島田洋七、参議院選挙落選は「あの有名芸人の演説が原因」だった!
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7月18日放送の『しくじり先生 俺みたいになるな!! 3時間スペシャル』(テレビ朝日系)に、B&Bの島田洋七(66)が出演。お笑いタレントの間寛平(67)、ザ・ぼんちのぼんちおさむ(63)を巻き込んだ選挙出馬の顛末を明かし、平成ノブシコブシの吉村崇(36)らを驚かせた。
洋七は1995年の第17回参議院議員選挙に、当時、住んでいた埼玉県選挙区から立候補。きっかけは当時、よく行っていた寿司店のバイト女性が、住んでいる地域に保育園が少ないと嘆いていたのを聞き、「俺になにができるのかなと思って、じゃあ選挙に出ようと思った」ため。当時、故横山ノック氏や西川きよし(70)が議員だったのを見て、「こんなもん、俺でもできるやないか!」と考えたのだという。
これについて洋七は「みんなやってるから、俺でもできると軽く考えてましたね」と、反省した。当時、B&Bは再結成していたが、相方の島田洋八(66)に解散を切り出すと、快く受け入れて選挙カーの運転手役を申し出てくれた。また、応援演説にはおさむ、寛平が駆けつけてくれ、仲間の協力のもとに選挙活動を始めたのだが、これがあだになってしまった。
浦和駅前での演説会に当時、人気絶頂だった寛平を呼んだところ、なんと聴衆が2000人も集まった。さっそく寛平が登場したのだが、第一声で「アヘアヘアヘ~」とやったところ、ふざけていると思われ、聴衆はすぐにいなくなってしまったという。
また、おさむは単独で軽トラックに乗って各地を回ってくれたのだが、洋七の名前は言わず、「おさむちゃんで~す!」と叫んでいるばかり。そのため選挙が終わってみると「おさむ」と書かれた投票用紙が7票も入っていたことを明かし、吉村に「日本で一番面白い選挙運動じゃないですか」と驚かれていた。
結局、選挙には落選。芸人引退を決意するも、親友のビートたけし(69)に引き留められ、引退を思いとどまった。洋七はこの日、常に人の話を聞かずに思いつきで行動してしくじってきたと反省していた。
「洋七はこの頃、仕事がほとんどなく、たけしに助けられて細々と活動をしていました。その後、『がばいばあちゃん』シリーズがヒットし、現在は講演が主な活動になっていますが、しゃべり、ネタの破壊力はまだまだ一級品です。もっとテレビでも活躍してほしいですね」(お笑いライター)――まだまだ現役!