【検証・文革半世紀 第2部(5)】陰惨さ映す命がけの写真「見つかれば即刻、逮捕は分かっていた」 2万枚を床下に隠し、現代に伝える
中国の文化大革命(文革)の「狂気」を象徴する有名な写真がある。1966年8月、黒竜江省ハルビン市の紅衛兵広場で行われた、つるし上げの場面だ。
顔に墨を塗りたくられた男性が、腰を折り椅子の上に立っている。後ろで組まれた手には、頭にかぶせられた巨大な三角帽子を支えるヒモを持たされ、紅衛兵が罵声を浴びせている。
男性は当時、黒竜江省の中国共産党委書記だった任仲夷(にん・ちゅうい)だ。後に●(=登におおざと)小平の右腕として、改革開放を推進する改革派の政治家だ。
撮影したのは地元紙、黒竜江日報のカメラマン、李振盛。25歳だった当時、職場の上司から「文革の素晴らしさを宣伝する写真を撮れ」と言われたが、次々に目の前で展開される驚くべき事態に圧倒され、「歴史の真実を記録したい」と思うようになった。
「反革命犯」の処刑。寺院や教会の焼き打ち。シャッターを押し続けた。
作業は深夜に1人、職場の暗室に籠もって進めた。農民が笑顔で田植えする光景や、「毛沢東万歳」を叫ぶ青年などの写真を現像して職場で提出する。一方で、激しい闘争場面や苦痛な表情の民衆などを撮影したネガは切り取り、仕事場の引き出しの奥に隠した。
「負の材料を多く集めたことが見つかれば即刻、逮捕されることは分かっていたが、歴史の記録者だという使命感があった」。70代になった李が振り返る。
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68年秋、職場の会議で、地元の革命委員会の過度な干渉に不満を漏らした李の発言が問題視された。
危険を感じた李は、約2万枚にも増えたネガを自宅に少しずつ持ち帰った。自宅では数日かけ、約12平方メートルの狭い部屋の床下にのこぎりで小さな隠し穴を掘った。新婚の妻を窓の近くに立たせ、人が通ると合図を送らせ、作業を中断した。
批判はやまず、69年には職場の文革支持派が李の家を捜索。「床下のネガが見つかったら命が危ない」。李は隠し穴の上の床に立ち続けた。手紙など多数が押収されたが、隠し穴は見つからずに済んだ。
この年の秋、李夫妻は強制労働のため農村に下放される。李は出発前、信頼できる友人を家に招き、床下に隠したネガを見せた。「もし私たちが生きて帰れないようなことがあれば、このネガを保管してください。将来きっと役に立つときがくる」と依頼した。
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文革中、批判大会や武闘などの写真を撮影したカメラマンはほかにもいたが、当局を警戒して破棄した人がほとんどだ。李が自らを危険にさらしながら撮影し、床下に隠した2万枚を含む約10万枚の写真は、文革の全体像を知る上で貴重な資料だとして国内外から高い評価を受け、数々の賞に輝いた。
98年、李が北京で開いた写真展の会場を共産党長老となった任仲夷が訪れた。つるし上げられている自らの写真の前で長らく立ち尽くした任は、「文革の悲劇を繰り返してはならない」とのメッセージを残した。
活動拠点を米ニューヨークに移した李は現在、米中の間を往復する生活を送る。文革始動から50年となる今年、四川省成都で個展を開いたが、数年前まで何ら問題なかった文革中の陰惨な写真の展示が認められなかったという。
「中国国内で文革を肯定しようとする動きがあるが、歴史を見つめ直す勇気があってはじめて、偉大な民族といえるのではないか」。そう語る李は、文革中の出来事を何とか次世代に伝えたいと考えている。(敬称略)