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【社会】

声をきいて 子どもの明日(上) 養育放棄見過ごされ

「自宅ではゲームをして過ごすことが多い」と言う中村友也さん=東京都八王子市で

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 虐待や貧困、不登校…。子どもを取り巻く問題を解くかぎは、当事者である子どもたちの声にある。聞くだけで解決するほど易しくはないが、向き合わなければ糸口さえも見つからない。埋もれがちな声に耳を傾ける大切さを、さまざまな場面で考える。まずは、子ども時代の体験を引きずるある青年の話から。

 東京都八王子市の市役所向かいのビルにある八王子自治研究センター。子どもの視点でまちづくりを考える社団法人だ。昨年十一月、市内のアパートに一人で暮らす中村友也さん(27)が事務所を訪ね、事務局長の佐藤千恵子さん(62)に近況を伝えた。

 「自転車を盗まれちゃって」と語る中村さんに、佐藤さんは「ひどいねえ」と相づちを打った。

 中村さんは昨年春に心身を壊し、アルバイトを辞めた。「買い物は近くのコンビニ。体力がある時はスーパーまで行くんですけど…」。人付き合いが苦手で社会に溶け込みにくい。親からネグレクト(養育放棄)された状態だったのに、多くの大人から見過ごされて育った少年時代が原因だと、佐藤さんは考えている。

 二人が知り合ったのは十三年前。「佐藤さんに会っていなければ生きていなかった」と中村さんの信頼は厚い。

 知り合った当時、児童館職員だった佐藤さんの目には、友だちとカードゲームでおとなしく遊ぶ普通の中学生に映っていた。違和感を抱いたのは中学を卒業してから。進学も就職もせず、一人で児童館に立ち寄るようになり、話し掛けても受け答えが要領を得ない。

 やがて、中村さんの家庭の複雑さを知る。五歳の時に離婚した母親が家を出て、十歳を過ぎたころには、父親が朝帰りするようになった。中村さんは一人でカップ麺を食べ、散らかる部屋でゲームやテレビで時間をつぶし、父親の帰りを待つ日が続いた。寝不足がたたり、不登校のまま中学を卒業。「学校から登校を促された記憶はない」。生活保護家庭ではなかったため行政の目も届かなかった。

 ネグレクトは虐待の一つだが、見えづらく、子どもが自覚して声を上げるのは難しい。「疑問や寂しさは感じなかった。『無』だった」と中村さんは振り返る。多感な時期の空白を埋めようと、佐藤さんら児童館職員は掃除を教え、ボランティアで人と関わる機会もつくり、自立を促した。

 電気やガスを止められたり、父親の借金を背負わされそうになったりした生活から逃れ、二十歳を過ぎて一人暮らしを始めた中村さん。だが「みんなが持つ知識がない」と不登校の引け目は消えず、生きる手応えが得られないままだ。

 「学びや体験の積み重ねを後から取り戻すには長い時間がかかる」と痛感する佐藤さんは、健やかな子ども時代の欠落の中で育った苦悩を中村さんに感じ取り、ケアする仕組みづくりを訴えている。

 中村さんが願うのは小さな声が届く社会だ。「自分のように困っていても上手に話せない子どもがいることを、知ってほしい」 (柏崎智子、小林由比、奥野斐が担当します)

 

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