「カマニ」が示す日本帝国主義の韓国農村収奪の実態

 1920年から40年にかけて朝鮮日報・東亜日報に掲載された資料を集めた印炳善館長は、2010年に、韓国大学博物館協会の会長に就任していた金度亨教授(63)と知り合い、協力を要請した。韓国近代史を専攻する金教授は、朝鮮日報・東亜日報が発行されていない1910年代および1940年代の毎日申報の資料を追加した。1000件を超える資料が集まり、この中から、当時の農民の生活相や時代相をよく表しているものを地域別に案配して340件選んだ。金教授と共に、関連資料を基に「解説」と時期別の「概要」を付けた。金教授は「印貞植先生が書いたものを読んでいた後学として、学問的な借りを返すという思いがあった」と語った。

 同書は「土地調査事業期(1910-19年)」「産米増殖計画期(20-31年)」「農村振興運動期(32-36)」「戦時統制および総動員期(37-45)」の4部に分けて資料を収録した。当時の日本は、植民統治の初期にあってはカマニ編みを農村の規律を高める手段として普及させ、収奪が過重になってからは農民の貧困緩和のため副業として奨励した。また戦争の本格化に伴い、軍需用品や武器の調達のための「愛国カマニ」「カマニ報国」が強調された。30年代末の朝鮮では、カマニを年間1億枚も作らなければならなかった。金度亨教授は「日本の統治は、都市・鉄道・産業など他の部分では近代的な一面もあったが、農村の場合は徹底して収奪の対象であって、これを端的に示すのがカマニ」と語った。

李先敏(イ・ソンミン)記者
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