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「補償協定ザルに水」…チッソ内部メモ発見

政府、認定抑制図る

 水俣病の原因企業チッソが患者補償の負担軽減で、1978年に公的な財政支援を受けるまでの経緯をまとめた同社の内部メモが見つかり、7日に熊本県水俣市であった水俣病の研究集会で発表された。政府高官が補償支払いを減らすよう求めた発言も記録され、専門家はチッソ支援と合わせ患者認定の抑制が図られたことを示す重要な資料としている。

 メモは77~89年にチッソ副社長を務めた久我正一氏(故人)が、相談役退任後の93年3月に作成し同社に提出した。チッソ経営史を研究している「技術と社会」資料館(東京)の矢作正(やはぎただし)館長が写しを入手した。

 水俣病の患者補償を巡っては73年、水俣病第1次訴訟で患者側勝訴の判決確定後、チッソが患者に1600万~1800万円の慰謝料などを支払う補償協定が締結された。認定申請が急増し、支払い困難に陥ったチッソが国や熊本県に支援を求めた。メモは77年1月以降の経緯を記している。

 メモによると、77年秋に、当時の福田赳夫内閣の官房副長官が地元衆院議員の名を挙げ「先生をかついでもっと派手に騒がせよ」とチッソ側に指示。78年1月にも、元環境庁事務次官が「(チッソ救済は)水俣市の存亡にかかわるとして社会問題化させないと容易でないぞ」と発言していた。

 一方、77年7月には旧環境庁が複数の症状の組み合わせを要件とする認定基準を策定。認定申請の棄却が相次ぎ、被害者団体は「患者切り捨て」と批判している。メモには基準策定に直接触れた記述はないものの、78年に内閣官房の高官らの「補償協定の改定をせよ。今のままでは、ザルに水を注ぐがごとしだ」「補償金支出の歯止めが欠落している」といった発言が並び、補償の減額や認定審査の厳格化が必要とする政府側の意向がうかがえる。

 こうした経過の末、78年6月、熊本県が地方債を発行してチッソに貸し付け、補償金支払いに充てる救済策が閣議了解された。チッソ総務部広報室はメモについて「申し上げることはありません」としている。

 大阪市立大の除本理史(よけもとまさふみ)教授(環境政策論)は「チッソへの支援と患者絞り込みが一体であることは指摘されていたが、それが裏付けられた。東京電力福島第1原発事故でもチッソのケースが参考にされており、資料からは企業支援のあり方についてさまざまな論点が浮かび上がる」としている。【笠井光俊】

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