トランプ大統領の誕生に、イギリスのEU離脱をめぐる国民投票における離脱派の勝利。2016年はまさに「ポピュリズム台頭」の1年といえるかもしれません。
 しかし、この「ポピュリズム」とは一体何なのでしょうか?
 日本では小泉首相や大阪市の橋下市長の政治に「ポピュリズム」というレッテルが貼られていましたが、その多くは批判する側からのものでした。とりあえず人気のある政治家を批判するためのキーワードとして「ポピュリズム」というものが使われていたと思います。
 この本は、ある意味でいい加減に使われているポピュリズムというものを再検討し、「リベラル・デモクラシー」に内在するものとしてポピュリズムを捉えなおそうとしたものになります。
 南米やヨーロッパの豊富な事例から、ポピュリズムがときに「デモクラシー」そのものであり、ときに「リベラル」そのものでもあるという、複雑にして厄介な状況が見えてきます。

 目次は以下の通り。
第1章 ポピュリズムとは何か
第2章 解放の論理―南北メリカにおける誕生と発展
第3章 抑圧の論理―ヨーロッパ極右政党の変貌
第4章 リベラルゆえの「反イスラム」―環境・福祉先進国の葛藤
第5章 国民投票のパラドクス―スイスは「理想の国」か
第6章 イギリスのEU離脱―「置き去りにされた」人々の逆転劇
第7章 グローバル化するポピュリズム

 ポピュリズムの定義に関しては、支持基盤をこえ広く国民に訴えかける政治手法と、「人民」の立場か既成政治やエリートを批判する政治運動という2つのものがありますが、この本では後者の定義を採用しています。本書を読んでいけばわかるようにカリスマ的な指導者がいなくなったあともポピュリズム政党が生き残り続けるケースは多いのです。
 
 ヨーロッパのポピュリズム政党の多くが極右政党などに起源を持つことから、ポピュリズム政党はデモクラシーを否定していると捉えがちですが、むしろポピュリズムこそがデモクラシーを体現している部分もあります。
 現代のリベラル・デモクラシーは、法の支配や権力分立を重視する「自由主義的」側面と、民意の反映や統治者と被治者の一致を重視する「民主主義的」側面がありますが(本書では山本圭の議論が紹介されていますが、新書では待鳥聡史『代議制民主主義』(中公新書)が同じような議論を行っています)、ポピュリズムは前者を軽視し、後者を重視する「デモクラシー」とも言えるのです。

 また、イデオロギーが「薄い」のもポピュリズムの特徴です(12p)。これは意外に聞こえるかもしれませんが、ポピュリズム政党に共通する思想のようなものは基本的に存在しません。
 それは、第2章でとり上げられるラテンアメリカの事例と、近年のヨーロッパの事例の違いを見ればわかるでしょう。

 ポピュリズムという現象が注目を集めたのは19世紀末のアメリカ合衆国においてでした。1892年に創設された人民党(People's Party)はポピュリスト党とも呼ばれ、独占資本主義と二大政党に対して挑戦します。この人民党による異議申し立ては、二大政党がその異議に素早く反応したことから短期間で収束しますが、この「人民」からの異議申し立ては、ラテンアメリカにおいて一つの政治潮流となります。

 ラテンアメリカでは一部の富裕層が経済を支配する状態が続いており、これに対抗したのがポピュリズムでした。
 この本では特にアルゼンチンのペロンがクローズアップされています。職業軍人だったペロンは、1943年のクーデタに関与し政治に関わるようになると、労働者重視の政策を掲げ、1945年には大統領に当選します。
 ペロンと彼の妻エヴィータは国民から圧倒的な支持を受け、賃上げや社会福祉の充実を実現させていきます。ペロン政権の経済政策には経済学的にも無理がある部分が多く、その政権は行き詰まりますが、「解放の理論」としてのポピュリズムが機能したのが、このアルゼンチンをはじめとするラテンアメリカでした。

 一方、ヨーロッパのポピュリズムは、「反エリート、半既成政党」という面ではアメリカ大陸のものと共通ですが、その来歴は異なっています。
 ヨーロッパのポピュリズム政党の一つのタイプは極右勢力を起源とするものです。
 この本の第3章では、フランスの国民戦線、オーストリアの自由党、ベルギーのVB(フラームス・ブロック)がとり上げられていますが、いずれも設立当初は極右的な主張をしていました。

 この本では、特にベルギーのVBについて詳しく触れられています。VBはもともとベルギーのオランダ語圏であるフランデレン地方を地盤とする民族主義政党で、初期メンバーには第2次大戦における対独協力者などが入っていました。しかし、1980年代になると右翼的な主張から距離を取り、「反移民」「反既成政党」を打ち出していきます。そして、90年代から00年代にかけて国政でも大きな存在感を示すようになるのです。

 このVBの台頭に対して、主要政党は「防疫線」と呼ばれるVBの排除を行います。VBとは選挙でも議会でも協力しない姿勢を示したのです。
 これはVBによる「既成政党エリートによる談合政治」批判を勢いづけることにもなりましたが(91p)、結果的にVBの台頭により既成政党の改革が進んだという指摘もあります(98-100p)。VBの台頭はベルギーの「デモクラシー」を進化させたとも言えるのです。

 一方、近年のヨーロッパでは極右を起源としないポピュリズム政党も台頭してきました。この本ではデンマークとオランダの事例がとり上げられています。
 デンマークでは、進歩党という政党が1972年に減税や規制緩和を掲げる政党として誕生しました。この進歩党は95年に分裂し、そこからデンマーク国民党が生まれます。
 デンマーク国民党は福祉政策を受け入れた上で、移民や難民が福祉の負担になっているとしてこれを批判し、支持を伸ばします。2001年以降は閣外協力という形で保守政権に協力しており、実際にデンマークの移民・難民政策はかなり厳しいものになっています。デンマーク国民党は、イスラムの「女性差別」などを槍玉に挙げることによって、この移民・難民政策を正当化しました。

 オランダについても同じようなことが起こっています。オランダは安楽死や大麻が合法化されるなど「リベラル」な国で、移民に対しても寛容でした。
 その「リベラル」の価値観からイスラム系の移民を批判したのが90年代後半に登場したピム・フォルタインでした。ゲイでもあった彼は、同性愛や女性の権利を認めないイスラムを「後進的」だと批判し、フォルタイン党を結成します。

 フォルタインは2002年に暗殺されますが、彼の主張は自由党のウィルデルスに引き継がれます。
 ウィルデルスもイスラムの「不寛容」を攻撃する主張で支持を伸ばしますが、政治についてアマチュアだったフォルタインとは違い、保守系政党の政策スタッフををつとめ、議会政治のしくみに通暁しているのがウィルデルスの強みです。

 また、自由党はウィルデルスの「一人政党」という独自のスタイルを取っており、党員はウィルデルス一人です。その上で、彼は候補者の選出に細心の注意を払い、極右系の人物を排除しました。また、事前に研修を行い、議会のルールや政策を勉強させるなど、議員の質の確保にも力を入れました。
 2005年のヨーロッパ憲法条約批准が否決された国民投票において、自由党は大きな存在感をしまし、2010年に成立した保守政権では閣外協力を行っています。

 このようにデンマークやオランダのポピュリズム政党は「リベラル」な主張を掲げることで支持を伸ばしていますが、ポピュリズム政党はまた「デモクラシー」のしくみを利用することでその支持を伸ばしました。その代表的な例がスイスです。

 スイスは以前から国民投票の制度が整備されていましたが、それは言語や宗教の分れるスイスにおいて中央政府の決定を抑制する役割を担っていました。また、国民発案による憲法改正も可能になっています。
 国民投票では議案が否決されることが多く、既成政党や組織はこの「国民投票に訴える」という手段をちらつかせることで、一種の「拒否権」を持っている状態だったのです。  

 このような中で、この制度をまったく違った形で利用したのがスイス国民党でした。
 スイス国民党はもともと農民や中小業者を基盤とする中道右派の政党でしたが、1977年にクリストフ・ブロッハーが党首となると、既成政党批判を強め、AUNS(スイスの独立と中立のための行動)という民間組織と連携することで勢力を拡大します。
 92年にEEA(欧州経済領域)への加盟が否決されると、94年にはPKOへの参加、01年にはEU加盟の交渉を求める議案が否決されるなど、AUNSは影響力を広げていきました。
 そして09年にはミナレット(イスラム寺院の尖塔)建設禁止条項を憲法に追加する国民投票が通ってしまいました。「そんなの憲法違反でしょ」と言いたくなりますが、これは憲法自体の改正なのです。勢いに乗った国民党は10年に特定の罪を犯したり社会保障の不正受給を受けた移民を自動的に国外追放する憲法改正も成立させています。

 このスイスの動きについて、著者は次のように述べています。
 そもそも国民投票は、諸刃の剣である。特に国民発案は、「人民の主権」を発露する究極の場である半面、議会で到底多数派の支持を得られないような急進的な政策であっても、民主主義の名のもと、国民投票を通じて直接国レベルの政策として「実現」することが可能である。(中略)
 「純粋民主主義」を通して「不寛容」が全面的なお墨付きを与えられることさえあるのである。(156-157p)

 第6章ではイギリスのEU離脱派の勝利が分析され、第7章ではトランプ旋風がとり上げられていますが、この2つの現象の共通点は「置き去りにされた人々」とも形容される、時代から取り残された労働者階級の不満です。
 そしてそれを扇動するのがトランプやイギリス独立党の党首のファラージといったビジネスで成功した金持ちです。EU離脱やトランプの当選は「民主主義をエリートから取り戻す」行為でもありましたが、内実は「呉越同舟」でもあり、その行先は不透明と言えるでしょう。

 第7章ではさらに橋下徹の「維新」や欧州の最近の動きなどを紹介した上で、ポピュリズムを考えるいくつかの論点をあげています。
 1つ目はここでも何度か言及してきたポピュリズムの「リベラル」や「デモクラシー」との親和性です。「現代デモクラシーが依拠してきた、「リベラル」かつ「デモクラシー」の論理をもってポピュリズムに対抗することは、実は極めて困難な作業」(223p)なのです。
 2つ目はポピュリズムの持続性です。ポピュリズムというとカリスマ的な政治家に煽られた運動という印象も強いですが、ヨーロッパのポピュリズム政党の多くは代替わりしてもなおその勢力を伸ばしています。日本の「維新」も橋下徹が引退したからといって崩壊したわけではありません。
 3つ目はポピュリズムが既存の政治に与える効果です。ベルギーのVBの事例に見られるようにポピュリズムは既存の政治の改革を促す効果もあり、一概に否定されるべきものではありません。ただ、その効果がどの方向にどれだけ働くのかということは未知数です。

 このようにこの本は政治や民主主義を考える上で非常に広く長い射程をもったものになっています。この本を読むと、トランプ旋風についても、トランプという特殊な個人が巻き起こしたものではなく、「リベラル・デモクラシー」に内在するリスクであったことが読み取れると思います。
 民主主義の機能不全は、「世論操作」や「権威主義への盲従」が引き起こすわけではなく、民主主義のなかにひそんでいるのです。
 トランプ大統領の就任、フランス大統領選挙、ドイツの総選挙と、今年も政治的な重要日程が目白押しですが、この本はそんな政治情勢を読み解くための必読書と言えそうです。

ポピュリズムとは何か - 民主主義の敵か、改革の希望か (中公新書)
水島 治郎
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