蹴球探訪
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【大相撲】照強が関取初白星 26センチ44キロ差投げ飛ばす2017年1月11日 紙面から
◇初場所<3日目>(10日・両国国技館) 新関取で十両最低身長の168センチ(体重116キロ)の照強(21)=伊勢ケ浜=が194センチ、160キロの希善龍に下手投げで勝ち、関取初勝利を挙げた。幕内では横綱陣は白鵬が御嶽海、鶴竜は宝富士をともに危なげなく寄り切って3連勝とした。日馬富士は平幕松鳳山に寄り切られて2日連続の金星配給で2敗目を喫した。松鳳山は3個目の金星を獲得した。 ◇ 被災22年目の故郷、淡路島を、相撲で照らしたい−。1995年1月17日に起きた阪神大震災当日、淡路島の洲本市(現南あわじ市)で産声を上げた照強が、念願の関取初白星をつかんでさらなる恩返しを宣言した。 「やっと勝ったー!」。淡路島に眠る亡き恩師の教えが力になった。2連敗で迎えたこの日の朝稽古、三段目以下の申し合いにまじって25番近く取った。「一番の薬は稽古。やれば自信になる」と、関取で最も低い168センチ、2番目に軽い116キロの肉体を汗と砂にまみれさせた。万全の準備で迎えた相手は、十両で最高身長194センチの希善龍。体重は実に照強より44キロ重い160キロ。左上手を深く取られたが、大きな相手に体を密着させて投げを何度も我慢。最後は右からの下手投げで土俵下へ投げ飛ばした。 「相撲を教わってきたのは、師匠と監督だけ」と断言する。師匠はもちろん、伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)。監督とは、小学4年で門をたたいた「南あわじ相撲道場」の故砂田杲洋(こうよう)監督だ。 少年時代、稽古量の大切さを説かれ続けた。「しんどいときにこそ稽古をするから、強くなれる」という言葉が今も耳に残る。 淡路の恩師は、2015年5月に70歳で世を去ったが、厳しい教えはいまも相撲の土台にある。部屋での100番にも上る猛稽古に耐え抜いてきた。伊勢ケ浜親方は「うちの部屋で一番やる子」と賛辞を惜しまない。 照強が育った教室は、砂田さんの死去を受けて休止中。「やっぱり淡路島でも、相撲をやる子が増えてほしいよね。いずれ、オレが道場をやるから」。無邪気な笑顔に郷土愛があふれた。 取組後、付け人を務めた照ノ富士と顔を合わせて「頑張りましょう」と、ちゃめっ気たっぷりにエール。それに応えるように大関も連敗を脱出。周囲を明るくするキャラクターも、大きな長所になっている。 22回目の慰霊の日は10日目。「(これから)波に乗らないと仕方ないでしょう」と意気込む。歓喜の白星を挙げ、被災地の光にしてみせる。 (志村拓) PR情報
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