投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. ひらがなプロジェクト(209)
  2. アルベア論(975)
  3. 正義のあかし(46)
  4. 掲示板の注意事項(1)
  5. 虚構の大石寺疑惑(0)
  6. 2015年安保法制(977)
  7. アラシ行為記録(21)
スレッド一覧(全7)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


(無題)

 投稿者:-Q-  投稿日:2017年 1月 9日(月)18時57分28秒
  お節介ではありますが、老婆心として、一言申します。

間違えやすい表現とはいえ、自分はその任に堪えられないので辞退したいと謙遜していう場合には、「役不足」ではなく「力不足」というべきなのです。役不足では、増上慢と受け取られるだけでしょう。以上、失礼。


 

Re.集めて話す 創価公達(><)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2017年 1月 9日(月)18時32分19秒
  もう,これからはゲゲゲの鬼太郎のように,逝去した活動家が,墓苑に集まり霊界通信して話し合う世界になりますね。

本日のブロック五勇士集合写真の件を或る方面の支部に確認したら案の定,何人かお亡くなりになっており、聖教掲載を楽しみにしていたそうです。

昨年、夏から秋にかけて聖教見開きのページは,どうでも良い暮らしの特集やら無意味なものが連載されていました。正月明けてから思い出したみたいな掲載は、現場組織にかなりの???を与えています。これも後日,集めて話す話題づくりの営為なんでしょうかね?わざと混乱されて,皆の興味を引いたところで、集めて話す(><)

様々な混乱を引き起こして集めて話す,興味持たせる為に話題作りして集めて話す,直弟子も勃樹も海外へ出向いて折伏・弘教したくないから、ダラダラ日本国内の組織を混乱させ,それを鎮圧するために国内指導と称して会員を糾合して集めて話す(><)。

なんか,創価公達のやり口がだんだん理解できるようになりました。会員かき集めて、会合開いて国内徘徊を目的とされているのですね(><)
 

法華経の智慧・随喜功徳品より

 投稿者:臥子龍メール  投稿日:2017年 1月 9日(月)18時29分12秒
  民主主義の「内実」をつくる戦い

池田 国土世間をも変えていくのが広宣流布です。事の一念三千です。ともあれ、一人から一人へ、また一人から一人へ──五十展転は最高に民主的な対話の軌道です。

民主主義は、形式だけ、制度だけを整えればいいかと言うと、断じてそうではない。「内実」がなければ、からっぼの箱のようなものだ。すぐに、つぶれてしまう。

「内実」とは何か。個人の自立であり、向上であり、個人の幸福です。
「一人の人間」を、どう生き生きと躍動させていくか。その「個人の尊厳」への努力なくしでは民主主義は形骸化する。

遠藤 今の日本が、まさにそうです。

池田 民衆の「心」が空虚で、からっぽであれば、民主主義の危機です。
そこに「権力の魔性」は、つけこむ。国家主義が黒い影を広げ始める。

戸田先生は「個人の幸福と社会の繁栄が一致しなければいけない」と言われたが、個人の幸福をなおざりにして、「社会の繁栄」だけを追ったところに、大きな失敗がある。
個人の幸福と言っても、利己主義の幸福ではない。「自他ともに智慧と慈悲をもっていくという真の「人間の確立」です。

多くの社会主義国、また自由主義国も含めて世界的課題であるが、法華経こそが「個人の幸福」と「社会の繁栄」をともに実現していく力をもっているのです。それが「事の一念三千」です。
要するに、一人の人を幸福にしたいと祈り、語っている、私どもの行動こそ、最高の民主的行動であり、民主社会の「内実」をつくっているのです。

「歓喜」から「歓喜」への展転です。いくら展転し、広がっても歓喜は減ることがない。だれひとり犠牲にしない。すべての人に幸福を満喫させながらの広布の展開です。

「今日もまた明日もまた……と学会歌を歌いながら、あの道、この道を歩きに歩きながら、正法を弘めてきた。
苦しい時も、つらい時も、くやし涙にくれる時も、学会歌を歌えば勇気が出た。
そうやって君たちの先輩は「二十世紀の奇跡」と言われる妙法広宣流布をやってきたのです。

威風堂々と、王者の道を

斉藤 「威風堂々の歌」には、学会員のだれもが、何らかの思い出をもっていますね。
それほど全国津々浦々で歌われてきました。

遠藤 ″戦後最大のヒット曲″と言う人もいます(笑い)

須田 以前、作詞者の方について、池田先生は語ってくださいました。
先生は「この歌が厳しい環境の中、京都の皆さまの″前進の息吹″の中から誕生したことは、すばらしい広布の歴史である」と紹介してくださいました。(本全集第七十三巻)

その方はもう亡くなられているので、京都の方に話を聞いてみました。歌を作ったのは、入会してまもないころで昭和三十年の時です。傘問屋を営んでいましたが、取引先の倒産で、多額の負債を抱え、生活苦のドン底のなかで、この仏法の話を聞きました。紹介者が言いました。

「この信心はすごいで。三カ月、やってみなはれ。必ず結果が出る。もし出んかったら、おれの首やるわ」「そんな首、ほしない。金がほしいんや」「いくらほしい」「三万円」
踏み倒された額でした。紹介者は、すかさず言いました。
「よし分かった。絶対、取り返せる。その代わり、三カ月間、勤行と座談会を欠かさないで、おれについて折伏すること」

遠藤 確信ですね。大確信が折伏の命ですね。

須田 そして、一緒に弘教に歩きまわり、三カ月たたないうちに、夜逃げしていた取り引き相手が帰ってきて、三万円を返してくれたのです。確信をつかみ、ますます弘教に走ります。この頃、他の地区では「地区の歌」が作られていました。ところが京都地区には地区歌がない。皆、寂しい思いをした。

そのことを先輩に訴えたら、先輩はその場でエンピツと紙を出し、″じゃ、自分で作れ″と(笑い)。作詞の経験など全くありませんでしたが、情熱はありました。店の小さな机の前で、立ったまま考えました。「威風堂々」──。このテーマが決まると、不思議なくらいエンピツが動きました。「たとえ今、身が落ちぶれていようとも、広宣流布の出陣をするんや、威風堂々と……」。

曲も見ようみまねで作りました。歌うたびに曲がかわり(笑い)、″完成″まで一カ月かかりました。
「濁悪の此の世行く学会の
行く手を阻むは何奴なるぞ
威風堂々と信行たてて
進む我らの確信ここに」

テープレコーダーもない時代です。「ええ歌やなあ」と、口から口ヘ、この歌は伝えられていきました。京都支部結成と同時に、支部歌になりました。そして、この歌を高らかに歌いながら、京都支部は日本一の折伏の結果を出しています。日本中の人が驚きました。

池田 私も京都でこの歌を聞きました。歌も素晴らしかったが、この歌を歌いながら、千年の古都で法旗を掲げた京都の同志の意気込みが素晴らしかった。すぐに、全国の学会員の歌にしようと思いました。

須田 そのことは今も京都の方たちの誇りになっています。
先生は「これはいい歌だ。これからはみんなで歌おう」と提案され、歌詞に手を入れてくださいました。
当初、三番の最初の一行は「我ら住む平安の 洛土見ん」だった。それを先生がさっと「我ら住む日本の 楽土見ん」に変えられた。「ぱあっと一気に境涯が開ける思いだった」と言います。それから全国に広まるのは本当に早かった。

彼自身も、暮らしが好転。手描き友禅で色をつける仕事が成功し、何不自由ない生活となり、″御殿″と呼ばれる邸宅に住んで、毎年のように海外旅行ができる境遇になりました。
先生が京都の会合でその方を紹介された時(一九八九年)、末期がんで入院していました。先輩幹部が会合の模様を伝えようと、急いで病室を訪れました。彼は話を聞いて、本当に、うれしそうにうなずいていたそうです。それからほどなく六十九歳の使命の人生を終えられ、霊山へと旅立っていかれました。

その方の生前、″対話の名人″″個人指導の達人″と呼ばれていました。だれが行っても立ち上がらない人も、彼の話だけは聞いたといいます。
逝去前のある日のことです。彼は、病床で見舞いの人に言いました。
「おれね。もっとしたいことがあるんや」
「なんやの。また海外旅行したいの」
「いいや、それはな、家庭訪問や。家庭訪問したい。みんなと、もういっペん一緒に学会活動したいんや」
まさに、彼の人生は、「威風堂々の歌」の通り、庶民の王者の一生だった、と思います。

斉藤 「学会活動したいんや」──まさに実感ですね。
学会活動こそ最高の「今生人界の思出」だと思います。

--------------------------------------------------------------------------

民衆の「心」が空虚で、からっぽであれば、民主主義の危機です。
そこに「権力の魔性」は、つけこむ。国家主義が黒い影を広げ始める。

何も考えない、頷きバカの末端幹部まで国家主義の黒い影が見え隠れする。
人権を如何なるものかと考えることなどまったく無くなってしまったようだ。

団体利己主義とも言える組織主義に汚染されると周りを見なくなる典型か?
「信無き言論煙の如し」先氏言葉をにべにする公明議員よ本部職員よ忘恩たること莫れ!!
 

向上心のある人でないと掲示板についていけないですよ?

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 1月 9日(月)18時19分17秒
編集済
  僕自身は過去に「自分で自分を追い出すマネ」をしております。
信濃町の人びとさんにロコツな罵声を浴びせたけどf^^;
長く掲示板をみてきてる人なら知ってるでしょうけど。
それについてというか。

秋谷会長時代からでしょうけど、冥益が育ちにくい体制に徐々に変化していってるように感じます。
今ではすっかり冥益の弾圧状態といっていいほど。
病気や経済苦などで「今すぐ功徳の必要な人」のみが活動を通して冥益がどういうものか実感していってたように感じるのだけど。
またそういう人に触発され活動する部員さんとか。
それが可能だったのは、池田先生の話などをそれこそ身読するように真剣に本質部分を吸収していけた人がいたからでしょう。

向上心を持つ人は、日蓮仏法史上700年以上で最高の指導者である池田先生が正しい、と帰結するでしょう。
将来は池田先生以上の信仰者が出現する可能性はあるのかわかりませんが、少なくとも現時点で最高の信仰者であるのは間違いないでしょうから。
最高の信仰者だから、信仰の手本として最善なんですね。
これを端的には「指導者」「師匠」「先生」などなど、呼称はいくつかあっても最高の信仰者だからそうなってるんですね。

池田先生を師匠とする、というのは、具体的にどのように正しいのか、自分でひとつひとつ確認して実感することなんです。
この点がブレると、むしろ福運を食い潰しやすくなってしまうんです。

どういう現象かというと、自分で自分を追い出す環境を自分で作ってしまうんです。
人間関係の悩みも昔の体験談に豊富にあるけれど。
解決のパターンは三通りあるように感じます。

「法華経の兵法」によって生命が触発されたことで、善性が生じ「理解者」となって解決するか。
これが最善ですが。
「一家和楽の信心」の体験談はまさにこのパターンでしょう。

逆のパターンも。
なんらかで相手が自分の前よりいなくなってしまう、というのも顕著なんです。
これは逆に、宿業のまま仏性に抗ったことでその場所に存在できなくなるほど福運を食い潰していき、福運が尽きたところでその場所に存在できなくなる、とか。
このパターンの場合は、自分の意思に沿うよう周囲に強要する行為が多いとそうなりやすいんです。
一度に行うのがひとりとかでも、何回もやれば周囲のそれぞれは自分を守るべく「距離を置く」ことになることで自分が孤立してしまい、福運があれば対処できるものが対処できなくなるんです。

あるいは、まさしく「宇宙のリズム」というしかないような、良い環境へ自分自身が移動する縁の現象もあるようですね。
いくつかパターンがあるにせよ、これらは「法華経の兵法」による現象なんですね。

かくいう僕自身も過去に「自分で自分を追い出すマネ」をやっていますから。
その本質部分は述べた通りです。

みんなそれぞれ自分のことで手一杯です。
その辺に留意しないと他の人はそれぞれ協力しようにも合わせられなくなる悪循環になるんです。
だから、協力してもらえるには、周囲に協力できる配慮が必須になるんじゃないでしょうか。
その配慮が効果的なものかどうかよりも、配慮しようとする心境があれば、誰かしらがフォローしていってますよ。
そりゃ組織でそれを普通に活動としてやってるのでしょうから、自然とそうなるんですね。

宿業に勝る福運を身につけて頂ければと思います。
池田先生じゃないけど「勝って勝って勝ちまくれ!」と僕は声を大にして言いたいのです。
そのためには自分ひとりで勝つのではなくて、自分をとりまく周囲との一緒の勝利がコツなんです。

これは自分をとりまく周囲との一緒の福運の向上による結果ともいえますでしょうか。
だからこそ「地涌の菩薩」なのでしょうね。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

連投失礼致します

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 1月 9日(月)18時02分0秒
  地区部長が都議選に向けての壮年部の合言葉を教えてくださいました。南無公明党佛!  

集めて話す!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 1月 9日(月)17時59分13秒
   創価学会の運動形態の柱のひとつに「集めて話す」があります。
 これも、いろんな変遷を辿ってきていますから、一概には言えないのですが、いまも「柱」の一つであることは疑いありません。いわゆる「会合」形式っていうのです。
 新進党ができたあとの選挙活動で、当時、代表の小沢氏から指摘もされていましたよね。「集めて気勢を上げているだけではダメだ」ってね。

 もう20年以上前に池田先生から指摘がありました。「創価学会は一対一の対話が基本。会合8割、個人指導2割から、個人指導8割、会合2割に転換した方がいい」(趣旨)。先ごろの、原田会長の「一対一」指導は、その意味では正しい。ところが、方面、総県幹部あたりから、この図式が崩れています。相変わらず会合主導。会合方式の方が楽だからです。一対一の対話は、手間も、時間も必要です。区・圏、本部あたりになると、ほとんど資料配布だけってのがほとんどですよ。「わかっちゃいるけど…」っていうやつですかね。
 総県長はじめ総県幹部に職員が随分増えましたね。その方がやりやすいからでしょう。何しろ、反対や、異論が出ないのですから。職員は、言うことを聞かなければいけません。給与をもらっていますからね。だが、会員は組織従事者じゃありません。勘違いしないで頂きたい。

 集まれば、盛り上がった気分になる。これは、昔からそうでした。だが、会場を出て、家が近くなると、だんだん気分は冷める。現実の生活があるからです。問題なのは、会合を担当した幹部が、言いたいことを言い放って、「これでよしっ!」なんて、自分の仕事は終わったみたいな気持ちになっていることですよ。本当は、そこからが始まりなのに。

 知っていますか。いま、現場では、ワンボックスや大きい車を、小さい車、中には軽自動車に代替えしている人が増えたことを。第一級の活動家が年金世代となり、若い人も年収300万円ならまだまし、年収200万円以下の人が増えて、携帯電話は必需品だが、とても車まで手が回らないという状況だからです。そして、結集、結集の会合に嫌気がさしてきていることもあります。
 どこかの職員のように年収1000万円、2000万円なんて、いまじゃ考えられない。57年の税務署公表数字でしたか、秋谷会長年収5500万円、それで“マイ聖教”なんてもう論外ですわ!

 SKPの会合写真をみても、沢山の人が集まっています。もう、こんなので人が納得するかどうかを考えるべきですよね。その「集り」にいかなければ、何もすることはない、情報もない、影響されることはないってことですか……?!


 【PS】小作人@地上の発心 さん 「役不足」は「役者不足」ですね。

 

本部幹部会の入場券を地区部長が届けてくれました

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 1月 9日(月)16時28分30秒
  ところで言われたことは、仏意仏勅の公明党を批判すれば仏罰を受ける。公明党佛なのだから。東京都議選勝利を祈れば功徳善根福運を積む。  

本幹

 投稿者:宝剣  投稿日:2017年 1月 9日(月)16時14分1秒
編集済
  婦人部の壇上って寂しくないですか?
僅か二列

婦人部の皆さん
大事にされていますか?

原田会長、遂に首だけでなく、全身が曲がっています

体曲がれば、影ななめなり

信心の姿勢を正すことを進言させて頂きます
 

差別は犯罪

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 1月 9日(月)15時30分45秒
  井桁:犯罪といえば、ヨーロッパでは「差別は犯罪である」と、はっき
り認識している国が多いと言われています。その点、日本は、まだまだ人権
後進国だと思います。

名誉会長:多くの人が、そう指摘しています。そういう「社会のゆがみ」
が、陰惨な「いじめ」にも影を落としている。(中略)いかなる理由があろ
うと、いじめは絶対にいけない。いじめる側にも、言い分はあるかもしれな
い。自分の苦しさを、他の人にぶつけているのかもしれない。

しかし、どんな理由があろうとも、いじめや差別を正当化することは絶対
にできない。いじめは「人道上の犯罪である」ことを、皆の共通認識にすべ
きでしょう。
悪い人間に対しては厳しさも必要です。これも人権闘争です。善い人間を
守る。これも立派な人権闘争です。

★池田大作著「青春対話」3(40~43p)

 

法華講に訪問されてしまった。

 投稿者:フラフラ  投稿日:2017年 1月 9日(月)15時18分47秒
  そいつらが言うには天変地異は学会が、狂って戒壇のご本尊を捨てたからだと。
馬鹿野郎!狂ってんのは、原田と執行部だろうが~!!
ついつい本音を言ってしまった。
 

山陰中央新報への特別寄稿

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 1月 9日(月)15時10分0秒
  特別寄稿「わたしと地球の環境展」の開催に寄せて―

共生の理想郷・シマネ.

山陰中央新報2014年3月6日(木)

創価学会名誉会長池田大作


◇喜びあふれる希望の大光を◇


大好きな島根は、空が光り、海が光り、人の心も光り輝く天地です。

清々しき島根の友と明日への夢を語り合った、あの日この日が蘇ります。

宍道湖を染める夕日を「夢のなかに差す光」と讃えたのは、小泉八雲(ラフ
カディオ・ハーン)です。八雲は「大地のよろこびと美とを感じる」山陰の
人々の心を敬愛していました。

人と自然が調和する島根で「わたしと地球の環境展」が開催されます。同展
は、国連が定める「持続可能な開発のための教育の10年」

「生物多様性の10年」を支援する催しとして、2011年から全国各地を巡回し
てきました。近年、頻発する異常気象やPM2.5による大気汚染など環境問題
が憂慮される中、日本の故郷・島根から地球の未来を照らす機会になればと
願っています。

山陰中央新報社はじめ、ご関係の皆様方に、心から感謝申し上げます。



島根は、日本のみならず地球の宝土(ほうど)シマネです。
隠岐は昨年、世界ジオパーク(大地の公園)に認定されました。中海と宍道
湖は、国際的に重要な湿地としてフムサール条約に登録されています。大田市
の三瓶小豆原埋没林は、縄文時代からの太古の森です。

国連で「平和の文化」の創造に尽力されてきたチョウドリ元事務次長(バン
グラデシユ出身)は、島根での心通う友との交流を宝の思い出としています。
氏は「私たちの惑星のために共に貢献を」と、一貫して呼びかけてきました。

まさしく島根には、この心が深く脈打っています。県では「しまね地球温暖化
防止活動大貫」を実施して、先進的な実績のあった家庭、事業者、学校を表彰
してきました。松江市では、多くの市民が力を合わせて環境フェスティバルを
行い、楽しく学べる広場を能っています。

国際保護鳥であるトキの飼育・繁殖を進めてきたのは、環境先進都市の誇り
高さ出雲市です。山陰中央新報礼においても、「地域との共動」を標榜し、
模範の貢献を示されてきました。



私の妻が知る津和野町の母は、地域の婦人会のリーダーとして、エコバッグ
の普及や資源ゴミ回収の改善など努力を重ねています。東京から夫の郷里に
越してきて、環境問題に取り組んできたことは、ご近所の仲間と連帯を深め、
幸光る「ふるさと」をつくる挑戦でもあったようです。

仏典の警えに「人のために光を灯せば、自分の前も明るくなる」とあります。
光は惜しみなく皆を照らします。一隅であっても、人のため、環境のために
尽くした献身の光は、わが生命を輝かせ、希望の前途を明るく開いてくれます。

島根県では、県外の人が豊かな自然と人情の中で、農林水産業や伝統工芸、
介護などを体験する研修も行われていると伺いました。体験は力です。
「わたしと地球の環境展」では、自ら自転車をこいだエネルギーで発電する
コーナー等が人気を呼んでいます。



日本一の清流と謳われる高津川の水源古賀町で、コウヤマキの自生林を長年
、守り抜いてきた私の友人がいます。父をはじめ先人が険しい山道を踏み固め
て保全した宝の木々を、断じて未来の世代へ伝え託すと心に決め、たゆまず山
に登り続けてきました。

尊き郷土愛に育まれた吉賀町のコウヤマキ―美しい狭円錐形(きょうえんすい
けい)をしたその樹形(じゅけい)がデザインの源となり、世界一の東京スカ
イツリーとして聳(そび)え立ったことは、じつに爽快な晴れ姿です。

「目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住
むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも
、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」これは「慈しみ」と題された
釈尊の言葉であり、島根が生んだ大学者・中村元博士による名訳です。

「慈しみ」の心の光は、あらゆる生命、未来の生命にまで注がれていきます。
ここにこそ、「持続可能な地球社会」を創造する光源かおるといえましょう。
30年前、私は鳥取、島根を訪れ、山陰に満つる光に感嘆を込め、「山光(さ
んこう)」という愛称を提案しました。

世界の憧れ山光、そして共生の理想郷シマネから、喜びあふれる希望の大光
がいやまして輝きわたることを、私は深く念願します。

《略歴》

1928(昭和3)年生まれ。東京都出身。

創価学園、創価大学、創価女子短期大学、アメリカ創価大学、民主音楽協会
、東京富士美術館などを創立。

国連平和賞受賞。モスクワ大学、北京大学、グラスゴー大学、デンバー大学
をはじめ、世界各地の大学からの名誉学術称号は340を超える。

著書に、小説『人間革命』全19一巻)、『新・人間革命』(現25巻)、『
21世紀への対話』(歴史学者トインビーとの対談)など。

 

Dさんと対話

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 1月 9日(月)14時30分45秒
  DさんはKさんの同僚です。 お互いに舎弟と呼んでます。



ひかり「石井さん乗せたんですって?」

Dさん「まあ、仕事だからね」

ひかり「お役人達がすごいこと言ってたんですって?」

Dさん「ああ、早く辞めさせろって話?」

ひかり「そうです。 ブーイングが出てるって聞いてますが」

Dさん「そうだよ。 でも最近はブンヤもリサーチしないんだ。 昔は聞かれたもんだけど」

ひかり「ドライバーさん達には内情が入って来るのにね」

Dさん「情報の宝の山だね、俺に言わせりゃ」

ひかり「国交省自体は、沖縄のアレには反対なんですか?」

Dさん「いや、そうじゃないだろ。 人道的にイカンって、モラルの問題でしょ」

ひかり「そりゃそうですよねえ。 あれはひどい」

Dさん「ひどいよ」

ひかり「でも、辞めさせるワケがないでしょ」

Dさん「うーん。 そういうことだがね」

ひかり「あれも天の配財かな?」

Dさん「廃材置き場の廃材ね」


 

師弟不二アーカイブより 全集未収録スピーチ(2009-10-5 【方面長協議会 ①】)

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2017年 1月 9日(月)14時29分56秒
  一、仏法は、慈悲が根本である。しかし、凡夫である我々の実践は、現実には、勇気であり、知恵である。
大切なのは勇気だ。信心とは、最高の勇気なのである。皆も、勇気を持つことだ。

ずるく臆病な幹部ではいけない。私は、仏法を破壊する三類の強敵に対して面と向かって戦ってきた。

勇気!──これが学会精神だ。

三代の師弟の勇気によって、今日の大発展の礎がつくられたのである(大拍手)。

・・・・・(詳細は)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=11844
 

北國新聞創刊110周年に寄せて

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 1月 9日(月)14時27分4秒
  北陸から文化の飛翔を
池田大作

北國新聞2003年1月23日

「文化とは何か。それは、一人ひとりの依って立つ基盤を互いに尊重しなが
ら、『みんなが幸せになっていこう』という人類特有の祈りであり、営みで
ある」世界的な経済学者ガルブレイス博士(米ハーバード大学名誉教授)の
文化の定義である。

博士が、日本の北陸を〝文化の理想の都〝として絶讃してやまないことは、よ
く知られている。ガルブレイス博士と私は、20年以上にわたるお付き合いとな
る。10年前の秋、私がハーバード大学で「21世紀文明と大乗仏教」と題して、
二度目の講演をした時には、講評者の一人としてスピーチして下さった。

講演の翌日、ご夫妻にお招きいただき、ボストン郊外のお宅に伺ったことも懐
かしい。博士は、1990年の秋、北国新聞社の招きで北陸を訪問されている。そ
の時も、帰国直前の博士と、東京でお会いした。北陸の印象を、博士は綴られ
ている。「一歩、金沢の町に足を踏み入れた瞬間、私は思わず息を呑んだ」

「素晴らしい文化と学問・芸術から期せずして発散されている香気が、町全体
に満ち満ちていたのだ」(角間隆訳)。北陸には「天下の書府」と謳われる文
化王国を築き上げてきた自負と気骨が光る。権力は儚く、文化の命は長い。加賀
百万石の文化は、今も人々の心に脈打つ。例えば、石川県は、日展の入選者数が
人口比で全国一位、伝統工芸展の入選者は日本の一割に及ぶ。

また、輪島塗、山中漆器、九谷焼、加賀友禅、高岡銅器、庄川挽物木地、越中
和紙、井波彫刻、さらに、能楽、邦楽舞踊、茶道……みな伝統文化の粋にして、
そのまま世界に通ずる普遍の美を輝かせている。私が創立した富士美術館も,
世界の各地で「日本美術の名宝展」を開催し,北陸の美の一端を紹介してきた。
キューバのハバナ展には、あのカストロ議長も37年ぶりに美術館まで足を運び、
「なんという美しさだろう。日本の心を感じます」と鑑賞された。

文化は、人類の心を結ぶ橋といってよい。金沢が生んだ蒔絵の巨匠・松田権六
氏は、昭和の初め、国会議事堂の衆参両院本会議場の内壁面を漆塗りにすること
を提案し、実現された。漆は英語で「ジャパン」と言われるほど、日本文化の象
徴である。完成の折、氏は議員に手紙を送った。「議席は『ジャパン』とよばれ
る世界的な漆で包まれた。諸公はその漆(ジャパン)にふさわしい世界性のある
高い識見を大いに吐いていただきたい」。

気宇壮大な北陸文化人の面目躍如である。この政治家への叱咤は、今も変わら
ぬ国民の声であろう。21世紀の今、社会の再生のために、地域の独自性を再発見
する新しい競争が始まっている。もはや、全国が東京化を目指して、町も風景も
生活も画一化し平準化してきた時代は、完全に終わった。豊かな精神性を活かし
つつ、知的・芸術的・科学的産業を発展させゆく北陸は、この新しい競争のモデル
になると思う。

その推進力の要が、活字文化である。北國新聞は、明治26年に創刊されて以来、
地域に密着した、文化の復興と創造の発信基地の使命を一貫して果たしてこられた
。初代社長にして主筆の赤羽寓次郎氏は、創刊の辞で「あらゆる社会の森羅万象の
案内者となる」と高らかに宣言された。泉鏡花、徳田秋声、室生犀星という、錚々
たる郷土の文人の小説を連載されてきたこともロマン薫る歴史である。

栄光に包まれた北国新聞創刊110年、富山新聞創刊80年の佳節を、心から祝賀申し
上げたい。近年、北陸は環日本海文化の一大中心地として一段と光彩を増してきた
。冷戦を終結させた立役者のゴルバチョフ元ソ連大統領も、ロシアと日本海沿岸
地域との交流の進展を熱く見つめている一人だ。元大統領と今は亡きライサ夫人が
格別に喜ばれたのが、桜花舞う創価大学の「万葉の家」での語らいである。

200数10年前の富山の合掌造りの民家を、そのままキャンパスに移した茅葺き屋根
を見上げ、ご夫妻で微笑んでおられた。「子どものころ、同じような造りの家に住
んでいました。故郷に帰り、童話の世界にいるようです」と。元大統領は、雄大な
カフカス山脈を仰ぐスタープロポリという農村の出身である。活力あふれる庶民の
大地に育ったことを誇りとされながら、私との対談集でも語っていた。「新たなる
ヒューマニズム、は、勇気ある人生への尊敬を前提とするものです。

慎ましく、愚痴をこぼさず、人間としての責務を果たしつつ、学び、働き、子を育
て、代々受け継がれてきた伝統を守って生きる、無数の庶民への尊敬の心を大前提
とするものです」歴史の底流を動かす力は「官」ではなくして「民」である。85年
前、富山の女性たちから始まった米騒動に注目し、〝アジアの民衆の自覚を高める
功績〝と讃えた中国人留学生がいた。

その青年こそ、今日の大中国の繁栄の礎を築かれた周恩来総理である。この周総理
と共に日中の国交正常化へ生命を注がれたのが、北陸出身の信念の政治家・松村謙
三先生だ。松村先生は、若い私に「ぜひ、周総理に会うべきだ」と勧めて下さった。
お二人の思い出は尽きない。地球一体化への流れは、年々、加速している。だから
こそ、共々に平和と幸福を志向した深き文化の交流が、益々、重要となろう。

なかんずく焦点は、青年である。青年と青年の友情を育む人間教育の努力のなかに、
永続的な発展と安定が開かれるからだ。日本各地に学ぶ留学生たちを北陸に招いて
の交流行事「ジャパン・テント」には、私の友人であるガリ前国連事務総長など、
多くの識者も出席されている。ある留学生が感銘深く語っていたという。

「時は流れても、地球のどこかで、やさしい日本の石川の人々を思い続けて自分を
励まします」私の師・戸田城聖前会長は、日本海に臨む塩屋(加賀市内)で生を受
けた。忍耐強く、スケールの大きな北陸の血潮が流れていた。「大鵬の空をぞ翔け
る姿して千代の命をくらしてぞあれ」これは、私に下さった恩師の和歌である。

地図を開けば、日本列島は、能登半島を頭として、翼を広げた大鵬と見える。「日
本の誇り・北陸」「世界の憧れ・北陸」の新たな千年への大いなる文化の飛翔を、
私は祈ってやまない。

(いけだ・だいさ<=創価学会名誉会長、創価学会インタナショナル会長)

 

Kさんと対話

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 1月 9日(月)14時09分4秒
  都内の夜間疾風タクシードライバーKさんは、国交省の役人のご帰宅担当になりやすい。

遠くの自宅まで送ってナンボ。

なので、客は馴染みになるし、口もすべるのだ。




Kさん「この間、また乗せたんだわ」

ひかり「国交省のお役人ですか?」

Kさん「そ。 石井さんの元上司」

ひかり「国会中継見て、文句言ってるつー人?」

Kさん「そ。 今は自分が下なモンだからさ」

ひかり「運命の皮肉」

Kさん「そんで、こっちが答えに窮する事を言うんだ」

ひかり「へえ」

Kさん「石井は上の役をやったことがなく、ぺーぺーの時の頭でしか考えられん男だって」

ひかり「ふうん」

Kさん「だいたい、なんであんなにヘコヘコしとるんや、と」

ひかり「確かに。 かははっ」

Kさん「判断も間違っとる、言うべき事もいっとらん、と」

ひかり「へええ。 言うべき事も、ねえ」

Kさん「言うべき事って、何だろ?」

ひかり「さあ?」

Kさん「まあ、いいや。 そんで、車の窓開けて、かああっ、ぺって」

ひかり「えええ~」

Kさん「車体が汚れる~」

ひかり「うわあ」

Kさん「雨でも降ってくれたらいいんだけどさ」

ひかり「キッタナイですねえ」

Kさん「(うなずく)洗う時にまた思い出すよ」

ひかり「その人の事を?」

Kさん「いや、石井国交大臣の顔をね」





 

あと、太ちゃんへ

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 1月 9日(月)13時55分21秒
  細かいことだけど、
昨夕のご投稿の最後「役不足」は誤用だと思いますよ。
正解は自分でお調べください。

また螺髪コーチの指導を受けてみてもいいかも。
ブログの文章は、内容はともかく、以前よりは読みやすくなったように感じます。

それでは『金八先生』最終回のノリになってもいけないのでこれでおいとま致します。
 

山口新聞寄稿

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 1月 9日(月)13時41分53秒
  2010年4月20日

池田大作創価学会名誉会長.


大宇宙では、新しい星が盛んに誕生を続ける星雲が観測される。

活力みなぎる銀河のごとく、日本にも、新しい人材が力強く誕生してきた
天地がある。

それが山口県である。

錦帯橋、秋吉台、ふぐなど、山口の名物は数多いが、何にもまして第一の
お国自慢は「人」であろう。



私が対談した歴史学者トインビー博士も、世界的な視野から明治維新の
舞台・山口に注目されていた。

1929年、博士関門海峡から初めて見た日本の光景も、下関である。
終生、忘れえぬ美しさに魅了されたと感嘆しておられた。
博士と私の対談の焦点は、現代文明の試練に挑む人間の勇気と英知を、
どう持続的に薫発するかにあった。

時代は青年が創る。
ゆえに青年を育てることから一切が始まる。
明治維新の原動力も、萩の松下村塾での師弟の薫陶から生まれた。

今年は吉田松陰先生の生誕180年。

山口に光る教育力から改めて学ぶ好機としたい。



私の恩師は、戦時中、軍部政府による投獄にも屈しなかった信念の教育者で
ある。

その恩師が「青年は良き指導者を得れば、いくらでも変わっていける」と語り
、模範と仰いだのが、吉田松陰であった。

「松陰と、その門下は美しいな。尊い師弟の物語を残したよ。」と、よく言わ
れていた。

その師弟を貫く魂は何か。松陰は「志をたててもって万事の源とす。」と語った。

世のため、民のためにとの師の志が、弟子の命に炎と燃え伝わったのだ。
獄中の松陰は愛弟子の高杉晋作に遺言した。「死して不朽の見込みあらば、
いつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらば生くべし。」

師弟は人を強くする。

心を定めた晋作たちは、若き力を存分に発揮し、天下を動かした。
師弟というと、古い印象を受ける方もいるかもしれない。
しかし、人格は人格の触発によって育まれる。

私と対談したアメリカ実践学協会のマリノフ会長も明快に指摘された。
「より高く精神を飛翔させ、より充実した人生を開くため、師匠の存在は
不可欠です」

師弟は若き心に希望を贈り、その創造性を開花させる源泉となる。



私は青春時代から、山口県の方々と深く広く交友を結んできた。
その進取の気性と開拓の息吹が大好きである。
私の知る青年教育者は、防府市の小学校で校内の淀んだ池を児童と眺め
ながら、「蛍の舞う池に」と夢を語りあった。

皆で蛍について学び、人工ふ化へ調整を開始する。
努力に努力を積み重ね、ついに成功した。
600人の市民の方々と蛍の夕べをひらくまでになった。

自然を愛する心と心が織り成した、この師弟のドラマは、海外にまで反響を
広げている。



「険しく困難な状況ほど、大事業をなすには好都合である」とは松陰の達観で
あった。晋作もまた、迫害の渦中、「我が胸中には太陽あり。我、百折不屈なり」
と叫んでいる。

理想のためには苦難を恐れず。この負けじ魂が、山口には燃える。

近代の宇部の発展を開いた実業家渡邊祐策翁も、郷土のために自己を捧げ、刻
苦苦闘の人生を歩み抜いた。その共存同栄・協同一致の精神は100年以上も
受け継がれ、「宇部方式」とよばれる地域一体の環境保全の知恵に結晶した。

世界的に注目されるモデルである。



厳しい経済状況など、社会は閉塞感を深めている。
だからこそ、心の励ましを強めたい。
もう20年前、中国の人民大会堂で国家指導者の方々から歓迎を頂いた折のこと
である。私は、山口県の庶民の母のことを申し上げた。
それは、作家として高名な登友梅先生の回想である。

戦争末期、登先生は日本に強制連行され、14歳で、工場で働かされた。
過酷な労働や暴力の連続。その中で必死にかばってくれたのが、徳山(現・周
南市)の女性工員たちであった。自らも我が子を戦地へ送り出している婦人は、
涙ながらに語った。

「息子が外国でこんな辛い目にあっていると知ったら、あんたのお母さんはど
んなに切なかろうね」―登少年は、山口の母たちの真心に、故郷と同じく暖かな
「人間」がいることを知った。

それを支えに生き抜いたと感謝されている。胸に迫る友好の秘話だ。
どの命も、我が子のごとく、慈しみ育む―この母の心が満ちる山口こそ、青年
育成の平和の大地といってよい。



教育立県・山口では、尊き伝統を踏まえ、「学ぶ力、創る力、生き抜く力」の
三つの力と、「広い心暖かい心燃える心」の三つの心の育成を目指されてい
る。それは維新の志士たちの志であると同時に、21世紀の世界市民の指標でも
あろう。

少人数教育の実践度の高さも全国の手本だ。大切な「NIE(教育に新聞を)」
運動も、山口新聞など、活発に推進されている。



山口市、岩国市、柳井市、下松市など、いずこにも私は旧友がいる。

トインビー博士の忘れ得ぬ言葉がある、

「次の世代に起ころうとしていることに、本当に関心を持つことができれば、
生命の続く限り若さを保つことができます」下関に立つ、高杉晋作と坂本竜馬の
友情の記念碑は、その名も「青春交響の塔」だ。

山口は老いも若きも、皆人材、皆青春である。我らの愛する山口から、偉大な
青春の交響楽が、明るく賑やかに、未来へ輝きゆくことを、私は願ってやまない。
 

虹と創価家族さま

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 1月 9日(月)13時41分18秒
  太ちゃんが言ったからというわけではありませんが、
もし、まだご気分を害されたままでいらっしゃれば、この場を借りてお詫び申し上げます。

「証人招致」云々については、原田執行部が教義改変以降の会内世論を探るための観測気球として利用され、また、末端会員間に誘発させようとする池田本仏論的思考=偶像化の完成への仕掛けの一つと小生には見受けられたので、
聡明な貴辺が「なんでこんな大きな釣り針にいとも容易く掛かるのか?」と苛立ってしまい強言をしてしまいました。
いすれにせよ言葉が過ぎました。お許しください。
 

1960年代には反戦、反権力を歌ったボブ ディランの評伝が…

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 1月 9日(月)13時22分20秒
  お硬い岩波書店から出ています。ボブ ディラン ロックの精霊。湯浅学。岩波新書。2013年。ノーベル賞受賞で再刊されたとか。安く手に入ります。反戦、反権力から豊潤な音楽性の世界へ。  

VOCAL MINORITYさま

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 1月 9日(月)12時37分36秒
編集済
  当方の余計な口出しで却って混乱を招いたかと危惧しましたが、
どうやら杞憂に終わったようで安堵しております。

また、お時間の許す範囲でいつでも気の向くままにご投稿してみてください。
「辛口応援団」として公平な立場からの忌憚のないご意見を期待しております。
書く力を高めることが、現場での話す力を培うことにも繋がってまいります。

貴兄のようにじっくりと時間をかけて当掲示板を丹念に読み込まれた前提で、
地に足をつけた着実な戦いに徹する方からの刺激と触発が今とても大事です。
他のロム専またはロム中心の方々にも同様のことが言えるでしょう。

板の中での反応の有無にかかわらず、閲覧者お一人おひとりが各人各様で
何かを感じ取り、思索を深めるヒントになれば…。
だから問い掛ける行為を続けていくのが大切です。言葉が返らずとも。。

実は年末年始、この信心をしていない多数の友人知人からいろいろと触発される出来事があって、大きな心境の変化が生じました。
多忙を理由に今まで後回しにしてきた自分の本来やるべき事柄に今年は傾注しようと思います。
一つは十数年ぶりに小説執筆に取り掛かること。
それと5年前から関わっている自然エネルギー関連団体での活動にも本腰を入れようと考えております。2012年のSGI提言を受けての私なりの弟子としての戦いです。

ですので、こちらへの書き込みはしばらくフェードアウト、最小限にとどめ、
満を持して続々と登場される新しい論客たちの活躍を陰ながら見守っていく所存です。

才知に長けた貴兄のこれからのご活躍、ご健闘を祈ります。
 

事情通様m(._.)m

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 1月 9日(月)11時10分10秒
編集済
  栃木の久保田です。m(._.)m

事情通様、はじめましてm(._.)m

佐藤浩の差別発言には 腹が立ちますが、そのひと言で

安保法案強行採決に踏み切った原田会長も会員さんの事をバカにしてることに変わりは有りませんね(*`Д´)

結局自分の身の安全位しか考えていないのが見え見え

です。

宗門との決着に向けて戦っているとき、戸田先生の時代から日顕のこともその他の坊主達のちっちゃな心根の事は(上層部は)解りきっていたにもかかわらず、一般の会員さん達が 坊主を尊敬の目で見ていたことから慎重に進めていたのだと思っております。

言わば獅子王である先生が雁字搦めに鎖に繋がれて身動きが出来ない状況の中、チワワみたいな日顕にチクチク足を噛まれていたようなものでその鎖がクソ坊主を尊敬していた会員さん達であり、見て見ぬふりしていた執行部の面々だったのでしょう(# ゜Д゜)

日顕の『かましてやれー』発言などの音声等が出てきてやっと日顕の事がクソ坊主であることに一般会員さんまで気がついて会員が騙されたくなってから一気に勝負がついて行った様に記憶してます。

執行部や佐藤浩や原田会長の差別的でちっちゃな心根は今に始まった訳では無いでしょうが 大きな会合の壇上でしかも雄弁に話をしている姿だけしか見ていないとその人の心根の貧しさまでは見えない物ですね

現在、執行部やその子分達が(少しばかり知恵の働く)『才能ある畜生』だということが表面に出てきた訳で『畜生道の乞食執行部に明日はない』と断言させていただきます。

クズ浩(# ゜Д゜)せいぜい怯えていろ(*`Д´)ノ!!!

原田会長(# ゜Д゜)今すぐ会長辞めろ(# ゜Д゜)

執行部(# ゜Д゜)揃って居なくなれ(*`Д´)ノ!!!

勃樹(# ゜Д゜)浩と仲良く腹を切れ(# ゜Д゜)

お前達がいなくなるまで叫び続けて行くぞ(# ゜Д゜)

覚悟しろヽ(^○^)ノ






 

カンピースさまの進言に付け足して!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2017年 1月 9日(月)10時44分16秒
  本日の聖教珍聞第四面,五面のわが支部のブロック5勇士の集合写真,半袖,ポロシャツ姿が多く見受けられますが、昨年の写真ですか?掲載遅過ぎませんか?
写真溜め込んでますか?まだまだ沢山有るようですが・・

聖教掲載を楽しみにされていた高齢者の方の中には,既に逝去された方も多いのでは?配慮なさ過ぎです。掲載に際して、一言謝罪の上,ご掲載下さい。現場組織の会員を小馬鹿にしていますか?どうなんでしょうか。
 

今週のことば 2017年1月9日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 1月 9日(月)09時40分14秒
  新成人の友は
新時代の誉れの主役だ。
「願わくは我が弟子等・
大願ををこせ」
偉大な人生を共々に!
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、本日の「新・人間革命」は前フリですか~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 1月 9日(月)08時37分44秒
  おはようございます。原田怪鳥様、北九州での壮年大会への御参加、誠にご苦労様で~す。

本日の「新・人間革命」(大山六)は前フリでしょうか?
>伸一は、さらに、世界のために力を注ぎたかった。しかし、あまりにも多忙であり、激務のなか、時間をこじ開け、海外を訪問できる機会は限られている。”でも、今、各国に全力を注いでいけば、広宣流布即世界平和の飛躍的前進が可能となる。時を逸してはならない!”と強く思った。<

清新六十にもありましたね~
>いや、私は会長を辞めようかとも考えている。今や、学会本部には、世界中から大勢の同志が来る。海外の要人との対応も大事になっています。だから、会長は譲って、世界のために働こうかと思っているんです<

会長職が「多忙だから」「激務だから」「海外を訪問したいから」「要人との対応が大事だから」師匠は退いたんデスか~?

「随筆、新・人間革命」嵐の4・24はどうなったんデスか~? 嵐の4・24を知る人々は、師匠が多忙であり、激務であることは

十分理解できますが、だからといって、此の事が「辞任」につながる訳はないと強く感じていますよ~。


原田怪鳥様、アナタは師匠に辞任を進言した連中の最後の一人であることを忘れないで下さいね~。

真実を知るのも、語れるのも、もはや原田怪鳥様だけで~す。いい加減に真実を語りましょう。

それとも、故野崎氏が著書「謀略」で記された通りに「勇退」で押し切るつもりデスか~(笑)

①学会が最高の充実期にあり、バトンタッチしてもスムーズに新体制が軌道に乗りやすい。
②北條理事長が年齢的にも最もふさわしい円熟期に達したこと
③池田会長への依存体制をいつまでも続けたのでは恒久性に欠けること

はたして、この路線で小説が進行していくのか否か、毎日興味深々で~す(笑)

「あまりにも、悔しき日を、忘れまじ」と詠った師匠の悔しさ、無念さが、どのように「新・人間革命」に描かれるか?

原田怪鳥様、とっても楽しみにしております。ヨロシクお願いしま~す(笑)

 

池田名誉会長の〔世界との語らい〕

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 1月 9日(月)07時19分3秒
  【第3回】中国の文豪巴金氏

2006-5-14

 青年よ〔闘争の魂〕を受け継げ
  ─私は「悪と戦うために」書く

とある東京のレストラン。巴金(ぱきん)先生は、
ふと視線を感じた。一人の女性が満面の笑みを投げかけている。「あなたは、
巴金さんですね」1984年5月12日。この日から巴金先生は、急に人から
声をかけられるようになった。宿泊先で、街角で「こんにちは、巴金さん」。

なぜだか親しげなあいさつを受ける。国際ペン大会の招待作家として来日して
いた。この朝までは、誰も自分を知らない様子だったのに、なぜ?思い当たる
節があった。この日の聖教新聞に、巴金先生と私の会見が、写真入りで紹介さ
れていた。「いや、聖教新聞の影響は大きいです」のちに巴金先生の上海の自
宅で再会したさい、照れくさそうに紹介してくださった。「おかげさまで、い
っぺんに日本中に友人ができました」活字の伝達力、影響力は、まことに大き
い。ご自分が“書かれる側”に回った巴金先生。言論が持つ力の大きさを、あ
らためて実感しておられた。

◆大義に依って立て

私は、書いて、書いて、書きまくってきた。目的があったからだ。友に希望を
届けるために!勇気を贈るために!勝利を開くために!私は、ペンを走らせて
きた。若き日から文筆の職業につきたかった。戸田城聖先生に初めてお会いした

折も、一編の詩をもって門下の礼をとった私である。しかし戸田門下となったの
ちに、私は決めた。書くことは大好きだ。生きがいと言ってもよい。だが、これ
からは自分一人の満足のためには書くまい!師のため、同志のため、学会のため
──「小義(しょうぎ)」ではなく「大義(たいぎ)」のためにペンを握ろう。

出版業を営んでおられた恩師に、少年誌の編集長として使っていただいた。あら
ゆる書き物のお手伝いもした。聖教新聞、大白蓮華等々、学会の機関紙誌の創刊
時から書きぬいた。文を磨きながら、自分を磨き、師に仕えた。俗に「身の丈
(たけ)」という。ひとかどの文筆家を志すなら、自分の身の丈に届くまで書け。

私も、それくらい仕事をした。師の後を継いだのち、私の机は戦場となった。
日本中、世界中の友が待っているのだ。文字通り、寸暇が惜しかった。40度近
い高熱を出した日。長男さえもが不思議がった──なぜ、そこまでして書くので
すか。その日に書いた原稿を示して答えた。一枚でも二枚でも書き進めば、それ
だけ前に進める。戦いを止めてしまえば、それまでだよ。巴金先生は言われてい
る。

「私はペンに火をつけて、わが身を燃やします」自分が感動せずして、人の心を
揺り動かせるわけがない。我が身を炎と燃やさずして、文章で人を照らせるわけ
がない。私は生涯、書き続ける。友のために。広宣流布という、全人類救済の大
義のために。たとえ生命を削ろうと。

◆大人(たいじん)に己なし

人間は最も追いつめられたとき、その真価が分かる。巴金先生には、文化大
革命の際に、言語を絶する迫害があった。一言の発言も許されない。最愛の妻
も失った。しかし、悲嘆に沈むどころか「戦って、戦って、戦い抜いて生きて
いく」ことを考えておられた。大志があったからである。「私が作品を書くの

は生活のためでも、名声のためでもありません。私が文章を書くのは敵と戦う
ためです」古来、中国の文人は、高々と宣言している。「文章は経国(けい
こく)の大業」「文章は国を興(おこ)す」「文は、すべからく天下に益ある
べし」どうせ書くなら大文章を書け。文で天下を揺り動かせ。そのために、も
っと大きく目を開け。己一個のため、己を飾るための文章など恥ではないか。

とうてい文人を名乗る資格はない。これが大中国の伝統である。よく、文章が
書けない、どうすれば力がつくのかと悩む人がいる。小手先のテクニックや人
の評価など、かなぐり捨てることである。友を救う激情である。敵を倒す気概
である。勝利への執念である。大きな目的に立ってこそ、大きな力が出る。
知恵が出る。文筆に限らず、あらゆる分野に通じる鉄則である。巴金先生とは
四度、お会いした。そのたびに確信を深めた。「大人に己なし」。貫いてきた
信念に誤りはないと。

◆正論を取り戻せ巴金先生は、魯迅先生の門下である。

激動の近代中国。魯迅先生の檄文(げきぶん)が発表されると、全中国の人民が
沸き立った。「その通りだ!」「これが真実だ!」一字一句に力があった。魂が
あった。だから読者も、打てば響いた。魯迅先生の時代から、およそ百年。当時
と比較できないほど情報は、あふれかえっている。しかし、情報の量と、人間の
魂を鍛え、益(えき)する文章の質、水準は、必ずしも比例しない。中国だけの

問題ではない。スキャンダル。冷笑。売文主義。部数のためなら、ウソも平気で
捏造(ねつぞう)する。人を踏みつけ、笑い、見下し、不健康な興味ばかりを煽
(あお)る社会の、その先に、いったい何が待っているのか。魯迅先生なら激怒
されるだろう。もちろん巴金先生も。「悪書など読むな!どこに救世(きゅうせ
い)の信念がある?ただの商売ではないか。読めば読むほど自分を腐らせるだけ
だ」「言論の革命が必要だ。言論人は民衆の信頼を取り戻せ」

◆青年を信じ待つ

巴金先生は、1904年に生誕され、2005年に永眠された。激動の中国を駆
け抜けた、最後の世代の文豪である。「私は青年を信じている。それぞれの時代
には、必ず、すぐれた青年が出てくるし、すぐれた思想が出るものだ」一世紀を
越えて生きた。それほどまでに、新しい世代が躍り出るのを待っていた。ご自身
が魯迅先生の精神を継いで走ったように。そう思えてならない。私も青年を信じ
る。待つ。信じ、待ち、託すよりほかない。思想の炎。信念の炎。我が生涯をか
けた魂の炎。それを青年の胸中に点じるために、きょうも私はペンを執(と)る。
 

他の読み方

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 1月 9日(月)06時30分37秒
  人にはそれぞれ思考パターンがあるものです。
虹と創価家族さんが出して頂けたこのソースからは、会員へのホンネにも読めるようにふと気づいた。

僕はこのように読んだしだいです。


原文
http://6027.teacup.com/situation/bbs/29466
▼▼▼▼▼▼
池田会長講演集 第三巻 P.20~22 学会と公明党の関係

(前略)
 また、その後「公明党のビジョン」を発表した時も「学会員一人一人の政党支持は自由である」と明言しておきました。むしろ創価学会は宗教団体として、信仰・布教に専念し、公明党は公党として、立派に社会に貢献し、大衆福祉のために戦ってほしいということが、私の一貫した願いであったのであります。

党はひとり立ちし健全な発展を

 もとより公明党誕生の母体は創価学会であることは間違いない。しかし、いくら母体といっても、いつまでも、それに依存するようであっては、党の健全な発展はない。たとえていえば、賢明な母は、子がひとり立ちできることを願うものであります。
 いつまでも自己の支配化におこうとして、かえって成長を妨げてしまうのは、愚かな母親であります。
 子は、いつまでも幼児ではない。体の成長にともなって、精神的にも、一人前の社会人として、活躍できるようにならなくてはなりません。
 今までは、創価学会と公明党は、この母と子の関係にあると見られてもやむをえなかった。それにしても、我々は、愚かな母親であってはならない。この愚かさは、結局、重荷となって自らにおおいかぶさってくるでありましょうし、子供も社会に貢献できない大きい赤ん坊として社会の笑い者になってしまうでありましょう。
 我々は、これまで、公明党のために一生懸命応援し、守り育ててまいりました。だが第三党にもなれば、すでに立派なおとなであります。それでもなおかつ、これまでのように面倒をみなければならないとしたら、それは不合理というものであり、社会の批判をうけるのも当然の理でありましょう。
 そこで、これは提案になりますが、創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度の上で、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん、理念においては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれのも目的に向かって将来に進むことは、当然であります。これは、党幹部からの強い要望もあり、学会でも当然のこととして、理事会でも決定したことでありますので、皆さん方のご賛成を頂きたいのであります。(賛成挙手)
 今後、たとえ票が減ろうと、議員数が減ろうと、それが世論の要望であり、本来のあり方であるならば、近代政党として、当然の道であります。
▲▲▲▲▲▲

気づいた読み方
▽▽▽▽▽▽
学会員はひとり立ちし健全な発展を

 もとより学会員誕生の母体は創価学会であることは間違いない。しかし、いくら母体といっても、いつまでも、それに依存するようであっては、会員の健全な発展はない。たとえていえば、賢明な母は、子がひとり立ちできることを願うものであります。
 いつまでも自己の支配化におこうとして、かえって成長を妨げてしまうのは、愚かな母親であります。
 子は、いつまでも幼児ではない。体の成長にともなって、精神的にも、一人前の社会人として、活躍できるようにならなくてはなりません。
 今までは、創価学会と会員は、この母と子の関係にあると見られてもやむをえなかった。それにしても、私は、愚かな母親であってはならない。この愚かさは、結局、重荷となって自らにおおいかぶさってくるでありましょうし、子供も社会に貢献できない大きい赤ん坊として社会の笑い者になってしまうでありましょう。
 私は、これまで、会員のために一生懸命応援し、守り育ててまいりました。だが晩年にもなれば、すでに立派なおとなであります。それでもなおかつ、これまでのように面倒をみなければならないとしたら、それは不合理というものであり、社会の批判をうけるのも当然の理でありましょう。
 そこで、これは提案になりますが、創価学会と会員の関係は、あくまでも、制度の上で、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん、理念においては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれのも目的に向かって将来に進むことは、当然であります(組織として広宣流布などの組織活動、個人においてはそれぞれの悩み解決という「自転と公転」の関係)。
△△△△△△

いかがでしょうか。
「公明党」を「学会員」としてみたものです。
「公明党」を「公明党議員」としてもみることができるでしょうか。
最後は意味が難しいと感じ括弧にて意味を添えてますが。
僕にはこれが池田先生の会員へ望んでいた本心に感じるのです。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

重要な情報をありがとうございます

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 1月 9日(月)04時49分40秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/62505

>しかし、佐藤浩は民衆を見下す発言をした。
来年になれば学会員は忘れちゃいますから強行採決しても大丈夫。
この発言を受けて原田会長は採決容認を受け入れた。<


http://6027.teacup.com/situation/bbs/54658
まとめコメント:創共協定について
●創価学会池田会長・日本共産党宮本委員長 人生対談 資料② 青木副会長論文
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56000
聖教新聞 昭和50年(1975年) 7月16日(水)  掲載
より

▼▼▼▼▼▼
  会長は、自由主義であろうと、中国の周恩来首相、ソ連のコスイギン首相らの社会主義者であろうと、きたんなく、平和構築への構想を語り合っている。今回の宮本委員長との対談も、その一環にほかならない。
  こうした我々の姿勢を、一言にしていえば、人間次元の立場であるということができる。これは、政党間の関係、抗争といった政治的次元とは、明確な一線を画するものである。一部では、今回の対談について、政治的意図をうんぬんする論議がなされているが、その致命的誤りは、この人間次元と政治次元との混同にある。

○○○○○○

また政治次元における、公明党と共産党との間の政策論争は、政党として自由であり、それに干渉するつもりはない。この対談も、公明党の政治路線の展望を語ったものではないのである。
  会長が対談に応じたのは、各紙で自身が語っているように、宗教団体である創価学会と、共産党との間に無用の摩擦、泥仕合を生ずることは、学会員を政争の具に供することであり、それが人間的憎しみにまで発展することは仏法者として望ましいことではないと考えているからである。
▲▲▲▲▲▲


他に、もうひとつ重要なものも

http://6027.teacup.com/situation/bbs/29466
▼▼▼▼▼▼
池田会長講演集 第三巻 P.20~22 学会と公明党の関係

(前略)
 また、その後「公明党のビジョン」を発表した時も「学会員一人一人の政党支持は自由である」と明言しておきました。むしろ創価学会は宗教団体として、信仰・布教に専念し、公明党は公党として、立派に社会に貢献し、大衆福祉のために戦ってほしいということが、私の一貫した願いであったのであります。

党はひとり立ちし健全な発展を

 もとより公明党誕生の母体は創価学会であることは間違いない。しかし、いくら母体といっても、いつまでも、それに依存するようであっては、党の健全な発展はない。たとえていえば、賢明な母は、子がひとり立ちできることを願うものであります。
 いつまでも自己の支配化におこうとして、かえって成長を妨げてしまうのは、愚かな母親であります。
 子は、いつまでも幼児ではない。体の成長にともなって、精神的にも、一人前の社会人として、活躍できるようにならなくてはなりません。
 今までは、創価学会と公明党は、この母と子の関係にあると見られてもやむをえなかった。それにしても、我々は、愚かな母親であってはならない。この愚かさは、結局、重荷となって自らにおおいかぶさってくるでありましょうし、子供も社会に貢献できない大きい赤ん坊として社会の笑い者になってしまうでありましょう。
 我々は、これまで、公明党のために一生懸命応援し、守り育ててまいりました。だが第三党にもなれば、すでに立派なおとなであります。それでもなおかつ、これまでのように面倒をみなければならないとしたら、それは不合理というものであり、社会の批判をうけるのも当然の理でありましょう。
 そこで、これは提案になりますが、創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度の上で、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん、理念においては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれのも目的に向かって将来に進むことは、当然であります。これは、党幹部からの強い要望もあり、学会でも当然のこととして、理事会でも決定したことでありますので、皆さん方のご賛成を頂きたいのであります。(賛成挙手)
 今後、たとえ票が減ろうと、議員数が減ろうと、それが世論の要望であり、本来のあり方であるならば、近代政党として、当然の道であります。
▲▲▲▲▲▲

原田会長は“自称”とはいえ一番弟子を名乗るのなら、池田先生のご意思を汲み取るべき。
汲み取れないなら会長を辞任すべき。
小学生でも理解できる話でしょう。

まして池田先生のご意思に明瞭に反逆する意見を受け入れるのでは、結果的に池田先生に反逆してることになります。
反逆してるにもかかわらず“一番弟子”を名乗るというのは、いったいどれだけ先生利用してるのでしょうか。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

民衆の憎悪によって家族を失ったミリエル氏

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2017年 1月 9日(月)03時36分44秒
  さて、レ・ミゼラブルを早いペースで展開していましたので、岩波文庫第一巻に戻って表題を確認しましょう。

目次の通り、第一部はフォンテーヌとしていますが、第一編は正しき人、ミリエル氏の生い立ちから、その行動をつぶさに書いています。稲垣氏のレ,ミゼラブルを読み直すには、実在の人物が居たらしく、その方を尊称していたのではないか?と書かれていました。興味ある方は、公立図書館で検索して読んでみて下さいよ

何故、正しき人からはじまるのか?この意味が分かったのは、私にとっては第一次宗門問題を経験した以降からです。僧侶の腐敗,不正,強欲さ,信徒をオモチャと呼称し,信心指導など全く出来ない輩。宗教の権威をかざして、信者を隷属・差別する。
ユゴーの時代もまた、王政から共和制,王政復古,共和制と目まぐるしく変わる国政で取り残された民衆が塗炭の苦しみに喘いでいる中で、本来,民衆救済をしなければならない宗教が権威・権力を維持するために保身のままに民衆を見殺しにしている,だから始めに「正しき人」を全面に打ち立てて、主人公のジャン・バルジャン,そして悲しみのフォンテーヌ、孤児のコゼットを中心とした小説を書き綴っていこうと考えたのではないかと思います。ひとりの正しき人から始まるストーリー。

では、何故,ミリエル氏は「正しき人」となったのか?これが第一編に網羅されています。
今流に言えば,ミリエル氏は創価公達の子供です。革命の最中,家族を殺され、国外に逃亡してフランスに戻って来た時には、司教になっていた!と言うストーリーです。では何故、民衆から憎悪されて親族一族が殺されたのか?次回に本文を引用して,その理由を展開します。
(続く)
 

事情通さま

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 1月 9日(月)02時28分27秒
  そういう会員蔑視がベースになってる発言は、幹部・議員に実に多く、

私は、耳を疑う発言に目が点になる経験が豊富です。

はっきり言いますが、全国婦人部最高幹部の口から漏れたのも、聞いたことがあります。

もちろん、そんな事を言わない分別ある方もいるでしょうけどね。

心根や正体は言葉の端に出るもの。

そして、いったん口の端から出た言葉は、もう取り消せず、人の心に刺さったまま。





 

Gさんと対話

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 1月 9日(月)02時07分49秒
  Gさんから「話したい事がいっぱいあります」と連絡あり。

Gさんは、大変な地区にいて、地区婦人部長以上複数幹部からのイジメに耐えているのです。



Gさん「最近ね、腹が立たなくなったの」

ひかり「どうしてですか?」

Gさん「あのね、あの人たち、おツムテンテンだって、分かってきたのよ」

ひかり「思考能力が劣るって意味ですか?」

Gさん「そう」

ひかり「そうですね。上の幹部も皆、一方の話しか聞かないで、罵倒してくるんですものね」

Gさん「そうなのよ。いつまでたっても、私が悪者のまま、悪口言われっぱなし」

ひかり「何を目の仇にしてるんでしょう。 心当たりはありますか?」

Gさん「あるとしたら、嫉妬かな」

ひかり「ご一家の学歴とか、社会的地位とか?」

Gさん「それしか考えられないわよ。 今まで考えなかったけど」

ひかり「同じ事を言ってた人がいましたよ」

Gさん「へえ、誰?」

ひかり「○○建設社長の奥様です」

Gさん「えーっ、あの方がですか」

ひかり「そうです。 県長とかに、ぞんざいな扱いを受けるんですって」

Gさん「ぞんざい?」

ひかり「東京の会合に行った時、会場を見回して『きれいですねー』と言ったら、『あんたなん

かが来れるようなところじゃないんだ!黙ってろ!』と言われたって」


Gさん「あらあら、私と同じだわ。 そんな風にバカ幹部って居丈高なのよ。 私がちょっと話

しただけでも、イラつくみたいなのよ」


ひかり「まったく、低レベルな人間ですね」

Gさん「そうよねえ。 でも、もう分かったからいいわ」

ひかり「おツムテンテンが、トントン役職あがって鼻高々、勘違い人間の一丁上がり、ですか」

Gさん「言う事聞く子分を集めるうちに、その手の人口密度が濃くなっていっちゃったのよ」

ひかり「由々しい、というより、バカバカしいですね」

Gさん「ほんと、ほんと。 腹が立たないのよ、それが分かっちゃうと」

ひかり「やれやれ」

Gさん「正木さんが消えちゃったのが気になってるんだけど、死んだってホントなの?」

ひかり「(爆)誰がそんな事言ってるんですか?」

Gさん「え? 巷のウワサよ」

ひかり「やれやれ」









 

事情通様

 投稿者:光輝  投稿日:2017年 1月 9日(月)01時47分21秒
  貴重な話ありがとうございます

多くの会員は忘れたとしても、自分もそして宿板メンバーズは忘れない
また外部の友人達も忘れない
甘く身過ぎましたね
原田会長!
 

選別校長、思い込み議員

 投稿者:感性  投稿日:2017年 1月 9日(月)01時16分48秒
編集済
  >「祈って、信じて、励まそう」  投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 1月 9日(月)01時03分20秒

学校の善し悪しや校風云々は入学の際に生徒を選別する学校長が述べられても
説得力に欠けますね。善し悪しと相対化しなくて純粋に「ある学校で」とおっしゃれば
どれほどよかったかと思います。

それで思い出しましたが、以前ある公明地方議員が地元の公立中学のいじめ問題を創価中学と比較して思い込み的な薀蓄を述べられていました。そもそもの認識を変えないと現実性は身につかないのではないでしょうか。

ちなみに「いじめ」等の問題は公立中学にも創価中学にもあると見るのが普通の見方だと思います。
また創価学園でのいじめについては退学処分で解決したとも聞き及んでおります。自校で手に負えない
問題生徒を公立中学に送ったのでしょうね。
 

「祈って、信じて、励まそう」

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 1月 9日(月)01時03分20秒
  前創価中学校校長鈴木利博
……………………………………………………………………………………
学校の善し悪しや校風は、生徒の姿を見ると良くわかる。
ある私立中学校を訪ねたときのこと。校門を入ると、行き交う生徒たちが、
明るく元気な声であいさつしてくれた。なんと気持ちがいいことか。
温かい学校だなと思った。そして同校校長の「職員室余話」にいたく
共感した。

遅刻した一人の生徒が、担任から声をかけられていた。
遅刻しないようにしようとの注意だった。やがて、その生徒は職員室を出た。
だが様子が少し変だ。後ろ姿に元気がない。校長先生は、別のドアからそっと
彼の後を追って声をかけた。「どうしたの、気になることでもあったの。
もし良かったら話してくれるかい」

彼は、一呼吸、二呼吸、「あの、あの」と口ごもりながら、
校長の顔を見ながらどうすべきか考え、意を決したかのように、
とつとつと話しはじめた。

「実は、母がインフルエンザで熱をだしちゃって、父が朝ご飯を作って、
僕が後片付けをして…」「それは凄いじゃないか、お母さん早く治ると
いいね。それで?」「後片付け、僕がのろまだもんだから。いつも乗る
電車に乗れなかったんです」「なんだ、それで遅刻しちゃったんだ」

彼は、ほっとしたようだ。彼が得心行かなかったことは、こうだ。
遅刻したことで先生に注意されたことは、分かる。
でも、一言でもいいから、遅刻した理由を聞いてほしかった。

「そうか、君はよく頑張ったんだね。お母さんの熱が下がるといいね。
担任の先生にも伝えるよ。心配しないで、早く教室に行きなさい」といって、
校長は背中をちょこんと押してあげたという。

翌日の、始業前の打合せで、校長は先生方に率直に訴えた。
「一人一人の生徒に光を当てよう。生徒の成長を祈ろう。
どこまでも生徒の心を信じよう。そのためには、生徒の話をよく聞き、
励まそう」と。

その時以来、彼は一度も遅刻しないという。きっと、父親と一生懸命朝食を
作り、後片付けも手際良く行っていることだろう。

「おはよう!よく来たね!」先生が遅刻した生徒にかける明るい第一声。
この時から、この学校の朝の風景がすっかり変わったという。

生徒たちは何故遅刻したのか、自分から話してくれるようになった。
「この先生は、自分の話を聞いてくれる。安心して話せる」と。

「最初の一言が、大切なんです。何よりも安心と信頼が生まれてくるんです。
あとは、生徒の話を良く聞いて、あいづちを打ちながら、励ませばいい。
その生きた『やりとり』の中に答えがあるんです」と、校長先生は力を込めて
おっしゃる。

この時から、職員室の合い言葉が「祈って、信じて、励まそう」となったという。

 

民衆を侮蔑する佐藤 浩副会長の発言

 投稿者:事情通  投稿日:2017年 1月 9日(月)00時28分54秒
  2015年8月
安保法案をこのまま強行採決で押し切ろうと与党内で決めかねていた時、日に日に増す反対運動に
学会本部内においても強行採決はまずいのではないか?
との意見があった。

しかし、佐藤浩は民衆を見下す発言をした。

来年になれば学会員は忘れちゃいますから強行採決しても大丈夫。

この発言を受けて原田会長は採決容認を受け入れた。
 

小作人@地上の発心様

 投稿者:VOCAL MINORITY  投稿日:2017年 1月 9日(月)00時08分20秒
  ご多忙の中、フォローを誠に有り難うございました。

不毛な論争に発展しなくて本当に良かったです。


おっしゃる通り些細な言葉尻を捉えて難癖を付けているわけではありません。
既に賛否を論じたトピックを蒸し返して混乱させようとの意図もありません。

また、おっしゃっていることに通じるかもしれませんが、
常連さんの間であたかも当たり前のような価値基準のようになっているものが、
「実は多数の会員ロム者に違和感を与え続けているかもしれない」
とのアンチテーゼになればとの思いから、失礼ながら前回投稿してみました。

ご多忙かと存じますので ご返信には及びません。
また、「任せる」とか「任せない」とか、私にも意味不明ですので。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


現今の学会執行部の指揮の執り方に大きな問題があり、宿板で異議を申し立てることは大事なことだと思います。

また、現執行部に問題があることに、

より多くの現場学会員が気付いていくこと

                                  が何よりも重要なことではないでしょうか。

覚醒した学会員の拡散と連帯がなければ、権力側の執行部には太刀打ちできませんから。


その意味で、この掲示板は現場学会員さんの「気づき」のために大きな使命があるのではないかと思っております。

では、実際に学会員さんたちがこの掲示板を初めて目にしたときに、一体どの様な印象を受けるでしょうか?

一部にはリテラシーに優れ、この掲示板の主眼をすぐに理解する方もいるでしょう。
しかし、往々にして表面的な表現に目を奪われ、大事なポイントを理解せずして、反感を抱きつつそのまま去っていくこともあるでしょう。

私には宿坊の掲示板の話題でも腹を割って話せる内部の友人が複数名います。
私とともに宿板賛同側に立つ人もいれば、懐疑的な人もいます。

何より残念なのは、特に女性会員の中で宿板にある程度納得できたものの、特定の言葉遣い(お下劣表現の連続等)に嫌気が差し、定着しなかったなどのケースです
(これも過去に賛否両論ありましたので再び蒸し返すつもりはありません)。
少なくとも知り合い二人の婦人部の方々は、宿板から離れていきました。

これも言葉尻を捉えるわけではありませんが、私の現場感覚として学会員さんが宿板で「政教珍聞」とのフレーズを見た瞬間、心のシャッターがガラガラガラとすぐに閉まっていくことでしょう。
そして、この掲示板は反逆者たちが意図的に運営しているのでは?と誤解するかもしれません。


なかなか意を尽くせる文章は書けませんが、要は、

学会変革の為には、現場学会員(リーダー)の意識改革が何より大事。

そのために宿板は大きな影響力を発揮できる可能性がある。

よって、投稿する際に、無用の誤解を避けるため、

主な対告衆である学会員さんたちの機根に、より配慮すること

                                が必要な場合もあるのではないでしょうか。

ただ乱暴に執行部を攻撃するだけではなく、学会員さんが読んでいかに共感納得してくださるかが大事なことだと思います。

もちろん(お正月の初投稿の際に書きましたが)宿板には珠玉のような素晴らしい投稿が散りばめられていることも承知しております。

また、私の初投稿に際し、ウェルカムのレスをして頂き、遅ればせながら
太ちゃん、有り難うございました。


それでは、まとまりのない駄文をたいへん失礼しました。

実生活での戦いが多忙のため、また時間ができたら投稿するかもしれません。

私は宿板を日に一度見るか見ないか程度なので、レスが遅れたり出来ない場合があると思いますが、どうか悪しからず御了承 ください。
 

良書を読みませう(3)補足

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2017年 1月 9日(月)00時05分15秒
  道を極める者、山月記では、苦闘なき青春を送った者が自らの力無さを次第に自認し始めて「羞恥心」の塊となり、虎に変じてしまう。名人伝では、逆に極め尽くした者が、実はこの世に全く役に立たない寓話の世界の人物に成ってしまうと言う話です。

現実世界の女房殿は、手厳しく罵ります。私も読書している最中に、『あんた~ご飯よ~』と声をかけられても全く聞こえず、『あんた、何やってるの!』と怒鳴られ、『えッ、どうした?何だ?お父さんが恋しくなったのか?何だ、触って欲しいのか?チチか?ケツか?どこだ?』とかまってやると、『止めろ!触るな!このエロジジィ!』と怒鳴られ、『良いではないか、良いではないか?』と迫ると益々嫌われています(><)

このように、現実世界と読書は、大変に役立つと言う話で、頭の中で『逃げるは恥だが、役に立つ』と言うオチでした。\(^o^)/
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 1月 8日(日)23時39分45秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

1月8日聖教新聞3面 池田先生のメッセージ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 1月 8日(日)23時33分50秒
  さあ凱歌の行進!
今年は、トインビー博士と対談を開始して45周年。
博士から託された「人類の心をつなぐ対話」という使命を、私は今も貫いております。

~~~~~~~

安保法制に反対した創価大学有志の方々は、トインビー対談を基にしていました。
公式ホームページに明確に書かれています。

>安全保障関連法案に反対する創価大学・創価女子短期大学関係者有志の会<
http://sokauniv-nowar.strikingly.com/#_8

原田会長と執行部が、「有志の会」の方々を敵視した事実を忘れない。
そして今だに、トインビー対談を基に声を上げた青年や現場会員を村八分扱いにしたままだ。

9・19の悔しさと怒りを永遠に忘れない。
この怒りを支えるのは、トインビー対談である事を断言しておく。

安保法制を肯定する幹部は「トインビー対談は理想論だ、現実を見ろ」と言った。
そして武力に頼る公明党を支援した。

昨年、公明党は核兵器禁止条約に反対した。
トインビー対談には、このように書かれています。
>現実問題として、核兵器だけでも廃絶するよう、真剣な努力が払われるべきだと思います。<
現実を前に、公明党は池田先生の平和思想を放棄したのです。

トインビー対談を基に声を上げれば、原田会長はまた現場会員を処分します。
トインビー対談45周年を祝いながら、トインビー対談を基に声を上げた青年や現場会員を創価学会が弾圧する。
さらに厳しく言えば、原田会長は会則10条により、三代会長を継承しているはずなのに、トインビー対談を基に声を上げた青年や現場会員を弾圧する。

これでは「狂っている」としか言いようがない。

~~~~~~~

(地 位)
第10条 会長は、「三代会長」を継承し、その指導および精神に基づき、この会を統理する。
http://www.sokanet.jp/info/kaisoku01.html



 

同盟題目23時開始!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 1月 8日(日)22時53分25秒
  よろしくお願い致します。

関東は雪になりそうです。
明日の朝、お出かけの方はお気をつけください。
 

ボーン・ディス・ウェイ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 1月 8日(日)22時16分30秒
編集済
  螺髪様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/62497
全く同感です。教義変更どころか、別の宗教に変わってしまうなんて、とんでもない!
私は自らの意思で浄土宗から改宗しましたが、知らぬ間に勝手に改宗させられていたなんて、あり得ない!!!
像法時代に天台宗で起きていたことが、末法時代に創価学会で起きようとしている。
私は一度、改宗を経験しているから、このことに敏感なのだと思いますが、改宗未経験の人はこの動きにもっと敏感になって、もっと怒るべきでしょう。「♪この船たしか~」と思っていたのが違う方向に向かって行き始めている。「この道」をもう一度冷静に見つめ直したいものです。

“ただ両手を空高く挙げて(生きて行けばよい) あなたはそのように産まれたんだから”
“私が小さい頃 ママが言ってたわ 「私たちは みんなスーパースターとしてこの世に産まれたのよ」って”
“あなたが誰であろうと、愛することに間違いなんてない”
“彼女は言った、「あなたは生まれながらに完璧なのよ」”
“よく聞いてちょうだい。あなたたちは常に頭をあげて前を見て進めばいいのよ”
“私は正しい道を進んでいる 私はこのように産まれたの この個性で生まれてきたの”
“自分に自信をもって あなたが自分自身を誰よりも愛すればそれで準備万端”
“私は正しい道を進んでいるわ 私はこのように産まれたの”
“他の道なんてない 私はこうあるべくして産まれたの 私はこうなるべくして産まれたの”
“これが私の生きる道よ これが私なの 今を精一杯生きよう”
『ボーン・ディス・ウェイ』レディー・ガガ
https://www.youtube.com/watch?v=xl0N7JM3wZk

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

何なんだ。

 投稿者:京都西京区乃虎  投稿日:2017年 1月 8日(日)22時02分37秒
  ◯◯さん  増えたら投稿  控えるの
◯◯問  受けたところで  ビビりすぎ
待ってるよ  アホ幹部からの  アホ査問
査問受け  益々福運  貯まるよね
調子乗る  文が長すぎ  題名を
黙ってね   男読書を  思考しろ
法華経の  智慧を100読  目標です
最近は  下から上から  ご苦労さん
反板の  投稿弓谷が  仕切るのね
盗撮魔  創価班なら  かわちゃんか
正式な  盗撮魔の名は  何ですか?
元職3   ところで何が  変わったの
いつまでも  子供のように  職員に  なりたい叫ぶの  勘弁ね
家庭をね  ぐちゃぐちゃしてね  それアウト
コミュニティ  築いて怖いよ  オカルトか
そう言えば  話題に上らず  元職3
又裁判  どこからお金が  出てくるの
出資する  人がいるから   ダメになる
一度でも  お金を出すと  あと引けず
目的が   あるから利用   されるのよ
この板で  意図がある人   すぐ分かる
いつまでも  御書を思考で   気付いたら  もうかれこれ  15年
結局ね  本を出す人  自我強く  自分に酔って  気付かない
仕事柄   記者関係  勘弁ね
執行部   銀行残高   調べよか
 

万代の興隆!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 1月 8日(日)21時33分17秒
   昔なら、「三座」にあたるところでしょうか。もう、御観念文の文を変えて御記念しています。

 「広宣流布大願成就と、池田先生の創価学会の万代の興隆を御祈念申し上げます。……」

 もっとも、御観念文を「どう祈念するか」は、他人がどうこういう問題ではありませんが、創価三代、もしくは「池田先生の創価学会」でなければどうしようもありません。四代以降ではありません。三代までです。
 創価三代の生命線が途切れた「創価学会の万代の興隆」を祈念してもどうしようもないということです。

 

希望対話

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 1月 8日(日)19時22分28秒
  (第1巻 「頭がいい」ってどんな人?)
皆、だれでもいっぱいの可能性を
しまってある「宝の箱」。
皆、何かの「天才」。
それを「使命」という。


(第2巻 歴史に学ぼう!)
「一人殺したら殺人犯。戦争で百万人殺したら英雄」
絶対におかしい。国家にも人を殺したり暴力をふるう
資格はありません。


(第3巻 いじめ ①)
相談することは、全然、恥ずかしいことじゃない。
ひとりで悩まなくてもいいんです。
いじめられている君は、全然「どこも悪くない」からです。


(第4巻 勤行は何のため?)
勤行は、お母さんのためにするものでもないし、
「しなくてはいけない」義務でもない。
全部、自分のためです!
自分自身が「ものすごく得をする」んです!


(第5巻 生きる事、死ぬ事)
「人の心を大切にする」
人をつくるための勉強であり学校です


(第5巻 夢に向かって)
希望こそ力なり


(第5巻 見える宝、見えない宝)
自分が何をしたいのかが大事


(第5巻 宇宙と人生)
星も、人も、鳥も、
花も、石も、雲も、いっさいが
ひとつの「きょうだい」です

 

良書を読みませう(3)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2017年 1月 8日(日)19時01分11秒
  と言うことで、中島敦著 名人伝

御書や本尊論のみに傾注するものがどうなるのか?それは山月記のように
人ではなく、寅になって終わり!という中国の故事になります。
名人伝でも、極めた者がどうなるか?おもしろい短編小説です。


名人伝
中島敦
-------------------------------------------------------
 趙《ちょう》の邯鄲《かんたん》の都に住む紀昌《きしょう》という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。己《おのれ》の師と頼《たの》むべき人物を物色するに、当今弓矢をとっては、名手・飛衛《ひえい》に及《およ》ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔《へだ》てて柳葉《りゅうよう》を射るに百発百中するという達人だそうである。紀昌は遥々《はるばる》飛衛をたずねてその門に入った。

 飛衛は新入の門人に、まず瞬《またた》きせざることを学べと命じた。紀昌は家に帰り、妻の機織台《はたおりだい》の下に潜《もぐ》り込《こ》んで、そこに仰向《あおむ》けにひっくり返った。眼《め》とすれすれに機躡《まねき》が忙しく上下往来するのをじっと[#「じっと」に傍点]瞬かずに見詰《みつ》めていようという工夫《くふう》である。理由を知らない妻は大いに驚《おどろ》いた。第一、妙《みょう》な姿勢を妙な角度から良人《おっと》に覗《のぞ》かれては困るという。厭《いや》がる妻を紀昌は叱《しか》りつけて、無理に機を織り続けさせた。来る日も来る日も彼《かれ》はこの可笑《おか》しな恰好《かっこう》で、瞬きせざる修練を重ねる。二年の後《のち》には、遽《あわた》だしく往返する牽挺《まねき》が睫毛《まつげ》を掠《かす》めても、絶えて瞬くことがなくなった。彼はようやく機の下から匍出《はいだ》す。もはや、鋭利《えいり》な錐《きり》の先をもって瞼《まぶた》を突《つ》かれても、まばたきをせぬまでになっていた。不意に火《ひ》の粉《こ》が目に飛入ろうとも、目の前に突然《とつぜん》灰神楽《はいかぐら》が立とうとも、彼は決して目をパチつかせない。彼の瞼はもはやそれを閉じるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡《じゅくすい》している時でも、紀昌の目はカッと大きく見開かれたままである。ついに、彼の目の睫毛と睫毛との間に小さな一|匹《ぴき》の蜘蛛《くも》が巣《す》をかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛衛にこれを告げた。

 それを聞いて飛衛がいう。瞬かざるのみではまだ射《しゃ》を授けるに足りぬ。次には、視《み》ることを学べ。視ることに熟して、さて、小を視ること大のごとく、微《び》を見ること著《ちょ》のごとくなったならば、来《きた》って我に告げるがよいと。
 紀昌は再び家に戻《もど》り、肌着《はだぎ》の縫目《ぬいめ》から虱《しらみ》を一匹探し出して、これを己《おの》が髪《かみ》の毛をもって繋《つな》いだ。そうして、それを南向きの窓に懸《か》け、終日|睨《にら》み暮《く》らすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った虱を見詰める。初め、もちろんそれは一匹の虱に過ぎない。二三日たっても、依然《いぜん》として虱である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほん[#「ほん」に傍点]の少しながら大きく見えて来たように思われる。三月目《みつきめ》の終りには、明らかに蚕《かいこ》ほどの大きさに見えて来た。虱を吊《つ》るした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々《きき》として照っていた春の陽《ひ》はいつか烈《はげ》しい夏の光に変り、澄《す》んだ秋空を高く雁《がん》が渡《わた》って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙《みぞれ》が落ちかかる。紀昌は根気よく、毛髪《もうはつ》の先にぶら下った有吻類《ゆうふんるい》・催痒性《さいようせい》の小節足動物を見続けた。その虱も何十匹となく取換《とりか》えられて行く中《うち》に、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の虱が馬のような大きさに見えていた。占《し》めたと、紀昌は膝《ひざ》を打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。人は高塔《こうとう》であった。馬は山であった。豚《ぶた》は丘《おか》のごとく、※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]は城楼《じょうろう》と見える。雀躍《じゃくやく》して家にとって返した紀昌は、再び窓際の虱に立向い、燕角《えんかく》の弧《ゆみ》に朔蓬《さくほう》の※[#「竹かんむり/幹」、第3水準1-89-75]《やがら》をつがえてこれを射れば、矢は見事に虱の心の臓を貫《つらぬ》いて、しかも虱を繋いだ毛さえ断《き》れぬ。
 紀昌は早速《さっそく》師の許《もと》に赴《おもむ》いてこれを報ずる。飛衛は高蹈《こうとう》して胸を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒《ほ》めた。そうして、直ちに射術の奥儀秘伝《おうぎひでん》を剰《あま》すところなく紀昌に授け始めた。
 目の基礎訓練に五年もかけた甲斐《かい》があって紀昌の腕前《うでまえ》の上達は、驚くほど速い。

 奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに紀昌が百歩を隔てて柳葉を射るに、既《すで》に百発百中である。二十日の後、いっぱいに水を湛《たた》えた盃《さかずき》を右|肱《ひじ》の上に載《の》せて剛弓《ごうきゅう》を引くに、狙《ねら》いに狂《くる》いの無いのはもとより、杯中の水も微動だにしない。一月《ひとつき》の後、百本の矢をもって速射を試みたところ、第一矢が的《まと》に中《あた》れば、続いて飛来った第二矢は誤たず第一矢の括《やはず》に中って突き刺《さ》さり、更《さら》に間髪を入れず第三矢の鏃《やじり》が第二矢の括にガッシと喰《く》い込む。矢矢《しし》相属し、発発《はつはつ》相及んで、後矢の鏃は必ず前矢の括に喰入るが故に、絶えて地に墜《お》ちることがない。瞬く中に、百本の矢は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いたその最後の括はなお弦《げん》を銜《ふく》むがごとくに見える。傍で見ていた師の飛衛も思わず「善し!」と言った。
 二月《ふたつき》の後、たまたま家に帰って妻といさかい[#「いさかい」に傍点]をした紀昌がこれを威《おど》そうとて烏号《うごう》の弓に※[#「棊」の「木」に代えて「糸」、第3水準1-90-9]衛《きえい》の矢をつがえきりり[#「きりり」に傍点]と引絞《ひきしぼ》って妻の目を射た。矢は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主《ていしゅ》を罵《ののし》り続けた。けだし、彼の至芸による矢の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである。

 もはや師から学び取るべき何ものも無くなった紀昌は、ある日、ふと良からぬ考えを起した。
 彼がその時独りつくづくと考えるには、今や弓をもって己に敵すべき者は、師の飛衛をおいて外《ほか》に無い。天下第一の名人となるためには、どうあっても飛衛を除かねばならぬと。秘《ひそ》かにその機会を窺《うかが》っている中に、一日たまたま郊野《こうや》において、向うからただ一人歩み来る飛衛に出遇《であ》った。とっさに意を決した紀昌が矢を取って狙いをつければ、その気配を察して飛衛もまた弓を執《と》って相応ずる。二人|互《たが》いに射れば、矢はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた。地に落ちた矢が軽塵《けいじん》をも揚《あ》げなかったのは、両人の技がいずれも神《しん》に入っていたからであろう。さて、飛衛の矢が尽《つ》きた時、紀昌の方はなお一矢を余していた。得たりと勢込んで紀昌がその矢を放てば、飛衛はとっさに、傍なる野茨《のいばら》の枝《えだ》を折り取り、その棘《とげ》の先端《せんたん》をもってハッシと鏃を叩《たた》き落した。ついに非望の遂《と》げられないことを悟《さと》った紀昌の心に、成功したならば決して生じなかったに違《ちが》いない道義的|慚愧《ざんき》の念が、この時|忽焉《こつえん》として湧起《わきおこ》った。飛衛の方では、また、危機を脱《だっ》し得た安堵《あんど》と己が伎倆《ぎりょう》についての満足とが、敵に対する憎《にく》しみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄《かけよ》ると、野原の真中《まんなか》に相抱《あいいだ》いて、しばし美しい師弟愛の涙《なみだ》にかきくれた。(こうした事を今日の道義観をもって見るのは当らない。美食家の斉《せい》の桓公《かんこう》が己のいまだ味わったことのない珍味《ちんみ》を求めた時、厨宰《ちゅうさい》の易牙《えきが》は己が息子《むすこ》を蒸焼《むしやき》にしてこれをすすめた。十六|歳《さい》の少年、秦《しん》の始皇帝は父が死んだその晩に、父の愛妾《あいしょう》を三度|襲《おそ》うた。すべてそのような時代の話である。)

 涙にくれて相擁《あいよう》しながらも、再び弟子《でし》がかかる企《たくら》みを抱くようなことがあっては甚《はなは》だ危いと思った飛衛は、紀昌に新たな目標を与《あた》えてその気を転ずるにしくはないと考えた。彼はこの危険な弟子に向って言った。もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。※[#「にんべん+爾」、第3水準1-14-45]《なんじ》がもしこれ以上この道の蘊奥《うんのう》を極めたいと望むならば、ゆいて西の方《かた》大行《たいこう》の嶮《けん》に攀《よ》じ、霍山《かくざん》の頂を極めよ。そこには甘蠅《かんよう》老師とて古今《ここん》を曠《むな》しゅうする斯道《しどう》の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射のごときはほとんど児戯《じぎ》に類する。※[#「にんべん+爾」、第3水準1-14-45]の師と頼むべきは、今は甘蠅師の外にあるまいと。


 紀昌はすぐに西に向って旅立つ。その人の前に出ては我々の技のごとき児戯にひとしいと言った師の言葉が、彼の自尊心にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途《ぜんと》程遠《ほどとお》い訳である。己が業《わざ》が児戯に類するかどうか、とにもかくにも早くその人に会って腕を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぐ。足裏を破り脛《すね》を傷つけ、危巌《きがん》を攀じ桟道《さんどう》を渡って、一月の後に彼はようやく目指す山顛《さんてん》に辿《たど》りつく。
 気負い立つ紀昌を迎《むか》えたのは、羊のような柔和《にゅうわ》な目をした、しかし酷《ひど》くよぼよぼの爺《じい》さんである。年齢は百歳をも超《こ》えていよう。腰《こし》の曲っているせいもあって、白髯《はくぜん》は歩く時も地に曳《ひ》きずっている。
 相手が聾《ろう》かも知れぬと、大声に遽だしく紀昌は来意を告げる。己が技の程を見てもらいたいむねを述べると、あせり立った彼は相手の返辞をも待たず、いきなり背に負うた楊幹麻筋《ようかんまきん》の弓を外して手に執《と》った。そうして、石碣《せきけつ》の矢をつがえると、折から空の高くを飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って狙いを定める。弦に応じて、一箭《いっせん》たちまち五|羽《わ》の大鳥が鮮《あざ》やかに碧空《へきくう》を切って落ちて来た。
 一通り出来るようじゃな、と老人が穏《おだや》かな微笑を含《ふく》んで言う。だが、それは所詮《しょせん》射之射《しゃのしゃ》というもの、好漢いまだ不射之射《ふしゃのしゃ》を知らぬと見える。
 ムッとした紀昌を導いて、老隠者《ろういんじゃ》は、そこから二百歩ばかり離《はな》れた絶壁《ぜっぺき》の上まで連れて来る。脚下《きゃっか》は文字通りの屏風《びょうぶ》のごとき壁立千仭《へきりつせんじん》、遥か真下に糸のような細さに見える渓流《けいりゅう》をちょっと覗いただけでたちまち眩暈《めまい》を感ずるほどの高さである。その断崖《だんがい》から半《なか》ば宙に乗出した危石の上につかつかと老人は駈上り、振返《ふりかえ》って紀昌に言う。どうじゃ。この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか。今更|引込《ひっこみ》もならぬ。老人と入代りに紀昌がその石を履《ふ》んだ時、石は微《かす》かにグラリと揺《ゆ》らいだ。強《し》いて気を励《はげ》まして矢をつがえようとすると、ちょうど崖《がけ》の端《はし》から小石が一つ転がり落ちた。その行方《ゆくえ》を目で追うた時、覚えず紀昌は石上に伏《ふ》した。脚《あし》はワナワナと顫《ふる》え、汗《あせ》は流れて踵《かかと》にまで至った。老人が笑いながら手を差し伸《の》べて彼を石から下し、自ら代ってこれに乗ると、では射というものをお目にかけようかな、と言った。まだ動悸《どうき》がおさまらず蒼《あお》ざめた顔をしてはいたが、紀昌はすぐに気が付いて言った。しかし、弓はどうなさる? 弓は? 老人は素手《すで》だったのである。弓? と老人は笑う。弓矢の要《い》る中はまだ射之射じゃ。不射之射には、烏漆《うしつ》の弓も粛慎《しゅくしん》の矢もいらぬ。
 ちょうど彼|等《ら》の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶《とび》が悠々《ゆうゆう》と輪を画《えが》いていた。その胡麻粒《ごまつぶ》ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘蠅が、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引絞ってひょう[#「ひょう」に傍点]と放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。
 紀昌は慄然《りつぜん》とした。今にして始めて芸道の深淵《しんえん》を覗き得た心地であった。

 九年の間、紀昌はこの老名人の許に留《とど》まった。その間いかなる修業を積んだものやらそれは誰《だれ》にも判《わか》らぬ。
 九年たって山を降りて来た時、人々は紀昌の顔付の変ったのに驚いた。以前の負けず嫌《ぎら》いな精悍《せいかん》な面魂《つらだましい》はどこかに影《かげ》をひそめ、なんの表情も無い、木偶《でく》のごとく愚者《ぐしゃ》のごとき容貌《ようぼう》に変っている。久しぶりに旧師の飛衛を訪ねた時、しかし、飛衛はこの顔付を一見すると感嘆《かんたん》して叫《さけ》んだ。これでこそ初めて天下の名人だ。我儕《われら》のごとき、足下《あしもと》にも及ぶものでないと。
 邯鄲の都は、天下一の名人となって戻って来た紀昌を迎《むか》えて、やがて眼前に示されるに違いないその妙技への期待に湧返った。
 ところが紀昌は一向にその要望に応《こた》えようとしない。いや、弓さえ絶えて手に取ろうとしない。山に入る時に携《たずさ》えて行った楊幹麻筋の弓もどこかへ棄《す》てて来た様子である。そのわけ[#「わけ」に傍点]を訊《たず》ねた一人に答えて、紀昌は懶《ものう》げに言った。至為《しい》は為《な》す無く、至言は言を去り、至射は射ることなしと。なるほどと、至極《しごく》物分《ものわか》りのいい邯鄲の都人士はすぐに合点《がてん》した。弓を執らざる弓の名人は彼等の誇《ほこり》となった。紀昌が弓に触《ふ》れなければ触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝《けんでん》された。

 様々な噂《うわさ》が人々の口から口へと伝わる。毎夜|三更《さんこう》を過ぎる頃《ころ》、紀昌の家の屋上《おくじょう》で何者の立てるとも知れぬ弓弦の音がする。名人の内に宿る射道の神が主人公の睡《ねむ》っている間に体内を脱《ぬ》け出し、妖魔《ようま》を払《はら》うべく徹宵《てっしょう》守護《しゅご》に当っているのだという。彼の家の近くに住む一商人はある夜紀昌の家の上空で、雲に乗った紀昌が珍《めずら》しくも弓を手にして、古《いにしえ》の名人・※[#「羽/廾」、第3水準1-90-29]《げい》と養由基の二人を相手に腕比べをしているのを確かに見たと言い出した。その時三名人の放った矢はそれぞれ夜空に青白い光芒《こうぼう》を曳きつつ参宿《さんしゅく》と天狼星《てんろうせい》との間に消去ったと。紀昌の家に忍《しの》び入ろうとしたところ、塀《へい》に足を掛《か》けた途端《とたん》に一道の殺気が森閑《しんかん》とした家の中から奔《はし》り出てまとも[#「まとも」に傍点]に額《ひたい》を打ったので、覚えず外に顛落《てんらく》したと白状した盗賊《とうぞく》もある。爾来《じらい》、邪心《じゃしん》を抱く者共は彼の住居の十町四方は避《さ》けて廻《まわ》り道をし、賢《かしこ》い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。

 雲と立罩《たちこ》める名声のただ中に、名人紀昌は次第に老いて行く。既に早く射を離れた彼の心は、ますます枯淡虚静《こたんきょせい》の域にはいって行ったようである。木偶のごとき顔は更に表情を失い、語ることも稀《まれ》となり、ついには呼吸の有無さえ疑われるに至った。「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐《じゅっかい》である。
 甘蠅師の許を辞してから四十年の後、紀昌は静かに、誠に煙《けむり》のごとく静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて射を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、弓矢を執っての活動などあろうはずが無い。もちろん、寓話《ぐうわ》作者としてはここで老名人に掉尾《ちょうび》の大活躍《だいかつやく》をさせて、名人の真に名人たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても古書に記された事実を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼についてはただ無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていないのだから。
 その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる紀昌が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器具を見た。確かに見憶《みおぼ》えのある道具だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途《ようと》も思い当らない。老人はその家の主人に尋《たず》ねた。それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談《じょうだん》を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけ[#「とぼけ」に傍点]た笑い方をした。老紀昌は真剣《しんけん》になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧《あいまい》な笑を浮《うか》べて、客の心をはかりかねた様子である。三度紀昌が真面目《まじめ》な顔をして同じ問を繰返《くりかえ》した時、始めて主人の顔に驚愕《きょうがく》の色が現れた。彼は客の眼を凝乎《じっ》と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖《きょうふ》に近い狼狽《ろうばい》を示して、吃《ども》りながら叫んだ。
「ああ、夫子《ふうし》が、――古今無双《ここんむそう》の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途《みち》も!」
 その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠《かく》し、楽人は瑟《しつ》の絃《げん》を断ち、工匠《こうしょう》は規矩《きく》を手にするのを恥《は》じたということである。[#地から1字上げ](昭和十七年十二月)



底本:「ちくま日本文学全集 中島敦」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年7月20日第1刷発行
底本の親本:「中島敦全集 第一巻」筑摩書房
   1987(昭和62)年9月
初出:「文庫」
   1942(昭和17)年12月号
入力:大内章
校正:j.utiyama
1998年10月26日公開
2004年2月2日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さん
?
 

小作人@地上の発心さんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年 1月 8日(日)18時50分11秒
編集済
  小作人@地上の発心さんはVOCAL MINORITYさんと「同苦」してるからこその擁護と感じたので「お任せします」ということなんです。
僕もちょっとカチンときてたから変な言い方になったけどf^^;

虹さんを引かせるぐらいの気迫があるならしっかり守っていけると思ってますよ。

「同苦」とは一緒に育っていける方便なんでしょうから。
同苦しようとしてる小作人@地上の発心さんのほうがVOCAL MINORITYさんの気持ちに届いてるようで僕ではどうやら役不足なようだし。

お任せしましたよ?

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

家族とわたし

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 1月 8日(日)18時22分41秒
  クラスで孤立する女の子 他人の視点で自分を語る
(臨床心理士 吉田晴美)(聖教2008/9/6)



小学校高学年の子どもたちや中学生が時に、相談室にやってきて、親や先生、友達に対する不満をぶつけます。

だいたいは、思い切り吐き出すだけで「すっきりした」と言って帰りますが、中には、それだけでは収まらない子もいます。

大人の目から見れば、友人同士のよくあるトラブルでも、子どもにとってはとても深刻で、一生を左右しかねない出来事とみなしている場合も少なくありません。

小学6年のE子さんは同じクラスのA子さん、B子さんを中心にした二つのグループから仲間はずれにされ、「学校に行きづらい」と相談室に来ました。今にも泣き出しそうな暗い表情で、一緒に来た母親まで同じような表情をしていました。

話を聞くと、彼女の学年は1クラスしかなく、女子は全部で15人しかいません。その中に、リーダー的存在の子が二人。グループの人数は、どちらも5人ぐらい。残りの5人は、適当にくっついたり離れたりしているようです。

E子さんのロからは、友達関係をめぐる様々な出来事とともに、今の不安な胸の内が語られました。

「クラスで孤立しているため、休み時間が苦痛でならない」 「クラスの子が集まっているのを見ると、悪口を言われているような気がする」 「一生、友達がつくれないかも」――。

E子さんは最初、A子のグループにいたのですが、仲間の一人ともめ、B子のグループに移りました。ところが、A子グループの一人が、E子さんの悪口をB子グループのメンバーに言い……A子グループに謝って戻してもらって……。

要を得ない説明でしたので、セラピストは紙に書いて話してもらいました。

「これは誰?」「この子とこの子のつながりは?」など、質問するセラピスト。すると、E子さんの表情はだんだん明るくなっていったのです。

実はこの時、セラピストは、E子さんが経験したことをいったん自分自身から切り離させ、別の経験として語り直させていたのです。

その後、同じことを数回繰り返すうち、彼女は「いじめられている、ダメな子」という〝ストーリー″からはずれることができ、学校生活を生き生きと過ごせるようになりました。
 

太ちゃん様

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2017年 1月 8日(日)18時02分38秒
  そのようですね。

もともと自発行動。結果自分持ちですよね。

あ、この世は全てが結局(笑)


 

オーイ♪♪中村くーんww 君もこの16人の1人だよね~www → >T治一派16人が“打ち首遠島獄門”に。<

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年 1月 8日(日)18時02分10秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/62478
http://6027.teacup.com/situation/bbs/62479
http://6027.teacup.com/situation/bbs/62480

>声がCPに届いた。T治一派16人が“打ち首遠島獄門”に。<

>ただし、解雇や除名にはならない<

>しかし、T治事件は、下からの告発で上の不正が糾弾された“学会史上初”の前例となった。<

>同年夏の総選挙大敗北による自公連立崩壊で、
さしもの「悪の三位一体」も息絶え絶えに。<

三位一体とは下記①②③を指しま~すwww

①葬儀社と
②一部弁護士と
③谷川・丹治・ひろし
 

創価公達が、外部の新年恒例会、賀詞交換会に出席する必要無し!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2017年 1月 8日(日)15時01分53秒
  およそ折伏とは無関係な、広布拡大にも結びつかない外部との接触は、財務を消費する利害関係に基づく行動です。大手建設会社、銀行、証券会社、コンサル会社など、財務散財を見目当てにした輩との接触を禁止します。何も良い結果をもたらしません、政界・財界・官界・学会(知的団体)とも賀詞交換は禁止。

こんな連中に財務を消費してはいけません。子供シェルター、母子世帯(父子世帯含む)支援NPOなど、今まさに困っているところへ出向き、対話して支援して下さい。仏はじっと見守っています、何をするのか?
 

Twitterより。建物ばっかり建てないで被災民の為に金使えよって。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 1月 8日(日)14時57分25秒
  創価学会本部も会員数減ってる中で大そうな建物ばっかり建てる金があるなら、被災民のために使えよ。宗教団体のくせに驚くほど慈善事業に関心が薄いのな。  

/1154