天使の羽根

我が家の天使は自閉症、障碍は不便なこともあるけど不幸じゃない!!そんな母の日々を書いてみました。

天使、高等部3年生〈温度差〉

2017-01-06 20:59:51 | Weblog
平成28年9月27日

前日の26日に届いた、余りにもお粗末な報告書

「えっ?これだけ?」って思って裏を確認した程簡単な内容

担任経由で話し合いを私の方から申し入れた

もう既にここでおかしいでしょ?
毎回毎回、こっちが動かないと無かったことにしようとする姿勢

27日に話し合いたい、って返事が来たから中2の時に体罰に加担して、現在迄(今もだけど)全く動かない、現在小学部所属のS谷(女性)も同席させろって返信した

この人、中2の時から今に至る迄謝罪は口だけで、経過を問い合わせる電話1本、はがき1枚送ってこないヤツなんだよ

天使が「個室対応」という名の元風呂場の脱衣所に押し込まれていても平気でいた神経の持ち主

いざ話し合いになったら学校側何人いたと思う?

8人だよ8人

こっちは私1人

へぇ~コードレッド対応かい!って思った
元々21日に最初に校長に不服申し立ての電話を入れた時も校長は対クレーマーに応答する手法を使ったんだよね

クレーマー対応の初歩「まずは傾聴して、相手の怒りが鎮まるのを待つ」この時有効なのがオウム返し、相づちをうつ際に「そうなんですね、〇〇だったんですね」という様に相手が言った言葉の怒りのポイントを抜き出し、引用して返事をすると、返事を返された相手は自分の意見が通ったと錯覚するから落ち着く

そして今回はコードレッド
コードレッドは暴力や暴言を浴びる恐れがある場合、または既にあった場合、なるべく沢山の人数で対応した方が収束する迄に要する時間が短いとされている

主にサービス業や病院、学校等クレームを入れられて暴言を吐かれても簡単に警察に通報出来ない場所が使うやり方

別に管理職1名、担任団から1名、私が指名したS谷だけで話しは可能だったはずだし事実話し合いの最中しゃべっていたのは、そのメンバーだけなんだけど最後迄誰も抜けなかったんだよね

そして始まった話し合い

私が23日に提出しておいた抗議文に沿って質問すると、校長または担任団のリーダー格のI先生が答えるって感じ

内心「この無言のメンツ要らね~し」って思った

早退強要や部活の件は向こうが平謝りで、笑えたのが「部活については明日からでも対応可能です!」って返答だった

ほら、またここで1番大事にしないといけない誰かを忘れてる 

既に形が出来上がっている中に「0」の状態で放り込まれる天使の身になって考えたらどうか?私が指摘する迄誰も案じてはいなかった

だ~か~ら~!

実際学校に通っていて4年半もはじかれていたのは誰か?まだ解らないのか?

S谷に至っては何を聞いてもしどろもどろ、手はパタパタブラブラ最後は揉み手状態

「先生」とかいう前に「社会人」としてどうよ?って呆れたわ

私がS谷を問い詰めてたら興奮した校長が立ち上がって「これはS谷だけの責任ではありません!学校や教育委員会迄責任がある問題です!」って声を荒げてた

上等だよ!じゃあ当時の校長やら体罰をしたI田(男性)召集かけてかかってこい!当時の資料も全部残してある

結局「学校側として出来る限りのフォローをしていく」という決まり文句で終わった内容の無いスカスカな話し合い

勿論音源は撮りました

別に隠れてじゃないよ

テーブルの上に堂々と置いて録音した

1人対多数の話し合いでは基本中の基本

前から言っておいたはずです

伊達に障がい児の母ちゃんやってるわけじゃないんだからね
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天使を置いて、kaomamaの家出

2017-01-04 20:20:36 | Weblog
天使は2歳半でてんかんが判り、3歳1ケ月で知的発達障がい、自閉症(現在は自閉症スペクトラム)、多動の確定診断がついた

本当は8ケ月後迄専門医の外来予約はいっぱいだったんだけど、たまたま朝担当の保健師さんから「今日キャンセルが出たけど行けますか?」と連絡が来て帰りはグランマ&グランパが迎えに来てくれることになって、急遽受けた専門医の診断だった


私は仕事の関係でその先生のことは存じあげていた

先生は天使を遊ばせなごら診察してくださって、私に言った「自閉症ですね、まだ知的レベルは1歳に至っていない、将来的には言葉は出るようになるけれど、獲得出来る知的レベルはMAXで8歳」

あの時の絶望感は文章に出来ない
発達が遅れている自覚はあった
でもせいぜい1年くらいの遅れだろうと思っていた


前述したように私はその先生のことを知っていた

いつも講習会で「私はいつも自分の診断が誤診だったらいいのにと思っている」と話される方だった

診察を終え天使をグランマ達に渡して、そのまま私は出勤した

どのルートを通って出勤したか覚えていない、退勤後も駐車場でどこに車を停めたか覚えていなくて、グルグル探し歩いた

それから1週間家に帰らなかった

友達の家やビジネスホテルを転々として仕事には行ったけど家には帰らなかった


当時私は内科と産婦人科の混合病棟勤務だった

基本は内科担当だったが、お産の時にはヘルプに入って「ベビーキャッチ」と呼ばれる、生まれてきたベビーちゃんを担当して、身体計測や沐浴、着替えやネームの装着をする係

毎日沢山の赤ちゃんが産まれてくる中で、毎日ベビーキャッチをしながら口では「おめでとうございます、元気な赤ちゃんですよ」って言いながら

「なんでこの子じゃないんだろう?なんで天使じゃなきゃいけなかったんだろう?」って思っていた

丁度1週間目に仲の良かった先輩助産師さんに吞みに誘われた

居酒屋さんのカウンター席で先輩が「kaomamaあんたちゃんと泣いた?人間思いっきり泣かないと前に進めない時が1度や2度あるもんなんだよ」と言われて、人目も憚らず大声をあげて泣いた

涙ってこんなに出るのか?ってくらい、最後は頭痛がするまで泣いて泣いて泣き尽くして、やっと深夜に帰宅した

家に帰ると玄関にグランマが立っていて、今迄に見たことの無い、般若の様な形相で私に言った

「そんなに天使が邪魔ならアンタが出て行け」

その後ろで私が帰ってきたことが嬉しくて、天使が喜びの踊りを踊っていた

天使は私が家出している間、夜寝かせようとすると自分でズルズル布団を引っ張ってきて毎晩玄関で寝ていたという


それを知って私は腹をくくった

この子とこの子の障がいと共に生きていこうと!


今でも辛い時には、あの夜の「喜びの踊り」を思い出して奮起する

私はこうして天使にお母さんにしてもらった
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天使の羽根外伝、プロになりたい!とあがく心

2017-01-03 19:44:35 | Weblog
去年の11月中旬の出来事

夕方買い物の帰り道、車を運転していたら何だか違和感のある音がして、普段セルフのガソリンスタンド愛用なのに、珍しく有人のガソリンスタンドに入った

私が左折してスタンドに入ると中年男性スタッフさんが、走って寄って来て「奥さん、なんだか気になる音がしているので点検させて下さい!安全チェックは無料サービスです10分で済ませますから、お願いします」と

正直、早く帰りたかったし時間は無かったけど、その方の真剣さに押されてチェックしてもらった

5分程でピットに呼ばれて行ってみると「左の前輪に釘が刺さっていました。でも垂直に刺さっていたから直ぐに修理は出来ます。問題は別で左の前輪のサスペンションが傷んでいます。ちょっと揺すってみて下さい」促されるままタイヤを上下に動かすと、他の3本はビクともしないのに、左の前輪だけは素人の私が動かしても上下に動いた

スタッフさんは「ウチじゃなくても良いから1日も早く直して下さい、車は命を運ぶ乗り物ですから」と話すとチェックと給油を終え出て行く私の車をずっと見送ってくれた



約14年前の話

天使の発達障がいが判ってから初のディズニーリゾート旅行中の話

パーク内で夕食を食べた後に天使にてんかんの薬を飲ませようとして、「しまった!」と思った

当時天使はてんかんの薬を飲む時、リンゴジュースでないと飲めなかったのに、私のうっかりミスでホテルにジュースを忘れてきてしまった

レストラン内でリンゴジュースを探している旨を説明すると直ぐにトランシーバーを持った男性スタッフさんが走って来てくれた

彼はトランシーバーでやりとりしながらも私に「ホテルには確実に置いてありますか?」と尋ねてきた

ホテルの冷蔵庫に入れてきたことを説明すると出入口ゲートに私達を誘導してくれた、幼児とはいえ30キロ越えの天使をおんぶしていた為、私達の移動には時間がかかった

グランマの代わりに荷物を持ち、トランシーバーを使って移動中も各レストランに連絡をとり移動と平行してリンゴジュースを探しながら、最後は私の後ろから天使を支えて一緒にゲート迄走ってくれた

再入場可能な透明スタンプを私達3人の手の甲に押してくれて私の背中でキョトンとしている天使の頭を撫でてくれながら「ごめんね、リンゴジュースが無くて…」と謝ってくれた

私とグランマが御礼を言うと彼は「申し訳ありません、パーク内に無いものがあるというのはレストラン部の恥ですから」とおっしゃって深々と頭を下げてくださった

約1年後、再びパークに行った時には全店舗ではないけど、パーク内のあちこちにリンゴジュースが置かれていた


私は彼らをプロだと思う

私自身は看護のプロだと胸を張って言えるか否か?

正直自信は無い

若い頃に比べれば記憶力も瞬発力も、情けないくらいに落ちてきた

若い頃より、より丁寧に仕事をしないとミスを犯すリスクも増えた

若い世代がいつも私の背中を見ている緊張感もある

でも、だからこそ、私はプロになりたい!プロですと胸を張って患者様とご家族様と若い世代のスタッフ達を護りたい!

我が手に託されたる人々の幸(さち)のために身を捧げん


何も出来なかったけど、気持ちだけは誰より熱かった新卒時代の情熱と30年以上培ってきた知識と技術とそれらを統括した看護力をフル活用して、かつて先輩達がそうだったように、自己満と笑われても、患者様やご家族様達から「この病院に入院出来てよかった」と言われたい!
患者様とご家族様に笑顔を取り戻してもらいたい、若いスタッフに「この先輩の看護力を身に着けたい」と思われたい!

だから今日も頑張れる!

プロになりたいと思う気持ちが、老いて枯れていく身にも火を灯し続けてくれる

戴帽式で頂いたナイチンゲールのカンテラの火

あの厳かなる気持ちを持ち続けられたら、役職なんか要らない
生涯一看護師の方が患者様とご家族の身に寄り添えていられると思う!

天使が時々私にかけてくれる「あ~ちゃん看護師さん、かっこいい!」

そう、かっこいい看護師さん!
なんだかワクワクする響きだよね
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天使、高等部3年生〈9月23日~26日〉

2017-01-03 15:18:18 | Weblog
平成28年9月23日

深夜、夜勤の仮眠時間を割いてA4用紙3枚に及ぶ、学校側への抗議文を作った

キーボード鬼打ちして、今迄我慢してきた不当な扱いを具体的に文字に興して、夜勤明けで校長に叩きつけた

「回答は文書でお願いします」と付けた

その日夕方ポストに放り込まれた返信文は、A4用紙たった1枚、15行の短文

長ければいいって訳じゃないけど、「お詫びします」だの「話し合って月曜日あらためてお返事します」だの、私への謝罪の言葉ばかり

誰に1番先に謝らないといけないか?

そんなことも解らないなら、「小さい人達」を預かる資格が無い

プロとしての誇りを持たず、また極めようと努力しないなら、大学の教職過程からやり直してこい

あんた達が携わっているのは「未来の塊」で「命」そのものだってことが解らないなら、さっさと潔く辞めてくれ

その方がよっぽど「小さい人達」の為になる!


アマチュアもどきがプロ顔してのさばるな

…天使はこの日の夜から、昼夜問わずものすごい下痢に襲われ始めた

毎回毎回ストレスがかかると始まる「心因性の下痢症」
そして、追い打ちをかける様に始まった「睡眠障がい」
やっと寝ても、すぐに下痢で目が覚めて、24日の早朝4時には下痢便まみれで泣きながらトイレで寝ていた

どうして毎回毎回、しわ寄せは天使に及ぶのか…

朝になればなったで、不安と緊張でいっぱいいっぱいな天使は、私から片時も離れずトイレにも、お風呂にもついて来た

私が仕事に行っている間も、ずっと私の帰宅を家の外で待ち、体中ヤブ蚊に刺されまくって、体中赤く腫れあがった

ストレスは脳を刺激して、てんかん発作が激増

そして、天使は「家出」をはじめる

最初は家の前だけだったのが、何を探しているのか?何処に行きたいのか?

お隣のおばあちゃんの家で済んでいた家出は、おばあちゃんの家のトイレと廊下を下痢便で汚してしまってから、どんどん野外へ拡大した

我が家の付近は5方向に道が延びている

グランマも私も心因性の胃痛と下痢と頭痛に襲われ、3人で薬漬け状態に陥った

でも今回は記録をとり続けた

何日の何時何分に何があったかを、微細に記録に残した

23日の夕方から26日迄だけでも、手帳で29ページ

4日間でカウント出来てるだけで家出が8回

26日に学校側からまた家のポストに返信文書が放り込まれて、開封して驚いた

またA4用紙がたったの1枚
内容は学部会で話し合った事だというが、余りのお粗末さに、呆れて笑いが出た

いつ頃までに何をどうしていくのか、具体策の記載は一切無くて、「学年を越え学部を越え学校として取り組みますが、天使君がどうしても帰りたがった時は相談させて下さい」だって 
どこの未就学児の感想文だ???

相変わらず天使への謝罪は無し

1番障がい児を差別しているのは、貴女達だという事が解っていない方々ですねぇ…







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天使、高等部3年生〈9月21日〉

2017-01-02 08:32:45 | Weblog
平成28年9月21日(水)

この日、私は夜勤明けだった
10月に病棟再編成することが発表されたのは、8月下旬で私達職員は日々その準備の為連日説明会や勉強会に追われていた。

9月21日もそうだった

お昼に全員参加の勉強会があって、上司から「夜勤明けのところ悪いけど出てほしい」と言われた

急いで帰宅し天使の学校の準備をして登校したのは、既に10:30近く

担任団のリーダー的存在のI先生に「病院で全員参加の勉強会があるから悪いけど1時間多く学校においてもらいたい」と頼んだら、開口一番「今日、部活なんだけど」と言われた

よく読むと変な感じ受けるでしょ?

だって高等部の帰宅時間は通常15:10、対して天使は連日普通で13:30、「今日は部活があるから」とか「今日は××先生が出張で手薄だから」とかいう学校側の都合で13:30より更に早く帰されるのもザラ

給食前、給食直後、酷い時は登校して15分とかね
1時間余計においてもらったって小学部と同じ下校時間なのに、返ってきた言葉が「今日部活なんだけど」

そのI先生が大切になさっている「部活」
天使は1年生の時、増えすぎた体重のせいで足腰を痛がり「部活」への参加は難しいだろうという判断で1年生の時は不参加だったが、2年生進級時、3年生進級時には毎回希望用紙が配られていて、私は天使が出来そうな部活を選んで、用紙を出していた。

でも、2年生の時も3年生になっても提出した希望用紙の返事は無かった

内心「部活がなんの関係があるんだよ!1時間遅く迎えに来たって小学部と同じ下校時間なのに!」って頭にきたけど我慢して飲み込んで頭を下げて帰宅した

帰宅したら既に11時を回っていて、ご飯も食べないで横になると家電がなった
普段は私の携帯にダイレクトにかけてくるのに、その日に限って家電話…

仕方なく起きてとりに行って出ると先程のI先生が「なんとか人員確保できましたから、14:30までやってみます」って…

その後も家電に途中経過報告の電話が1回

病院へ向かうべく車で移動していたら、学校から携帯に電話があった「今、天使君、御乱心で」

もう限界だった

天使が保育園時代にお世話になっていたリハビリの先生から言われていた言葉「お母さん、喧嘩は最後の最後だよ」
この言葉があったから、私達は何年も不当な扱いを受け続けてきても我慢してきたんだ!

でも、もう我慢は終了

そのまま引き返して学校に迎えに行くと、相変わらず荒れてなんかいない天使君発見

ほら見ろ!クールダウンさせて無かっただけじゃないか!

悔しくて頭にきて泣きながら「そんなに、うちの子は邪魔ですか?」って聞きながら教室から天使を出して担任団の一人から荷物をむしり取り、天使を車へ連れて行った

朝部活発言をしたI先生は「違いますよ、お母さん、僕らも頑張ったんです」

返答しないで帰宅すると、私の様子がいつもと違うから警戒した天使が車から降りない


今日からはもう我慢はしない!学校が作業所への就労の橋渡しをやってくれなくなったら、その時は私が自分で作業所を探して交渉すれば良いだけだ!

そう思って校長に電話を入れた

あちらはあちらで担任がヤバいと思ったのか「私も今報告を受けたところですが、電話ではなく伺って謝罪させて頂きたい」と言う

天使の前では話はできない!と突っぱねても、まぁしつこい、しつこい
私が「はい」と言うまで繰り返す

不穏な空気を感じとった天使はまだ車の中

いいや、天使はどうせまだ車の中だから、先生達が来る前に出かけてしまえ

って思ってグランマにも支度をさせようとしたら、疲れが溜まっていたグランマは頭痛が酷くて動きたくないという
そうだよね、私は夜勤明けだった訳だから、替わりに天使を見ていてくれたグランマだって疲れているよね

鎮痛剤を飲ませて休ませて外に出たら、運悪く校長達が来るのが見えた

天使はいつもと違う成り行きに既に車内で何か叫びながら表情が変わっていた

グランマが中で寝ているからと話すと、校長が3人連れてきた男性の先生達の一人を天使のところへ差し向け、自分と残りの先生2人の計3人で私を囲んで謝りまはじめた

頭にきて興奮して泣いて怒っている私

天使にはその光景が、先生達があ~ちゃんを虐めてる!と映ったらしく、付いていた先生の静止を振り切りながら私達の所へやってきて、私を先生達から守るように割って入ると、先生達に繰り返しこう言った

天使:僕、明日から学校キャンセルします!

一生懸命私を守ろうとしてくれていて、でも興奮はてんかんの発作を誘発させてしまうから、なだめながら車に乗せ先生達を放置して家を後にした

この日から新たな闘いが始まったのだった
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天使の羽根外伝、グランマの教え

2017-01-01 14:05:20 | Weblog
お正月三が日の私の勤務

1日(本日)夜勤明け
2日夜勤入り
3日夜勤明け

チーン!…合掌

カレンダーを見ていて気づいた、15日はグランマの誕生日だ

グランマには私を含めて3人の娘がいる
実は私は三人姉妹の末っ子で上に二人の姉がいる

グランマは薩摩おごじょ
鹿児島から新潟に嫁いで来て、助けてくれる兄弟姉妹もいない中で私達姉妹を産み、育ててくれた

小さな雑貨店を切り盛りしながら、近所のおじいちゃん(←親戚ではない)や、おばあちゃん(勿論親戚ではない)の世話までしていた
だからと言ってはなんだけど、私達姉妹は近所のおじいちゃん、おばあちゃん達からとても可愛がられていた

私は近所のおばあちゃん達の一人「タカミのおばあちゃん」にとても可愛がられていた

タカミのおばあちゃんは、亡くなる数年前には認知症になって、家族の顔も忘れてしまって同じ話を繰り返していたが、グランマのことは最後の最後まで覚えていて、「オラァ角屋(うちの屋号)の姉さん(←グランマのこと)には、善くしてもらったんだぁ」と私に教えてくれた

その話をするとグランマは「若かったから体も動いたし、疲れなんか一晩寝たら、吹っ飛んだしね」と笑う

そんなグランマが私達姉妹に平等に教えたこと

「自分がされてイヤなことは絶対他人にはしてはいけない!」

この教えは三人姉妹内でも平等で、年上とか末っ子とか関係なく、父でさえその掟を破ると容赦なく叱られていた

こんなことがあった

日曜日だったと思う
グランマは子供会の役員の仕事が延びて、お昼ご飯の時間になっても帰って来なかった

お腹を空かせた父と三人姉妹

最初は誰かのイタズラ心だったのだろう
「自分のご飯は自分で作ろう!」
姉達は簡単な物なら調理出来る年齢だったが、私はまだ小学校低学年で火は勿論、包丁も使ってはいけないと言われていた

父も姉達も私が泣いて頼めば何か作ってくれたと思う

でも私はかなり生意気な子だったから、空腹のままグランマの帰りを待った

グランマが帰宅して1番に家族のご飯のことを心配した時、私は父と姉達のことを告げ口した

グランマは父に烈火のごとく「なんで自分がされたらイヤなことをよりによって自分の娘にするの!」と叱り飛ばした
父(グランパ)はグランマより12歳も年上なんだけど、父と姉達3人小さくなってグランマにお説教をくらっていた


1番上の姉が中学1年の時
夜一生懸命にテスト勉強をしている回りで、5歳年下の私が騒いで纏わり付き、遊んでくれ攻撃を繰り返していたら、グランマがいきなり立ち上がり、昔ながらの畳をはく柄の長いほうきを手に窓を開け、私を外へ掃き出した

外は雪

気づくと雪の中に放り出されていて「貴女だって大好きな本を読んでいるのを邪魔されたらイヤでしょ?なんで自分がされたらイヤなことをお姉ちゃんにするの!」と

そんなグランマだって自信満々に子育てしていた訳ではなくて、三人姉妹バラバラの性格な私達姉妹の子育ては悩みの連続だったと笑う

ある時、故吉岡たすく先生の育児講座を聞いていたら、「先生と子供にも相性がある、活発な先生は活発な子が好きだし、読書が好きな先生は読書好きな子を誉める、だから先生の評価が全てじゃない」

グランマは三人姉妹の性格がバラバラなのは、それぞれ娘達の個性なんだ!と私達姉妹それぞれを認めてくれて接してくれた

三人がそれぞれ母になり、孫にあたる天使達のことで相談しても孫達の「個」を認めてくれている

私はまだまだ「お母さん」として、グランマの足元にも及ばない

だけど子育ては勝ち負けではないから、私は天使に「お母さん」にしてもらったから、全身全霊で天使に接する

それが私に出来る最大限の子育て法だから、迷ったら、グルグル迷えば良いんだよね







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天使の羽根、新年のご挨拶

2017-01-01 01:39:33 | Weblog
皆様、新年明けましておめでとうございますm


昨年は9月の下旬から12月中旬迄、正直生き地獄状態でした。

普段なら何度凹んでも巻き返し、這い上がり、ドン底に落ちた分を逆手に取ってパワーに変える私が、本当に毎日「どうやったら天使を苦しめずに一緒にいけるか?」真剣に考えて、断崖絶壁で踏み止まっている状況でした。
今でも私の財布の中には2人分の葬式の準備をした「早割」の振り込み済みのレシートが御守りの様に入っています(笑)

それぐらい、辛かったし苦しかった

今は文字に興すことで、振り返っている最中です

事実を残すことが=再発防止になると信じています

天使が高等部を卒業するまでに、消化&昇華してみせます!

どうか今年も「天使の羽根」を覗いて頂ければ幸いです。

皆様、お互い悔いの無いように過ごしましょう!

夜勤中、仮眠室からの更新でした。
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天使、勧善懲悪思考の源

2016-12-31 12:37:01 | Weblog
大晦日だねぇ

3年生の続きを期待して下さっていた方々申し訳ありませんm(_ _)m

本日、大晦日ですので楽しい(?)お話でしめたいと思いますので、お付き合い下さいm(_ _)m


あれは天使が3歳の夏
3歳1ケ月で知的発達障がい、自閉症、多動と診断されて3ケ月

おもちゃや遊具に興味を示さない天使に「遊ぶ」楽しさを教えたくて隣の市迄足を伸ばし、あるイベントに参加した

百獣戦隊ガオレンジャーショー

最前列ど真ん中で、グランマの膝の上に座っての参加だった

敵はウエディングオルグ

いきなり会場内の通路から現れた敵は、ど真ん中でガオレンジャーのソフビ人形を握っていた天使に近づくと、天使から人形を取り上げた!

びっくりして固まる天使

そこでガオレンジャーのテーマ曲と共にガオレンジャーが現れ敵のザコキャラを次々倒し、最後はウエディングオルグから人形を取り返すと、やっと取られたことに気がつき泣いていた天使にガオホワイトが優しく天使の頭を撫でながら、お人形を返してくれた。

天使には衝撃的だったのだろう

この日から天使の中で「勧善懲悪思考」が芽生えたわけだ


と、いうわけで私これから夜勤なんですよ
えぇ年越しですわ-_-#

3年も更新出来ずにいた、このブログを辛抱強く待ってくださった皆様、新規に覗いてくださった皆様ありがとうございましたm(_ _)m

来年は酉年

酉年はいろんなものが「実る」年らしいです

私達家族も必ず「実り」を掴んでみせます!

来年もこのブログを覗いて頂ければ幸いです

皆様、よいお年を
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天使、高等部3年生〈夏の作業所実習〉

2016-12-30 23:56:42 | Weblog
あ~やっぱりノロで無駄にした数日間の分が巻き返せない…

そして、たった今寝ていた天使がいきなりガバっと起き上がり正座して「先生、ごめんなさい、もうしません」と寝ぼけて謝った

毎回これをみる度に、あの時アイツらを警察に突き出さなかった自分に腹が立つ

まぁ、本題に入るわ

2年生の秋にも「職場体験実習」はあったけど毎日2時間の実習だった、因みに他のお子さん達は6時間
反省会の時には「一見無駄に見えることにも積み重ねることで意味が出てくることもありますから」と言われた
要するに朝の朝礼とか昼休みの過ごし方ってことなんだろうなぁ…と感じた

そして3年生の夏の実習

天使には1年生の時から、作業所に関して余計な情報は入れず卒業後就労希望の作業所1本のみの情報しか入れ込んでこなかった
担任団と相談して「選択肢が無い方が本人が混乱しないだろう」という判断の基の方針だった

勿論、作業所自体は私が選んだ

ポイントは①沢山の仕事があること→いざという時に作業所内で別の仕事に就けるから②住環境が整っている場所→いつか私が居なくなったら通所ではなく入所になるから③ある方の助言があったから…

③のある方とは、私が看とらせて頂いた末期がんの患者様だった

Hさんは末期がんの状態で入退院を繰り返していた

退院されると外来受診の度に、ある作業所で作っているおせんべいを大量にナースステーションに届けてくれていた。

本当はいただいてはいけないのだが、「障がいを抱えた子達が頑張って作っているおせんべいだから食べてやってよ」と言われ毎回有難く頂戴していた

何回目かの入院の時に、どういうルートからかは不明だけど天使が自閉症だと知ったらしく私に声をかけてくださった

「kaomamaちゃんのところも自閉ちゃんなんだって?何歳?どんな子?うちは女の子なんだけどさぁ、もう女房もいないし一人っ子だから、俺も死ぬに死ねないよ」と

天使の話をして、このブログを教えると出勤する度に「ユニークな子だねぇ」とか「色々つらかったのに頑張ってるねぇ」「他人に思えないなぁ会いたいなぁ」とか言って下さって、本当は私の方がHさんにパワーをあげないといけないのに、毎回私の方がパワーを貰っていた

夏、Hさんはかなり状態が悪くなってきて酸素が必要になりベッドから起き上がれない日が増えてきた

ある日、病棟に忘れ物を取り行かなければならなくなって、夏休みだった天使を連れて病院に行った

そうだ、今ならまだHさんに天使を見せられる!
そう思ってHさんのところへ天使を連れて行った

天使を見たHさんは本当はもうなかり苦しいだろうに、ニコニコしながら「kaomamaちゃんに似てるなぁ」と言い天使と握手をしてくれた

その時天使は私が何も言わないのにHさんの頭と胸を交互にさすりながら「おじちゃん痛いの?あ~ちゃんは看護師さんだから治してくれるよ」と言った

Hさんは涙ぐみながら「ありがとうな、おじちゃん楽になってきたよ」と言ってくれた

次に出勤した時には酸素が鼻に当てる管タイプの物からマスクタイプの物に変わっていた

私が訪室すると、苦しそうに喘ぐ様な呼吸をしながらも「kaomamaちゃんに渡す物が有るんだよ」と1枚の名刺を下さった

「いいか、将来天使の就労先に困ったら、この作業所へ行け、必ず助けてくれるから、ダメって言われたら俺の名前を出して遺言だと言って粘れ!必ず助けてくれるから、天使は優しい子だから、きっと分かってくれるから」

沢山の心無い人達に踏みにじられた天使をきちんと認めてくれた方だった

数日後Hさんは本当に眠る様に亡くなった

その事があって私はその作業所を選んだ

3年生の夏の実習の目標は「お昼ご飯を作業所で食べること」だった
2年生の時は昼前であがり、毎回私とお昼ご飯を外食して、それを楽しみにしながら乗り越えたから、一応昼過ぎ迄居れることを目標にした

いつものごとく「お母さんは近くで待機していて下さい」と言われ、炎天下5日間毎日近くのコンビニの駐車場で待機していた

結果は2勝2敗1引き分け

昼ご飯を作業所で食べれたのは2日だけで、酷い時は行って15分で呼び出しがかかった

反省会では2年生の時とは比べものにならない強い口調で「学校ではいまだに複数体制で対応しているのか?」とか「いつも緊急時には、お母さんが出動しているのか?」とか聞かれ指先と背中が冷たくなった

今更作業所を変えてアタックは出来ない

11月の作業所実習迄に反省会で指摘されたポイントをリカバリー出来るのか…

きっと、あの頃は既に私自身がギリギリの状態だった思う



「天国のHさん!お願いします、天使に力を貸して下さい!」
反省会の帰り道、車の中で祈った


でも、出口が見えない状態で夏は容赦なく過ぎていった…

結局、2ケ月後に大事件がおこるんだけどね


とりあえず、なんか中途半端ですが今夜は寝ます。
おやすみなさいm(_ _)m
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天使、高等部3年生〈修学旅行〉

2016-12-29 16:59:31 | Weblog
病み上がりの夜勤はキツいね~
今まで動けなかったよ

天使の学校では3年生になった途端修学旅行があった、行き先は沖縄

皆さんはどちらに行かれましたか?

kaomamaは北海道道南の旅

なんと私、当時生徒会の副会長でして、しかも最初は担任から「会長選出ろ」って言われたんだけど面倒くさいから「副会長ならいいよ」って返事して副会長やりながら、会長になった同級生を影で操り(笑)会長の男子生徒が「副会長!〇〇のイベントの挨拶どうしたらいいんだ?」とか慌てる度に、「コーラ買って来たら原稿書いてやるよ」とか言って自販機に走らせてた、ごめんよ中村君m(_ _)m

横道に逸れたね

でもって修学旅行の北海道へは夏に行ったんだけど、行きはなんとフェリーだったんだよ
新潟港から小樽迄所要時間20時間

最初はみんなして写真撮影したり船内探検したりしていたんだけど、元々船に弱い私は酔い止めを飲んでいたにも関わらず船酔いしちゃって、夕食なんかまともに食べれず部屋で半ば死んでたんですわ
そしたらクラスの男子が「副会長!寝てるから余計気持ち悪くなるんだ!動け!走れ!そしたら治る!」って無理矢理甲板に連れて行かれて、夜の甲板で缶ケリしたんだよ(;・д・)

無理~って思ったのは最初の5分だけだったわ

なんとホントに治っちゃってね
クラス中で甲板走り回って缶ケリして、注意しに来た担任迄引き入れて、夢中で缶ケリしたんだよ

だけど夜の甲板だから缶がしょっちゅう海に落ちるわけだよ

その度に「先生~カーン!」って叫ぶ!
担任は苦笑いしながら「おまえら!たまには俺を敬え!」って言いながらも自販機で飲み物買っては、一気飲みして新しい缶を調達してくれた

船長さんに叱られた頃には、私の船酔いはすっかり治ってた

缶ケリの後お風呂タイムだったんだけど船のお風呂って面白いんだよ

船が揺れる度に湯舟も傾いてお湯がザ~って流れて、洗い場の桶もイスもシャーって流れていく
最初はみんなして「キャー」とか「怖い~」とか言ってたんだけど、段々慣れてきたら楽しくなってきて、傾く度にイスに座った状態のまま両足を挙げる!
そうするとイスごと洗い場をガーって低くなった方へ移動する
タイミングが掴めてきたら、遊園地の乗り物状態でキャーキャー言いながらエンドレスでイス流れを楽しんでいたら、軽く2時間経っちゃって担任と保健室の先生からしこたま怒られた

いざ北海道に上陸してからは、もうはっちゃけまくった!

札幌でお昼にジンギスカンを食べた後自由時間になった、まだお昼ご飯を食べたばっかりなのにすすきのへラーメンを食べに繰り出した
味噌バターコーンラーメンモヤシトッピング特盛
大通り公園で特濃ソフトクリーム食べて、焼きトウモロコシ食べて、ホテルに帰って1時間後に海鮮づくしの豪華な夕食、勿論完食(笑)
みんなでスカートのホックを外し「もう動けね~」って倒れこんでいたら、またまた男子から情報が入った

「おまえら!なんか大通り公園でイベントやってるらしいぞ!」

もうお腹いっぱいなのを忘れて繰り出した

夜の大通り公園

イベントはデビューしたてのTUBEのミニライブだった(オイ!そこ!ググって年齢逆算すんな💢)
探しに来た担任&副担任をまたまた引き入れて聞いたシーズン・イン・ザ・サン
あの曲を聞くと思い出す修学旅行


でも、天使の修学旅行は違ってた
事前に担任の男性教師に聞かれた
「お母さん、修学旅行の間お休みとって自宅待機して、いざという時は沖縄迄迎えにこれますか?」

あのさぁ、そういう相手がなんて答えるか答えが分かっているのに質問するのを「確信犯」って言うんだよ
貴方が本当にしなきゃいけなかったことはなんだったと思う???

学校に直談判して人員確保することじゃなかったの?
通知表に書かれた「飛行機への恐怖心から早い段階で欠席が決まっていた」っていう一文
だってキャンセル料の表見せながら、出欠席の答えを迫ったの誰だよ

お土産は誰がどう贔屓目で見てもホテル内で買ったと思われるサーターアンダギー

ビーチの砂でももらった方が、よっぽど気持ちがこもってるってもんだ

人の気持ちが察しれなくなったら、知的発達障がい児に関わる仕事なんか辞めちまえ

適性無いよ
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