2016年11月25日 更新

プロレス界の帝王にまで上りつめた男、高山 善廣

日本人離れした体格でUインター、全日本、フリー(高山堂)と時代を歩み、日本国内3大メジャー団体(新日本・全日本・ノア)のヘビー級シングル、タッグタイトルを奪取したプロレス界の帝王、高山善廣。 激しく素晴らしい試合とともに彼のレスラー道を振り返ってみましょう。

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プロレス界の帝王 高山善廣

高山 善廣

高山 善廣

本名:高山 善廣
生年月日:1966年9月19日
出身地:東京都墨田区

身長:196cm
体重:125kg

所属:高山堂

プロレスデビュー:1992年6月28日

主な獲得タイトル

【腕ひしぎ逆ブログ】 高山の偉業 (1533642)

【プロレスリング・NOAH】
第4代GHCヘビー級王座
第3代、第21代GHCタッグ王座(パートナーは大森隆男、佐野巧真)
グローバル・タッグ・リーグ戦2010年、2013年優勝(パートナーは佐野巧真、KENTA)
グローバル・リーグ戦2010年優勝

【新日本プロレス】
第32代IWGPヘビー級王座
第20代NWFヘビー級王座
第46代IWGPタッグ王座(パートナーは鈴木みのる)

【全日本プロレス】
第39代三冠ヘビー級王座
第38代世界タッグ王座(パートナーは大森隆男)
第66代アジアタッグ王座(パートナーは大森隆男)

【WAR】
WAR認定世界6人タッグ(パートナーは安生洋二、山本健一)

【ZERO1-MAX】
第18代ZERO1インターコンチネンタルタッグ王座(パートナーは佐藤耕平)

【天龍プロジェクト】
初代天龍プロジェクト認定世界6人タッグ(パートナーは関本大介、後藤達俊)

【超花火プロレス】
初代爆破王

【プロレス大賞】
2002年度 / 殊勲賞、年間最高試合賞(高山善廣vs永田裕志)
2003年度 / 最優秀選手賞(MVP)
2004年度 / 最優秀タッグチーム賞(パートナーは鈴木みのる)
2006年度 / カムバック賞
2007年度 / 年間最高試合賞(三沢光晴、秋山準vs小橋建太、高山善廣)

ファイトスタイル

NO FEAR(恐れ知らず、怖いものなし)

NO FEAR(恐れ知らず、怖いものなし)

196cmの体格を活かしたハードヒットな打撃とUインターで磨いたスープレックス、間接技を主体としたスタイル。

格闘色を前面に出したスタイル(Uスタイル)だったが、全日本プロレスに参戦してからプロレスラーとしての体格(主に体重の増加)や技術、そして相手の技を受けることで、高山の繰り出す技に圧倒的な存在感を与えられるようになり、現在の人気にまで登りつめた。

恐れ知らずが合言葉だけあり、激しい試合が多い。
中でもPRIDE.21でのドン・フライ戦は顔が変形するほどの凄惨なノーガードでの殴り合いを展開し、この試合を知らない人がいないほどプロレスファン以外の知名度が上がった。

入場曲

代表的な入場曲 『Destructive Power』

全日本プロレスNO FEAR結成時より使用しており、現在はアレンジを加えた形になって使っている。

大きな体格の高山らしく、ゆっくりとしたなかにこれからモンスターが街を壊しに来るような怖さのある入場曲になっています。
トップロープを跨いでのリングインはもはや代名詞になりました。

必殺技

エベレストジャーマン(高角度ジャーマンスープレックスホ...

エベレストジャーマン(高角度ジャーマンスープレックスホールド)

196cmの巨体から繰り出されるジャーマンスープレックス。

その角度と高さから世界一の山、エベレストに例えられこの名前が付いている。
フルネルソンスープレックス

フルネルソンスープレックス

相手の背後から腕を両脇を抱え上げ、首元で手をクラッチし、そのまま投げる技。

大一番という試合や、エベレストジャーマンが返された時に使用する。
相手は約2mほどの高さから真っ逆さまに落ちる。
高山は投げっぱなしを使う理由として、かつてのパートナーのゲーリー・オブライトを意識しているとしてあげられている。
ニーリフト

ニーリフト

相手の胴体に思い切り膝で蹴り上げる技。

ヘビー級相手でも体が浮き上がるほどの破壊力であり、ダッシュして相手の胴体めがけて繰り出すランニングニーリフトなど使用する応用範囲は広い。

総合格闘技ではこのニーリフトを主体として戦っていた。
サッカーボールキック

サッカーボールキック

相手の胸あたりや背中に思い切り蹴りをいれる技。

高山のそれは一つのムーブとなっていて、助走が取れる場所でフライングメイヤーなどで相手を尻餅状態にしておいて、そこへロープを使って走りこんで相手の正面や背中に思い切り蹴りを入れる。

ちなみにその後、足で相手を踏み付けてカウントを取りにいくことが多い。
ギロチンドロップ

ギロチンドロップ

マットに倒れている相手ののど元めがけてジャンプして大腿部裏を叩き落す技。

全日本プロレス参戦時初期に多用していた技で、その体格から繰り出されるフォームはブルーザー・ブロディに似ていたため、当時「和製ブロディ」の異名が付けられていた。

現在はあまり使用していない。

試合で時代を振り返る

Uインター時代 -ゴールデンカップス-

試合は1996年両国国技館で行われたIWGPタッグ選手権試合 橋本真也、平田淳嗣組 vs 安生洋二、高山善廣組です。

高山は20歳の時にUWFへ入門するも、一度挫折しサラリーマンを経てUWFインターナショナルでデビューする。
Uインターの頃は格闘路線のため、スピードを重視し絞った体で主に自分よりも小さな体の相手と戦っていた。
高山がUインター時代に最も輝いたのは1995年の新日本プロレスとの対抗戦が始まった流れでできたユニット「ゴールデンカップス」結成である。
安生洋二とのタッグで新日本の選手と名勝負を繰り広げていた。
またこの時、高山は新日本の選手と対戦して、自身の体重に対して軽すぎるかもしれないと考えていたそうです。

全日本プロレス時代 -NO FEAR-

試合は1999年広島市東区スポーツセンターで行われた世界タッグ&アジアタッグ選手権試合 大森隆男、高山善廣組 vs 三沢光晴、小川良成組です。

Uインター時代に対戦し敗れた全日本の川田利明を追い、1997年に全日本プロレスにフリーという立場で参戦する。
ゲーリー・オブライトと組んで、川田利明、田上明組の世界タッグに挑戦や、川田利明とのシングルマッチ再戦などを経て、1999年に正式所属選手となる。
所属選手となった99年に高山の全日本時代で大きな転機となる大森隆男、浅子覚と「NO FEAR」を結成。
大森とのタッグで世界タッグ、アジアタッグを同時に制覇する偉業を成し遂げるまでに急成長する。
この時の体系はビルドアップされ、体格を活かしたファイトスタイルになり、帝王への第一歩といった時期になりました。

プロレスリング・NOAH~フリー時代 -高山堂-

試合は2004年日本武道館で行われたGHCヘビー級選手権試合 小橋建太 vs 高山善廣です。

2000年、三沢光晴が旗揚げしたプロレスリング・NOAHに参加する。
しかし、2001年のPRIDE参戦を機に再びフリーランスとなる。
以後、NOAHを中心に、新日本、全日本含め様々なプロレス団体、PRIDEなど総合格闘技にも参戦することとなる。
2002年のGHCヘビー級王者を始めとして、2003年新日本のIWGP、2009年全日本の三冠とタッグも合わせてメジャー3団体のタイトルを奪取し、プロレス界の帝王と呼ばれるまでになる。
NOAH、フリー時代はシングルでの実績を残していき、様々なプロレス団体の猛者達を倒しながら闊歩していくその様は、帝王の名を与えられるに相応しい漢(おとこ)の姿となりました。
ちなみに体系は現在に近い身長、体重ともに日本人離れしたものになっています。

現在、まとめ

帝王道

帝王道

現在もフリーランスとして様々なリングに上がっているが、主にプロレスリング・NOAHを主戦場とし、盟友鈴木みのる率いる「鈴木軍」との抗争にNOAH側として力を注いでいる。
他にもプロレスの解説者をはじめとして、タレント、ラーメン店経営とプロレス以外での仕事もこなしています。

幼少の頃から現在に至るまで患っている喘息と闘いながら、そして2004年の脳梗塞と決して順風満帆とはいえないレスラー人生ですが、脳梗塞からカムバックし、現在も現役を続けられているのはやはり“帝王”高山善廣だからなのでしょう。
これから帝王はどんなレスラー人生を歩んでいくのか、その大きな背中を追いかけていきます。

それでは、最後にドン・フライとの死闘ダイジェストと高山が出演しているフラワーカンパニーズの『感情七号線』 PVでお別れです。

2002年、ドン・フライとの死闘

今でも高山善廣を語る上で、切っても切れない試合です。
漢(おとこ)気溢れる戦いでした。
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