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【スポーツ】

柳「中日入りも運命」 素顔はとにかく明るい裕也

2017年1月11日 紙面から

色紙にドアラのイラストも添えてサインした裕也=昨年12月、東京都内で(瀬川ふみ子撮影)

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◇瀬川ふみ子の「ふみトーク」

 昨年11月から首都スポ面で5回連載した「2017ルーキーズの素顔」を、このたびリニューアル。本紙みんなのスポーツ中学硬式野球担当の瀬川ふみ子記者(45)が、取材を通じて知り合った選手らをその後も追っかけ、タップリ見てきたとっておきのエピソードを、月に1回、特集します。今年はルーキーに限らずさまざまな選手にスポットを当てますが、第1回はドラフト1位で中日入りした柳裕也投手(22)。

     ◇

 裕也との出会いは、宮崎・都城シニア時代の中学3年の夏、シニアの日本代表に選ばれ東京で直前合宿をしたとき。九州からやってきた少年は誰と話したらいいのかな…とキョロキョロ。話しかけると恥ずかしそうにしていて、会話は確か一言二言で終わった(笑)。

 親しくなったのは、彼が明大に入学してから。中3の夏に会ったことも覚えていてくれた。そして「プロにいく! 社会人経由ではなくて大学から絶対プロに行く」と強い決意を話してくれた。

 小学5年生のときにお父さんを交通事故で亡くし、それから女手一つで裕也とお姉さんを育ててくれた母・薫さん(47)に、一刻も早く恩返ししたいのかな…と思っていたけど、あるとき聞いたら「その気持ちがあるのはもちろんなんですけど、高校の時に“4年後には絶対プロ”って自分で決めたので、それをやり切るって思いが一番なんです」と裕也。『自分で決めたことは絶対貫き通す』っていう気持ちに感動し、私は柳裕也を心から応援したくなったのでした。

 大学では1年から神宮のマウンドに立っていたのですが、プロの評価はまだいまひとつで…。2年のある日、二人で食事をしたとき、いつも笑顔しか見せたことがない裕也が珍しく真剣な顔をして聞いてきました。「自分の今の評価ってどんな感じですかね」と。「いいピッチャー」とか「このまま成長していけば面白い」とは言われていたけど、「抜きんでたものがない」「特徴がない」「社会人で経験を積んでからプロかな」というのも多く、それを話すと、自分でも感じていたようでうつむいて…。でも顔を上げこう言いました。

 「どうしたら2年後にプロに行けますかね? どうしても大学からプロにいきたいんです。できたらドラフト1位で。僕みたいな150キロ投げられないピッチャーはどこをどうしたらいいのか、どうしたらもっと評価をしてもらえるのか、知りたいです」。「大卒でプロ」だけでなく、「ドラフト1位」が加わったのは、そのころ、2学年上の山崎福也投手がオリックスにドラフト1位指名されるなど、身近な明治の先輩たちが1位でプロ入りしていくのを目の当たりにしていたから。自らハードルを上げ、でも、具体的にどうしたらいいかわからない…と真剣に聞いてたのですね。

 私も真剣に考え、答えました。「何より結果を出そうよ。勝てるピッチャー、負けないピッチャー、相手に嫌がられるピッチャーになろう。そのためにどうしたらいいかといったら、絶対的な決め球を作るとかさ」。二人で話していくうちにモチベーションが上がっていって、最後は「絶対大丈夫! 2年後はドラフト1位!」ってアゲアゲで帰ったのでした。

 その後、大学日本代表に選ばれるなどし、3年秋のリーグ戦では5勝。しばらくして会ったときに「やっと結果を出せました!」とニカっと笑ってた。4年春のリーグ戦では6勝して優勝に貢献。初めて防御率1位も取りました。大学日本代表のキャプテンにもなって臨んだ日米大学野球でも優勝に貢献。秋のリーグ戦でも5勝0敗で優勝し、明治神宮大会でも優勝。プロ入りするために目指したことを、ことごとくクリアしていき、今につながったのでした。

 明大や日本代表のキャプテンとしての姿や、小さいころに父親を亡くし、お母さんを支える姿がメディアにたくさん取り上げられ、「優等生」「素晴らしい青年」「相当な人望があるんしょう」という声が私の周りからも聞こえてきました。そのイメージは、間違っていません! でも、『ちょっと違うんだよなー』っていうのが、私と裕也の共通意見(笑)。

 裕也「メディアによく書いていただいているんで、“完璧なキャプテン”みたいなキャラが先行しちゃってますけど、自分、そんな感じじゃないっスよねー」

 私「そうだよねー いつ会ってもおちゃらけてるし(笑)。スピーチのときなんかは仲間から『何言ってるかわからない』って突っこまれるし」

 裕也「明治の野球部の誰もがきっと、そう思ってると思います!」

 そうなのだ。裕也はいい意味で適当。全部自分でこなそうというわけではなく、自分ができないことは周りに振る。周りがそれをしっかりやって支えるから柳キャプテンが完璧にみえる。裕也がよくインタビューで「みんなのおかげです」というのはこのこと。わからないことは「わからない」と言い、人に聞くし、相談もする。仲間たち、後輩たちにも、飾らない、ありのままの柳裕也で接するから、慕われ、周りから支えられるのだ。

 野球を離れれば、いつもニコニコ…いや、ニヤニヤというかニタニタ。写真を一緒に撮るときは決まって変顔(笑)。大学の野球部引退後、明治の4年生たちと食事に行ったときも、先陣切って盛り上げるし、カラオケにいけば「自分、トップでいきまーす」と機械をいじり、マイクを握って歌い上げる。めちゃくちゃうまいわけではないから、次の人も歌いやすい(笑)。

 そして、誰かが歌えばノリノリで踊って盛り上げる。ちょっと年齢層の高い人たちとカラオケに行くと、その人たちの年代に合わせて歌をチョイスしてたのもさすが。そのとき、どう振る舞ったら一緒にいる人が楽しいかを察知し、さりげない気配りを自然にできてしまうのが裕也。めちゃくちゃ気を使ってるわけじゃなくて、それがありのままの裕也。だからみんなが大好きなのだ。

 ドラフト前に「中日1位候補」と報道されると「中日ってどんなチームなんすか?(笑)」と聞いてきた。名古屋には接点がなかったため、ピンとこなかったようなのだ。私が知る限りのことを話すと、親近感がわいたようで…。中日から1位指名を受け、その後会ったとき、「中日が自分を欲してくれていることをメディアを通じて知ってうれしかったんで、クジになったときは『中日コイ!』って思ってたんですよ」と話してくれた。

 最近は「中日に入るのは運命かなっても思うんです」とも言います。「宮崎の都城シニアから横浜高にきて、明治大にきたんですけど、どこもほんといいチームで…。でも、一つでも違う道をいっていたら、きっとドラフト1位になんてなれなかったと思うんです。ある意味、運命の道をたどってきたというか。だから、中日に入るのも運命だと思います」と。

 運命という言葉に私はこう思います。裕也がいるチームは強くなる。裕也は「自分がいったチームがみんなよくて」と言うし、確かにそれもあるけれど、裕也がチームの雰囲気を変えて、ますますよくなるんだなって。ありのままの柳裕也がドラゴンズに新風を吹かすのが今から楽しみ。ナゴヤドームのお立ち台に上がったらきっと何かやってくれると思うから、それも楽しみ! 得意な変顔なのか、歌なのか、ワクワクしながら待ってます! (瀬川ふみ子)

 

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