言葉は魔物だ。

 あるときは人を奮起させ、立場が異なる者同士をつなげる道具となる。またあるときは、不安や敵意をあおり、不信と分断の壁を築く凶器にもなる。

 2期8年間の任期を間もなく終えて退任するオバマ氏は、前者の意味で言葉が持つ力を世界中の人々の胸に刻み込んだアメリカ大統領になるだろう。

 思い起こすべきは8年前の混迷である。アフガン、イラクと続いた対テロ戦争、戦後最悪の不況をもたらしたリーマン危機で、米国は疲弊しきっていた。

 オバマ氏は閉塞(へいそく)感からの「チェンジ」を掲げ、「イエス、ウィー・キャン(われわれはきっとできる)」と国民を鼓舞して当選した。就任演説では「恐怖より希望を、対立と不和より目的を共有することを選ぶ」と述べ、社会の結束を呼びかけた。

 ■理念と現実の間で

 世界も「テロか自由か」の善悪二元論で分断されていた。同盟国の忠告に耳を貸さない単独行動主義で、米国への信頼は深く傷ついていた。

 オバマ氏は就任後、「友邦や同盟国と共にアルカイダや過激主義者を打倒する戦略を練る」と演説して、協調路線にかじを切った。「イスラムとの和解」も打ち出した。

 「多様性への寛容、自由や人権の重視」という理念を高く掲げて、米国の威信を取り戻す決意がにじむ。その方策として軍事力よりも対話や多国間交渉での「言葉の力」を重視した。

 父がケニア人で、様々な人種が暮らすハワイで育ち、子供のころインドネシアでも過ごした半生に源流は見て取れよう。

 それは、「異なる背景を持つ者同士でもわかりあえる」という自信、「米国が世界からどう見られているか」と、冷静に相対化する視点である。

 理想主義、ナイーブと批判もされた。だが、オバマ氏の現実主義的な面にも注目したい。

 「核なき世界」をめざすとの宣言には、北朝鮮やテロリストへの核拡散という「差し迫った脅威」が念頭にあった。アジア重視の外交を唱えたのも、経済成長が著しい地域に積極関与して米経済の底上げを図る実利策とみれば合点がいく。

 米大統領として初の被爆地・広島への訪問、キューバとの国交回復は「歴史を乗り越えることで前向きの関係を築く」との意思に裏打ちされていた。

 理念と現実は相反する概念ではなく両立しうることをオバマ氏は示した。世界の政治家がぜひ踏襲してほしい認識だ。

 ■米主導の秩序揺らぐ

 一方、言葉はえてして発し手と受け手の考えがすれ違う。

 オバマ氏は13年、シリアの化学兵器使用をめぐる演説で「米国は世界の警察官ではない」と述べ、武力行使を見送った。

 だが、戦後国際秩序は米国の圧倒的な軍事パワーに支えられてきたというのも世界の冷徹な現実だ。その力に裏打ちされた行動を、外交手段でぎりぎりまで尽くすべきではなかったか。

 その後、ロシアはクリミア半島を併合、中国は海洋進出を本格化させた。ふらつくオバマ氏の足元を見て、米主導の秩序に公然と対抗し始めたのではないか。そんな疑念がぬぐえない。

 いくら言葉が崇高でも、説得や妥協、かけひきを駆使して一致点を見いださねば政治は行き詰まる。そんなオバマ氏の限界は米国内でも露呈した。

 就任直後から数々の景気対策を打ち出して、経済危機は脱した。国民皆保険をめざした医療保険制度改革(オバマケア)という業績もあげた。

 だが、富裕層が株価回復などの恩恵に浴する一方で、所得が伸びない中間層は不満をためこんだ。最初の中間選挙で共和党が主導権を握った下院と激しく対立し、政策は停滞した。

 同性婚容認など先進的な政策は知識層や若い世代に高く支持された。だが、日々の生活や将来への不安に悩む国民の多くは「遠い話」と受け止めた。

 オバマ氏は米史上初の黒人大統領として国を率いたことで、政治における人種の壁を打ち破った。ただ、全国民の大統領として、黒人だけに寄り添う立場をとれない宿命も背負った。

 任期中に白人警官らによる黒人銃撃事件が相次ぎ、人種間の緊張が高まった現実に、忸怩(じくじ)たる思いは強かっただろう。

 ■問われる行動する力

 そして、差別的な言葉や事実に反する言葉を重ねてきたトランプ氏が次の大統領に就く。

 「メキシコ人は麻薬や犯罪を持ち込む」「イスラム教徒は入国禁止」。乱暴だが、わかりやすい。敵をののしる言葉に留飲が下がる。だが、後に残るのは不毛な分断だけだ。ツイッターなどでの一方通行の発信は、民主主義の基盤も崩しかねない。

 だからこそ、「言葉の力」で平和と繁栄をめざしたオバマ氏のレガシー(遺産)を、世界は受け継いでいく責任がある。そのためには「行動」も伴わねばならないという教訓も。