういう意味で、SMAPの5人が”情のあらわれ”としてずっとやってきたことがあった。それがフジテレビ系列で20年間放送されてきた「SMAP×SMAP」で最後の5年間にやってきた募金のお願いだ。

 東日本大震災があってから、ずっと彼らは募金を募ってきた。最後の年には熊本の地震についても募金を募っていた。震災の傷はなかなか癒えるものではない。われわれは彼らの募金のお願いを観ては、それを確認してきた。

 解散による番組終了でこの募金のお願いがなくなるというのは、社会の大きな損失である。あの副社長はそこのところを少しは感じているだろうか。5人もそこはどう考えているのだろうか。

 なにがしの事情はあるだろうが、彼ら5人は肉声で語っていないという意味で解散のケジメをつけていない。異論はあるとおもうが、あえてそういわせてもらう。罰ゲームをしなくてはいけない。

 5人はこれからもフジテレビ系列で募金のお願いはしていくべきではないだろうか。なんなら過去の再放送でもいい。いまも同じ事務所にいるのだからできるはずだ。グループの枠組みなんて関係ない。ずっと今まで”5人”でやり続けたわけだし。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。