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【検証・文革半世紀(5)】「道徳の力は無限だ」と習主席 かつての英雄賛美、官製“奉仕キャンペーン”で復活 「面倒」と市民冷ややか

【検証・文革半世紀(5)】「道徳の力は無限だ」と習主席 かつての英雄賛美、官製“奉仕キャンペーン”で復活 「面倒」と市民冷ややか

雷峰をたたえる1960年代の宣伝ポスター。「毛主席のよき戦士、雷峰」とある=大英博物館ウェブサイトから

 3月2日、中国北部・河北省石家荘市を走る路線バスの中で、若い女性が年寄りの男性に席を譲った。すると、車掌がいきなり女性に近寄って大きな花束を贈った。乗客からは大きな拍手がわき起こった。

 地元紙が伝えた「雷鋒に学ぶキャンペーン」の一コマだ。バス会社が企画したもので、老人や体の不自由な人に席を譲る“心の美しい人”を見つけて称賛し、助け合いの精神を広げようという狙いだ。

 3月初めの約1週間、全国各地でこうした運動が展開される。特に熱心なのが小中学校の教育現場だ。子供たちを動員して行われるボランティア活動は、独り暮らしの老人の家を掃除したり、地下道の張り紙や落書きをきれいにしたり、駐車場で見ず知らずの人の自動車を洗車したり-とさまざまで、官製メディアは大きく取り上げ、「生ける雷鋒」などと持ち上げる。

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 雷鋒は22歳の時、執務中の事故で死去した中国人民解放軍の兵士だ。人助けや奉仕活動に熱心だったため、文化大革命(文革)中に道徳模範として持ち上げられた。死後に発見された雷鋒の日記には、「私心を忘れ、ひたすら革命に邁進する」「自分の原点は毛沢東思想だ」といった記述があった。

 1963年3月5日付の人民日報は「雷鋒同志に学ぼう」という毛沢東の揮毫(きごう)を掲載。以後、毎年3月5日は雷鋒を学ぶ記念日となった。毛の言葉もスローガンとなり、新聞や教科書で盛んに用いられた。

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 雷の故郷は「雷鋒鎮」と改名され、殉職した遼寧省には記念館も造られた。しかし、1978年に始まった改革開放以後、経済的な利益の追求が人々の関心事となり、雷鋒がメディアにほとんど登場しない時期が長く続いた。

 雷鋒に学ぶ活動を本格的に復活させたのが習近平だ。

 2014年3月、全国人民代表大会(全人代=国会)の軍代表団の分科会に出席した習は、「雷鋒精神は永遠なり」「あなたたちは雷鋒精神のタネを全国の大地に撒かなければならない」などと訓話した。習が折に触れて雷鋒に言及したことで、毛時代を思い起こさせる大衆運動となった。

 雷鋒だけではない。文革中にもてはやされた共産党の模範幹部、焦裕禄も同様だ。河南省蘭考県の書記だった焦は農民と寝食を共にし、流砂や豪雨などの自然災害と闘った直後に病死した。習は何度も「焦のような幹部になれ」と党幹部らに訓示してきた。

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 文革中に青年期を過ごした習は、自らも道徳模範に学ぶ運動に熱心に参加した経験があるといわれる。「精神の力は無限で、道徳の力も無限だ」が持論の習は、毛と同じように滅私奉公の見本を示し、民衆がそれを学ぶよう望んでいると考えられる。

 しかし、文革中の英雄の賛美には冷ややかな反応を示す一般市民が多い。上海市統計局が3月に実施した世論調査結果では、約6割の市民が雷鋒を学ぶことについて、「面倒だ」などと拒否反応を示している。近年は「人助けをしたのに、逆に加害者として訴えられた」というトラブルが多発し、人助けに慎重な傾向があることも背景にある。

 北京の改革派知識人は、「雷鋒に学ぶ運動でも国民の道徳水準は上がらなかった。文革で失敗したのに、もう一度やるのはナンセンスだ」と指摘した上で、「今の中国人はインターネットを通じて外部の世界を知っている。このようなやり方を続ければ、政府を信用する人はますます減っていく」と話している。(敬称略)

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