年末から続いていた恐怖のインフェルノマラソンが昨日で終了しました。
ホリデーシーズンの期間中、あれだけ人や車でごった返していた街が嘘のように、今ではひっそりと静まり返っています。
雪が被り、真っ白になった世界で、お店の看板だけがキラキラと続く大通り。
田舎にも都会にも住めない自分は、この閑散とした中途半端な景色に心を躍らせます。
ここから約3ヶ月間、観光都市であるこの街は長い冬眠に入るのです。
遅れてきた新年を大好きなお寿司で祝った昨夜、夜更かしをして日本にいる親友の1人とスカイプで話をしました。
電話をした相手は、日本でいつも一緒にいた仲間であり、人生の恩人。
時節を感じる機会が少ない自分にとって、毎年決まってこの時期にかける電話は、年の変わりを実感する大切な行事となっています。
お金は無いが時間はあった移住1年目、その親友とは頻繁に連絡を取り合いました。しかし、2年、3年と状況が大きく変化し、文字通り生活に追われるようになってからは回数がどんどんと減っていき、気がつくと年に1回だけの電話になってしまいました。
彼と話をする時は、お互いの近況報告はしません。
特に意識してそうしている訳ではないのですが、「もしもし」と繋がった瞬間に場の空気も脳みそも「あの頃」とコネクトし、どうしようもない話で盛り上がって4、5時間を過ごしてしまうので、毎回近況を尋ねる前に眠くなってしまうのです。
何者かによって、時間を誘拐される。
彼と電話をした後、いつもそんな感覚になります。
何と言うか、4、5時間があっという間なのです。大した話をしている訳ではないのに、志村けんの王道コントよろしく、こっちがよそ見をしている隙に「ウシシ」とワザとらしい演技で時計の針を進められている錯覚を覚えます。気分はまさに、だっふんだ。
変なおじさん同士が会話をしているのが原因かもしれませんが、とても不思議です。
時間についてもそうなのですが、彼と話していると時空も超えます。
あの日の僕のレコードプレーヤーは
少しだけいばって こう言ったんだ
いつでも どんな時でも スイッチを入れろよ
そん時は必ずおまえ 十四才にしてやるぜ
ヒロトが「十四才」の中で叫ぶ歌詞ですが、本当にその通りなのです。
スカイプの通話スイッチをクリックすると、ノスタルジックな過去に戻るのではなく、「その当時」がタイムリープして目の前に現れます。ですので、彼と喋っていても全くもって懐かしいといった感情が湧きません。あの時会っていた昨日の延長、という具合になるだけなのです。
距離も、時間も、時空も超える電話。
これから先も、このような感覚を味わえるのかは分かりません。
年を取って何かが変わってしまう可能性は、完全に否定できません。
でも、もしも叶うことなら、この感触はずっと変わって欲しくない。
だって、これが維持出来るのならば、距離も、時間も、時空も飛び越えて、変わらず大事な人と繋がれるのだから。
(自分が住む街へと続く道。馬車が通っていた時代に、思いを馳せます)