本書は「論文の書き方」というタイトルになっているが、内容としては、読むこと、聞くこと、話すことも含む知の技法を総合的に伝授する類い希な作品だ。それだから、刊行から39年も経った現在も生命力を失っていない。
評者が本書を読んだのは、同志社大学神学部4回生になり、卒業論文の準備を始めたときなので、1983年春のことだ。本書は、卒業論文、修士論文の作成のみならず、外交官試験の準備、さらには外交官になって情報収集や交渉を行うときにも役に立った。具体例をあげると記憶力を磨く必要性に関する箇所だ。
〈古代の弁論家は絶えず記憶力を磨く練習を行ないました。記憶力のよい人は在庫品の豊かな倉庫のようなもので、記憶力の弱い人よりはるかに優れた弁論家になるからです。
もちろんイスラーム文化圏や中国文化圏での伝統的教育のように、経典や戒律をただ丸暗記させるだけなら、ものごとの真の理解を欠いた、したがって応用能力のない人間を作り出す危険があります。
しかし、私の亡き母はフランス語でラ・フォンテーヌの『寓話』の主なものをすべて暗記していましたが、同時にそれをよく理解していたので、折にふれてそれを日常生活の具体的問題に応用することができました。
今日先進国の教育界では暗記を無視する傾向が強いようです。これはかつての「理解なしの丸暗記」に対する当然の反動かもしれませんが、「理解を伴った暗記」は教育においても学問研究においても大切です〉
どの国でも優れた外交官やインテリジェンス・オフィサーは優れた記憶力を持っていた。「理解を伴った暗記」は学術においてもビジネスにおいても強力な武器になる。
記憶力を鍛えるためには、自分が好きな本のうちの1章を丸暗記して復唱できるようにすると効果的だ。一度長文を暗記すると、その後の記憶がとても楽になる。
何かについて検討する場合、「トピック」と「問題の場」を混同してはいけないという澤田氏の指摘も重要だ。
〈トピック選びについてまず注意しなければならないのは、トピックとは「問題の場」ではないということです。「天皇制が問題だ」とか「福祉国家が問題だ」というようなことがよくいわれますが、天皇制も福祉国家もほんとうの問題、トピックではありません。それは「問題の場」“problem area, subject area”つまり、問題ないしトピックという宝石がかくされている鉱床のようなものです。
大ざっぱにどういう鉱床を探索しようとするのか、もちろんそれを知っていることも大切ですが、それだけで論文は書けません。論文のトピックとなるほんとうの問題は、一定の答えを要求するような問でなくてはなりません。
それは「問題の場」という鉱床から切り出されてくるものですが、「問題の場」自体ではありません。「天皇制」、「福祉国家」ではトピックになりませんが、「天皇制は民主主義の発展を阻止するか」、「福祉国家は国民の真の福祉に寄与するか」なら論文のトピックになります。
論文を書くには、早く「問題の場」を制限し、せばめて適当なトピックを発見することが大切です。「問題の場」を問題、トピックだと勘違いして、そこに長らくうろつくのは時間浪費になります〉
ビジネスパーソンでもトピックと問題の場を混同している人が少なからずいる。「トランプが次期米国大統領に就任することで北方領土交渉にどのような影響があるか」「サウジアラビアの石油減産がロシア経済にどのような影響を与えるか」というような疑問文でトピックを確定することが重要である。