なんだか最近、歴史上の人物や文学者のトリビアがツイートされているなあと思ったら、あれなんですね、そういうゲームアプリが人気なんですね。今日はそんなナイチンゲールの話。
コメントを拝借しますと、
ナイチンゲール「薬が足りないのでこの箱の中にある備蓄を出してください」
医療長官「委員会の許可が無いと開けれないよ。次の委員会三週間後だけどね(ざまぁ)」
ナイチンゲール「(無言で斧を振るって箱を叩き割る)」
医療長官「(絶句)」
ナイチンゲール「開きましたので持って行きます」
とのこと。うーん、天使というにはなかなか豪快な逸話です。
しかしながら、逸話というものは常に誇張され、いいように解釈されてしまうのが世の常ですので、わざわざ「史実」と銘打ってありますが、果たしてそうかなあと思いながら丁寧に調べてみました。
どの伝記にも存在しない
結論から申し上げれば、今回の薬箱を叩き割る話は、日本で流通している「伝記」には存在しません*1。
一応、在庫をなかなかあけわたさないとか、軍の規則が不合理だとか、そういう話はあります。
くすりのことは、医者がするといって、くすりをだししぶるし、毛布や、ストーブの石炭なども、
「きそくだ。上官のゆるしがまだでない。」
とかいって、荷がとどいているのに、寒さにふるえている兵士を見ながらも、ぐずぐずと、手つづきをしないでいるのです。*2
なかでも、ハーバートへのほうこくしょは、くわしく、正しいものでした。しなものが目の前にあってもつかうことができない、というようなりくつにあわないことが、どんなにたくさんあるか。そのむじゅんを正さなくてはならないといういけんも。*3
(前略)町の市場で備品をかう権限は調達部にはなかった。それに、とにかく、いまもとめられている物品のおおくは、調達部の権限外のものであった。調達部は兵站部に正式の文書で要求をだし、兵站部はその文書に「在庫なし」と書き、それでこの問題は終わった。*4
しかし、彼女が実力行使に出た、という逸話はどこにも載っていません。
というわけでネット上ではどうかと調べてみたところ、引用ではない形で残っているのは今回のを含めて3件。ひとつはwotopiというサイト。
これは2016年5月26日の記事*5。
「包帯と消毒液が足りない。この在庫を使わせなさい」
クリミア戦争の時、医療品の欠乏に苛立ったナイチンゲールは、軍医長官ジョン・ホールにそう詰め寄りました。しかし、当時のイギリス軍の官僚主義と無能さの象徴のようだったホールは薄笑いさえ浮かべながら答えます。
「ミス……軍の決まりを知らないようですな。この箱は委員会の許可なしで開けられない。そして委員会が次開かれるのは3週間後です」
次の瞬間、ナイチンゲールは拳骨で箱の蓋を叩き割りました。そして、唖然としているホールに言い放ちます。
「開いたじゃないの。持って行きますからね」
ネット上で確認できる「薬箱を叩き割る」話の初出は、2016年3月30日。実は、今回のツイートのつぶやきの方とまったく同じ方が発信源です。
ナイチンゲール「包帯と消毒液が足りない。この在庫出して」
ホール軍医長官「これは委員会の許可がないと開けられない。あ、次の委員会は3週間後だね(しれっ」
ナイチンゲール「(ブチ切れて箱を叩き壊す)
ホール軍医長官「ほげぇ!?」
ナイチンゲール「何だ開くじゃない、貰ってくわよ」
では英語圏で存在するかと言うと、そんなこともない。英語圏では、そもそもこの「薬箱を叩き割る」という逸話が全く出てきません。結構いろいろ調べて出てこなかったので、もし出てきた人がいたら教えてください。
全世界全ての伝記を読んだわけでないので、「絶対に存在しない」とは言い切れませんが、しかしながらナイチンゲールの逸話としてはとても流通数が少なく、そして少々不確かであると言わざるをえません。
ナイチンゲールの当時の状況について
しかしながら、「見つけられないからこの話はウソ」というのは、少々論拠として弱いのも事実です。他の歴史的な事実から、彼女の「薬箱を叩き割る」行動が、彼女の実像と合致しないという点から攻めていきましょう。
ナイチンゲールは裕福な貴族の家庭に生まれ、優秀な教育を受け、多くの海外での体験が彼女の下地を作ったともいえます。紆余曲折の後、ロンドンのハーレーイ淑女病院の看護監督として実績を重ね、ハーバート戦時相の要請により、1854年にクリミア現地へ赴任します。彼女が配属されたのはスクタリにある兵舎病院です。
兵舎病院にはあからさまに備品が不足していて、その理由として、ウーダム・スミスは、当時の英陸軍の健康管理と陸軍病院の組織を担っていた「兵站部」「調達局」「医務局」の予算削減があったこと、これらの部局に相応の身分階級が伴っておらず、課題を進言することができなかったこと、調達局や兵站部の役割分担が複雑で意思疎通が図られなかったことを挙げています*6。
ナイチンゲール自身もその点については理解していて、「調達官はあくまでも『支給命令書』によって動いており(中略)病院に収容されている兵士に『支給命令書』の範囲をこえるような物資が必要な場合であっても(中略)そんな要求には責任を負わないですむ」と書いています*7。
また、ナイチンゲールらの看護団は歓迎されたわけではなく、陸軍医務局は以前に兵士の妻を看護師として試用した失敗から受け入れに反対しており、将校達も「貴婦人たちが看護婦のような賎しい仕事をなさるのを、見たくもなければ誉めたくもない」と冷笑気味に語っています*8。そもそも男社会の軍隊に女性が来ることなど、当時としては考えられないことだったのです*9。
その看護団も「われわれがどういう連中の中から選ばねばならなかったか」と彼女に言わしめるほどで*10、スクタリに赴任後も、ナイチンゲールと看護婦達との対立は常に彼女の頭痛の種になっています*11。
政府との重要なコネクションをもってはいたものの、彼女の取り巻く環境はかなり厳しいものであったということはおわかりいただけたかと思います。
規則を重視したナイチンゲール
ナイチンゲールはスクタリに赴任後、即座に改革を行ったわけではありません。むしろ彼女は「極端なほど医療関係者に服従していた」*12そうです。看護婦達は、困窮にあえぐ兵士達に何もできない現状について、彼女を「無関心な冷たい人」*13と非難しています。
ナイチンゲール自身も、この「規則に服従する」という点は頑なで、スミスはこんなエピソードを挙げています。
彼女はある重症患者の床頭に坐っていて、患者の足が石のように冷たくなっているのに気付いた。そこで彼女は雑役兵に、お湯を一杯もってくるように頼んだ。すると彼は、医官からの指示のない患者には何もしてはならないと命令されているとの理由でこれを拒否した。彼女は自分の非を認め、医師を見つけて然るべき形式を踏んだ命令書を書いてもらったのであった。*14
もちろん、彼女自身はこの不合理を肯定していたわけではないとは思いますが、表立って医師たちと対立するよりかは、まずは自分達の立場を明確にし、信頼を勝ち得ていく方便をとったということでしょう。
ナイチンゲールが様々な規則を作ったり重視したことは、この戦時中そこかしこにみられます。たとえば、看護婦が将校の世話や調理をすることを禁じたり、「慰問品」の管理・分配を厳重にしたりしました*15。そこにルールがなくなると、あっというまに看護婦達は無駄遣いをし、管理が行き届かなくなってしまうからです。
ナイチンゲールの立場というのは、なかなか微妙なもので、最終期に「女性看護団の総総督」として認められるまで、その権限がどこまでのびるのかは常に議論の的でした。そのために、役人や看護婦達との軋轢に常に悩まされてきていました。そのために、自分の見える範囲のことを、集中して管理していくという方法をとらざるをえなかったのでしょう。
なので、そんな彼女が、軍のルールを無視して、乱暴な方法で在庫を引っ張り出したというエピソードは、慎重に行動してきた彼女らしくない、と思うのです。
在庫管理はナイチンゲールが管轄した
また、そもそもナイチンゲールは、物品の在庫管理の重要なポジションにいました。
彼女は総計30000ポンドに及ぶ多額の資金を持っており、コンスタンチノーブルという世界有数の市場で、しばしば自身の資金から不足している物品を購入していました。
1854年の11月以降、どっと傷病兵が押し寄せ、病院の管理体制が崩壊した後、多額の資金もそれを自由に使う権限も持っていたナイチンゲールのもとに、必要な物品を願い出るという通念が定着してきました*16。
彼女は毎日倉庫の在庫をチェックし、全物品は「きちんと署名をした正式の請求書がないかぎり絶対に支給されなかった」というほど、厳格に管理されていました*17。12月下旬には、事実上彼女が「調達官の役目を務めていた」そうです*18。斧で叩き割るぐらいなら、彼女は自分の資金から物品を調達したでしょう。
ジョン・ホールはどこにいる
今回のナイチンゲールの逸話の相手として「医療長官」もしくは「ジョン・ホール」の名前が使われています。ジョン・ホールは確かにナイチンゲールの宿敵であり、それはクリミア戦後においても変わりありません。
しかし、ジョン・ホールが1854年に配属されたのはクリミア半島であり、ナイチンゲールの拠点はスクタリなので、黒海をはさんでちょうど反対側という事になります。
なので、戦時中、ナイチンゲールとホールはしょっちゅう顔を合わせていたわけではなく、彼女がクリミア半島へ渡ったのは2年間の中で3回だけです。
また、彼女は1855年4月に、陸軍省から「クリミア交戦地帯における全イギリス野戦病院の支給物資分配官」を任命されており、その年の5月に初めてジョン・ホールと面談し、その後ではありますが、病院管理の新しいシステムの導入を行っています。これは「わずかな事務処理で適切な備品が支給される」システムで、ホール自身は反感を抱いたようですが、これによって無節操に備品が持ち出されることができなくなったそうです*19。
よって、そもそもホールと会う機会は少なく、また彼女が備品管理に関して大きな力をもっていたこと、およそ彼女の行動から考えて名目上ではあるものの、直属の上司に表立って逆らうとは考えにくいことから、やっぱりこの「薬箱を叩き割る」という逸話は、創作された可能性が高いのではないかと考えられます。
今日のまとめ
①「薬箱を叩き割る」という逸話は日本および海外の伝記には存在しない。
②ネット上でこの逸話が見られるのは日本だけであり、初出も2016年3月と比較的新しい。
③ナイチンゲールは自分にも他人にも規則を守ることを重視しており、ルールを破ってまで叩き割るような表立った形での解決はしないのではないか。
④ナイチンゲールは物品の管理に資財を使ってまで力を入れており、十分に在庫を把握し供給する責任をおっていたと思われる。
⑤逸話に登場するジョン・ホールとは離れた場所におり、また初めて会ったときには「支給物資分配官」としての地位があったため、そのようなやりとりがあったとは考えにくい。
今回、私は初めてナイチンゲールについてまとまって調べてみたのですが、この人ほど様々な評価に翻弄される人は他にあまり知りません。そしてそれが、彼女の存命中からずっと続いているということも。
『実像のナイチンゲール』の監訳者の金井一薫は、彼女の伝記がともすれば史実からはずれ、無意味な虚飾に散りばめられる原因を、その資料の多さに求めています。
(前略)彼女の著作物はあまりにも膨大であったがために、その収集と読み込みと比較照合(突き合わせ)という気の遠くなるような研究作業を成し遂げた人は、これまでに誰もいませんでした。過去の伝記作家たちは、それぞれ、大なり小なりこの膨大な著作物の一部を入手して、それを元に、それぞれの興味や仮説に沿ってナイチンゲールを描いてきました。その結果、幾通りもの「ナイチンゲール伝」が出来上がってきたというのが実情です。*20
彼女が書き残した著作物は、約150点にも及ぶ「印刷文献」と、1万点をこえる「手稿文献(書簡、メモなど)」になるんだそうです。そしてこれらが、世界中に散らばっているので、集めるのがすごく大変なんですね。資料があまりにも少なくて創作される歴史上の人物もいますが、逆に資料がありすぎて歪められてしまうパターンなんていうのもあるんですね。
日本でのナイチンゲール像を追っていくと、戦前・戦中は、彼女の行動が「女性らしい」として、その母性的な面が強調され、戦後に宮本百合子などの著書によって、「行動する女性」という側面が新たに打ち出され*21、そして現代は…なんでしょう、彼女自身の社会的意義のようなものを捉えなおすといったところでしょうか。そこで取り上げられる逸話というものは、それが真であれ偽であれ、私は時代の流れに反映されるんだなあと思います。本当のナイチンゲールというのは、いったいどこにいるんでしょうね。
【今回の主な参考文献】
リン・マクドナルドは、前述した膨大な資料をまとめあげ、全16巻の大作を著した人です。たぶん、現在研究している人の中で一番正確なのではないかな、と思われます。
本書は時系列になっていないので、ちょっとナイチンゲールの生涯を知らないとわかりにくい箇所が多々あります。でも、非常に面白い。
スモールは、ナイチンゲールがクリミア戦後に表舞台に立たなくなった理由を、クリミアでの兵士の死亡の原因が彼女自身にあり、その自責によるものだとしています。この説はなかなか魅力的で、BBCもこれをもとにしたドラマを製作しています。しかしながら、前掲のマクドナルドはスモールのこの説を批判しています。うーん、どっちなんでしょうね。ナイチンゲールが、女王と政府の軍の指揮権に関するカードに使われるなど、政治的な部分での駆け引きも面白いです。
彼女の伝記というか、時系列で整っているのは本書かと思われます。非常に読みやすい。ただし、1981年が初版と古く、現在の歴史的事実とは異なっている可能性もあります。
*1:伝記として確認したのは以下。
作文練習書 : 国定教科書応用. 高等小学1,2学年用(1905)
欧米女子立志伝(1906)
家庭十二ヶ月、2月の巻(1910)
国定教科書に見えたる泰西教材の研究(1912)
フロレンス・ナイチンゲール嬢伝(1921)
偉人物語:愛の人々(1930)
少年教育勅語物語(1930)
少年少女偉人全集. 1(1930)
真実に生きた女性達(1947)
ナイチンゲール―現在の看護のあり方を確立した、イギリスの不屈の運動家 (伝記 世界を変えた人々)
世界の伝記 国際カラー版 第7巻 ナイチンゲール
*2:ナイチンゲール (ポプラ社文庫―伝記文庫)土田治男1982 P117-118
*3:世界の伝記〈15〉クリミアの天使―ナイチンゲールセシル=ウッダム=スミス P75
*4:「世界の伝記 国際カラー版 第7巻 ナイチンゲール」香山美子(小学館)1983 P146
*5:しかしながら、この記事は箱を叩き割る逸話だけでなく、他にも事実としては不正確な記述が多く、あまり参考になりません。大きい部分では、ケトレ先生の話はいいのですが、彼女は統計に神のみわざをみたのであり、この記事は、彼女が敬虔なキリスト教徒であるという観点が全く欠落しています。マクドナルドの『実像のナイチンゲール』を読んだようなのにもったいないことです。
*6:「フロレンス・ナイチンゲールの生涯(上)」セシル・ウーダム・スミス(現代社) 1981 P213-214
*7:スミス 1981 P216
*8:スミス 1981 P221
*9:とはいっても、フランス軍の方は傷病兵を看護する慈善修道女会がいたそうです(『実像のナイチンゲール』リン・マクドナルド(現代社)2015 P163)
*10:スミス 1981 P199
*11:「ナイチンゲールは看護団を数百人の中から精選して選んだ」みたいな言説もネットにはありますが、実情はかき集めるのがやっとだったということです
*12:『ナイチンゲール 神話と真実』ヒュー・スモール(みすず書房)2003 P171
*13:スミス 1981 P228
*14:スミス 1981 P229
*15:スミス 1981 P298-299
*16:スミス 1981 P243
*17:スミス 1981 P244 マクドナルドの証言による
*18:スミス 1981 P245
*19:スモール 2003 P69-70
*20:『実像のナイチンゲール』P3-4
*21:
一人の女として、自分の全心をうちこんでやれるやうな意義のある何事かをしたいといふ情熱、自分の生涯をその火に賭して悔いない仕事、それをヴィクトリア朝時代の淑女は探し求め(後略)