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わが友に贈る 2017年1月10日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 1月10日(火)07時09分35秒
  「誰か」ではない。
「自分」が一人立つ!
これが団結の要諦だ。
広布請願の旗を掲げ
異体同心で進もう!
 

(無題)

 投稿者:-Q-  投稿日:2017年 1月10日(火)07時05分17秒
  打ち止めと言いながら、再度蒸し返す愚にどうかご理解を。

まったくのカン違いとはいえ、自分がそうであると確信して長年使用してきた慣用句の意味。それが明らかな誤りであると指摘されたなら、手元の辞書を確認するなどして潔く非を認めるのが、知性ある人間の態度だろうと思う。


それを、わずかな手間を惜しみ、自己流の新語を創案してまで煙に巻こうとする姿勢では、とても一生成仏などおぼつかないのでは?
誠意から発せられた小作人殿の忠言を、耳に心地よくないものと感じるのはともかくも、「悪意」として受け取るのはどうかと思う。

敬意を抱いて接してきたはずの投稿者諸氏が、思いがけず頑迷固陋な一面を呈されることには戸惑いを禁じ得ないという話でした。  妄言多罪

 

生涯広布&広布一筋さま

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2017年 1月10日(火)00時52分19秒
  名人伝を読み直して、この下り
「二月の後、たまたま家に帰って妻といさかいをした紀昌がこれを威そうとて烏号の弓に衛の矢をつがえきりりと引絞って妻の目を射た。矢は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主を罵り続けた。けだし、彼の至芸による矢の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである。」
が気に入ってます。(><)

一緒に生活していても、女房殿の思考は別世界、私が考える以上の現実世界に悶々としているんです。
でも、テレビをニュース以外に観ない私にとって、トレンディードラマやら流行りの話はやたら詳しく役に立っています\(^o^)/
 

しょうがないなあ、、、

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 1月10日(火)00時33分14秒
  【役不足(やく-ぶそく)】

①わり当てられた役目に不満をもつこと。
②役がかるくて、能力がじゅうぶんに出せないこと。

     --小学館『新選 国語辞典』より--

私のほうから太ちゃんを「増上慢」などと詰りたくはないし、そんな資格はない。
おっしゃりたいことはもとより承知の上です。他人の気持ちを忖度してください。

太ちゃんの今の職種はよく知りませんが、ビジネスマナーでの注意点として言ってるの。
社会生活上、恥をかくことのないよう親切心のつもりでしたが、、、

また、常時固定読者のいる人気ブロガー(?)のお立場で、些細なことで重箱の隅を突かれる羽目に陥らないよう(あ○ひとか○べひとかあべ○とか…)予防措置を取ったつもりでもありましたが、、、

カンピースさんの「汚名挽回」やヨッシーさんの「開場」の時みたいに、なんで普通の会話が成り立たないのだろう? なんか私が他人を使ってイビッてるみたいじゃない(T_T)
まあいいや。。

・・・関係ないけど、某自称ジャーナリスト氏の「コラム日記」なる雑文も新年早々、初歩的かつ致命的な誤字をたった一文字だが打ってしまっている。
たかだか4行の記事をアップする前になんで読み返しもしないのか?
そして今に至るも誰も指摘し訂正を促す者がいないのが、彼が抱える社会的疎外感を物語っているのである。

 

往年の町田洋子女子部長ですね。。。。

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 1月10日(火)00時18分43秒
編集済
  懐かしいお名前を拝見いたしましたので投稿致します。現・高柳洋子氏は語るに落ちたと言うべきか。仏敵であれば如何なる罵言を浴びせても許されるという変な傲慢さが透けて見えます。

https://

 

高柳元婦人部長

 投稿者:名古屋人  投稿日:2017年 1月 9日(月)23時47分58秒
  吉田沙保里さんで有名な至学館大学の元学長の谷岡郁子氏が民主党から参議院議員で立候補したとき、高柳元婦人部長は「どこの誰かわからない男と出来た私生子を産む様な人に負けるわけにいきません。」と方面支部長会でお話しされてました。
素晴らしい人権感覚の持ち主です。
また、自分の信仰の浅はかさを示す娘の非行も恥ずかしがらずに発表していました。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 1月 9日(月)23時44分2秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

・・世界広布・・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2017年 1月 9日(月)23時03分34秒
編集済
  イケデイアンの住人様

素晴らしい良書のご紹介、その文章の掲載誠に有難うございました。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/62495

素晴らしい本があるんですね・・人生の妙といいますか・・本物の達人になるには・

その域に達する形・方法、また到達点は日本の多くの達人話にもにもありますね。

さて、では、我々にとっての広布の達人とはなんであるか・・ここを考えましょう・・との意味でのご紹介だと思います。

我々にとっての達人の境涯とは・仏法を語らずとも友を相手を折伏できるほどの姿と自然な振る舞いでしょうか・・

人々が見ていて、惹きつけられるそういう姿・•友の方から私も拝まさせてくださいと・・

弓を引かずに鳥を射るの境涯ですね。

私などはるか遠くの境涯ですが・・結局、世界広布はこのような姿の人が多く出て、

その姿と振る舞いを見せるしかないのではと思う毎日です・・

言葉や文化、育った環境の違い・•それらを乗り越えていくには究極は姿と行動ですよね。

そういう、素晴らしいメンバーがたくさんいたから、今日の広布の姿があると思うのです。

ただ、192カ国というのは甚だ疑問がございます・・・•キッパリ!

あるメンバーが誰もいない国に行って、開拓したと思って勇躍報告したら・•

既に換算されていたという話も聞いたことがあります・・

平和な世界へ・•いい言葉です・・

幹部自ら先頭に立って、身を削って命を軽うして切り開いてもらいたいものです・・

私も、生涯進み続けます・・
 

同盟題目、23時に開始します

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 1月 9日(月)22時57分24秒
  よろしくお願い致します。

 

勤行出来ない者の信仰姿勢!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2017年 1月 9日(月)22時31分1秒
  折伏・弘教していれば、自然と自分の勤行の仕方をチェック出来るし、家庭訪問して御本尊の安置状態、勤行唱題していなければ一緒に勤行するといった基本的な学会活動を実行していれば、そんなオカシナ話しにはなりません。人を集めて話すことばかりが学会活動と錯覚した結果です。集まって来て題目三唱するのも同じ(><)

それは信仰ではない、サークル活動、町内会の寄り合い、マスターベーションですね。(><)
 

太ちゃん様

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 1月 9日(月)22時27分51秒
  なんだかなーですよ、ホントに。

「如来寿量品第十六」という声が出てこない沈黙って、本人は焦ったんじゃないですか。

頭マッチロだったでしょうね。 冷や汗タラタラだったでしょうね。 あーあ、みっともナイ。


これが間違いなく総県幹部なんですよ。

この御仁は、自分が一番エライ立場の会議で、ガム噛み噛みスマホいじりです(有名な話)

指先をシュッシュッて動かしてね。



なので、タニガワが大事な時にゲームしてたぞ、なんて聞いても、さもありなん。



幹部には昔から腐ってるのが多く、真面目な人間は、ぎゅうぎゅうノルマで利用されるだけだっ

たり、ただしたりすると、上の幹部が「話があるから」なんつっちゃって、チョイチョイ手招き

話を聞くフリして、いつのまにかはめられ、排除されて来たんですよ。そーいう話が多すぎ。



上がひどくても、会員の傘になれる人材がいる組織は幸せですよね。



ワケ分かんない内容の、来ただけ損な感じのおかしな新年勤行会、アチコチで聞かれましたよ。

ホントに、末期的な様相ですね。



 

役不足!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 1月 9日(月)22時16分8秒
   それは、「私では役者不足です」といえばいいでしょうか(笑い)。

 「役不足」は、その「役」は、「私には『役』が不足しています」という意味で、聞く人に傲慢に響いてしまいます。

 ですね!
 

(無題)

 投稿者:-Q-  投稿日:2017年 1月 9日(月)21時51分24秒
  自分にはわかりきった慣用句であっても、ときには国語辞典を引いてその原義を確認してみることを謹んでお勧めする。新たな発見が必ずあるはず。小生の言いたいことはただそれだけ。
「役不足」の意味は辞書を引けば瞭然であるが、「役者不足」なる文言はどの辞書にも見つけることはできなかったので…。
この件はこれにて打ち止め。

 

韓非子から,箕子の憂い??

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2017年 1月 9日(月)21時50分16秒
  殷の紂王が,まだ悪逆になる前の事,粗末な食事をしていた時代から仕えていた箕子は、国が次第に豊かになり陶器の器が金・銀の器となり,木の箸が象牙の箸となって食べ物も雑穀から肉類となり美食ばかりに変化する様を観て,大いに憂う。

と言う喩えを学生部時代の先輩の御書講義でお聞きしました。創価公達みたいですね(><)
 

ひかりさんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 1月 9日(月)21時44分25秒
  そのCさんは真面目にちゃんと信仰されてるんですね。
だから「一ヶ月」という数字をなんとなく言ったんでしょうけど。

いろいろと僕は試してきてるからわかるんだけど、昔の五座三座の頃にあった長行でも、一ヶ月ぐらいならちゃんと覚えてるもんですよ。
物覚えの悪い僕でそういう感じですから。
まして今は長行はない上に、さらにさらに簡略化されてるもんね。
それで間違えるのって、そもそもほとんどまともにやったことないレベルだと思うけど。
今のだと、それこそ一年ぐらいなら忘れない範囲でしょうね。

そもそも今のものになってまだほんの数年だし、変わる前からすでにロクにやってないのでは?
今のものに変わって、さらにやってないならそうなるんじゃないかとf^^;

しかも、それを新年勤行会でやらかしたんですかf--;
その幹部さんのこの一年は大丈夫だろうか?f--;
その幹部さんのトバッチリで地域ごと大変かもf--;
(すでに大変すぎてるんでしょうけど)

って、総県幹部さんがそうなんですか?
なんだかなぁf--;

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

『十八史略』に学ぶ指導者の責務

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 1月 9日(月)21時24分23秒
  (聖教2006/9/13)

池田名誉会長は9月3日、山梨教学研修センターに於いて、山梨最高協議会でス
ピーチをした。


青春時代、私が戸田大学で学んだ『十八史略』に、こんな逸話がある。

――中国古代の殷の時代、大旱魃が7年も続いた。とうとう、「人間をいけに
えとして雨乞いをするしかない」という声があがった。その時、国王の湯王と
うおうは毅然として言った。

「雨乞いするのは人民のためなのだ。人を殺すわけにはいかぬ。もしどうして
も人身御供ひとみごくう(=いけにえとなる人)が必要だというなら、わたし自
身が犠牲になろう」

そして、湯王は祈りを捧げつつ、自らが行ってきた政治が正しかったかどうか
振り返る。
「わが政事まつりごとが節度を失ってはいなかったか」
「人民を働こうにも働けなくしてはいなかったか」
「讒言が幅をきかせてはいなかったか」(『十八史略Ⅰ』徳間書店)

これとは反対に、平然と、民衆を犠牲にして、保身と栄華に走る指導者のいか
に多いことか。

わが身をなげうって、民衆のために!ここに指導者の重大な責務がある。真
実の魂が光る。創価の三代を貫く誓願も同じだ。

尊く健気な仏子ぶっしを護り抜くために、一切の法難を一身に受けきる。一人
たりとも、犠牲にはしない。断じて幸福にするのだ……。この決心で、私は祈
りに祈り、人知れず、あらゆる手を打ってきた。

リーダーは、自身に厳しく問うべきである。
謙虚に、皆に奉仕しているか。
礼儀正しいか。
威張ったり、傲慢になっていないか――。
自分では気づかない場合もある。皆、遠慮なく注意すべきである。

牧口先生は「いばって、信用をなくすのも、法を下げることになる」と叱咤さ
れた。人間として立派であってこそ、皆が安心し、信頼を寄せてくれる。

とくに、戸田先生は、報恩の大切さを教えてくださった。
「恩に報いる心がけは、人間として、当然、持つべきである」
「不知恩の人間だけには、断じてなってはならない」
「うぬぼれと非常識は皆から嫌われ、暗い人生の方向に追いやられてしまう」
優しくも温かき先生の声が、今も耳朶から離れない。

 

集めて話す,『平和の地球ヘ希望の大音声を さあ行進!「青年の心」で?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2017年 1月 9日(月)21時13分31秒
  第23回本部幹部会の,このタイトル,オカシクありませんか?
平和の地球って、何処ですか?五濁悪世の地球だから折伏・弘教,世界広宣流布を目指しているのでは?
生涯広布,広布一筋さまが読んだら激怒します(><)

そりゃ,内弁慶に本部別館に引き篭もっていれば平和で何も考えずに呑気に生活出来るかも知れませんが、現実世界は、汚辱・腐敗・貧困・戦乱まみれです。

少しは、建物から出て一般社会の新聞をよく読み,学会員ばかりと付き合わないで対話をお願いします。(><
 

(無題)

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 1月 9日(月)20時57分43秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/62539
http://6027.teacup.com/situation/bbs/62542

はて?表現ひとつでも意見はさまざま
両方とも満足するよう成立させるなんて矛盾としか思えないんじゃが

「力不足の役者不足」と言えばいいのでしょうかf^^;
かえってただのイヤミにしかならんと思うけど

やれやれだf--;

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

Cさんと対話

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 1月 9日(月)20時45分10秒
  Cさん「新年勤行会の導師がさ、Hさんだったのね」

ひかり「総県幹部の?」

Cさん「そう。 それがさ勤行の途中で『如来寿量品第十六』って、出てこなくなっちゃったの、あの人!」

ひかり「ええっ、じゃ、途中で沈黙が訪れたんだ?」

Cさん「そう。 隣の人と顔を見合わせちゃった私」

ひかり「そんなの初めて聞いたな。 そんな事あるんだ」

Cさん「前代未聞だよ。 帰りはその話でもちきり」

ひかり「後味悪いね。 新年早々」

Cさん「あの人勤行なんて普段やってないんじゃないのって、言われてたよ」

ひかり「お経本持ってなかったんだ?」

Cさん「そう。 なめてたんじゃん。 暗記してらあって」

ひかり「去年は、おめでとうございますも言わずに、突発性難聴になりまして、って言ったよね、幹部」

Cさん「そう、そう。 バッカじゃん。 奥さんのうるさい声が聞こえないから丁度いい、なんて言って」

ひかり「どう取り繕ったの? Hさんは」

Cさん「頭が僧侶みたいなのに、勤行も忘れたのかと言われちゃいますね、だって」

ひかり「なによそれ(笑)」

Cさん「会場の笑いを取ってたけど、蔑笑に近かったね、あれは」

ひかり「勤行忘れるなんて、脳梗塞じゃないでしょうね」

Cさん「そんなんじゃないよ。 一ヶ月くらい勤行やってないんじゃん。 まともな勤行」







 

謙遜!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 1月 9日(月)20時37分23秒
   太ちゃんさん、

 謙遜の場合は「役者不足」という表現がいい、ということです。



 

増上慢ですか?(笑)

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 1月 9日(月)20時25分25秒
  もう笑うしかないなこりゃf^^;

やれやれだf--;

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

後押し ありがとうございます!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 1月 9日(月)20時18分47秒
   イケディアンさん、後押しの投稿ありがとうございます。
 私なんかはどうでもいいですよ。ただし、公達ではないですけどね(笑い)。

 それよりも、これ↓ なんらかの返答をしてあげたらいかがですか。かなり胸襟を開いた投稿ですよ(笑い)。

【イケディアンさん、アルベアさんの投稿に呼応して、書き込みさせていただきます。】(レ・ミゼラブル   投稿者:謎の弟子X    投稿日:2017年 1月 7日(土)13時35分59秒 )
http://6027.teacup.com/situation/bbs/62442

 するもよし、せざるもよし、ですが……。



 

(無題)

 投稿者:-Q-  投稿日:2017年 1月 9日(月)18時57分28秒
  お節介ではありますが、老婆心として、一言申します。

間違えやすい表現とはいえ、自分はその任に堪えられないので辞退したいと謙遜していう場合には、「役不足」ではなく「力不足」というべきなのです。役不足では、増上慢と受け取られるだけでしょう。以上、失礼。


 

Re.集めて話す 創価公達(><)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2017年 1月 9日(月)18時32分19秒
  もう,これからはゲゲゲの鬼太郎のように,逝去した活動家が,墓苑に集まり霊界通信して話し合う世界になりますね。

本日のブロック五勇士集合写真の件を或る方面の支部に確認したら案の定,何人かお亡くなりになっており、聖教掲載を楽しみにしていたそうです。

昨年、夏から秋にかけて聖教見開きのページは,どうでも良い暮らしの特集やら無意味なものが連載されていました。正月明けてから思い出したみたいな掲載は、現場組織にかなりの???を与えています。これも後日,集めて話す話題づくりの営為なんでしょうかね?わざと混乱されて,皆の興味を引いたところで、集めて話す(><)

様々な混乱を引き起こして集めて話す,興味持たせる為に話題作りして集めて話す,直弟子も勃樹も海外へ出向いて折伏・弘教したくないから、ダラダラ日本国内の組織を混乱させ,それを鎮圧するために国内指導と称して会員を糾合して集めて話す(><)。

なんか,創価公達のやり口がだんだん理解できるようになりました。会員かき集めて、会合開いて国内徘徊を目的とされているのですね(><)
 

法華経の智慧・随喜功徳品より

 投稿者:臥子龍メール  投稿日:2017年 1月 9日(月)18時29分12秒
  民主主義の「内実」をつくる戦い

池田 国土世間をも変えていくのが広宣流布です。事の一念三千です。ともあれ、一人から一人へ、また一人から一人へ──五十展転は最高に民主的な対話の軌道です。

民主主義は、形式だけ、制度だけを整えればいいかと言うと、断じてそうではない。「内実」がなければ、からっぼの箱のようなものだ。すぐに、つぶれてしまう。

「内実」とは何か。個人の自立であり、向上であり、個人の幸福です。
「一人の人間」を、どう生き生きと躍動させていくか。その「個人の尊厳」への努力なくしでは民主主義は形骸化する。

遠藤 今の日本が、まさにそうです。

池田 民衆の「心」が空虚で、からっぽであれば、民主主義の危機です。
そこに「権力の魔性」は、つけこむ。国家主義が黒い影を広げ始める。

戸田先生は「個人の幸福と社会の繁栄が一致しなければいけない」と言われたが、個人の幸福をなおざりにして、「社会の繁栄」だけを追ったところに、大きな失敗がある。
個人の幸福と言っても、利己主義の幸福ではない。「自他ともに智慧と慈悲をもっていくという真の「人間の確立」です。

多くの社会主義国、また自由主義国も含めて世界的課題であるが、法華経こそが「個人の幸福」と「社会の繁栄」をともに実現していく力をもっているのです。それが「事の一念三千」です。
要するに、一人の人を幸福にしたいと祈り、語っている、私どもの行動こそ、最高の民主的行動であり、民主社会の「内実」をつくっているのです。

「歓喜」から「歓喜」への展転です。いくら展転し、広がっても歓喜は減ることがない。だれひとり犠牲にしない。すべての人に幸福を満喫させながらの広布の展開です。

「今日もまた明日もまた……と学会歌を歌いながら、あの道、この道を歩きに歩きながら、正法を弘めてきた。
苦しい時も、つらい時も、くやし涙にくれる時も、学会歌を歌えば勇気が出た。
そうやって君たちの先輩は「二十世紀の奇跡」と言われる妙法広宣流布をやってきたのです。

威風堂々と、王者の道を

斉藤 「威風堂々の歌」には、学会員のだれもが、何らかの思い出をもっていますね。
それほど全国津々浦々で歌われてきました。

遠藤 ″戦後最大のヒット曲″と言う人もいます(笑い)

須田 以前、作詞者の方について、池田先生は語ってくださいました。
先生は「この歌が厳しい環境の中、京都の皆さまの″前進の息吹″の中から誕生したことは、すばらしい広布の歴史である」と紹介してくださいました。(本全集第七十三巻)

その方はもう亡くなられているので、京都の方に話を聞いてみました。歌を作ったのは、入会してまもないころで昭和三十年の時です。傘問屋を営んでいましたが、取引先の倒産で、多額の負債を抱え、生活苦のドン底のなかで、この仏法の話を聞きました。紹介者が言いました。

「この信心はすごいで。三カ月、やってみなはれ。必ず結果が出る。もし出んかったら、おれの首やるわ」「そんな首、ほしない。金がほしいんや」「いくらほしい」「三万円」
踏み倒された額でした。紹介者は、すかさず言いました。
「よし分かった。絶対、取り返せる。その代わり、三カ月間、勤行と座談会を欠かさないで、おれについて折伏すること」

遠藤 確信ですね。大確信が折伏の命ですね。

須田 そして、一緒に弘教に歩きまわり、三カ月たたないうちに、夜逃げしていた取り引き相手が帰ってきて、三万円を返してくれたのです。確信をつかみ、ますます弘教に走ります。この頃、他の地区では「地区の歌」が作られていました。ところが京都地区には地区歌がない。皆、寂しい思いをした。

そのことを先輩に訴えたら、先輩はその場でエンピツと紙を出し、″じゃ、自分で作れ″と(笑い)。作詞の経験など全くありませんでしたが、情熱はありました。店の小さな机の前で、立ったまま考えました。「威風堂々」──。このテーマが決まると、不思議なくらいエンピツが動きました。「たとえ今、身が落ちぶれていようとも、広宣流布の出陣をするんや、威風堂々と……」。

曲も見ようみまねで作りました。歌うたびに曲がかわり(笑い)、″完成″まで一カ月かかりました。
「濁悪の此の世行く学会の
行く手を阻むは何奴なるぞ
威風堂々と信行たてて
進む我らの確信ここに」

テープレコーダーもない時代です。「ええ歌やなあ」と、口から口ヘ、この歌は伝えられていきました。京都支部結成と同時に、支部歌になりました。そして、この歌を高らかに歌いながら、京都支部は日本一の折伏の結果を出しています。日本中の人が驚きました。

池田 私も京都でこの歌を聞きました。歌も素晴らしかったが、この歌を歌いながら、千年の古都で法旗を掲げた京都の同志の意気込みが素晴らしかった。すぐに、全国の学会員の歌にしようと思いました。

須田 そのことは今も京都の方たちの誇りになっています。
先生は「これはいい歌だ。これからはみんなで歌おう」と提案され、歌詞に手を入れてくださいました。
当初、三番の最初の一行は「我ら住む平安の 洛土見ん」だった。それを先生がさっと「我ら住む日本の 楽土見ん」に変えられた。「ぱあっと一気に境涯が開ける思いだった」と言います。それから全国に広まるのは本当に早かった。

彼自身も、暮らしが好転。手描き友禅で色をつける仕事が成功し、何不自由ない生活となり、″御殿″と呼ばれる邸宅に住んで、毎年のように海外旅行ができる境遇になりました。
先生が京都の会合でその方を紹介された時(一九八九年)、末期がんで入院していました。先輩幹部が会合の模様を伝えようと、急いで病室を訪れました。彼は話を聞いて、本当に、うれしそうにうなずいていたそうです。それからほどなく六十九歳の使命の人生を終えられ、霊山へと旅立っていかれました。

その方の生前、″対話の名人″″個人指導の達人″と呼ばれていました。だれが行っても立ち上がらない人も、彼の話だけは聞いたといいます。
逝去前のある日のことです。彼は、病床で見舞いの人に言いました。
「おれね。もっとしたいことがあるんや」
「なんやの。また海外旅行したいの」
「いいや、それはな、家庭訪問や。家庭訪問したい。みんなと、もういっペん一緒に学会活動したいんや」
まさに、彼の人生は、「威風堂々の歌」の通り、庶民の王者の一生だった、と思います。

斉藤 「学会活動したいんや」──まさに実感ですね。
学会活動こそ最高の「今生人界の思出」だと思います。

--------------------------------------------------------------------------

民衆の「心」が空虚で、からっぽであれば、民主主義の危機です。
そこに「権力の魔性」は、つけこむ。国家主義が黒い影を広げ始める。

何も考えない、頷きバカの末端幹部まで国家主義の黒い影が見え隠れする。
人権を如何なるものかと考えることなどまったく無くなってしまったようだ。

団体利己主義とも言える組織主義に汚染されると周りを見なくなる典型か?
「信無き言論煙の如し」先氏言葉をにべにする公明議員よ本部職員よ忘恩たること莫れ!!
 

向上心のある人でないと掲示板についていけないですよ?

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 1月 9日(月)18時19分17秒
編集済
  僕自身は過去に「自分で自分を追い出すマネ」をしております。
信濃町の人びとさんにロコツな罵声を浴びせたけどf^^;
長く掲示板をみてきてる人なら知ってるでしょうけど。
それについてというか。

秋谷会長時代からでしょうけど、冥益が育ちにくい体制に徐々に変化していってるように感じます。
今ではすっかり冥益の弾圧状態といっていいほど。
病気や経済苦などで「今すぐ功徳の必要な人」のみが活動を通して冥益がどういうものか実感していってたように感じるのだけど。
またそういう人に触発され活動する部員さんとか。
それが可能だったのは、池田先生の話などをそれこそ身読するように真剣に本質部分を吸収していけた人がいたからでしょう。

向上心を持つ人は、日蓮仏法史上700年以上で最高の指導者である池田先生が正しい、と帰結するでしょう。
将来は池田先生以上の信仰者が出現する可能性はあるのかわかりませんが、少なくとも現時点で最高の信仰者であるのは間違いないでしょうから。
最高の信仰者だから、信仰の手本として最善なんですね。
これを端的には「指導者」「師匠」「先生」などなど、呼称はいくつかあっても最高の信仰者だからそうなってるんですね。

池田先生を師匠とする、というのは、具体的にどのように正しいのか、自分でひとつひとつ確認して実感することなんです。
この点がブレると、むしろ福運を食い潰しやすくなってしまうんです。

どういう現象かというと、自分で自分を追い出す環境を自分で作ってしまうんです。
人間関係の悩みも昔の体験談に豊富にあるけれど。
解決のパターンは三通りあるように感じます。

「法華経の兵法」によって生命が触発されたことで、善性が生じ「理解者」となって解決するか。
これが最善ですが。
「一家和楽の信心」の体験談はまさにこのパターンでしょう。

逆のパターンも。
なんらかで相手が自分の前よりいなくなってしまう、というのも顕著なんです。
これは逆に、宿業のまま仏性に抗ったことでその場所に存在できなくなるほど福運を食い潰していき、福運が尽きたところでその場所に存在できなくなる、とか。
このパターンの場合は、自分の意思に沿うよう周囲に強要する行為が多いとそうなりやすいんです。
一度に行うのがひとりとかでも、何回もやれば周囲のそれぞれは自分を守るべく「距離を置く」ことになることで自分が孤立してしまい、福運があれば対処できるものが対処できなくなるんです。

あるいは、まさしく「宇宙のリズム」というしかないような、良い環境へ自分自身が移動する縁の現象もあるようですね。
いくつかパターンがあるにせよ、これらは「法華経の兵法」による現象なんですね。

かくいう僕自身も過去に「自分で自分を追い出すマネ」をやっていますから。
その本質部分は述べた通りです。

みんなそれぞれ自分のことで手一杯です。
その辺に留意しないと他の人はそれぞれ協力しようにも合わせられなくなる悪循環になるんです。
だから、協力してもらえるには、周囲に協力できる配慮が必須になるんじゃないでしょうか。
その配慮が効果的なものかどうかよりも、配慮しようとする心境があれば、誰かしらがフォローしていってますよ。
そりゃ組織でそれを普通に活動としてやってるのでしょうから、自然とそうなるんですね。

宿業に勝る福運を身につけて頂ければと思います。
池田先生じゃないけど「勝って勝って勝ちまくれ!」と僕は声を大にして言いたいのです。
そのためには自分ひとりで勝つのではなくて、自分をとりまく周囲との一緒の勝利がコツなんです。

これは自分をとりまく周囲との一緒の福運の向上による結果ともいえますでしょうか。
だからこそ「地涌の菩薩」なのでしょうね。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

連投失礼致します

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 1月 9日(月)18時02分0秒
  地区部長が都議選に向けての壮年部の合言葉を教えてくださいました。南無公明党佛!  

集めて話す!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 1月 9日(月)17時59分13秒
   創価学会の運動形態の柱のひとつに「集めて話す」があります。
 これも、いろんな変遷を辿ってきていますから、一概には言えないのですが、いまも「柱」の一つであることは疑いありません。いわゆる「会合」形式っていうのです。
 新進党ができたあとの選挙活動で、当時、代表の小沢氏から指摘もされていましたよね。「集めて気勢を上げているだけではダメだ」ってね。

 もう20年以上前に池田先生から指摘がありました。「創価学会は一対一の対話が基本。会合8割、個人指導2割から、個人指導8割、会合2割に転換した方がいい」(趣旨)。先ごろの、原田会長の「一対一」指導は、その意味では正しい。ところが、方面、総県幹部あたりから、この図式が崩れています。相変わらず会合主導。会合方式の方が楽だからです。一対一の対話は、手間も、時間も必要です。区・圏、本部あたりになると、ほとんど資料配布だけってのがほとんどですよ。「わかっちゃいるけど…」っていうやつですかね。
 総県長はじめ総県幹部に職員が随分増えましたね。その方がやりやすいからでしょう。何しろ、反対や、異論が出ないのですから。職員は、言うことを聞かなければいけません。給与をもらっていますからね。だが、会員は組織従事者じゃありません。勘違いしないで頂きたい。

 集まれば、盛り上がった気分になる。これは、昔からそうでした。だが、会場を出て、家が近くなると、だんだん気分は冷める。現実の生活があるからです。問題なのは、会合を担当した幹部が、言いたいことを言い放って、「これでよしっ!」なんて、自分の仕事は終わったみたいな気持ちになっていることですよ。本当は、そこからが始まりなのに。

 知っていますか。いま、現場では、ワンボックスや大きい車を、小さい車、中には軽自動車に代替えしている人が増えたことを。第一級の活動家が年金世代となり、若い人も年収300万円ならまだまし、年収200万円以下の人が増えて、携帯電話は必需品だが、とても車まで手が回らないという状況だからです。そして、結集、結集の会合に嫌気がさしてきていることもあります。
 どこかの職員のように年収1000万円、2000万円なんて、いまじゃ考えられない。57年の税務署公表数字でしたか、秋谷会長年収5500万円、それで“マイ聖教”なんてもう論外ですわ!

 SKPの会合写真をみても、沢山の人が集まっています。もう、こんなので人が納得するかどうかを考えるべきですよね。その「集り」にいかなければ、何もすることはない、情報もない、影響されることはないってことですか……?!


 【PS】小作人@地上の発心 さん 「役不足」は「役者不足」ですね。

 

本部幹部会の入場券を地区部長が届けてくれました

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 1月 9日(月)16時28分30秒
  ところで言われたことは、仏意仏勅の公明党を批判すれば仏罰を受ける。公明党佛なのだから。東京都議選勝利を祈れば功徳善根福運を積む。  

本幹

 投稿者:宝剣  投稿日:2017年 1月 9日(月)16時14分1秒
編集済
  婦人部の壇上って寂しくないですか?
僅か二列

婦人部の皆さん
大事にされていますか?

原田会長、遂に首だけでなく、全身が曲がっています

体曲がれば、影ななめなり

信心の姿勢を正すことを進言させて頂きます
 

差別は犯罪

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 1月 9日(月)15時30分45秒
  井桁:犯罪といえば、ヨーロッパでは「差別は犯罪である」と、はっき
り認識している国が多いと言われています。その点、日本は、まだまだ人権
後進国だと思います。

名誉会長:多くの人が、そう指摘しています。そういう「社会のゆがみ」
が、陰惨な「いじめ」にも影を落としている。(中略)いかなる理由があろ
うと、いじめは絶対にいけない。いじめる側にも、言い分はあるかもしれな
い。自分の苦しさを、他の人にぶつけているのかもしれない。

しかし、どんな理由があろうとも、いじめや差別を正当化することは絶対
にできない。いじめは「人道上の犯罪である」ことを、皆の共通認識にすべ
きでしょう。
悪い人間に対しては厳しさも必要です。これも人権闘争です。善い人間を
守る。これも立派な人権闘争です。

★池田大作著「青春対話」3(40~43p)

 

法華講に訪問されてしまった。

 投稿者:フラフラ  投稿日:2017年 1月 9日(月)15時18分47秒
  そいつらが言うには天変地異は学会が、狂って戒壇のご本尊を捨てたからだと。
馬鹿野郎!狂ってんのは、原田と執行部だろうが~!!
ついつい本音を言ってしまった。
 

山陰中央新報への特別寄稿

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 1月 9日(月)15時10分0秒
  特別寄稿「わたしと地球の環境展」の開催に寄せて―

共生の理想郷・シマネ.

山陰中央新報2014年3月6日(木)

創価学会名誉会長池田大作


◇喜びあふれる希望の大光を◇


大好きな島根は、空が光り、海が光り、人の心も光り輝く天地です。

清々しき島根の友と明日への夢を語り合った、あの日この日が蘇ります。

宍道湖を染める夕日を「夢のなかに差す光」と讃えたのは、小泉八雲(ラフ
カディオ・ハーン)です。八雲は「大地のよろこびと美とを感じる」山陰の
人々の心を敬愛していました。

人と自然が調和する島根で「わたしと地球の環境展」が開催されます。同展
は、国連が定める「持続可能な開発のための教育の10年」

「生物多様性の10年」を支援する催しとして、2011年から全国各地を巡回し
てきました。近年、頻発する異常気象やPM2.5による大気汚染など環境問題
が憂慮される中、日本の故郷・島根から地球の未来を照らす機会になればと
願っています。

山陰中央新報社はじめ、ご関係の皆様方に、心から感謝申し上げます。



島根は、日本のみならず地球の宝土(ほうど)シマネです。
隠岐は昨年、世界ジオパーク(大地の公園)に認定されました。中海と宍道
湖は、国際的に重要な湿地としてフムサール条約に登録されています。大田市
の三瓶小豆原埋没林は、縄文時代からの太古の森です。

国連で「平和の文化」の創造に尽力されてきたチョウドリ元事務次長(バン
グラデシユ出身)は、島根での心通う友との交流を宝の思い出としています。
氏は「私たちの惑星のために共に貢献を」と、一貫して呼びかけてきました。

まさしく島根には、この心が深く脈打っています。県では「しまね地球温暖化
防止活動大貫」を実施して、先進的な実績のあった家庭、事業者、学校を表彰
してきました。松江市では、多くの市民が力を合わせて環境フェスティバルを
行い、楽しく学べる広場を能っています。

国際保護鳥であるトキの飼育・繁殖を進めてきたのは、環境先進都市の誇り
高さ出雲市です。山陰中央新報礼においても、「地域との共動」を標榜し、
模範の貢献を示されてきました。



私の妻が知る津和野町の母は、地域の婦人会のリーダーとして、エコバッグ
の普及や資源ゴミ回収の改善など努力を重ねています。東京から夫の郷里に
越してきて、環境問題に取り組んできたことは、ご近所の仲間と連帯を深め、
幸光る「ふるさと」をつくる挑戦でもあったようです。

仏典の警えに「人のために光を灯せば、自分の前も明るくなる」とあります。
光は惜しみなく皆を照らします。一隅であっても、人のため、環境のために
尽くした献身の光は、わが生命を輝かせ、希望の前途を明るく開いてくれます。

島根県では、県外の人が豊かな自然と人情の中で、農林水産業や伝統工芸、
介護などを体験する研修も行われていると伺いました。体験は力です。
「わたしと地球の環境展」では、自ら自転車をこいだエネルギーで発電する
コーナー等が人気を呼んでいます。



日本一の清流と謳われる高津川の水源古賀町で、コウヤマキの自生林を長年
、守り抜いてきた私の友人がいます。父をはじめ先人が険しい山道を踏み固め
て保全した宝の木々を、断じて未来の世代へ伝え託すと心に決め、たゆまず山
に登り続けてきました。

尊き郷土愛に育まれた吉賀町のコウヤマキ―美しい狭円錐形(きょうえんすい
けい)をしたその樹形(じゅけい)がデザインの源となり、世界一の東京スカ
イツリーとして聳(そび)え立ったことは、じつに爽快な晴れ姿です。

「目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住
むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも
、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」これは「慈しみ」と題された
釈尊の言葉であり、島根が生んだ大学者・中村元博士による名訳です。

「慈しみ」の心の光は、あらゆる生命、未来の生命にまで注がれていきます。
ここにこそ、「持続可能な地球社会」を創造する光源かおるといえましょう。
30年前、私は鳥取、島根を訪れ、山陰に満つる光に感嘆を込め、「山光(さ
んこう)」という愛称を提案しました。

世界の憧れ山光、そして共生の理想郷シマネから、喜びあふれる希望の大光
がいやまして輝きわたることを、私は深く念願します。

《略歴》

1928(昭和3)年生まれ。東京都出身。

創価学園、創価大学、創価女子短期大学、アメリカ創価大学、民主音楽協会
、東京富士美術館などを創立。

国連平和賞受賞。モスクワ大学、北京大学、グラスゴー大学、デンバー大学
をはじめ、世界各地の大学からの名誉学術称号は340を超える。

著書に、小説『人間革命』全19一巻)、『新・人間革命』(現25巻)、『
21世紀への対話』(歴史学者トインビーとの対談)など。

 

Dさんと対話

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 1月 9日(月)14時30分45秒
  DさんはKさんの同僚です。 お互いに舎弟と呼んでます。



ひかり「石井さん乗せたんですって?」

Dさん「まあ、仕事だからね」

ひかり「お役人達がすごいこと言ってたんですって?」

Dさん「ああ、早く辞めさせろって話?」

ひかり「そうです。 ブーイングが出てるって聞いてますが」

Dさん「そうだよ。 でも最近はブンヤもリサーチしないんだ。 昔は聞かれたもんだけど」

ひかり「ドライバーさん達には内情が入って来るのにね」

Dさん「情報の宝の山だね、俺に言わせりゃ」

ひかり「国交省自体は、沖縄のアレには反対なんですか?」

Dさん「いや、そうじゃないだろ。 人道的にイカンって、モラルの問題でしょ」

ひかり「そりゃそうですよねえ。 あれはひどい」

Dさん「ひどいよ」

ひかり「でも、辞めさせるワケがないでしょ」

Dさん「うーん。 そういうことだがね」

ひかり「あれも天の配財かな?」

Dさん「廃材置き場の廃材ね」


 

師弟不二アーカイブより 全集未収録スピーチ(2009-10-5 【方面長協議会 ①】)

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2017年 1月 9日(月)14時29分56秒
  一、仏法は、慈悲が根本である。しかし、凡夫である我々の実践は、現実には、勇気であり、知恵である。
大切なのは勇気だ。信心とは、最高の勇気なのである。皆も、勇気を持つことだ。

ずるく臆病な幹部ではいけない。私は、仏法を破壊する三類の強敵に対して面と向かって戦ってきた。

勇気!──これが学会精神だ。

三代の師弟の勇気によって、今日の大発展の礎がつくられたのである(大拍手)。

・・・・・(詳細は)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=11844
 

北國新聞創刊110周年に寄せて

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 1月 9日(月)14時27分4秒
  北陸から文化の飛翔を
池田大作

北國新聞2003年1月23日

「文化とは何か。それは、一人ひとりの依って立つ基盤を互いに尊重しなが
ら、『みんなが幸せになっていこう』という人類特有の祈りであり、営みで
ある」世界的な経済学者ガルブレイス博士(米ハーバード大学名誉教授)の
文化の定義である。

博士が、日本の北陸を〝文化の理想の都〝として絶讃してやまないことは、よ
く知られている。ガルブレイス博士と私は、20年以上にわたるお付き合いとな
る。10年前の秋、私がハーバード大学で「21世紀文明と大乗仏教」と題して、
二度目の講演をした時には、講評者の一人としてスピーチして下さった。

講演の翌日、ご夫妻にお招きいただき、ボストン郊外のお宅に伺ったことも懐
かしい。博士は、1990年の秋、北国新聞社の招きで北陸を訪問されている。そ
の時も、帰国直前の博士と、東京でお会いした。北陸の印象を、博士は綴られ
ている。「一歩、金沢の町に足を踏み入れた瞬間、私は思わず息を呑んだ」

「素晴らしい文化と学問・芸術から期せずして発散されている香気が、町全体
に満ち満ちていたのだ」(角間隆訳)。北陸には「天下の書府」と謳われる文
化王国を築き上げてきた自負と気骨が光る。権力は儚く、文化の命は長い。加賀
百万石の文化は、今も人々の心に脈打つ。例えば、石川県は、日展の入選者数が
人口比で全国一位、伝統工芸展の入選者は日本の一割に及ぶ。

また、輪島塗、山中漆器、九谷焼、加賀友禅、高岡銅器、庄川挽物木地、越中
和紙、井波彫刻、さらに、能楽、邦楽舞踊、茶道……みな伝統文化の粋にして、
そのまま世界に通ずる普遍の美を輝かせている。私が創立した富士美術館も,
世界の各地で「日本美術の名宝展」を開催し,北陸の美の一端を紹介してきた。
キューバのハバナ展には、あのカストロ議長も37年ぶりに美術館まで足を運び、
「なんという美しさだろう。日本の心を感じます」と鑑賞された。

文化は、人類の心を結ぶ橋といってよい。金沢が生んだ蒔絵の巨匠・松田権六
氏は、昭和の初め、国会議事堂の衆参両院本会議場の内壁面を漆塗りにすること
を提案し、実現された。漆は英語で「ジャパン」と言われるほど、日本文化の象
徴である。完成の折、氏は議員に手紙を送った。「議席は『ジャパン』とよばれ
る世界的な漆で包まれた。諸公はその漆(ジャパン)にふさわしい世界性のある
高い識見を大いに吐いていただきたい」。

気宇壮大な北陸文化人の面目躍如である。この政治家への叱咤は、今も変わら
ぬ国民の声であろう。21世紀の今、社会の再生のために、地域の独自性を再発見
する新しい競争が始まっている。もはや、全国が東京化を目指して、町も風景も
生活も画一化し平準化してきた時代は、完全に終わった。豊かな精神性を活かし
つつ、知的・芸術的・科学的産業を発展させゆく北陸は、この新しい競争のモデル
になると思う。

その推進力の要が、活字文化である。北國新聞は、明治26年に創刊されて以来、
地域に密着した、文化の復興と創造の発信基地の使命を一貫して果たしてこられた
。初代社長にして主筆の赤羽寓次郎氏は、創刊の辞で「あらゆる社会の森羅万象の
案内者となる」と高らかに宣言された。泉鏡花、徳田秋声、室生犀星という、錚々
たる郷土の文人の小説を連載されてきたこともロマン薫る歴史である。

栄光に包まれた北国新聞創刊110年、富山新聞創刊80年の佳節を、心から祝賀申し
上げたい。近年、北陸は環日本海文化の一大中心地として一段と光彩を増してきた
。冷戦を終結させた立役者のゴルバチョフ元ソ連大統領も、ロシアと日本海沿岸
地域との交流の進展を熱く見つめている一人だ。元大統領と今は亡きライサ夫人が
格別に喜ばれたのが、桜花舞う創価大学の「万葉の家」での語らいである。

200数10年前の富山の合掌造りの民家を、そのままキャンパスに移した茅葺き屋根
を見上げ、ご夫妻で微笑んでおられた。「子どものころ、同じような造りの家に住
んでいました。故郷に帰り、童話の世界にいるようです」と。元大統領は、雄大な
カフカス山脈を仰ぐスタープロポリという農村の出身である。活力あふれる庶民の
大地に育ったことを誇りとされながら、私との対談集でも語っていた。「新たなる
ヒューマニズム、は、勇気ある人生への尊敬を前提とするものです。

慎ましく、愚痴をこぼさず、人間としての責務を果たしつつ、学び、働き、子を育
て、代々受け継がれてきた伝統を守って生きる、無数の庶民への尊敬の心を大前提
とするものです」歴史の底流を動かす力は「官」ではなくして「民」である。85年
前、富山の女性たちから始まった米騒動に注目し、〝アジアの民衆の自覚を高める
功績〝と讃えた中国人留学生がいた。

その青年こそ、今日の大中国の繁栄の礎を築かれた周恩来総理である。この周総理
と共に日中の国交正常化へ生命を注がれたのが、北陸出身の信念の政治家・松村謙
三先生だ。松村先生は、若い私に「ぜひ、周総理に会うべきだ」と勧めて下さった。
お二人の思い出は尽きない。地球一体化への流れは、年々、加速している。だから
こそ、共々に平和と幸福を志向した深き文化の交流が、益々、重要となろう。

なかんずく焦点は、青年である。青年と青年の友情を育む人間教育の努力のなかに、
永続的な発展と安定が開かれるからだ。日本各地に学ぶ留学生たちを北陸に招いて
の交流行事「ジャパン・テント」には、私の友人であるガリ前国連事務総長など、
多くの識者も出席されている。ある留学生が感銘深く語っていたという。

「時は流れても、地球のどこかで、やさしい日本の石川の人々を思い続けて自分を
励まします」私の師・戸田城聖前会長は、日本海に臨む塩屋(加賀市内)で生を受
けた。忍耐強く、スケールの大きな北陸の血潮が流れていた。「大鵬の空をぞ翔け
る姿して千代の命をくらしてぞあれ」これは、私に下さった恩師の和歌である。

地図を開けば、日本列島は、能登半島を頭として、翼を広げた大鵬と見える。「日
本の誇り・北陸」「世界の憧れ・北陸」の新たな千年への大いなる文化の飛翔を、
私は祈ってやまない。

(いけだ・だいさ<=創価学会名誉会長、創価学会インタナショナル会長)

 

Kさんと対話

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 1月 9日(月)14時09分4秒
  都内の夜間疾風タクシードライバーKさんは、国交省の役人のご帰宅担当になりやすい。

遠くの自宅まで送ってナンボ。

なので、客は馴染みになるし、口もすべるのだ。




Kさん「この間、また乗せたんだわ」

ひかり「国交省のお役人ですか?」

Kさん「そ。 石井さんの元上司」

ひかり「国会中継見て、文句言ってるつー人?」

Kさん「そ。 今は自分が下なモンだからさ」

ひかり「運命の皮肉」

Kさん「そんで、こっちが答えに窮する事を言うんだ」

ひかり「へえ」

Kさん「石井は上の役をやったことがなく、ぺーぺーの時の頭でしか考えられん男だって」

ひかり「ふうん」

Kさん「だいたい、なんであんなにヘコヘコしとるんや、と」

ひかり「確かに。 かははっ」

Kさん「判断も間違っとる、言うべき事もいっとらん、と」

ひかり「へええ。 言うべき事も、ねえ」

Kさん「言うべき事って、何だろ?」

ひかり「さあ?」

Kさん「まあ、いいや。 そんで、車の窓開けて、かああっ、ぺって」

ひかり「えええ~」

Kさん「車体が汚れる~」

ひかり「うわあ」

Kさん「雨でも降ってくれたらいいんだけどさ」

ひかり「キッタナイですねえ」

Kさん「(うなずく)洗う時にまた思い出すよ」

ひかり「その人の事を?」

Kさん「いや、石井国交大臣の顔をね」





 

あと、太ちゃんへ

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 1月 9日(月)13時55分21秒
  細かいことだけど、
昨夕のご投稿の最後「役不足」は誤用だと思いますよ。
正解は自分でお調べください。

また螺髪コーチの指導を受けてみてもいいかも。
ブログの文章は、内容はともかく、以前よりは読みやすくなったように感じます。

それでは『金八先生』最終回のノリになってもいけないのでこれでおいとま致します。
 

山口新聞寄稿

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 1月 9日(月)13時41分53秒
  2010年4月20日

池田大作創価学会名誉会長.


大宇宙では、新しい星が盛んに誕生を続ける星雲が観測される。

活力みなぎる銀河のごとく、日本にも、新しい人材が力強く誕生してきた
天地がある。

それが山口県である。

錦帯橋、秋吉台、ふぐなど、山口の名物は数多いが、何にもまして第一の
お国自慢は「人」であろう。



私が対談した歴史学者トインビー博士も、世界的な視野から明治維新の
舞台・山口に注目されていた。

1929年、博士関門海峡から初めて見た日本の光景も、下関である。
終生、忘れえぬ美しさに魅了されたと感嘆しておられた。
博士と私の対談の焦点は、現代文明の試練に挑む人間の勇気と英知を、
どう持続的に薫発するかにあった。

時代は青年が創る。
ゆえに青年を育てることから一切が始まる。
明治維新の原動力も、萩の松下村塾での師弟の薫陶から生まれた。

今年は吉田松陰先生の生誕180年。

山口に光る教育力から改めて学ぶ好機としたい。



私の恩師は、戦時中、軍部政府による投獄にも屈しなかった信念の教育者で
ある。

その恩師が「青年は良き指導者を得れば、いくらでも変わっていける」と語り
、模範と仰いだのが、吉田松陰であった。

「松陰と、その門下は美しいな。尊い師弟の物語を残したよ。」と、よく言わ
れていた。

その師弟を貫く魂は何か。松陰は「志をたててもって万事の源とす。」と語った。

世のため、民のためにとの師の志が、弟子の命に炎と燃え伝わったのだ。
獄中の松陰は愛弟子の高杉晋作に遺言した。「死して不朽の見込みあらば、
いつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらば生くべし。」

師弟は人を強くする。

心を定めた晋作たちは、若き力を存分に発揮し、天下を動かした。
師弟というと、古い印象を受ける方もいるかもしれない。
しかし、人格は人格の触発によって育まれる。

私と対談したアメリカ実践学協会のマリノフ会長も明快に指摘された。
「より高く精神を飛翔させ、より充実した人生を開くため、師匠の存在は
不可欠です」

師弟は若き心に希望を贈り、その創造性を開花させる源泉となる。



私は青春時代から、山口県の方々と深く広く交友を結んできた。
その進取の気性と開拓の息吹が大好きである。
私の知る青年教育者は、防府市の小学校で校内の淀んだ池を児童と眺め
ながら、「蛍の舞う池に」と夢を語りあった。

皆で蛍について学び、人工ふ化へ調整を開始する。
努力に努力を積み重ね、ついに成功した。
600人の市民の方々と蛍の夕べをひらくまでになった。

自然を愛する心と心が織り成した、この師弟のドラマは、海外にまで反響を
広げている。



「険しく困難な状況ほど、大事業をなすには好都合である」とは松陰の達観で
あった。晋作もまた、迫害の渦中、「我が胸中には太陽あり。我、百折不屈なり」
と叫んでいる。

理想のためには苦難を恐れず。この負けじ魂が、山口には燃える。

近代の宇部の発展を開いた実業家渡邊祐策翁も、郷土のために自己を捧げ、刻
苦苦闘の人生を歩み抜いた。その共存同栄・協同一致の精神は100年以上も
受け継がれ、「宇部方式」とよばれる地域一体の環境保全の知恵に結晶した。

世界的に注目されるモデルである。



厳しい経済状況など、社会は閉塞感を深めている。
だからこそ、心の励ましを強めたい。
もう20年前、中国の人民大会堂で国家指導者の方々から歓迎を頂いた折のこと
である。私は、山口県の庶民の母のことを申し上げた。
それは、作家として高名な登友梅先生の回想である。

戦争末期、登先生は日本に強制連行され、14歳で、工場で働かされた。
過酷な労働や暴力の連続。その中で必死にかばってくれたのが、徳山(現・周
南市)の女性工員たちであった。自らも我が子を戦地へ送り出している婦人は、
涙ながらに語った。

「息子が外国でこんな辛い目にあっていると知ったら、あんたのお母さんはど
んなに切なかろうね」―登少年は、山口の母たちの真心に、故郷と同じく暖かな
「人間」がいることを知った。

それを支えに生き抜いたと感謝されている。胸に迫る友好の秘話だ。
どの命も、我が子のごとく、慈しみ育む―この母の心が満ちる山口こそ、青年
育成の平和の大地といってよい。



教育立県・山口では、尊き伝統を踏まえ、「学ぶ力、創る力、生き抜く力」の
三つの力と、「広い心暖かい心燃える心」の三つの心の育成を目指されてい
る。それは維新の志士たちの志であると同時に、21世紀の世界市民の指標でも
あろう。

少人数教育の実践度の高さも全国の手本だ。大切な「NIE(教育に新聞を)」
運動も、山口新聞など、活発に推進されている。



山口市、岩国市、柳井市、下松市など、いずこにも私は旧友がいる。

トインビー博士の忘れ得ぬ言葉がある、

「次の世代に起ころうとしていることに、本当に関心を持つことができれば、
生命の続く限り若さを保つことができます」下関に立つ、高杉晋作と坂本竜馬の
友情の記念碑は、その名も「青春交響の塔」だ。

山口は老いも若きも、皆人材、皆青春である。我らの愛する山口から、偉大な
青春の交響楽が、明るく賑やかに、未来へ輝きゆくことを、私は願ってやまない。
 

虹と創価家族さま

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 1月 9日(月)13時41分18秒
  太ちゃんが言ったからというわけではありませんが、
もし、まだご気分を害されたままでいらっしゃれば、この場を借りてお詫び申し上げます。

「証人招致」云々については、原田執行部が教義改変以降の会内世論を探るための観測気球として利用され、また、末端会員間に誘発させようとする池田本仏論的思考=偶像化の完成への仕掛けの一つと小生には見受けられたので、
聡明な貴辺が「なんでこんな大きな釣り針にいとも容易く掛かるのか?」と苛立ってしまい強言をしてしまいました。
いすれにせよ言葉が過ぎました。お許しください。
 

1960年代には反戦、反権力を歌ったボブ ディランの評伝が…

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 1月 9日(月)13時22分20秒
  お硬い岩波書店から出ています。ボブ ディラン ロックの精霊。湯浅学。岩波新書。2013年。ノーベル賞受賞で再刊されたとか。安く手に入ります。反戦、反権力から豊潤な音楽性の世界へ。  

VOCAL MINORITYさま

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 1月 9日(月)12時37分36秒
編集済
  当方の余計な口出しで却って混乱を招いたかと危惧しましたが、
どうやら杞憂に終わったようで安堵しております。

また、お時間の許す範囲でいつでも気の向くままにご投稿してみてください。
「辛口応援団」として公平な立場からの忌憚のないご意見を期待しております。
書く力を高めることが、現場での話す力を培うことにも繋がってまいります。

貴兄のようにじっくりと時間をかけて当掲示板を丹念に読み込まれた前提で、
地に足をつけた着実な戦いに徹する方からの刺激と触発が今とても大事です。
他のロム専またはロム中心の方々にも同様のことが言えるでしょう。

板の中での反応の有無にかかわらず、閲覧者お一人おひとりが各人各様で
何かを感じ取り、思索を深めるヒントになれば…。
だから問い掛ける行為を続けていくのが大切です。言葉が返らずとも。。

実は年末年始、この信心をしていない多数の友人知人からいろいろと触発される出来事があって、大きな心境の変化が生じました。
多忙を理由に今まで後回しにしてきた自分の本来やるべき事柄に今年は傾注しようと思います。
一つは十数年ぶりに小説執筆に取り掛かること。
それと5年前から関わっている自然エネルギー関連団体での活動にも本腰を入れようと考えております。2012年のSGI提言を受けての私なりの弟子としての戦いです。

ですので、こちらへの書き込みはしばらくフェードアウト、最小限にとどめ、
満を持して続々と登場される新しい論客たちの活躍を陰ながら見守っていく所存です。

才知に長けた貴兄のこれからのご活躍、ご健闘を祈ります。
 

事情通様m(._.)m

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 1月 9日(月)11時10分10秒
編集済
  栃木の久保田です。m(._.)m

事情通様、はじめましてm(._.)m

佐藤浩の差別発言には 腹が立ちますが、そのひと言で

安保法案強行採決に踏み切った原田会長も会員さんの事をバカにしてることに変わりは有りませんね(*`Д´)

結局自分の身の安全位しか考えていないのが見え見え

です。

宗門との決着に向けて戦っているとき、戸田先生の時代から日顕のこともその他の坊主達のちっちゃな心根の事は(上層部は)解りきっていたにもかかわらず、一般の会員さん達が 坊主を尊敬の目で見ていたことから慎重に進めていたのだと思っております。

言わば獅子王である先生が雁字搦めに鎖に繋がれて身動きが出来ない状況の中、チワワみたいな日顕にチクチク足を噛まれていたようなものでその鎖がクソ坊主を尊敬していた会員さん達であり、見て見ぬふりしていた執行部の面々だったのでしょう(# ゜Д゜)

日顕の『かましてやれー』発言などの音声等が出てきてやっと日顕の事がクソ坊主であることに一般会員さんまで気がついて会員が騙されたくなってから一気に勝負がついて行った様に記憶してます。

執行部や佐藤浩や原田会長の差別的でちっちゃな心根は今に始まった訳では無いでしょうが 大きな会合の壇上でしかも雄弁に話をしている姿だけしか見ていないとその人の心根の貧しさまでは見えない物ですね

現在、執行部やその子分達が(少しばかり知恵の働く)『才能ある畜生』だということが表面に出てきた訳で『畜生道の乞食執行部に明日はない』と断言させていただきます。

クズ浩(# ゜Д゜)せいぜい怯えていろ(*`Д´)ノ!!!

原田会長(# ゜Д゜)今すぐ会長辞めろ(# ゜Д゜)

執行部(# ゜Д゜)揃って居なくなれ(*`Д´)ノ!!!

勃樹(# ゜Д゜)浩と仲良く腹を切れ(# ゜Д゜)

お前達がいなくなるまで叫び続けて行くぞ(# ゜Д゜)

覚悟しろヽ(^○^)ノ






 

カンピースさまの進言に付け足して!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2017年 1月 9日(月)10時44分16秒
  本日の聖教珍聞第四面,五面のわが支部のブロック5勇士の集合写真,半袖,ポロシャツ姿が多く見受けられますが、昨年の写真ですか?掲載遅過ぎませんか?
写真溜め込んでますか?まだまだ沢山有るようですが・・

聖教掲載を楽しみにされていた高齢者の方の中には,既に逝去された方も多いのでは?配慮なさ過ぎです。掲載に際して、一言謝罪の上,ご掲載下さい。現場組織の会員を小馬鹿にしていますか?どうなんでしょうか。
 

今週のことば 2017年1月9日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 1月 9日(月)09時40分14秒
  新成人の友は
新時代の誉れの主役だ。
「願わくは我が弟子等・
大願ををこせ」
偉大な人生を共々に!
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、本日の「新・人間革命」は前フリですか~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 1月 9日(月)08時37分44秒
  おはようございます。原田怪鳥様、北九州での壮年大会への御参加、誠にご苦労様で~す。

本日の「新・人間革命」(大山六)は前フリでしょうか?
>伸一は、さらに、世界のために力を注ぎたかった。しかし、あまりにも多忙であり、激務のなか、時間をこじ開け、海外を訪問できる機会は限られている。”でも、今、各国に全力を注いでいけば、広宣流布即世界平和の飛躍的前進が可能となる。時を逸してはならない!”と強く思った。<

清新六十にもありましたね~
>いや、私は会長を辞めようかとも考えている。今や、学会本部には、世界中から大勢の同志が来る。海外の要人との対応も大事になっています。だから、会長は譲って、世界のために働こうかと思っているんです<

会長職が「多忙だから」「激務だから」「海外を訪問したいから」「要人との対応が大事だから」師匠は退いたんデスか~?

「随筆、新・人間革命」嵐の4・24はどうなったんデスか~? 嵐の4・24を知る人々は、師匠が多忙であり、激務であることは

十分理解できますが、だからといって、此の事が「辞任」につながる訳はないと強く感じていますよ~。


原田怪鳥様、アナタは師匠に辞任を進言した連中の最後の一人であることを忘れないで下さいね~。

真実を知るのも、語れるのも、もはや原田怪鳥様だけで~す。いい加減に真実を語りましょう。

それとも、故野崎氏が著書「謀略」で記された通りに「勇退」で押し切るつもりデスか~(笑)

①学会が最高の充実期にあり、バトンタッチしてもスムーズに新体制が軌道に乗りやすい。
②北條理事長が年齢的にも最もふさわしい円熟期に達したこと
③池田会長への依存体制をいつまでも続けたのでは恒久性に欠けること

はたして、この路線で小説が進行していくのか否か、毎日興味深々で~す(笑)

「あまりにも、悔しき日を、忘れまじ」と詠った師匠の悔しさ、無念さが、どのように「新・人間革命」に描かれるか?

原田怪鳥様、とっても楽しみにしております。ヨロシクお願いしま~す(笑)

 

池田名誉会長の〔世界との語らい〕

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 1月 9日(月)07時19分3秒
  【第3回】中国の文豪巴金氏

2006-5-14

 青年よ〔闘争の魂〕を受け継げ
  ─私は「悪と戦うために」書く

とある東京のレストラン。巴金(ぱきん)先生は、
ふと視線を感じた。一人の女性が満面の笑みを投げかけている。「あなたは、
巴金さんですね」1984年5月12日。この日から巴金先生は、急に人から
声をかけられるようになった。宿泊先で、街角で「こんにちは、巴金さん」。

なぜだか親しげなあいさつを受ける。国際ペン大会の招待作家として来日して
いた。この朝までは、誰も自分を知らない様子だったのに、なぜ?思い当たる
節があった。この日の聖教新聞に、巴金先生と私の会見が、写真入りで紹介さ
れていた。「いや、聖教新聞の影響は大きいです」のちに巴金先生の上海の自
宅で再会したさい、照れくさそうに紹介してくださった。「おかげさまで、い
っぺんに日本中に友人ができました」活字の伝達力、影響力は、まことに大き
い。ご自分が“書かれる側”に回った巴金先生。言論が持つ力の大きさを、あ
らためて実感しておられた。

◆大義に依って立て

私は、書いて、書いて、書きまくってきた。目的があったからだ。友に希望を
届けるために!勇気を贈るために!勝利を開くために!私は、ペンを走らせて
きた。若き日から文筆の職業につきたかった。戸田城聖先生に初めてお会いした

折も、一編の詩をもって門下の礼をとった私である。しかし戸田門下となったの
ちに、私は決めた。書くことは大好きだ。生きがいと言ってもよい。だが、これ
からは自分一人の満足のためには書くまい!師のため、同志のため、学会のため
──「小義(しょうぎ)」ではなく「大義(たいぎ)」のためにペンを握ろう。

出版業を営んでおられた恩師に、少年誌の編集長として使っていただいた。あら
ゆる書き物のお手伝いもした。聖教新聞、大白蓮華等々、学会の機関紙誌の創刊
時から書きぬいた。文を磨きながら、自分を磨き、師に仕えた。俗に「身の丈
(たけ)」という。ひとかどの文筆家を志すなら、自分の身の丈に届くまで書け。

私も、それくらい仕事をした。師の後を継いだのち、私の机は戦場となった。
日本中、世界中の友が待っているのだ。文字通り、寸暇が惜しかった。40度近
い高熱を出した日。長男さえもが不思議がった──なぜ、そこまでして書くので
すか。その日に書いた原稿を示して答えた。一枚でも二枚でも書き進めば、それ
だけ前に進める。戦いを止めてしまえば、それまでだよ。巴金先生は言われてい
る。

「私はペンに火をつけて、わが身を燃やします」自分が感動せずして、人の心を
揺り動かせるわけがない。我が身を炎と燃やさずして、文章で人を照らせるわけ
がない。私は生涯、書き続ける。友のために。広宣流布という、全人類救済の大
義のために。たとえ生命を削ろうと。

◆大人(たいじん)に己なし

人間は最も追いつめられたとき、その真価が分かる。巴金先生には、文化大
革命の際に、言語を絶する迫害があった。一言の発言も許されない。最愛の妻
も失った。しかし、悲嘆に沈むどころか「戦って、戦って、戦い抜いて生きて
いく」ことを考えておられた。大志があったからである。「私が作品を書くの

は生活のためでも、名声のためでもありません。私が文章を書くのは敵と戦う
ためです」古来、中国の文人は、高々と宣言している。「文章は経国(けい
こく)の大業」「文章は国を興(おこ)す」「文は、すべからく天下に益ある
べし」どうせ書くなら大文章を書け。文で天下を揺り動かせ。そのために、も
っと大きく目を開け。己一個のため、己を飾るための文章など恥ではないか。

とうてい文人を名乗る資格はない。これが大中国の伝統である。よく、文章が
書けない、どうすれば力がつくのかと悩む人がいる。小手先のテクニックや人
の評価など、かなぐり捨てることである。友を救う激情である。敵を倒す気概
である。勝利への執念である。大きな目的に立ってこそ、大きな力が出る。
知恵が出る。文筆に限らず、あらゆる分野に通じる鉄則である。巴金先生とは
四度、お会いした。そのたびに確信を深めた。「大人に己なし」。貫いてきた
信念に誤りはないと。

◆正論を取り戻せ巴金先生は、魯迅先生の門下である。

激動の近代中国。魯迅先生の檄文(げきぶん)が発表されると、全中国の人民が
沸き立った。「その通りだ!」「これが真実だ!」一字一句に力があった。魂が
あった。だから読者も、打てば響いた。魯迅先生の時代から、およそ百年。当時
と比較できないほど情報は、あふれかえっている。しかし、情報の量と、人間の
魂を鍛え、益(えき)する文章の質、水準は、必ずしも比例しない。中国だけの

問題ではない。スキャンダル。冷笑。売文主義。部数のためなら、ウソも平気で
捏造(ねつぞう)する。人を踏みつけ、笑い、見下し、不健康な興味ばかりを煽
(あお)る社会の、その先に、いったい何が待っているのか。魯迅先生なら激怒
されるだろう。もちろん巴金先生も。「悪書など読むな!どこに救世(きゅうせ
い)の信念がある?ただの商売ではないか。読めば読むほど自分を腐らせるだけ
だ」「言論の革命が必要だ。言論人は民衆の信頼を取り戻せ」

◆青年を信じ待つ

巴金先生は、1904年に生誕され、2005年に永眠された。激動の中国を駆
け抜けた、最後の世代の文豪である。「私は青年を信じている。それぞれの時代
には、必ず、すぐれた青年が出てくるし、すぐれた思想が出るものだ」一世紀を
越えて生きた。それほどまでに、新しい世代が躍り出るのを待っていた。ご自身
が魯迅先生の精神を継いで走ったように。そう思えてならない。私も青年を信じ
る。待つ。信じ、待ち、託すよりほかない。思想の炎。信念の炎。我が生涯をか
けた魂の炎。それを青年の胸中に点じるために、きょうも私はペンを執(と)る。
 

他の読み方

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 1月 9日(月)06時30分37秒
  人にはそれぞれ思考パターンがあるものです。
虹と創価家族さんが出して頂けたこのソースからは、会員へのホンネにも読めるようにふと気づいた。

僕はこのように読んだしだいです。


原文
http://6027.teacup.com/situation/bbs/29466
▼▼▼▼▼▼
池田会長講演集 第三巻 P.20~22 学会と公明党の関係

(前略)
 また、その後「公明党のビジョン」を発表した時も「学会員一人一人の政党支持は自由である」と明言しておきました。むしろ創価学会は宗教団体として、信仰・布教に専念し、公明党は公党として、立派に社会に貢献し、大衆福祉のために戦ってほしいということが、私の一貫した願いであったのであります。

党はひとり立ちし健全な発展を

 もとより公明党誕生の母体は創価学会であることは間違いない。しかし、いくら母体といっても、いつまでも、それに依存するようであっては、党の健全な発展はない。たとえていえば、賢明な母は、子がひとり立ちできることを願うものであります。
 いつまでも自己の支配化におこうとして、かえって成長を妨げてしまうのは、愚かな母親であります。
 子は、いつまでも幼児ではない。体の成長にともなって、精神的にも、一人前の社会人として、活躍できるようにならなくてはなりません。
 今までは、創価学会と公明党は、この母と子の関係にあると見られてもやむをえなかった。それにしても、我々は、愚かな母親であってはならない。この愚かさは、結局、重荷となって自らにおおいかぶさってくるでありましょうし、子供も社会に貢献できない大きい赤ん坊として社会の笑い者になってしまうでありましょう。
 我々は、これまで、公明党のために一生懸命応援し、守り育ててまいりました。だが第三党にもなれば、すでに立派なおとなであります。それでもなおかつ、これまでのように面倒をみなければならないとしたら、それは不合理というものであり、社会の批判をうけるのも当然の理でありましょう。
 そこで、これは提案になりますが、創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度の上で、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん、理念においては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれのも目的に向かって将来に進むことは、当然であります。これは、党幹部からの強い要望もあり、学会でも当然のこととして、理事会でも決定したことでありますので、皆さん方のご賛成を頂きたいのであります。(賛成挙手)
 今後、たとえ票が減ろうと、議員数が減ろうと、それが世論の要望であり、本来のあり方であるならば、近代政党として、当然の道であります。
▲▲▲▲▲▲

気づいた読み方
▽▽▽▽▽▽
学会員はひとり立ちし健全な発展を

 もとより学会員誕生の母体は創価学会であることは間違いない。しかし、いくら母体といっても、いつまでも、それに依存するようであっては、会員の健全な発展はない。たとえていえば、賢明な母は、子がひとり立ちできることを願うものであります。
 いつまでも自己の支配化におこうとして、かえって成長を妨げてしまうのは、愚かな母親であります。
 子は、いつまでも幼児ではない。体の成長にともなって、精神的にも、一人前の社会人として、活躍できるようにならなくてはなりません。
 今までは、創価学会と会員は、この母と子の関係にあると見られてもやむをえなかった。それにしても、私は、愚かな母親であってはならない。この愚かさは、結局、重荷となって自らにおおいかぶさってくるでありましょうし、子供も社会に貢献できない大きい赤ん坊として社会の笑い者になってしまうでありましょう。
 私は、これまで、会員のために一生懸命応援し、守り育ててまいりました。だが晩年にもなれば、すでに立派なおとなであります。それでもなおかつ、これまでのように面倒をみなければならないとしたら、それは不合理というものであり、社会の批判をうけるのも当然の理でありましょう。
 そこで、これは提案になりますが、創価学会と会員の関係は、あくまでも、制度の上で、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん、理念においては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれのも目的に向かって将来に進むことは、当然であります(組織として広宣流布などの組織活動、個人においてはそれぞれの悩み解決という「自転と公転」の関係)。
△△△△△△

いかがでしょうか。
「公明党」を「学会員」としてみたものです。
「公明党」を「公明党議員」としてもみることができるでしょうか。
最後は意味が難しいと感じ括弧にて意味を添えてますが。
僕にはこれが池田先生の会員へ望んでいた本心に感じるのです。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

重要な情報をありがとうございます

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 1月 9日(月)04時49分40秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/62505

>しかし、佐藤浩は民衆を見下す発言をした。
来年になれば学会員は忘れちゃいますから強行採決しても大丈夫。
この発言を受けて原田会長は採決容認を受け入れた。<


http://6027.teacup.com/situation/bbs/54658
まとめコメント:創共協定について
●創価学会池田会長・日本共産党宮本委員長 人生対談 資料② 青木副会長論文
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56000
聖教新聞 昭和50年(1975年) 7月16日(水)  掲載
より

▼▼▼▼▼▼
  会長は、自由主義であろうと、中国の周恩来首相、ソ連のコスイギン首相らの社会主義者であろうと、きたんなく、平和構築への構想を語り合っている。今回の宮本委員長との対談も、その一環にほかならない。
  こうした我々の姿勢を、一言にしていえば、人間次元の立場であるということができる。これは、政党間の関係、抗争といった政治的次元とは、明確な一線を画するものである。一部では、今回の対談について、政治的意図をうんぬんする論議がなされているが、その致命的誤りは、この人間次元と政治次元との混同にある。

○○○○○○

また政治次元における、公明党と共産党との間の政策論争は、政党として自由であり、それに干渉するつもりはない。この対談も、公明党の政治路線の展望を語ったものではないのである。
  会長が対談に応じたのは、各紙で自身が語っているように、宗教団体である創価学会と、共産党との間に無用の摩擦、泥仕合を生ずることは、学会員を政争の具に供することであり、それが人間的憎しみにまで発展することは仏法者として望ましいことではないと考えているからである。
▲▲▲▲▲▲


他に、もうひとつ重要なものも

http://6027.teacup.com/situation/bbs/29466
▼▼▼▼▼▼
池田会長講演集 第三巻 P.20~22 学会と公明党の関係

(前略)
 また、その後「公明党のビジョン」を発表した時も「学会員一人一人の政党支持は自由である」と明言しておきました。むしろ創価学会は宗教団体として、信仰・布教に専念し、公明党は公党として、立派に社会に貢献し、大衆福祉のために戦ってほしいということが、私の一貫した願いであったのであります。

党はひとり立ちし健全な発展を

 もとより公明党誕生の母体は創価学会であることは間違いない。しかし、いくら母体といっても、いつまでも、それに依存するようであっては、党の健全な発展はない。たとえていえば、賢明な母は、子がひとり立ちできることを願うものであります。
 いつまでも自己の支配化におこうとして、かえって成長を妨げてしまうのは、愚かな母親であります。
 子は、いつまでも幼児ではない。体の成長にともなって、精神的にも、一人前の社会人として、活躍できるようにならなくてはなりません。
 今までは、創価学会と公明党は、この母と子の関係にあると見られてもやむをえなかった。それにしても、我々は、愚かな母親であってはならない。この愚かさは、結局、重荷となって自らにおおいかぶさってくるでありましょうし、子供も社会に貢献できない大きい赤ん坊として社会の笑い者になってしまうでありましょう。
 我々は、これまで、公明党のために一生懸命応援し、守り育ててまいりました。だが第三党にもなれば、すでに立派なおとなであります。それでもなおかつ、これまでのように面倒をみなければならないとしたら、それは不合理というものであり、社会の批判をうけるのも当然の理でありましょう。
 そこで、これは提案になりますが、創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度の上で、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん、理念においては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれのも目的に向かって将来に進むことは、当然であります。これは、党幹部からの強い要望もあり、学会でも当然のこととして、理事会でも決定したことでありますので、皆さん方のご賛成を頂きたいのであります。(賛成挙手)
 今後、たとえ票が減ろうと、議員数が減ろうと、それが世論の要望であり、本来のあり方であるならば、近代政党として、当然の道であります。
▲▲▲▲▲▲

原田会長は“自称”とはいえ一番弟子を名乗るのなら、池田先生のご意思を汲み取るべき。
汲み取れないなら会長を辞任すべき。
小学生でも理解できる話でしょう。

まして池田先生のご意思に明瞭に反逆する意見を受け入れるのでは、結果的に池田先生に反逆してることになります。
反逆してるにもかかわらず“一番弟子”を名乗るというのは、いったいどれだけ先生利用してるのでしょうか。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

民衆の憎悪によって家族を失ったミリエル氏

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2017年 1月 9日(月)03時36分44秒
  さて、レ・ミゼラブルを早いペースで展開していましたので、岩波文庫第一巻に戻って表題を確認しましょう。

目次の通り、第一部はフォンテーヌとしていますが、第一編は正しき人、ミリエル氏の生い立ちから、その行動をつぶさに書いています。稲垣氏のレ,ミゼラブルを読み直すには、実在の人物が居たらしく、その方を尊称していたのではないか?と書かれていました。興味ある方は、公立図書館で検索して読んでみて下さいよ

何故、正しき人からはじまるのか?この意味が分かったのは、私にとっては第一次宗門問題を経験した以降からです。僧侶の腐敗,不正,強欲さ,信徒をオモチャと呼称し,信心指導など全く出来ない輩。宗教の権威をかざして、信者を隷属・差別する。
ユゴーの時代もまた、王政から共和制,王政復古,共和制と目まぐるしく変わる国政で取り残された民衆が塗炭の苦しみに喘いでいる中で、本来,民衆救済をしなければならない宗教が権威・権力を維持するために保身のままに民衆を見殺しにしている,だから始めに「正しき人」を全面に打ち立てて、主人公のジャン・バルジャン,そして悲しみのフォンテーヌ、孤児のコゼットを中心とした小説を書き綴っていこうと考えたのではないかと思います。ひとりの正しき人から始まるストーリー。

では、何故,ミリエル氏は「正しき人」となったのか?これが第一編に網羅されています。
今流に言えば,ミリエル氏は創価公達の子供です。革命の最中,家族を殺され、国外に逃亡してフランスに戻って来た時には、司教になっていた!と言うストーリーです。では何故、民衆から憎悪されて親族一族が殺されたのか?次回に本文を引用して,その理由を展開します。
(続く)
 

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