難波紘二先生(広島大学名誉教授)は非常に有名な方であり、STAP細胞論文のおかしさを世界で一番最初にウェブ上で発言したのではないかとも言われている(これは以前、専門家、ジャーナリスト、新聞記者のみで開催した非公式な会合で、時系列を追った際に出た結論である)。難波先生のメルマガを私も購読(無料である)しているが、今回のメルマガでは、

以前にも表に出たことはあるが、あまり重要視されていなかった

ある事実が、実は STAP 細胞事件を引き起こした単純な理由ではないかと書かれていたため、ここに掲載したい(難波先生は転載自由といつも書かれている)。ブログを書いている者としては、何かしらのコメントや新情報を付け加えるべきかもしれないが、余計なことを書くよりも、そのまま難波先生の文章を読んで頂く方が誤解を招くこともないと思い、そのまま掲載させて頂くことにした。

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(難波先生のメルマガにおける STAP 細胞関連のコメント。一部は略している)



 渋谷一郎「STAP細胞はなぜ潰されたのか:小保方晴子『あの日』の真実」(ビジネス社)は、帯の履歴を見ると、どこかの大学の電子工学科を出て、電気関係の出版社に勤務し、フリーのジャーナリストになった人物だ。この本は『あの日』の内容のダイジェストと独自の「小保方擁護論」を含んでいる。小保方STAP細胞が「別の勢力による罠」により潰されたという主張をしている。これは一種の「陰謀史観」である。(陰謀史観については、秦郁彦「陰謀史観」、新潮新書、2012/4を参照願いたい。)



 渋谷の本には、「STAP幹細胞」と並んで「FⅠ幹細胞」(P.58,59,60,76,77)という用語と「F1系統」(P.114)、「遺伝子型(1298B6F1)」(p.114)と「F1」という用語も用いている。このFⅠとF1の用例は、著者が本当に生物学を理解しているかどうかのリトマス試験紙となっている。


 著者の記述を引用する。


 若山氏が小保方に129系統の子マウスを渡し、彼女が作製したSTAP細胞を受け取り、2株のSTAP幹細胞を樹立した。STAP疑惑発生後に若山氏が、

 「その2株の遺伝子を調べたところ、129系統ではなく、1株はB6系統、もう一株は129とB6の二つの系統のマウスを交配させた遺伝子型(129B6F1)だったと発表した。129系統もB6とF1の系統もES細胞の作製に広く使用されたいたものだった。」(P.114)という箇所。



 渋谷はここで「F1」をマウスの系統と理解している。しかし、高校生物学を習った人なら「F1」が「雑種の1代目」を意味することは自明である。B6や129は確立された純系マウスの系統名だ。付言するとFはラテン語のFilial(子孫)の略号で、F1は第1世代、F2は第2世代を意味するのが、遺伝学の約束ごとだ。「129B6F1」という表記は129系統とB6系統の雑種1代目(F1)という意味だ。

 F1は雑種の世代番号であり、それを「ⅠないしI」に置き換えた「FⅠ幹細胞」など存在しない。ましてそれをSTAP幹細胞、ES細胞と同列の「術語」として使用するなど、遺伝学と生物学の基礎知識に欠けているとしか言いようがない。


 こういう人が書いた「STAP細胞が存在したことは明らかだ」(P.76)という文章などまったく信用に値しない。理研の報告書は「STAP様細胞」という言葉を使っているが、ネイチャー論文に使われている「STAP細胞(Stimulus Triggered Activated Pluripotent Cell)」は存在しなかったというのが報告書の結論だ。1回でもSTAP細胞を樹立していれば、「STAP細胞はあったが、STAP幹細胞はなかった」という結論になったはずだ。



 (中略)

 STAP事件も、ほとぼりが冷めるまでまだしばらくかかるだろう。私は証拠に基づいた真面目な質問には応対するつもりだが、もうSTAP問題にはこれで発言を止めたいと思う。


 小保方の性格について、西川伸一氏が「自閉症」や「サバン症候群」などの状態を、精神の多様なあり方の一つとして理解するNeurodiversity(神経多様性)の概念が欧米で広がっている。>と述べ、いわゆるサイコパスと理解しているようだ、ということを前号に書いた。



 これに触発されて神経内科医(コロンビア大学教授)で作家のオリバー・サックス『道程:オリバー・サックス自伝』(早川書房、2015/12)を読みなおした。「神経多様性」という概念はエーデルマンの「神経ダーウィニズム(Neural Darwinism)」(1987)という学説と共に生まれ、発達してきた概念だと書かれており、西川氏の指摘が正しいことを知った。



 『道程』の中にはサックスが経験したおびただしい「患者」の紹介があるが、その中に小保方さんそっくりの「症例」もあった。ただ「全く同じ患者」はいないとサックスはいう。


 小保方について、上述の黒木氏の本に


論文を書くために、このようなデータがあればよいというと、数週間後にできてくる。その上、彼女はプレゼンテーションが上手でCDBの執行部も感心するくらいだった。みんな、HO(原文のまま)はすごいと思うようになった。その一方、彼女の知らないような話をすると怒るので、怒らせないよう会話に気をつけ、誰も研究の話をしないようになった」(P.122)


というくだりが出てくる。「なぜ騙されたのか、少しは分かったような気がした」とも黒木氏は書いている。


 一読しただけでは意味が腑に落ちなかったが、サックスの著書を読みなおして、黒木氏の文章を再読すると

怒らせないように会話に気をつけ、誰も研究の話をしないようになった

というところが、一番の問題だとわかった。CDBでは仲間うちでSTAP細胞研究がまったく議論されなかったことを意味している

 執筆担当の笹井氏に疑問点を提示しても、そこから小保方に伝われば、どんな「激怒」が返ってくるかわからない
笹井氏も若山氏も小保方に「実験ノートを見せろ」などとはとてもいえなかっただろう。


 要するに理研CDB軍団の中で「笹井小隊」は科学者コミュニティとしてまったく機能していなかったのだ。それが「CDB解体」の最大理由だろう。



 「高機能自閉症」については、オリバー・サックスの『火星の人類学者』の同名章(早川書房、1997)を参照願いたい。賢明な読者には私の言いたいことがすべて伝わったと思うので、これで「STAP細胞」問題の話題終了としたい。


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 少しだけ加筆したい。

知らないような話をすると怒る
怒らせないように気をつけ、誰も研究の話をしないようになった

こういう人は結構研究室(特に生命科学系)にいないだろうか?私は何人も見たことがあるし、被害にもあった。「なんだかよくわからないが、いつも怒っている」教授も当たり前のように見てきたし、そんな教授は得てしてとてつもない初歩的な誤りをしたり基本的なことをわかっていないこともあるのだが、本人以外は誰もがわかっていても、それを言えば非常に面倒くさい事態になるので、「言わぬが仏」になってしまうのだ

 私は最初から、STAP 細胞事件の構図は非常に単純だと思っている。小保方氏がねつ造・改ざん・コピペをしなければよかっただけの話であり、小保方氏がそもそも関わっていなければこんな事態にはならなかっただろう

 どれくらいの人が覚えているかわからないが、Nature 論文が撤回された後に、若山先生が Cell Stem Cell に論文を発表した。この論文には、小保方氏の名前も共著者として入っている。

 ある時、若山先生が、小保方氏がやった実験の部分に関して「ここは問題は全くありませんよね?」的な確認のメールをしたところ、小保方氏から、

先生の論文に不正が見つかれば、私はすぐに撤回を要求しますから

という返信が来て、若山先生は背筋が凍るような思いだったという。

 こういう話は他人事ではない。

 小保方氏のことを「あの子は嘘をつくような子じゃない。見ればわかる」などと自信たっぷりに言う人がネット上に何人もいるが、どこを見てそれを判断しているのだろう

 そして「見ればわかる」と言うからには、これまで「見ればわかった」という成功経験にそのことが裏打ちされてなければいけないと思うが、こんな安易な発言をする人が、過去にそこまで人を細かく観察してきたとは到底考えられない。ましてこの場合、見ているのはテレビを通してなのだ(もしくはYouTubeなどの可能性もあるが)。

 少なくとも自分の場合、情報がほとんどない相手の性格などを、一発で見抜くなど絶対に出来ないと思っている。ゆえに、事前にわかる情報なら何でも欲しいし、少しずつ話を振って反応を見たり、ノートの文字や書き方なども参考になるし、他にも情報があればあるほど自分の過去に会った人間との比較分析が出来るのでありがたいのだ