ブルジョワ・ボヘミアンの出現
カナダの女性コラムニスト、ナオミ・クラインが2000年に書いた『ブランドなんか、いらない』(はまの出版)という本があります。この本の冒頭でクラインは、自分がトロントの寂れた工場街に住んでいることを書いています。
都会のさびれた地区でよく見られる現象だが、このスパディナ通りでも、古さは新しさと融合し、新たな魅力が生まれている。ロフトやスタジオには、自分が「都市のアート」の一部であることをよく知る、おしゃれな人たちが集まる。彼らは、それを他人に悟られないよう最大限の努力をする。もし誰かが「本当のスパディナ」を強く主張しはじめたら、都市のアートはたちまち安っぽい「田舎芝居」となる。こうなったら、すべての雰囲気はぶち壊しだ。
反逆クールの優越感が見え隠れする文章ですね。しかしクラインが好きだったこの工場街は、その後市当局によって区画整理され、住宅や商業施設などをつくることが認められるようになりました。真新しいマンションやレストランが建ちはじめます。まさしく「安っぽい田舎芝居」がはじまってしまったわけです。
この話を、ジョセフ・ヒースは次のような感じで分析しています。
クラインがスパディナ通りに住んでいたのは、それがクールだったからです。しかしそのクールさに人々が憧れるようになると、住宅の価格が上がり、ロフトを購入する人々が増えていきます。これはクラインにとっては、あまり嬉しくない。スパディナ通りのクールさが失われることになり、「クラインは反逆クールなエリートである」という自身の価値が失われてしまうことになる。そこで彼女は引っ越して出て行かざるをえません。クラインはまた別のクールな場所を見つけ、そこに引っ越し、「わたしは大衆と違ってクールだから新しいこの場所に住む」と宣言します。でもまたそこにクラインのクールさに憧れた人々がやってきて……と、そういうくりかえしが延々と続くことになります。
ヒースの分析が鋭いのは、こういうくりかえしそのものが、実は消費社会の本質じゃないかと喝破したことです。
もし消費社会のメインカルチャーが、クラインのようなカウンターカルチャーを決して取り込まないのであれば、反逆クールが担うアウトサイダーの新しい文化は成立しうるでしょう。ところがアメリカでは戦後、ベビーブーマーが成長するとともに、メインカルチャーとカウンターカルチャーが融合していくということが起きました。つまりクラインの考えるようなクールさが、メインカルチャーの中軸になっていくということが起きたのです。もともとカウンターカルチャーは反富裕層だったのですが、カウンターカルチャーの担い手そのものが富裕層になってくるということが起きる。わかりやすい例をひとり挙げれば、アップル創業者の故スティーブ・ジョブズがそうです。彼は若いころはヒッピーそのもので、LSD(幻覚剤)をキメて瞑想したり、東洋の精神世界を求めてインドに渡るというようなことをしていました。彼のような西海岸ヒッピー文化に、アメリカのコンピューター業界の発祥があります。だからコンピューター業界はいまだそういうヒッピー的な精神性や理念を色濃く引きずっていますし、この業界が米国をリードする成長株になっていく中で、ヒッピー的なカウンターカルチャーをメインストリームに押し出してきたという流れは納得できるものがあります。
こういう「お金持ちだけどカウンターカルチャー」という人たちはブルジョワ・ボヘミアンを略して、「ボボズ」などとも呼ばれるようになりました。『アメリカ新上流階級 ボボズ』(デイビッド・ブルックス、光文社)という書籍には、こう描かれています。
テレビでは、マイクロソフトやギャップのような巨大な企業が、なんとガンジーやケルアックなどを引用したコマーシャルを流していた。身分や階級に伴うルールも、ひっくり返ってしまったようだ。(中略)とりわけ驚いたのは、古くからの人間分類法が全く意味をなさなくなっていることだ。20世紀に入ってからはずっと、資本主義的ブルジョアと、ボヘミアン的カウンターカルチャーの世界を見分けることは大して難しいことではなかった。
伝統的には、ブルジョアは真面目で実利本位で、伝統を重んじる人たち。企業ではたらき、郊外に住み、教会に通うような人たちでした。一方でアウトサイダーであるボヘミアンは因習を嫌い、自由を愛する人たち。芸術家、インテリ、ヒッピー、ビートといったイメージです。ところがこの二つが戦後のアメリカでは融合に向かってしまったというのですね。ボボズのステレオタイプな反逆クール的イメージは、同書でこんなふうに描写されています。
最高級のトレッキングシューズに数百ドルを使うのは許されるが、背広に合う最高級な靴を買うのは、下品なことである。人間はエクササイズすべきだという理由で、マーリンXLMの郊外用自転車に4,400ドルを投じるのは許されるが、派手な大型モーターボートを買うのは、中身のない人間の印なのである。浅薄な人間は、キャビアに数百ドルを使う。深みのある人間は、それと同じ金額を、最高級の堆肥を買うために喜んで使うのである。
なんだかバカバカしい感じもしますが、同書は大まじめに肯定的に書いているのです。これぞまさに反逆クールなマインドで、21世紀の日本でもこういう感覚の人はたしかに存在しますね。
第8回 表裏一体の上昇志向と反逆クール/ていねいな暮らしとは? は1月12日(木)公開です。