トランプ大統領についての省察
Thoughts on President Trump | In Due Course
2016年11月10日
ジョセフ・ヒース
この件について、多くの論点が言及済みだが、大きな関心が払われていないいくつかの論点について指摘しておきたい。
まず最初に、この結果に本当に驚いたことを表明するのを許して欲しい。数週間前から正解を予言していたアンドリュー・ポター*1には祝福を! 昨夜までは思っていたのだ、ポターは間違えていると。投票行動においてには「政党の地方支部の活動」がほぼ全ての主要因だと信じていた。私は考えていた、合理的な選挙の組織過程と合わさった時、トランプの愚かさはトランプを利する以上に、トランプに痛打を与えることになるだろうと。
この結果は専門的な政治学への大きな毀損になったことも記さねばならない。選挙時のディベートにおける立ち振舞やそこでのヘマのような事象は、大した事象ではない、と政治学は教えている。政治学においては、選挙結果は、"巨視的"要素の極小さな集積に左右される"とされていたはずである―これらの集積内の最重要要素は、権力下の政党の〈政策への〉修正要求とされている。
火曜日のニューヨーク・タイムズで、トランプとロブ・フォード*2の類似性に私は言及した。トランプとフォードの2人が、選挙戦を行うのに際して共にとった行動は、従来のメディアの知見からみれば、行いうる限りにおいてほぼ全て間違えていた。にも関わらず彼らは勝利を収めたのだ。(ただ、トランプは総投票数では敗北し、選挙人制度においてのみ勝利を収めたことで、彼の勝利は価値を持たないことを私は示唆しておきたい)。考えるに、トランプとフォードの類似は非常に重要だ。そして私は推察している、選挙におけるトランプの変遷は、フォードのそれと多くの点で似通っていた―選挙の初年度、トランプは自らの意思で有権者を威圧しようとしていた、しかし時が経つにつれて、トランプは、自らの掟破りの言動の蓄積によって、自縄自縛に陥ることになっていった。
ただ、私が言いたいのは上記の件ではない。それよりも以下の2つの事項について省察を行いたい。
〈1つ目は〉この現象がどのように起こったかだ。
この結果は、多くの異なる要素の集約によって出来上がっている。人種や経済的要因のような主要な要素を過小評価しないなら、追加言及しておきたいのは、トランプの支持者達が皆一様に表明していた一つの動機だ。トランプの支持者達が希求していたのは、政治制度の『占有』への『チェンジ』だった。この点において、2人の候補者間には明らかな対称性が存在した。ヒラリー・クリントンの(確実に自身が行ってきた過去の事例に基いている)特化された専門性は、連邦政府の政治構造に居座っている様のような周知事実によっても、彼女が年期を経た政治的インサイダーであることを知らしめていた。市民統合の件について細かにケチをつけるのを控えると、ヒラリーがアメリカをどのように統治するかにおいて、彼女は現状のあり方の維持の推進に強く関心を持っていたことからも、この分断を改善する意図を持っていなかった事は明白だった―彼女は現状のあり方の維持の推進に強く関心を持っていたこと、正確には彼女が主に売り込んでいたのは、自身の政治制度の複雑な回路の操作能力だったことに、ヒラリーとトランプの対称性が現れていた。この対称性下において、トランプに投票することは、雑貨屋に雄牛を送り込むような事だった。トランプは、既存の政治構造に、可能な限りにダメージを与えることが推察できた。
ここで疑問が生じる、なぜこれほど多くのアメリカ人が、このような極端な方法で自身の政治制度にダメージを与えることを欲したのだろう? 私が考える答えは、アメリカの政治制度には、極端なバクチ要素が内包されているということだ。これは、根本〈制度〉を改良できないという事実に起因している。この観点に立てば、アメリカは極めて異常な政体だ。過去数十年に遡って西洋民主主義国家を参照すれば、ほとんどの国では、顕在化した様々な〈政治・社会的〉問題や病理に、構造上の改良処置を立法化することによって、継続して解決策を見出してきた。(例えば、イギリスにおけるスコットランドへの自治権委譲や、上院の改定。他にはオーストラリアやニュージーランドの投票制度の変更が挙げられる)。
アメリカに対する私の見解は、長期の政治腐敗に陥っているということだ(この見解は、他の論者も提唱している。特にフランシス・フクヤマが有力な論者だ)。だからといって、アメリカの崩壊を予言することは、それはそれで徒労な作業ではあるが…。私が発見した今日を状況を突き動かしているもの(アメリカが衰退に陥っている理由でもある)は、(広義の意味での)政治制度が、自身を改革する能力を欠いてしまっているということだ。
以下、〈カナダ国民として私も参加した〉カナダにおける選挙制度に改革に関する近年の議論と、アメリカにおける選挙人制度を巡る状況は、非常に対照的だと考えることができる。繰り返しになるが、ヒラリー・クリントンは総投票数では勝利を収める一方で、選挙人制度では敗北している。従って、アメリカの政治制度は、大統領選挙において、多数派の指名に失敗した事になる。これは、2000年のアル・ゴアとジョージ・W・ブッシュとの選挙の時に起こった出来事が本質的に繰り返された事になる。カナダの人達ならおそらく不平を言うだろう、多数決に基づいた選挙制度に基づいた立法府の与党政党が、総得票数で過半を下回っているような事態には。しかして、カナダには現とした事実が存在する、国会で選任されている全ての個々の議員は、選挙戦での最高得票を得るルールの勝者であることを問われる―つまり(議員として選任される)彼や彼女は、対抗議員より多数を得票しているのだ。合衆国政府の大統領選出制度は、(カナダとは対照的で)この<対抗候補より多数を得票せねばならないという>原則に反しているのだ。ドナルド・トランプは50%を超える投票数を得るのに失敗しただけでなく、彼は選挙戦で最高得票数を得る競争の勝者ですらない―ヒラリー・クリントンは〈当然トランプより〉多くの票を獲得している。
これは(アメリカの)政治制度に非常に大きな欠陥があると考えられないだろうか。そして、トランプの勝利後ではもう驚くべきではないが、選挙人制度の崩壊が公然と語られるようになってきている。カナダでは対照的だ、誰もこのように深刻に捕らえていない。<アメリカにおいてこの件に>言及することが、非常に不可抗力的で無益であるという感覚がこの論文で指摘されているのは興味深い。この論点について尋ねられた人々は、皆一様にこういう「その通りだ。それは愚かで、非民主的だ。でも、それについて何とかする方法は存在しないじゃないか!」。
似たような諦めの態度を他にもいくつか見つけることができる、ゲリマンダー、ロビー活動、政治献金のような問題は、この問題(大統領選挙の投票制度)に比較して相対的に小さな『問題』だろうし、同じような大きな『問題』では、議会の構造や、選挙制度そのもが例示できる。実例を挙げて考えるなら、アメリカは、多数決制度の深刻な病理の酷い事例に侵されている。この病理は、(デュヴォルジェの法則によって)二大政党制の生成に向かわせ、有権者を大きく区分するという巨大な不満を産むに至っている。にもかかわらず、アメリカの投票制度の変更に関してはまったく議論が存在しない。なぜだろう? この件について私が問いただしたアメリカ政治の理論家は皆同じことを言う「この事について話すのは不毛だ。なぜなら何も変えることができないからだ」と。一方、カナダはこのような病理(多数決による多数派決定の病理)を抱えてはいない。もちろんカナダでもしばしば、選挙制度改革についての深刻な議論に従事することがある。(ただ、私はその『カナダの選挙制度』について言及しておかねばならない。カナダでは議論が明後日の方向に行ってしまう事を心配することはないし、制度の変更が成し遂げられないかもしれないとか、制度が変更可能であると疑う事は無い。今は〈選挙制度の変更は〉必要ないので、カナダでは選挙制度の変更が起こらないともちろん考えているが…。)
改革が不可能という答えが存在する状況では、アメリカの制度は、スティーブン・テレスが『Kludgeocracy(バグ取り政治)』と呼んでいるモノにゆっくりと巻き込まれていっている。改革を立法することより、アメリカ人は、ルールを捻じ曲げて解釈すような方法でもって、現制度への対処療法を施してきた。アメリカ人は皆、ルールの変更よりこの方法が容易である事で受け入れてきた。(そういうわけで、ついでながら言っておくと、アメリカ人は皆、『権力の分立』が、自身をバカにしてるかのようなトランプ大統領を抑圧するであろうことを望んでいる―ただ合衆国においてその『権力の分立』は、対処療法やバグ取りによる毀損の数十年にも及ぶ蓄積によって、激しく品位が低下している)
以上によって、合衆国政府は、合法的な政府支出の巨額の不足に陥っている、それは、人々をより裕福で発達した社会にする為の十分なレベルの公的パフォーマンスの供給に一貫して失敗することになっている。合衆国政府は、他の西洋民主主義国家における市民の受難とは、全く別の恐ろしい受難を抱えていることを、合衆国政府を研究した者なら知ってる。それはもちろん、政府の立法部門の機能不全が、受益者に満足な解決策を何も提示できないようになっている事だ。アメリカ人は、細かな〈制度上〉の改良処置の放置の蓄積に立ち会っている。(例えば、安価な医療制度や、再生可能エネルギー政策などが挙げられる)
ほとんどアメリカの人達もはや制度についてはもはや思考放棄している。彼らは政府による悪いパフォーマンスを見た時には、手近の〈悪いパフォーマンスを演じている〉役者に不満を溜める。そして、アメリカの人達は、物事を変えると約束している新しい役者を送り込む事で反応することになる。何十年もアメリカの人達はこれを続けてきた。そして、未だに何も変えることができていない。なぜだろう? この問題は、現法下の個人で変更不可能な事例として不可避に存在している故にだ。アメリカの人達は、この変更することが出来ない事例にどう対応しているのだろうか? 多く人は、自身が送り込んだ役者が物事を変えることができないでいると、その人物は十分にタフでなく、役割に相応しくないと結論づけることになる。そして、物事をチェンジすると約束した、より過激で絶叫する人物を送り込むことになる。それでも<送り込んだ人物が>仕事を果たせずにいると、より過激な人物を送り込んできた。
ドナルド・トランプに投票することが、この過程の最終到達点だ。少なくとも、我々はこれが最後になることを望みたいものだ。いずれにせよ、トランプが目立った失敗をしでかしたり、ポジティブな変化を起こせない事、そしてそれが破滅的な悪循環の継続へと至ることは、既に予測可能だ。何よりもまず、トランプは、プロセスを積み重ねることや、組織的な観点について考えることをしない。トランプは、悪い結果を目にした時、関係者が「愚かだ」と推定するだろう、そして代わりに「頭が良い」人物を起用すれば、良い結果を生むと考えるだろう。このやり方は、失望を生む処方箋となる。次には、特効性のあるチェンジを(主に議会の会期中には)約束する事なり、これも単により悪い結果に至るだろう。
〈2つ目は〉この現象が意味する重要性だ
アメリカ人は、「トランプの当選がアメリカ人にとって何を意味するのか」という問題に夢中になっている。私はアメリカ人でないので、「トランプの当選は世界にとって何を意味するのか」という問題に興味を持っている。以下はひょっとしたらオーバーな心配かもしれない、しかし、昨日〈のトランプの当選〉は、ベルリンの壁崩壊のような世界文明の方向性が変わった瞬間の1つであるように、私には感じられた。ドナルド・トランプが合衆国大統領になった事は、西洋民主主義の信用を深く毀損する事になるだろう。火曜の〈大統領〉選挙の国際的な勝者は、中国スタイルの権威主義ではないだろうか
アメリカ人がトランプについてどう考えようとも、グローバルな見地で観察する限りにおいて、世界中の人達はトランプを無能な道化と見なしている。言及せねばならないが、中国の人達は、トランプが任命された小事でもって既に祭り状態だ。中国は過去にジョージ・W・ブッシュが大統領である事で巨大なプロパガンダに貼る利益を得ている―基本的なプロパガンダは「我々の政治制度の方が優れている。なぜなら、中国ならこのような無能者を国家元首にすることを許さない」だった。トランプ大統領の任期中にもこのような論陣が行われる事が考えるられる。(追加するに、この道化の狂った男は、ジュリアーニ、ギングリッチ、ペイリン、ボルトンのような内輪の人事を行うだろう)中国への民主化圧力が不可能になることは確実だ。
より重要な事に、気候変動のような問題点でグローバルな指導的地位に何が起こるか考えねばならない。〈この件で〉ヨーロッパは、気難しいし、自己中心的で、適当だ。その上、気候変動の件では、重要な地位を占めていない。合衆国政府は、一過的なであれ、破滅的な統治の失敗を被っている。そしてその元首〈トランプ〉は、この問題を完全に否認している。よって〈世界の〉人達は、〈この件で〉指導的地位果たす存在を探すことになる。その探索が自然に向う先は、中国になるだろう。噛み砕いて考えるなら、人類の未来が中国にあるように見える出来事の始まりとなるだろう。より憂鬱なことに、(限定された改良統治に従事しているにすぎない)中国の政治制度が、安定と繁栄を保証するような一つ<の制度>として見え始めている。中国が地球上で最も進歩していなかった300年はだんだんと例外に見え始めており、中国は今では伝統的な支配的地位に戻りつつある。
民主主義政体は他にも沢山存在し、そのほとんどアメリカより優れていることから、以上の結論はある範囲おいては保証されていない。(何度も指摘してきたように、アメリカは、外国では自身の制度<大統領制>を再生産しようとはしていない。例えば、イラクに侵略した後、アメリカは議会制民主主義を押し付けている―議会制民主主義は大統領制より優れていることを、アメリカ人の一部は暗黙裡に認めているのだ)。にもかかわらず、合衆国政体は世界で最も名声ある民主主義なので、合衆国の統治の失敗は、民主主義理念の失敗と広く理解されることになる。アメリカという一国家の失敗にすぎないのだが…。
だからたとえ、トランプが『孤立主義』でなかったとしてしても(例えば、彼がTTPをぶち壊さなかったり、NATOを軽視しなかったりしても)、今回の選挙は中国にとって巨大な勝利なのだ。そして、中国の政治制度を賞賛し擁護する人達にとって巨大な景気づけにもなっているのだ。