穀物を詰める袋を意味する「カマニ」は、純粋な韓国語ではなく、日本語の「かます(叺)」に由来する。1876年の開港後、朝鮮から日本への米穀流出が増えるのに伴い、日本式の米袋が朝鮮に入ってきた。1907年に朝鮮で日本式の「カマニ」が初めて作られ、市場に商品として登場し、日本が朝鮮の国権を奪った後、急速に広まっていった。
日本の朝鮮侵略と密接な関係がある「カマニ」の歴史像を示す資料が、わら文化の専門家(印炳善〈イン・ビョンソン〉わら生活史博物館長)と歴史学者(金度亨〈キム・ドヒョン〉延世大学教授)の協業でまとめられた。最近刊行された『カマニで見た日帝強占期農民収奪史』(創批刊)は、1910年から45年まで、総督府の機関紙『毎日申報』と民間紙の『朝鮮日報』『東亜日報』に掲載された関連記事を集めて、一般人が理解できるよう現代語に訳した。
同書刊行のきっかけは、植民地時代の新聞に、わらで作るカマニの記事が毎日2、3本は載っていると印炳善館長(81)が気付き、コピーして集めたことだった。土俗的な抒情性と民衆的な歴史意識を持っていた詩人シン・ドンヨプ(1930-69)の妻で、農業経済学者・印貞植(イン・ジョンシク)=1907-?=の娘でもある印館長は「父と夫の影響なのか、農村の方が気楽で、農村文化に特別な関心を持つようになった」と語った。印館長は、わらで作られた伝統工芸品を集中的に集めて93年に博物館を設立し、『韓国人が本当に知るべき韓国のわら文化』(玄岩社)など数冊の著書を出版した。